行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

ブルターニュ紀行 47 < プロエルメル > 不思議な雰囲気の教会 と 近代時計技術の粋を極めた天文時計

2021-05-21 00:09:38 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 :  旧市街に残る城壁

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
47


前回の「ケルゲネエック城」から東へ30km
『Ploërmel プロエルメル』という町へ行ってみよう

町には
町を囲んで防御していた中世の城壁の一部が
残っている

城壁の角度の変わる角の塔は防御の拠点となる




この塔は完全に民家の一部になっているようだ




城壁の上部を利用して建てられた民家もある

城壁自体も窓があったり
壁の一部に
その壁を利用して民家に作り変えられていたり


城壁の上の水平狭間(石落とし)の部分も
そのまま民家の一部になってしまっている

そして
やはり町の中心は教会

『Eglise saint-Armel 聖アルメル教会』

西側正面の扉口を持つ鐘楼の
圧倒的存在感




扉口上のアーチ装飾


南側側面

 内部を見てみよう


身廊から内陣を望む内陣に至るあたりで幅が狭くなり
左側面だけ内側にカーブしている

身廊から正面扉口を振り返る



内陣と主祭壇

南側側廊


正面扉口を入ったところにあるパイプオルガンの下部に
木張りで天井をふいてある






斜めにかかる屋根と天井の圧に壁が堪えるように
梁を渡す
今まで散々見てきたブルターニュのやり方

左側面の壁の曲がる部分は
現在の教会を建てる以前の古い教会の残った構造をそのまま使っているから


翼廊部の天井の圧を壁に流す部分から
力を流すための細長い控えが降りてくる


その控え部分の先端にも怪獣の顔の装飾が施されている





そして


側面の壁の部分を占める「聖アルメル礼拝室」は
現在聖具室となっており
その上部に二階席を設えた

洗礼水盤

北側扉口
主な出入り口は西側正面鐘楼下ではなく
北側の側面


北側入り口は
ステンドグラスとびっしりと施されたレリーフのオーナメントが
素晴らしい














雨水を吐き出す口を持つ怪獣自体が
別の怪獣の口に半分飲み込まれかかっている形










ここ「プロエルメル」にも「カルメル会」の修道院があった


廃墟化している正面の部分はこれから修復工事を待つ
屋根の中の最上階は失われ
屋根窓だけ痛まないようにシートで包まれている


修道院聖堂は完全に修復され過ぎて
まっさらに見えなくもない程整ってしまった




実はこの町には特筆に値する
ユニークな文化財がある

『Maison de la Congrégation des Frères de Ploërmel プロエルメル兄弟修道士会館』

それは
この建物の中庭にあるガラス張りの亭の中にある
『Horloge Astronomique de Frère de Bernardin ベルナルダンの神父の天文時計』

作られたのは1850年から55年の間
作ったのはブルナルダン共同体のガブリエル・モラン修道士
この神父は
修道会が運営する学校の数学と天文学と航行技術の教授だったが
時計技師ではない



夜間航行技術のために天体の動きを研究するにつれ
それを視覚的に理解出来る「天文時計」を作りたくなり
授業が終わった夕方から学生たちをの協力のもと
全体研究のような形で作り上げた



裏側から見た天文時計
輪っかが7つ積み重なっているのは「遊星(動く星)」の位置を動かす仕組み
「太陽」
「水星」「金星」
「地球」「月」
「火星」「土星」
「土星の4衛星」「天王星」「海王星」
この時計を作る数年前に発見された「冥王星」は正確な軌道計算がなされておらず
この時計には現れない

