ネットを見ていたら毎日新聞に、空襲の被害を受けた人が国を訴えたという記事が載っていた。
これを書いた記者は一億総懺悔論云々としていたが、ちょっと疑問に思って江藤淳やこの発言が出た翌日の新聞のコラム何かを
見てみた。すると、やはりというか、一億総懺悔はこれから全員でやっていこうという主旨、少なくても当時のコラム氏や東久迩
首相はそう考えていたようだ。
問題はいわゆる戦犯が事後法で裁かれたように、日本も事後法で軍人や官僚やその他の権力者やひきょう者たちをさばけば
よかったのだ。しかし、そんなことをせずに、周知のような戦後を作って来たのだ。
そもそも、毎日新聞自体が戦争に協力してきたのに、どんな反省をしたのか新聞のタイトルも変わっていないし、社旗は変わったのか、
当時の役員は何人ぐらいが社内で処罰を受けたのか。たぶん、ゼロだろう。
記者が最後に死ぬのを待っているのでは見たいなことを書いていたが、それは毎日新聞にも言えるのではないか。
それだけに白々しさを覚える記事であった。
大阪天満で餓死したといわれる親子だけど、かわいそうというのは簡単だが、こういう場合、なぜ、弁護士を雇って養育費や慰謝料などをとらないのか、
夫の給料差し押さえなど手はいくらでもあるだろうに、もっと母は強くならなければやっていけない。
先日読んだ、戦争中の暮らしの記憶の中に、大陸で男の子供を現地の人に売ったり、ふろに入っている子供をふろのふたで押さえつけておいて、
自分は一番下の子供を連れて逃げてきた母の話が載っており、生きて帰ればまた産めるというような主旨の話があった。
良い悪いはともかくとして、そのくらいのたくましさが必要なのであるとも思う。
同書を見ると、生徒のおやつをかっぱらってごまかした教師など小悪党のオンパレードだ。追いつめられると人間はどうなるかの見本だ。