保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

毎年この時期、戦争について思うこと。

2010年08月14日 | 日々の暮らし

原爆被害者など、毎年この時期には
戦争の悲惨さを語り継ぐ人々がマスコミによく登場します。

国が引き起こした戦争により
一般市民がこうした悲惨で過酷な体験を余儀なくさせられたから
それを語り継ぐことによって2度と“日本が”戦争を起こしてはならない
というメッセージを発信しているのであって
その被害をもたらした相手国を非難しているのではないはずです。

シベリア抑留で数万人が死んだ、とか
中には子供を中国人に預けて、命からがら満州から引き揚げて来た、とか
これは元を辿れば韓国、中国東北部への日本の侵略がもたらした結果で
一部、終戦間近にロシアが取った狡猾な戦略を非難する声もあるものの
元はと言えば、明治新政府以降の富国強兵策によって
調子に乗った日本が余計なことをしたことが
そもそもの始まりだったのでは…。

真珠湾の奇襲攻撃から始まって、原爆投下で幕を閉じましたが
元は加害者であったはずが被害者になったからと言って
そちらばかりが強調されている気がしてなりません。

もっとも、核廃絶が目的で
武器の種類によっては“戦争肯定”というのなら話は別ですが。

また、中国への侵略(侵略ではないという見方もあるようですが)では
南京大虐殺そのものがなかった、と言う人がいたりして
その殺戮に加わった人が加害者の立場から
被害者が語るように、戦争の悲惨さをあまり語らないのは
なぜなのでしょう?

もしかしたら、一般市民が現実の戦闘に参加する際は
国の大義が何であるにしろ、それとは無関係に
略奪と暴行(もちろん婦女暴行を含めて)がその目的になる
と言う話ですから、戦争も勝てば悲惨ではないのかもしれません…。

一方、韓国政府にお詫びをする日本の首相に
「戦後補償は済んでいるのだからもう詫びる必要はない」は
交通事故の被害者に保険でお金を払ったのだから
加害者はもう、詫びる必要がない、と同じ主張に聞こえますが
確かに法律上はそうなのですが本当にそれで良いのでしょうか?

かように様々な思いが頭の中を駆け巡るのが
毎年のこの時期の恒例なのです。

 

コメント
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