その向こうの緑色の盾型は
反対側に付けられている文字盤の針や仕掛けを動かす仕組み




歯車が「円形」ではない事が凄い
この裏側がいわゆる文字盤となる

文字盤

文字盤は10個あり

①『時刻』「プロエルメルの町の経度の平均時刻」



②『カレンダー』「日付」「年の何週目」「月の四半期」



③『月の位相』「28日58時間刻み」「月星座」「四季」



④『太陽時間』「赤道上の平均時間」「日の出時刻」「日没時刻」「太陽歴と陰暦の誤差」



⑤『北半球のある地点の時刻』「位置特定のための北半球の正射修法付き」




⑥『南半球時間』「同」




⑦『プロエルメルにおける太陽と月の正対位置』


⑧『プロエルメルにおける天球傾斜度(北半分)』




⑨『天球の傾斜度(南半分)』



⑩『日の出の上昇角度の傾斜度』



その日ごとに表す



時計といえば平べったいものという無意識の認識ですが
機械は複雑怪奇
収められている亭の中全体に
腕やら紐やらがぶら下がってたり飛び出していたり



最終的に10面の文字盤に結果を表示するとはいえ
この空間全体が時計の機械部に成っている



理解するのに頭の痛くなる
複雑怪奇な「天文時計」ではあります
実は
学校の製鉄作業場で作られそこに置かれていたのですが


ベルナルダン共同体というカトリックのミッションが解体された際に
一度廃棄処分が下され
競売に課されたのですが
金属の重さでの販売にもかかわらず買い手がつかなかったとか


その後すぐ保存が決まり
施設を受け継いだ「プロエルメル兄弟修道会」の中庭の
「キオスク」として作られたガラス張りのこの「亭」に
組み立て直されて
今日に至っています

その他「プロエルメル」周辺には
4箇所のカルヴェール
1本のメンヒル
1箇所のドルメン
複数のシャトー
などもありますが文字数の制限でここまでにしましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 46 < ラルゴゥエット城塞 ケルゲヘネック城 ロクミネの聖救世主教会 など > ヴァンヌ から 内陸へ 

2021-05-19 00:05:58 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ラルゴゥエット城塞

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
46


この辺りで湾を離れて
モルビアン県の県庁所在地「ヴァンヌ」から北側の内陸へ行ってみよう

ヴァンヌから北東に15km「エルヴェン」という町の手前に
『Forteresse de Largoët ラルゴゥエット城塞』という城の廃墟がある


遠目には塔が二つ


どこから見ても
塔が二つ



城門へのアクセスを守る城壁のあった「出丸」の中を
城門に向かって歩く光景はこんな感じ
この一角には「礼拝堂」の残滓もある


この「出丸」ももちろん城壁で囲まれていた
そして城門



この城門自体
左右に頑丈な丸い塔(基礎部分の一部のみ残る)で守られた
『Chatelet シャトレ(小砦)』だった



お約束の「跳ね橋」を鎖で吊って上げ下げする腕木の縦長の隙間が残る
左側の歩行者用の小さい入口は
一本腕で吊り上げていた





小砦で会ったからには最上部に巡警路があったわけで
「Machicoulis 水平狭間」の跡が見られる


空堀は結構な深さ
今の橋は
もちろん当時のものではない
跳ね橋が無くなった跡に現代の仮設の橋が架けられている


『Donjon 天守』

場内に入って前方左の巨大な塔が「Donjon 天守」
下にいる人間と比べると
大きさがわかります

上の巡警路は
水平狭間(石落とし)の石を落とす開口部の間隔を支える控えの部分を残して
やはり残っていない


この「ドンジョン」の内部は
見学者用に置いてある見取り図を見ていただくと
よく理解していただけると思うが


壁が異様なまでに厚くできていた
右のオレンジいるの部分がドンジョン
内部は縦の空間が二つ
中心部の丸い部分と
その横の楕円形状の平内部分とがある





狭い方の空間
各階のフロアーは全部消失して吹き抜け状になってしまっている



螺旋階段を上の方まで登って
矢狭間から外を見ると


城門を入って左奥にある丸い塔が見える
高さの差が明らか

『Tour Ronde 丸い塔』


「丸い塔」の頂上は
巡警路も水平狭間も頂上小屋も残っている


堀に映る「丸い塔」の佇まいは
極めてロマネスクな雰囲気

場内の敷地は
城門と左右の塔の基礎だけが残る「小砦」
戦の差異の防御の拠点である「天守」と「丸い塔」
そして
居住用建屋が二棟あった

 『logis 居館』

現存する居住よう建屋はこの一棟のみ
おそらく主人のための居館


 もう一棟
従卒たちや召使い用のものがあったはずだが残っていない


オペラの舞台背景の装置のような
城塞です


※  ※

さて「ラルゴゥエット城」から北北西の17〜18km
(「オーレ」と「ヴァンヌ」を結ぶ線の真ん中あたりから真北に15kmほど)に
『Locminé ロクミネ』という町がある

