一般的に日本で行われる葬儀の実に95%が仏教式によるものと言われます。
(キリスト教2%、神道1%、その他2%)
葬儀は宗教と切り離し難いもので
多くは宗教者が主導する宗教的儀礼として行われます。
宗教が違えば、葬儀のかたちや手順も違ってきます。
また同じ宗教でも、宗旨(しゅうし:教え)の違いによる宗派によって
作法なども違うものになります。
このため葬儀は、故人の信仰や喪家が属している宗教・宗派の宗教者によって
それに則った儀礼・手順で行わなければなりません。
そうでないと、たとえば仏教式の葬儀であっても
菩提寺がありながら、その寺とは違う宗派で葬儀をしてしまった場合には
菩提寺のお墓に入れなかったり、戒名の変更を迫られたり、さらには
本来の宗派で葬儀をやり直さなければならなくなることもありますので
菩提寺にお墓がある方は注意して下さい。
日本の仏教では、檀家としての菩提寺があって
そのお寺の墓地・霊廟(寺院墓地)に肉親や一族のお墓があり
死後はそのお墓に入るという方の葬儀は必ず菩提寺に連絡してお願いするか
菩提寺と同じ宗派の僧侶によって仏式葬儀を行うのがルールです。
こうしたことを知らずに失敗する事例の多くが、菩提寺とお墓が首都圏と離れた地方にあるため
菩提寺に連絡も相談もせずに、住居のある首都圏で火葬・葬儀を行い
その後で遺骨を菩提寺に持っていって断られたというケースです。
このような場合の最終的な解決策は、菩提寺の進言に従って、最悪は
もう一度本来の宗派に則った葬儀をやり直すか、宗教・宗派不問の公営や民間の墓地を探すか
あるいは、首都圏で葬儀をしたときの僧侶のお寺を新たな菩提寺として檀家になり
その寺の墓地にお墓を求めるか、のいずれかになります。
どれを選択するにしても新たな出費が必要になりますから注意が必要です。
似たような問題は最近増えているお寺や特定の宗教法人が運営する納骨堂でも起きています。
寺や特定の宗教法人が運営している納骨堂の中には
「これまでの宗派は不問」と謳っているものがありますが、これは裏返せば
「これからは、自分のところの宗派に入っていただきます」ということですので
うっかりそれまでの宗派で葬儀をしてしまった場合には
納骨堂に遺骨を納める段階で、前のケースと同じことが起こり得るのです。
ところで、葬儀の手順や作法の違いは
それぞれの宗教・宗派における死生観(=生と死に対する考え方)に基づいて
それぞれが伝統的に形作られているためです。
例えば、日本の多くの仏教では、死者は来世で仏の弟子になるとされますので
そのための戒律を授け引導する儀式として構成されています。
神道では火葬・埋骨後も、故人の霊魂は祖先の霊とともに家にとどまり
家族の守り神になるとされますので、霊魂を神として祀る儀式が中心となります。
一方、キリスト教では死は「召天」または「帰天」と言って喜ばしいことであると考え方ますので
故人が神に召され安息を得られるように祈ります。
繰り返しになりますが、葬儀は宗教的儀式なのですか
普段宗教や信仰を意識することがある、ないに拘わらず
故人や自分の家の宗教・宗派について把握しておくことがどうしても必要になってきます。
ところで、仏教式葬儀が95%にも達するということは、日本人が生活の根っこの部分で
寺院と深く関わっているということになりますが、その原因は江戸時代にあります。
江戸時代初期、日本人全員は近くの寺を菩提寺と定め
その檀家となることを義務付けられた「寺請制度」が始まり、現在の戸籍に当たる「宗門人別帳」が作成され
旅行や住居の移動の際には、その証文(寺請証文)が必要とされることになりました。
各戸に仏壇が置かれ、法要の際には僧侶を招くという慣習が定まり
寺院に一定の信徒と収入が保証されたと言います。
そして元禄年間には、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され
葬式に必ず僧侶がつくようになって現代に続く葬儀の形が出来上がりました。
つまり、幕府は一般民衆を把握する目的で寺院を利用したため
寺院との関わりなくしては生活ができないことになってしまったのです。
*菩提寺(ぼだいじ)…一家が代々その寺の宗旨(しゅうし:教え)に帰依して
そこに墓や位牌を納め、葬式を営み、法事などを依頼する寺。檀家寺。
この寺に先祖代々の菩提(死後の冥福)を求めることになる。