見ました?「学校の中を浮遊する発達障害の子どもたち…」6チャンネルの夕方の「ニューズゆう」。
新型インフルエンザ問題のニュースで飛んでしまわないかと思いながら見ていると、ほんの一瞬でしたがいきなりドアップでしたねぇ、私の演説姿。1月26日の大阪府庁前の宣伝姿。ねずみばあさんの「お面」姿やカツラかぶったお相撲姿からはちょっと想像できないネクタイ姿のおじさんでした。
出てきたRくんは先日お母さんとぽぽろにやってきて、一緒に遊んだばかりでした。先日の子育て支援教室でもいっぱいお話ししていただいたので、お話も聞いていてよく分かりました。
この「浮遊する子どもたち」という表現は画面ではインタビューの府立障害児学校教職員組合の福田委員長が使っていましたが、実は私もそうでしたが、大阪市内の特別支援学級(養護学級)の先生から聞かされた言葉なのではないかと思います。
私どもの相談ケースでも通常学級が安心の場になっていなかったり、授業についていけなくなったりして席を立ってフラフラしたり、教室から出ていく「困っている」子どもたちの事例が少なくなく、支援学級が居場所になったり中には不登校になる、支援学校に転校するという状況が生まれています。
学力テスト問題にも少し触れていましたが、子どもたちに競争を押しつける教育が排除に拍車をかけているんです。いわば子どもたちは「浮遊させられている」のです。
つい先日の3月末の朝日新聞の一面にも全国的な状況だとして大きく載りましたね。テレビでも支援学級や支援学校の在籍数が「少子化」の中でも増え続けている表が出ましたね。
その一因に発達障害の子どもたちが増えていることと、通常教育についていけなくなっていることをあげていました。後者の問題を私はあえて「エクスクルージョン」(「インクルージョン」の反対語)=排除されていると表現したい。
それで、テレビに映ったこの日は、ブログでも何度も訴えてきましたが、支援学校の児童生徒の在籍数が10年間で1.5倍にもなっているのに大阪府が支援学校を建てようとしなかったために、全国の中でも最悪の状態に放置されてきた、この支援学校(養護学校)の超マンモス化、詰め込みの実態を告発し、橋下知事に新設を求めて行動を起こした日です。(私たちはこうして18年間、府庁の前に立ってきましたが…)
結局、大阪府の今年度予算では1校分の新設整備費しかつきませんでした。この分も含めて5年間で4校を整備すると府教委は方針を立てましたが、最低でも10校は建てないと大阪府が基準としてあげている「適正規模150人~200人」の支援学校にはならないのです。今、府立佐野支援学校は451人の在籍ですよ。
しかし、これは大きな一歩、運動あってこその前進だと考えています。
これはその日、大阪府知事の秘書課に申し入れた時の写真です。この写真は障連協の塩見氏のブログから借りました。今日のテレビ放映の件、先を越されました。
そして、同じように支援学級(養護学級)も超過密・過大化しているのですね。20人~30人規模の支援学級も大阪府内ではざらです。半分以上を発達障害の子どもたちが占めているという学級もあります。私たちは30人にもなると「ミニ養護学校」と表現してきました。それこそ、特別支援学級とその先生を増やし、一方で小回りがきく地域密着型のミニ養護学校をこの際整備すべきだと訴えているのです。
この際、はっきり言っておきますが、大阪市の特別支援学校(今年から養護学校という名称を変更)の過密ぶりは尋常ではなく府立の比ではありません。もう人権侵害を通り越していますよ。私たちもそうですが、関係する親も教職員も学校ももっと子どもたちに代わって声を大きくあげないと!!
同時に、通常学級の規模も早く35人、30人学級と下げていき、小集団で差別や競争ではなく一人ひとりを大事にする教育に変えていくことですよね。
障がいのある子らの教育は声をあげずして良くなったためしはありません。
「軽度」発達障害の子どもたちは通常学級に6.3%いるという文科省調査結果の数字が紹介されていました。従来の障害児教育対象児の4~5倍です。つまり、当事者も勿論ですが、子どもたちに代わって物を言う大人(家族)もそれだけおられるということ。この声が今度の自立支援法改正案にも反映しています。つまり、中身は問題点だらけの改正案で審議の遡上にものぼっていませんが、法制度の対象者に発達障害者を含むとしているのです。
障がいが「軽度」といっても問題は決して軽くないし、人によっては不全感や自己否定感はむしろ「重い」場合も少なくないのです。また、通常学級→通級教室→支援学級→支援学校というように序列をつけて、その価値観に縛られて子どもたちにとって一番大切な安全・安心のよりどころを失っていけないと思うのです。
障がいが「重い」「軽い」、通常学校か支援学校かなどという二者択一に縛られて運動があっちかこっちかという風に分断されないように手をつなぎたいものです。
さて、明日(2日)は午後25時~(正確にはあさって午前1時~)6チャンネル「テレメンタりー」で健太くんのドキュメンタリー番組が放映されます。ちょっと深夜で見れない人も録画して見てね。
私はこの番組を見てから車で高速を走り、両親が待つ島根に帰り、父親をデイサービスの見学に連れていき、同意が得られれば手続きをし、5日の学童保育に間に合うようにそのまま帰阪せねばなりません。大渋滞を避けて深夜にと思っていましたら、ニュースで大阪から西の方に行く場合は山陽道を通るよりは距離は長くても(私が帰る)中国道を通った方が早いとお節介な情報を伝えておりました。渋滞グッズまで紹介していました。ETCはつけていません…。高速道路が駐車場にならなければいいが…。(知っていますか?これに関係なく日頃から「阪神高速駐車場」と言われているのを)
明日の土曜学童保育は16人!!待ってるよー!