そこの境界が実にユニーク


『eglise Saint-Colomban ou Saint-Sauveue 聖コロンバン/聖救世主教会』

よく見ていただきたいのですが
何か気づかれただろうか

実は
かつてここにあった「聖救世主教会」の正面ファサードだけが残って
その後ろのもともと教会本体があった位置に
そのまま
超近代的な現代の教会「聖コロンバン教会」を建ててあるのです






それで
全体で「聖コロンバン・聖救世主教会」と呼ばれています



古い教会のファサードに一番近いところは
正三角形を真ん中から半分に切った形


その先は
プラミッドの縦割りのような三角形


その先を
縦軸から少しずつはみ出して行くように付け足して
その幅の変わるところの幅の部分にステンドグラスを使ってある



広部に面したファサードと
その続きの部分がほんの少々残るのみ






正面には古い「カルヴェール」が残されていた




当然この町にも「泉」があります

『Fontaine de Saint-Colomban』


町に残る古井戸


木の柱と梁の民家もある


※  ※

「ロクミネ」から8kmほど東に城が一つ
『Domaine de Kerguéhennec ケルゲエネック荘』

敷地も広く
その全体を「荘園」という言葉「Domaine ドメーヌ」と呼び



建物自体は
「ドメーヌ」とも「シャトー」とも呼ばれる

『Château de Kerguéhennec ケルゲエネック城』

まず
かなり離れて正面を見る


ここから門へ近づくアプローチがいい感じだ


各所に現代美術が置かれている




門を入ると池がある

池から門を望む

頻繁にイヴェントを行うが
ある時現代彫刻家展をやった時には池の中まで作品が並んだ

池越しに母屋を望む

普段は池はこのような感じ
建物に近づいて斜めから見てみよう



非常に均整のとれた上品で洗練の極みとでも言える17世紀古典主義



建物の向かって左側は敷地が斜面になっていて
そのまま谷につながってゆく




流れを一部堰で閉ざして池のようにもなっている


周歩道もありくつろげる

室内も見学できます










書庫


大階段




そこかしこのオブジェを見て回るのも楽しい




巨木もある





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ブルターニュ紀行 45 < エル・ラニック島 ガヴリニス島 オー・モワーヌ島 > モルビアン湾内の島巡り 

2021-05-17 00:10:13 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 「ガヴリニス島」のテュミュリュスの玄道

海と信仰とカルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
45



今回は「モルビアン湾」の中に無数にある島々の中から
特に興味深い島を幾つかあげて訪れてみよう

まず
先回最後に訪れた「アルゾン」の町に含まれる
岬の先端から500mほど沖合の岩礁へ

Photo by @GoogleMap

赤線で囲まれた薄緑に塗られた範囲が「アルゾン」の町の範囲
ちなみに左端のやや濃い緑の部分は
「モルビアン湾」の入り口の西側の半島の先端で
以前最大のメンヒルをご紹介した「ロクマリアケール」です

その「アルゾン」の町に属する小さな島

Photo by @GoogleMap

薄緑色の小さな島を訪れるのですが
ちなみにそのすぐ北側に白い島の一部が見えるのが
その次に行く島「ガヴリニス島」です

※  ※

「Pointe de Penbert ペンベール岬」から北へ500m
『Ile d'Er lannic エル・ラニック島』

ここには
ブルターニュでは非常に少ない『Cromlec'h クロムレック』
が残っているのです

以前ご紹介して巨石遺跡のうちの
『環状列柱』
です

満潮時

干潮時


以下の5葉の写真を横一列につなぐと







見たままの形になるんです



そしてそのすぐ北側に
もう一つ重要な島がある


Photo by @bretagne.com

テュミュリュスがあるのがお分かりになるだろうか


非常に名高いテュミュリュスがある島『Ile Gavrinis ガヴリニス島』

Photo by @GoogleEarth


※  ※

その『ガヴリニス島』に行ってみよう


『Ile de Gavrinis ガヴリニス島』
『Cairn de Gavrinis ガヴリニスのケルン』 Photo by @tourismebretagne.com


