70歳以上のお年寄りを招待して
毎年恒例になっている地区公民館主催の「敬老会」が催されました。
全133世帯の町なのに対象となる人は125人を数えるのですから
ほぼ1世帯に一人は70歳以上がいることになります。
ちなみに、育成会に入っている小学生の数は現在、たったの6人です。
専業はほとんどいないにしろ、リンゴ生産に関わるお宅が多く
市街地から約4㌔の農村部に立地しているため
宅地造成やアパート建設などによって若者が流入してくる要因もなく
超高齢化社会を絵に描いたような我が町です。
米寿や金婚式、ダイヤモンド婚を祝うことは良しとして
こうして20万円もの予算を計上して一家に1人はいることになる年寄り
それも平均余命でさえまだ10年以上もある段階から
毎年、町を挙げて祝うことにそれほど意味があるのでしょうか
今の時代、年寄りが長生きすることは本人が希望するからであって
国や社会は経済的な負担が増すだけですし
町にしたところでロクに身体が動かないくせに口だけ達者な連中が増えるだけ
家族に至っては年寄りの年金がちょっと家計の助けになるとはいえ
介護の負担は物心ともに相当なもの
とても諸手を挙げて祝えるものではないと思うのです。
一方、これからの時代、誰もが喜ばなければならない子供の誕生に関しては
少なくても現在、町の住人が知る機会も祝う機会もありません。
これって、もしかしたら“子沢山”の頃の前時代的な発想に基づく町内行事を
慣例的かつ盲目的に年寄り主導で繰り返しているだけだからでは。
そして、65歳になった私自身も含めて
年寄りは、自分たちのことなど放っておいて
もっと子供達とその親世代に目を向けた行事を考えた方が良いのでは、とも。
さらに、彼等がそうした行事に無関心だと嘆くなら
いっそツマラナイ支出は止めて、町内の子育て支援金として
現金をばらまくくらいのことをしてもよいのでは、とさえ思える「敬老の日」でした。