Pochiのブチブチジャーニー

文字通り、Pochiが個人的な感想や意見をブチブチと語る。価値のあるものではないよ。

昨日の続き、なぜ、犯人の疑いでは説得力が弱いか

2011-09-15 08:40:10 | Weblog
 「砂の器」で千代吉と秀夫が村を出ていく理由がテレビでは一家4人の殺人事件の犯人の疑いをかけられたとしていた。しかし、少し考えればわかるけど、犯人ではなく疑いをかけられただけの人の名前が公表されているだろうか?実際にpochiの周りに警察から疑いをかけられた人間がいるかも知れない。しかし、そんなことはわからないのだ。

 昭和10年代でハンセン病の特効薬もない時代に、ハンセン病になったとしたらどうなるか。それこそ、住んでいるところだけでなく、親兄弟からも夫からも妻からも子供からも見捨てられるのだ。
 だから、逃げて各地を放浪するしかなかったし、見つかって人里離れた病院に収容されたのだ。そういう背景があるから説得力が出る。

 遠藤周作に「わたしが棄てた女」という作品がある。主人公のミツという女の子もハンセン病の疑いをもたれて御殿場の病院に行く。ミツは子供の時、縁日でハンセン病患者が物乞いをしていたことを思い出す。毛の抜けた頭、指がない丸太棒のような手をしていた。「悪いことをしているとああなるぞ」と母に注意される。
 また、病院に行くと修道女から、この病気の患者は今まで自分を愛してくれた家族からも見捨てられると言われる。昭和38年の作品でもそうなのだ。そういう時代背景なのだ。
 いまでこそ、特効薬もあり、病気の知識もネットで簡単に調べられるが、そういうことをする人は現在でも決して多くなく、大多数の人は誰かから聞いたいい加減な噂等しか知らないということも多いのだ。
 
 要するに殺人事件の疑いとはまったく別次元の孤独なのだ。だからこそ、父が子を捨てる。子が父のことを隠す。空襲のどさくさにまぎれて名前を変える、ということが納得できる設定になっているのだ。

コメントを投稿