写真の右端に
今回先にご紹介した「エル・ラニック島」の先端が写っている
両島の間は100m位しかない




作られたのは新石器時代で紀元前4250年から4000年頃
土をかぶせてテュミュリュスにする前段階のケルンは
切石の乾積み(プロヴァンスでご紹介したボリーと同じ)で
ドルメンを覆っている


直径50mのほぼ円形で
玄室から頂上まで8m

このテュミュリュスは内部の素晴らしい装飾で名高い
早速中に入ってみよう


玄道に入って目に入る光景


玄道から外に向かって振り返った光景


玄道の長さ14m
玄道の天井高は2m50ほどもある



天井岩を支える左右のメンヒルの一枚一枚に
線刻文様が刻まれている


突き当たりが玄室



玄室


玄室の壁に何かを引っ掛けるためのフックが切り出してある


おそらくずっと後世に人が住み着いた時代があったとしたら
その時に作り足されたのかもしれない




















さらに
外部の頂上から鉄梯子付きのマンホールの入り口のような竪坑があり
5mほど降りると
もう一つ別の玄室がある


その玄室は
天井も床も壁も下の坑道より
巨大な一枚岩で



デフォルメされた動物らしき文様や
手斧などが大きく刻みつけられている

外に出ると


玄道の入り口のある側面以外は
長らく土がかぶっていた「テュミュリュス」の時代の外観がそのままで
入り口から見たときだけ「ケルン」に見える


ちなみに
このケルンの上の玄室の天井を塞ぐ巨大な一枚岩は
以前ご紹介した「ロクマリアケール」の
四つに折れて地上に転がっているフランス最大の「折れたメンヒル」の
実は下から2番目であったことがわかった
つまり
現在見られる青の巨大メンヒルは
埋まっていた基部を除いて
下から一番目/三番目/四番目/五番目なのだそうだ

このテュミュリュスが6200年前のものだから
「ロクマリアケール」の巨大メンヒルはもっと古く立てられたことがわかる
そして程なく倒れてしまったわけだ

大きすぎて重すぎたのだろう

この「ガヴリニス島」には
「アルゾン」か「ロクマリアケール」の港から
小さな連絡船でほんの数分でくることができる


※  ※

では次に「モルビアン湾」の島々の中で一番名高い
『Ile aux Moines オー・モワーヌ島(修道僧の島)』
に行ってみよう

Map by @GoogleMap

右側の縦の細長い島がそれ

オー・モワーヌ島のビーチ

この島は細長いので
この「細長いビーチ」の写真が典型的に使われる
もう少し引いてみるとこう




教会とビーチと





『Eglise Saint-Michel de l'Ile aux Moines オー・モワーヌ島の聖ミカエル教会』


ビーチの周辺は貸別荘が立ち並ぶが
そこし離れると純粋に田舎の情緒が溢れている






礼拝堂はお約束

『Chapelle Sainte-Anne 聖アンナ礼拝堂』


干潮時には干潟になる海岸に建っている


礼拝堂に属する泉も



そして
この島には三箇所ドルメンがあるが
一番見ごたえがあるのが『Pen Hap ペン・ナップ地区』

『Dolmen de Pen Hap 1』


『Dolmen de Pen Hap 2』


さらには
この島にも「クロムレック(環状列柱)」があるのです


50個メンヒルが
途切れ途切れの半円形に残っている


その要をなすのが
その名も「Le Moine 修道僧」と呼ばれる一番背の高いメンヒル


そっくりでしょ
さすがは「Ile aux Moines 修道僧の島」という名前は伊達ではありません


結構複雑な(不思議な)形のメンヒルもある




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ブルターニュ紀行 44 < リュイス半島 2 サルゾー から 先端の アルゾン まで > モルビアン湾に沿って 8