あっ、今日のことですか?
追伸。
本を読んで映画を見ました。SIINA KIPPEI主演の「レイン フォール」。映画の「レインマン」の兄役を演じたSIINAの演技(演劇)を身近で見たことがあり、演技に迫力を感じましたが、この社会性の強い「レイン フォール」も見ごたえがありました。
本は白石正久氏著の『障害児が育つ放課後』(あと3分の1ほど残った)。その他にぐっと読みごたえが出てきた全障研の『みんなのねがい』5月号をチラッと。そして、わがNPO大阪障害者センターの障害者生活支援システム研究会が出したかもがわ出版のブックレット『障害者の「暮らしの場」をどうするのか?』の序章のみ。
マイカルの豆大福が好きで、これを食べているときこそ本日の至福の時でした。
実は最後に読んだ高垣忠一郎さん(立命館大学)が書いておられる『みんなのねがい』の書評が気になりました。『続 発達の芽をみつめて かけがえのない「心のストーリー」』(近藤直子氏、全障研出版部)が無性に読みたくなった。「本書は「自己肯定感」という言葉に随所で触れ、「自分はダメでも愛されている」という実感から生まれる「自己安定感」の土台の上に、「自分もなかなかのものだ」と感じられる「自己充実感」が加味されて自己肯定感が生まれるのだと論じている。」と本書を積極的に評価、紹介されている。
明日の健太くんのドキュメントをこうした視点から見てみようと思いました。ずっと考え続けてきたことが少しは分かるかもしれない。
新型インフルエンザ問題のニュースで飛んでしまわないかと思いながら見ていると、ほんの一瞬でしたがいきなりドアップでしたねぇ、私の演説姿。1月26日の大阪府庁前の宣伝姿。ねずみばあさんの「お面」姿やカツラかぶったお相撲姿からはちょっと想像できないネクタイ姿のおじさんでした。
出てきたRくんは先日お母さんとぽぽろにやってきて、一緒に遊んだばかりでした。先日の子育て支援教室でもいっぱいお話ししていただいたので、お話も聞いていてよく分かりました。
この「浮遊する子どもたち」という表現は画面ではインタビューの府立障害児学校教職員組合の福田委員長が使っていましたが、実は私もそうでしたが、大阪市内の特別支援学級(養護学級)の先生から聞かされた言葉なのではないかと思います。
私どもの相談ケースでも通常学級が安心の場になっていなかったり、授業についていけなくなったりして席を立ってフラフラしたり、教室から出ていく「困っている」子どもたちの事例が少なくなく、支援学級が居場所になったり中には不登校になる、支援学校に転校するという状況が生まれています。
学力テスト問題にも少し触れていましたが、子どもたちに競争を押しつける教育が排除に拍車をかけているんです。いわば子どもたちは「浮遊させられている」のです。
つい先日の3月末の朝日新聞の一面にも全国的な状況だとして大きく載りましたね。テレビでも支援学級や支援学校の在籍数が「少子化」の中でも増え続けている表が出ましたね。
その一因に発達障害の子どもたちが増えていることと、通常教育についていけなくなっていることをあげていました。後者の問題を私はあえて「エクスクルージョン」(「インクルージョン」の反対語)=排除されていると表現したい。
それで、テレビに映ったこの日は、ブログでも何度も訴えてきましたが、支援学校の児童生徒の在籍数が10年間で1.5倍にもなっているのに大阪府が支援学校を建てようとしなかったために、全国の中でも最悪の状態に放置されてきた、この支援学校(養護学校)の超マンモス化、詰め込みの実態を告発し、橋下知事に新設を求めて行動を起こした日です。(私たちはこうして18年間、府庁の前に立ってきましたが…)
結局、大阪府の今年度予算では1校分の新設整備費しかつきませんでした。この分も含めて5年間で4校を整備すると府教委は方針を立てましたが、最低でも10校は建てないと大阪府が基準としてあげている「適正規模150人~200人」の支援学校にはならないのです。今、府立佐野支援学校は451人の在籍ですよ。
しかし、これは大きな一歩、運動あってこその前進だと考えています。
これはその日、大阪府知事の秘書課に申し入れた時の写真です。この写真は障連協の塩見氏のブログから借りました。今日のテレビ放映の件、先を越されました。
そして、同じように支援学級(養護学級)も超過密・過大化しているのですね。20人~30人規模の支援学級も大阪府内ではざらです。半分以上を発達障害の子どもたちが占めているという学級もあります。私たちは30人にもなると「ミニ養護学校」と表現してきました。それこそ、特別支援学級とその先生を増やし、一方で小回りがきく地域密着型のミニ養護学校をこの際整備すべきだと訴えているのです。
この際、はっきり言っておきますが、大阪市の特別支援学校(今年から養護学校という名称を変更)の過密ぶりは尋常ではなく府立の比ではありません。もう人権侵害を通り越していますよ。私たちもそうですが、関係する親も教職員も学校ももっと子どもたちに代わって声を大きくあげないと!!
