図書館で僕のカード以外に妻のカードも使って最大16冊。
だいたい10~12冊借りて来るが、半分程は期間で読み切れず、
返却したり、同じものをまた借りてきたりする。
図書館に行くとついつい、あれも読みたいこれも読みたいとなってしまうのだ。
大阪で一番大きな、遠くても中央図書館に行く。
そしてだいたいいつも、3冊同時に読んでいる。
電車の往復で読む1冊。
これは昔から、帰りにどんなに飲みまくっても
同行者がいない限り、一人で帰るときはお酒を飲んでも読んでいる。
僕のお酒の強さのバロメーター。
今も飲んだ帰りでも読んでいるが、酒の量が全然違う。
今は3杯が限度で、そんなに飲まなくなった。
そして、寝床において読む1冊。
これは睡眠薬代わり。
どうしても寝付きの悪い僕は本を読んでギリギリまで、そして熟睡。
たまに、睡魔がゆるくて内容が面白いと日が出るまで読んでしまう。
そんな時はこんな日に徹夜して・・・と落ち込んでしまう。
そして、単発的に読む1冊。
自ずと小説ではなく啓発物、ハウツーものが多い。
たまにしか時間ができないので読むのに時間がかかる。
病院の待合室とかはこの本だ。
電車で読むのは軽い文庫版の小説が多い。
寝る時に読むのはハードカバー。
時々電車用の文庫本が無くなり、ハードカバーで行くと、
重いし、満員電車で場所によっては周りに迷惑なものだ。
月に1度程は、降りる駅の手前で山場になってしまい
夢中で読んで気がついたら降り忘れている事がある。
ラッキーなのは今までその日に限って
少し早めの電車に乗っており、引き返しても間に合っている。
そんな中の単発で読んでいた1冊。
頁数も多く、2ヶ月程かかって読み終えた。
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ボブ・グリーンの「「ABCDJ」とびきりの友情について語ろう」
世界的なコラムニストのエッセイである。
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昔はこの人の本を良く読んだ。
久し振りに手にしたボブ・グリーンだが
30代の頃、この人のコラムの1節で
通勤の電車の中で涙が止まらなくなったことがある。
声を出して泣きそうになったのを必死で押さえた事がある。
内容は路線バスの運転手が、毎日毎日同じ道を何十年も運転している、
と言うただそれだけの話なのだが。
自分でもどうして悲しいのわからなかった。
きっと、その前のコラムの内容も影響していたのだろか。
その頃はフリーだったので満員電車ではなく
ゆったり座っての通勤だった。
そう言えば、あの頃は時々涙を流している人を電車で見かけた。
人は皆、いろんな問題を抱えて生きているのだと思ったものだ。
そして、その涙が楽しい事の涙だったら良いのにと、心で思いながら、
まわりも目に入らず涙を流している人を知らんフリして見ていたものだ。
今は満員電車だからか、そんな人も滅多に見かけないが、
3週間程前、山の帰りに電車で1点を見つめて涙を流している中年の女性を見た。
この1冊も心に響くものだった。
僕は30歳の時に、僕が大親友だと思っていた人を亡くしている。
その悲しみはそれ以後、親友を作る事を拒んで生きてきた。
20代で自ら人見知りを克服し、
30歳で今度は深い友情に恐れを抱くようになった。
今ちょうど、その倍生きてきて、淋しいが
これも僕に与えられた生き方だったのかと思う今日この頃。
今は人に満たされて行きたい。
死ぬときは、だれも一人なんだから。
だいたい10~12冊借りて来るが、半分程は期間で読み切れず、
返却したり、同じものをまた借りてきたりする。
図書館に行くとついつい、あれも読みたいこれも読みたいとなってしまうのだ。
大阪で一番大きな、遠くても中央図書館に行く。
そしてだいたいいつも、3冊同時に読んでいる。
電車の往復で読む1冊。
これは昔から、帰りにどんなに飲みまくっても
同行者がいない限り、一人で帰るときはお酒を飲んでも読んでいる。
僕のお酒の強さのバロメーター。
今も飲んだ帰りでも読んでいるが、酒の量が全然違う。
今は3杯が限度で、そんなに飲まなくなった。
そして、寝床において読む1冊。
これは睡眠薬代わり。
どうしても寝付きの悪い僕は本を読んでギリギリまで、そして熟睡。
たまに、睡魔がゆるくて内容が面白いと日が出るまで読んでしまう。
そんな時はこんな日に徹夜して・・・と落ち込んでしまう。
そして、単発的に読む1冊。
自ずと小説ではなく啓発物、ハウツーものが多い。
たまにしか時間ができないので読むのに時間がかかる。
病院の待合室とかはこの本だ。
電車で読むのは軽い文庫版の小説が多い。
寝る時に読むのはハードカバー。
時々電車用の文庫本が無くなり、ハードカバーで行くと、
重いし、満員電車で場所によっては周りに迷惑なものだ。
月に1度程は、降りる駅の手前で山場になってしまい
夢中で読んで気がついたら降り忘れている事がある。
ラッキーなのは今までその日に限って
少し早めの電車に乗っており、引き返しても間に合っている。
そんな中の単発で読んでいた1冊。
頁数も多く、2ヶ月程かかって読み終えた。
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ボブ・グリーンの「「ABCDJ」とびきりの友情について語ろう」
世界的なコラムニストのエッセイである。
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昔はこの人の本を良く読んだ。
久し振りに手にしたボブ・グリーンだが
30代の頃、この人のコラムの1節で
通勤の電車の中で涙が止まらなくなったことがある。
声を出して泣きそうになったのを必死で押さえた事がある。
内容は路線バスの運転手が、毎日毎日同じ道を何十年も運転している、
と言うただそれだけの話なのだが。
自分でもどうして悲しいのわからなかった。
きっと、その前のコラムの内容も影響していたのだろか。
その頃はフリーだったので満員電車ではなく
ゆったり座っての通勤だった。
そう言えば、あの頃は時々涙を流している人を電車で見かけた。
人は皆、いろんな問題を抱えて生きているのだと思ったものだ。
そして、その涙が楽しい事の涙だったら良いのにと、心で思いながら、
まわりも目に入らず涙を流している人を知らんフリして見ていたものだ。
今は満員電車だからか、そんな人も滅多に見かけないが、
3週間程前、山の帰りに電車で1点を見つめて涙を流している中年の女性を見た。
この1冊も心に響くものだった。
僕は30歳の時に、僕が大親友だと思っていた人を亡くしている。
その悲しみはそれ以後、親友を作る事を拒んで生きてきた。
20代で自ら人見知りを克服し、
30歳で今度は深い友情に恐れを抱くようになった。
今ちょうど、その倍生きてきて、淋しいが
これも僕に与えられた生き方だったのかと思う今日この頃。
今は人に満たされて行きたい。
死ぬときは、だれも一人なんだから。