2021-05-14 00:15:08 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 半島の一角のよくある光景

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
44



前回に続いて
「モルビアン湾」の南側を塞ぐ「リュイス岬」を
西の最先端に向かって辿っていこう

前回ご紹介した「スッスィニオ城」の位置から北側の
湾の方に向かって『Sarzeau  サルゾー』という港を持つ町がある
その前に
その「サルゾー」の北東に隣接して
『Saint-Colombier サン・コロンビエ』なるより小さな港の村があって
そこに名物が


『Pop-Corn Labyrinthe ポップ・コーン迷路』

ある農家が自分のトウモロコシ畑を「迷路」に仕立てることで
全仏に有名になったのです
トウモロコシだから「コーン』なんですが
実にイケてるから「ポップ」というわけで
ハイフンでつないで『ポップ・コーン迷路』と呼ばれるようになった

なんと今では「テーマパーク」みたいになってしまって



要所要所に案内板とゲームコーナーと子供用クイズ・ボードがあって
スタンプラリーみたいなことになってる


お爺ちゃんとお婆ちゃんとお父さんと一緒にゲームに向かうお嬢ちゃん


時には大人の方が熱くなったり


もちろん
収穫してしまたら次の年までお休みです








今では
他の地方でも自分の畑の迷路の刈り込みをやる農家が出てきた
類似品にご注意ください

なおこの村のカルヴェールも見事です




  ※  ※

さて
『Sarzeau サルゾー』ですが

『Eglise Saint-Saturnin 聖サテュルニヌス教会』


身廊から内陣の方向を望む


身廊から西側正面玄関口を望む
入り口の上に「トリビューン 二階席」がある
入り口にステンドグラスはない
ドアのガラスに内側のステンドグラスが映っている


身廊と翼廊の角


右(南側)側廊突き当たりの祭壇のルターブル


交差部の天井のクーポラ


「内陣」の外側を取り囲む「デアンビュラトワール 周歩廊」の
主祭壇裏側の位置から身廊方向を見晴らす


「デアンビュラトワール」の壁の聖画

『Saint-Saturnin 聖サトゥルナン』

壁には
この教会の守護聖人「聖サトゥルナン」の彫像も

南側側面


北側側面

この北側の写真左端白い車の停まっているあたりに「カルヴェール」がある



ここ「サルゾー」の村の周辺には
館や屋敷など見るものも多い


『Fontaine de Sarzeau サルゾーの泉』

『Manoir de Kerassel ケラッセル館』



この部分は16世紀の建築になる

さらに

『Villa Coëthuel コエテュエル邸』


この屋敷は
ブルトン語で「Cöet Ihuel」といい「Coëthuel」はフランス語に当てはめた表記

『Manoir de Kergal ケルガル館』

『Manoir de Kerouallan ケルゥアラン館』

これらの屋敷は
幽霊がたくさん棲み付いていそうで気になるが
この手の屋敷はあと5軒ほどあるようだ

※  ※

「リュイス岬」の最先端の町は『Arzon アルゾン』


「リュイス岬」の最西端の中心の集落で小さな岬がたくさんあり
幾つかの小さな港がある

そして「アルゾン」で
一番高いのが教会の鐘楼という懐かしい構造


当然いたるところから見える

『Eglise Notre-Dame de ml'Assomption 被昇天の聖母教会』


西側正面扉口と鐘楼を持つファサード





正面が様く公人が大きいブルターニュ風


身廊から奥の祭壇と内陣を見る


主祭壇と内陣



翼廊と身廊との交差部から西側玄関口を見る
二階席がある

要するにこの村は極めてオーソドックスな平凡な村ということ


中心部を少し外れるとすでに田舎の風情となる

幾つかの小さな岬の一つが『Pointe de Petit Mont プティ・モン岬』

『Pointe de Petit-Mont プティ・モン岬』  Photo by @bretagne.com

写真の向こう側はすでに「モルビアン湾」で小さな岩礁のような島々が沢山見える
その岬にテュミュリュスがある


『Cairn de Petit-Mont ケルン・ド・プティ・モン』

ここは「ケルン」と呼ばれていて
紀元前4600年頃人が住み始め
紀元前4500年頃長径60mほどの楕円形の最初のチュミュリュスが作られ
その後
2度にわたって上部に覆い被せるように大きく作り足されたらしい