同時に、通常学級の規模も早く35人、30人学級と下げていき、小集団で差別や競争ではなく一人ひとりを大事にする教育に変えていくことですよね。
障がいのある子らの教育は声をあげずして良くなったためしはありません。
「軽度」発達障害の子どもたちは通常学級に6.3%いるという文科省調査結果の数字が紹介されていました。従来の障害児教育対象児の4~5倍です。つまり、当事者も勿論ですが、子どもたちに代わって物を言う大人(家族)もそれだけおられるということ。この声が今度の自立支援法改正案にも反映しています。つまり、中身は問題点だらけの改正案で審議の遡上にものぼっていませんが、法制度の対象者に発達障害者を含むとしているのです。
障がいが「軽度」といっても問題は決して軽くないし、人によっては不全感や自己否定感はむしろ「重い」場合も少なくないのです。また、通常学級→通級教室→支援学級→支援学校というように序列をつけて、その価値観に縛られて子どもたちにとって一番大切な安全・安心のよりどころを失っていけないと思うのです。
障がいが「重い」「軽い」、通常学校か支援学校かなどという二者択一に縛られて運動があっちかこっちかという風に分断されないように手をつなぎたいものです。
さて、明日(2日)は午後25時~(正確にはあさって午前1時~)6チャンネル「テレメンタりー」で健太くんのドキュメンタリー番組が放映されます。ちょっと深夜で見れない人も録画して見てね。
私はこの番組を見てから車で高速を走り、両親が待つ島根に帰り、父親をデイサービスの見学に連れていき、同意が得られれば手続きをし、5日の学童保育に間に合うようにそのまま帰阪せねばなりません。大渋滞を避けて深夜にと思っていましたら、ニュースで大阪から西の方に行く場合は山陽道を通るよりは距離は長くても(私が帰る)中国道を通った方が早いとお節介な情報を伝えておりました。渋滞グッズまで紹介していました。ETCはつけていません…。高速道路が駐車場にならなければいいが…。(知っていますか?これに関係なく日頃から「阪神高速駐車場」と言われているのを)
明日の土曜学童保育は16人!!待ってるよー!
あっ、今日のことですか?
追伸。
本を読んで映画を見ました。SIINA KIPPEI主演の「レイン フォール」。映画の「レインマン」の兄役を演じたSIINAの演技(演劇)を身近で見たことがあり、演技に迫力を感じましたが、この社会性の強い「レイン フォール」も見ごたえがありました。
本は白石正久氏著の『障害児が育つ放課後』(あと3分の1ほど残った)。その他にぐっと読みごたえが出てきた全障研の『みんなのねがい』5月号をチラッと。そして、わがNPO大阪障害者センターの障害者生活支援システム研究会が出したかもがわ出版のブックレット『障害者の「暮らしの場」をどうするのか?』の序章のみ。
マイカルの豆大福が好きで、これを食べているときこそ本日の至福の時でした。
実は最後に読んだ高垣忠一郎さん(立命館大学)が書いておられる『みんなのねがい』の書評が気になりました。『続 発達の芽をみつめて かけがえのない「心のストーリー」』(近藤直子氏、全障研出版部)が無性に読みたくなった。「本書は「自己肯定感」という言葉に随所で触れ、「自分はダメでも愛されている」という実感から生まれる「自己安定感」の土台の上に、「自分もなかなかのものだ」と感じられる「自己充実感」が加味されて自己肯定感が生まれるのだと論じている。」と本書を積極的に評価、紹介されている。
明日の健太くんのドキュメントをこうした視点から見てみようと思いました。ずっと考え続けてきたことが少しは分かるかもしれない。