文藝春秋
著者は苦役列車で芥川賞を受賞。
日記。
昼前後に起床、入浴してラジオを聴く。
その後に出版社やテレビ局に出かけて、打ち合わせ。
時々怒りを爆発させる。
担当者と飲み食いし、自室に戻って制作。
原稿は手書き。
読書。
夜が更け、飲酒。
その繰り返しだが最後まで読んでしまった。
心に残るのはマメに手紙を書くこと。
食ったものを羅列してあるだけだが、妙に想像をかき立てられること。
食い物を旨くみせるのは映像より言葉だと思う。
私は読書をするだけで満足するが作家になると読書が身になる。
日本三景の一つ宮島の有名なお土産といえばもみじ饅頭です。
宮島からの帰りのフェリーではこのプラスチックバックを持った人が多くいました。
相当な有名店なのでしょう。
フェリーで宮島に渡ると五重塔が目に入ります。
この五重の塔の説明は廿日市市のホームページで
千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。高さは27.6m。応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられています。内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。塔内にあった仏像は、明治元年の神仏分離令により、大願寺に遷されました。またこの五重塔が建つ塔の岡は、厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。
大願寺は千畳閣と呼ばれるほど大きなお寺様です。
入口には履き物袋と書かれたコンテナがあり中にはレジ袋が入っていました。
千畳閣と印刷してあれば嬉しかったのですが、残念ながら無地でした。
認知症になると新しい記憶は瞬時に消え去り、<wbr>昔の記憶だけが残る。
母が認知症であると自覚したのは3年前。
丈夫な人が初めて1週間ほど寝込んだ。
その後、言動が狂い始めた。
私が母の認知症を理解し、<wbr>母に対して怒鳴る回数が減るまで一年を要した。
しきりと母が「姫路城に行きたい」と言う。
たった今、<wbr>食事をしたことも忘れるが姫路城loveは忘れないようだ。
叶えてやりたいが新潟から兵庫は遠く、<wbr>踏ん切りがつかないでいた。
時を同じくして母のがんが見つかった。
記憶がなくなるのが先か身体がなくなるのが先か。
そんな状態になってやっと連れて行く決心がつく。
姫路駅に着いたのは11月の日差しがオレンジ色に変わるころ。
お城口から駅舎を出ると、<wbr>そこには夕陽を浴びた姫路城の姿があった。
私たちが初めて見た姫路城は白ではなく金色だった。
認知症が進み、<wbr>瞬時に記憶が消え去るようになってからも姫路城の話題を出すと「<wbr>金色に輝くお城が綺麗だった」と答える。
その言葉を聞くだけで辛さを忘れることができた。
それから3年後、母は逝った。
母は自宅にいる間、寝たきりになるわけではく、<wbr>徘徊することもなかった。
ありがたい。
また病気で体調を崩した時は病院にお世話になったので、<wbr>私はまともな介護はしていない。
母は介護の不安を忘れさせてくれることがあった。
翌日あたらめて姫路城へ。
晴天のもと、平成の大修理を終えた姫路城は白い。
オープン前に来たのに既に長蛇の列ができている。
しばらく待った後、レジ袋に靴を入れて入城する。
さすが世界遺産、オリジナルレジ袋が使われている。
なぜ揚羽蝶か?
現在の姫路城を築城した池田家の家紋が揚羽蝶だそうだ。
今になってようやく分かった。
ニトリでボックスシーツと敷きパッドを買う。
ニトリの扱い商品は大きいものが多い。
だからレジ袋も大きい。
レジ袋が有料化になればこの大きな袋はいくらになるのだろう。