従って
最下段の入口と上の段に玄道の意入口が幾つか空いており
最上段にも見物人が登っている





そして反対側には最上段の玄室にはいるアクセスが新しく作られている



これは外観としては甚だしく残念だが
他にスムーズに見物人の出入りを管理する方法が形態的になかったのであろうから
やむをえないのだろう


 パノラマにすると両方の入口が見えるが
逆にはバウや奥行きがわかりにくくなってしまう

内部はなかなか興味深い線刻画が多く見られる

玄道


足型


幾何学文様


幾何学文様

玄室

玄室の壁にも文様が見られるのだが摩滅していてわかりにくい
それより
床と天井の一枚岩の大きさを想像できるだろうか

この「プティ・モン岬」の根元には『Le Crouesty ル・クルゥエスティ』という
かなり大きなレジャー・ポートが有る

Photo by @morbihantourism

さらに「リュイス岬」の先端の「アルゾン」の
そのまた先端
つまり大西洋からモルビアン湾に入る東の岸は
『Port navalo ナヴァロ港』という港

ナヴァロ港の岬の先端

船は湾に入ろうとしていて
進行方向の土地は「ロクマリアケール遺跡」のある湾を閉じる西側の岸
『Pointe de Kerpenir ケルペニール岬』

ナヴァロ港

「アルゾン」のもう一つの岬『Pointe de Pen Castel ペン・カステル岬』
には潮位水車が有る



最後に「リュイス岬」点描












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ブルターニュ紀行 43 < リュイス半島 1 ル・エゾー 及び サン・タルメル と ペンヴァンス から サン・ジルダス・ド・リュイス まで > モルビアン湾に沿って 7 

2021-05-12 00:27:20 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : サン・タルメル村の海岸の目と鼻の先にある『キステュニック島』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れる
43



「セネ」から南に下って
「モリビアン湾」の南側を塞ぐ東側から西側へ伸びる腕のような
『Prèsqu' île de Rhuys リュイス半島』
を東から入って西の先端の方を目指そう



「セネ」の南に
「Le Hézo ル・エゾー」
「Saint-Armel サン・タルメル」
「Saint-Colombier  サン・コロンビエ」(地図には書いてない)
と小さな海浜の村が続く

「ル・エゾー」で一つだけ興味深いものは
「潮力水車」


ブルターニュで一番有名な潮力水車小屋は
「ネーヴェ」の回の『エナン』でご紹介したが
ブルターニュのような潮位の差の激しいところでは
いくつも残っている



※  ※

『Saint-Armel サン・タルメル』

ここは塩田。
集落の周り中が沼沢地のような場所で




あとは塩田しかない




村の教会は
村名となった聖人「聖アルメル」に献堂されている

『Eglise Saint-Armel 聖アルメル教会』

正面に鐘楼が立ち
その塔は3方向にアーケードがあって
教会に入らなくても前を潜って通り過ぎることができる
この形は地方の小さな村の教会には時々見られる形

その「サンタルメル」から真南に降ると
『Penvins ペンヴァン』という町があり


その先端に
ミニチュアみたいな岬がぶら下がっている


そのくびれた細いところ(教会マークがある)に
可愛らしい礼拝堂がぽつんと立っている

『Chapelle Notre-Dame de la Côte 海岸の聖母礼拝堂』

これは岬の先端の方角から陸の方に向いて見た角度
全景はまるで東方教会の礼拝堂のような佇まい


十字架形の交差部の屋根が三角ではなくて丸く膨らんでいれば
ギリシアや旧東欧の礼拝堂みたいだが
硬い花崗岩を隅石に
全体を真っ白に漆喰で固めた形は南ブルターニュの建築物そのもの
もちろん
季節や角度によって見え方は様々




