● 以前にもう読まないのではと思って本を売ってしまい、後になって読みたくなり苦労して再購入したことがあった。それ以来、本は売っていなかったが、さすがに引っ越しするにあたり荷物が多すぎるので重くて場所をとる本を売った。
ところが、今になってあの本は売っていなかったはずなのにと思い込んでいた本がないことに気づいた。念のためにamazonのブックコーナーで調べたら結構な値段で売っていた。口惜しいので物置の奥まで再度探してみたがない。それは山岸涼子の「日出処の天子」と萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」「スターレッド」の3作品。山岸涼子の作品は超能力者で同性愛者の厩戸皇子が大変魅力的で、太子になってからの3人目の妻・膳臣郎女が知的障害の幼女であり、それが母親にそっくりという描写もすごかった。
この人の「アラベスク」だったかバレー物などには興味はなくて「天人唐草」「馬屋古女王」などの一連の作品がお気に入りだった。「天人唐草」のラストでウェデングドレスを着て街を歩く主人公はすさまじかったが、昔昔の中国でウェディングドレスを街中で来ている人を見たことがあったが、それは狂気というよりは単なる実用という気がした。今と違って30年ぐらい前の中国は衣服など全然気にしていないようだった。
たしか、当時の「Lala」だったか「花とゆめ」だったかで漫画家の近況報告ページがあり、その時の山岸さんの自画像は2頭身に描かれていたようだった気がする。どうでもよいような話だが「おはぎが夕食」だったという子供の時のエピソードもpochiの家でも自家製の大きなおはぎが夕食だったこともあり、似たような家もあるもんだと感じていた。
広島の原爆で犠牲になった少女を描いた作品があったが、あれも声高に戦争反対とかいうものではなくて、ノンポリの少年が留守番を頼まれた田舎の公園で一人の少女と出会い、ある夜の花火でその子が原爆で死んだらしいことを知るという話で、最後に良心的な青年が〝今どきの少年は…〟と苦言らしきものを言うのが皮肉っぽく感じたことを覚えている。題名は「夏の寓話」?だったかな。やたらと反戦とか平和とかは訴えないがそんなことは声高に言わないでも印象に残るという作品の見本だと言えるのではないかと思った。なんだか、今は声高なだけの作品が多いような気もする。