保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

お寺との付き合いはヤヤコシイ…⑤打ち合わせの顛末

2012年03月16日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

義母が病院で他界した後、菩提寺との打ち合わせを振り返ってみます。

不幸は突然やって来ますので
世間で言うように、死を悲しんでいる余裕など全くないのは事実です。

まず最初の連絡は、葬儀場の通夜室に遺体を安置した直後
葬儀社の担当のHさんの指示で、僧侶の都合を電話で尋ね通夜と葬儀の日時を決めることでした。

さすがにこれを代行してはくれず、人生で初めて自らS寺に連絡を取ったのです。

昔は死んでゆく人が不安にならぬよう案内として枕元で死をみとりながらお経をあげたようですが
現在では通夜の前に死後すぐに行われる一つの儀式として
初めてお経を聞かせるという意味で「枕経」を依頼することもあります。

最近は病院で死亡するケースが多いので
この場合は遺体を自宅または葬祭場へ搬送した後で行います。

電話などない昔は、この枕経の際に通夜と葬儀の日程も相談したようですが
最近では僧侶も何かと忙しく、省略される(通夜の時にまとめてお経だけあげる?)ことが多いと聞いていて
事実、S寺はしないとHさんの情報帳には書いてありました。

基本的には通夜の翌日が葬儀になり、どちらも読経なくしては成り立ちませんので
まずはとにかく、電話で良いので僧侶の都合を訊いたうえで予定に加えてもらわなければなりません。

菩提寺では、葬儀は本寺+末寺僧侶、通夜は末寺僧侶など
葬儀を中心に本寺と末寺の繋がりを利用して僧侶の手配をしてくれます。

お寺さんの日程が取れましたら、長野地方では葬儀の前に荼毘に付しますので
火葬場の予約も取らなければなりません。

葬儀場を使う場合、会場の空き具合も考慮しながら
お寺、火葬場の三者を組入れなければならないのですから、それも一つずつ連絡をするのですから
面倒な調整が必要なこともあり、場合によっては前後を入れ替えた変則的な日程になってしまうこともあるようで
その辺は葬儀社がさまざまなパターンを提案してくれます。

義母の時に死亡した翌日に通夜ができなかった理由はお寺さんの都合に因りますが
通夜室使用料5万円の支出が余分だったとは言え、物理的・精神的に余裕が持てたので良かったと思います。

昔のパターンでの打ち合わせは
(死亡当日)枕経…通夜と葬儀の日程
(通夜当日)…戒名など
(葬儀の翌日)お寺参り…お布施を持参し初七日・四十九日の日程
と続き、4日連続でお寺さんにお経をあげていただいてすぐに初七日法要もあるのですから
それはそれは大変な労力と気の使いようだったことは想像に難くありません。

もちろん、お金の心配も。

枕経は通夜、初七日は葬儀の際に同時にお経をあげていただくことで
省略するようになりましたのでずいぶん楽になったそうです。

また、電話を中心に連絡手段で困ることはなくなりましたし
葬儀社がお寺さんとの打ち合わせやお布施を渡すタイミングまでアドバイスしてくれますので
それに従っていれば大きなミスはないでしょう。

結果、お寺さんとのやり取りを中心にした私の場合の基本的な流れは次の通りでした。

(当日)

1.まずはお寺に電話をして通夜と葬儀の都合を訊きます。

2.それを基に、電話で火葬場の予約を取ります。

3.折り返し、電話でお寺に予定をお知らせし、了解を取ります。

(翌日…空き日)

改めて、お寺を訪ねて正式に依頼をし、お布施・戒名の話をしました。
(女性一人だと苦言を呈されるお寺であることを聞いていましたので
親戚のお年寄りを加えて3人で行きました)

戒名は葬儀の際、白木に書いた仮のものが使用され、四十九日までこれを飾ります。

通夜に住職(方丈様)がお見えになるのであれば、その際にお話もできるのですが
代わりに庵主様が来ることになっていましたので、直接打ち合わせる必要があったためです。

(翌々日…通夜)

庵主様へのお布施は読経後、葬儀場の控室で渡します。

(葬儀当日)

菩提寺からは跡取り息子の僧侶がお見えになり、庵主様とのお二人で執り行いました。

普通は3人なのですが、義母が書面に残した希望に従い、強いてこの形をお願いしたもので
9年前に先立った義父並以下にしたい気持ちがあったようです。

3人構成の読経に当たっては、庵主様が両手をフルに使って木魚と鐘、そしてお経もあげるのですから
ちょっと忙しそうだったことが印象に残りました。

読経後の控室でそれぞれにお布施を渡し、お礼を述べます。

本来はこの時点で「過去帳」の記入をお願いするとともに、四十九日の日程の打ち合わせをすると良いようですが
方丈様ではなかったので、これは後日、またお寺を訪ねることにしました。

(葬儀数日後)

菩提寺を訪ね、四十九日の日程を打ち合わせるとともに
過去帳を預けて記帳の上その時に返してくださるようお願いしました。

“手ぶら”でお寺を訪ねるものではないと予め聞いていましたので
朝一番で出来上がったばかりの桜餅を持参しました。

その際、最近ではしなくなったと葬儀社のHさんから聞いていた「お寺参り」について
「今でもするのでしょうか」と念のため尋ねると、「四十九日と一緒でいいよ」との答えが返ってきました。

本来、通夜と葬儀のお布施を渡したり四十九日の打ち合わせをするお寺参りですが
お布施はすでに渡してあり、こうして打ち合わせにも来ているのですから
「するか、しないか」の質問に「一緒でいいよ」と回答するということは、桜餅程度を持参しただけではダメで
四十九日当日にお布施を別包みで持って来いという意味にしか取れません。

お布施の額も、払える金額が少ない場合は直接尋ねたりしないで
“これでお願いします”的な方が良い、と聞いていましたし
あまりこうした質問をすると、しないで済んだものをせざるを得なくしてしまうものだとちょっと後悔…。

(そして、今)

すでに正式な位牌は仏壇店に依頼して完成しています。

墓石に戒名を彫る習わしの作業も同じ所に頼んであります。

四十九日の日時は決まり、法事はS寺の本堂で、続くお斎は場所を変えて
高〇亭で行う段取りがすでに済んでいてその日を待つばかりです。



なにはともあれ、初めて経験することの連続ですし
また、立て続けに行われる儀式によって遺族の皆さん、それでなくてもその前には
介護や看護の日々もあったのですから、葬儀が終わると疲れ果てて寝込んでしまう話はよくあることです。

実際に、私はともかく女房は、看護の時からの風邪が治らず病院に三回ほど通いました。

もしかしたら先人達は、悲しみを紛れさせるために
意識的にこうした息をも付けぬ状況に遺族を置くことを考え出したのかもしれませんが
一生で一番、お寺さんとお付き合いをしなければならない日々がまだまだ続いています。

 

 

コメント
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