南ブルターニュは北側ほど激しい荒海はないが
それでも時には波に洗われることもある




内部は実になんとも言いようがなく


壁はまるでプロヴァンスの「ボリー」のように割り石積みみたいな素朴さで
祭壇の上と中央の天井は真っ白
ステンド・グラスは現代のもの
ちなみに建立は19世紀前半

 ※  ※

上の「ペンヴァン」から西へ数 Km 
『Kerguet ケルゲ村』のすぐ近くに城がある



『Château de Suscinio シュッスィニオ城』


13世紀の「戦国時代」の戦いの城塞


城壁や塔の上部は「石落とし(水平狭間)」を備えた巡警路が巡っている
実際13世紀後半ブルターニュ公国の大公「ジャン2世」も
領主だったこともあった


そして15世紀に内装など手直しして居住性を高めて城館の性格も併せ持った


この橋は入り口では無い






大手門に入るため堀を渡る石橋の最後の部分は「跳ね橋」になっている







祈祷室


ドンジョン(天守)内部
一番頑丈な塔を「Donjon ドンジョン(英語ではダンジョン)」といい
防御の最終拠点なので一応「天守」というが
すでに各フロアーの床は無くなってしまっている
写真の左に上の階の暖炉があるのがわかる
四方に空いている窓を見ると壁の厚みが理解できる

床のタイル

トイレの跡
塔の壁の厚みを利用してトイレも備わっていた



場内に城の模型の展示があるので全体の構造が分かる










Photo by ⓒchateaudesuscinio

Photo by ⓒchateaudesuscinio

Photo by ⓒchateaudesuscinio

Photo by ⓒchateaudesuscinio






※  ※

この「シュッスィニオ城」から北西に数 km で
『Saint-Gildas-de-Rhuys サン・ジルダス・ド・リュイス』という村があり
そこは同名の修道院で成り立っている


『Abbatiale Saint-Gildas 聖ジルダス大修道院聖堂』後陣

ここで出てくる「聖ジルダス」は前にもどこかで話題にしましたが
ブルターニュの重要なローカル聖人なのです

修道院聖堂の正面

もともとケルト人たちの土俗信仰の司祭たちの修行の場で
ローマ人が軍事駐屯地を作った跡地
つまり空堀や土塁で防御を図った土地に僧院があり
現在の修道院は11世紀
ブルターニュでは珍しい「ロマネスク様式」で建立された

ベネディクト会の修道院だが現実には聖堂しか残っていない
回廊部は巡礼者たちの宿泊と研修会用に使われている

回廊


北側側面

身廊から内陣を望む



12世紀の内陣






南翼廊の礼拝堂
下段の柱の柱頭はドーリア式上段はイオニア式という立て方は
来るべき17世紀バロックの予見をなしている

聖ジルダスの石棺と立像



聖グスタンの石棺と立像


「聖リオック」 と 「リュイスの聖フェリックス」 二聖人の墓碑を収めた壁龕














この村には「Fontaine de St-Gildas 聖ジルダスの泉」が
60もあるそうな

聖ジルダスの泉 1

聖ジルダスの泉 兼 洗濯場 2

聖ジルダスの泉 兼 洗濯場 3

そして泉ではないが極めつけが
6世紀前半に「聖ジルダス」が上陸した海岸の崖に


シケの時は荒波が打ちつける斜面に
聖人の像が建てられている



この項続く
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 42 < セネ 自然保護区湿地帯 > モルビアン湾に沿って 6 ヴァンヌから南下する

2021-05-10 00:09:06 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 自然保護区セネ湿地帯

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
42


今回は「鳥だらけ」の回となります

「ヴァンヌ」から南側につながって『Séné セネ』という自治体があって
その「セネ」の東半分は湿地帯で
野鳥天国
国の自然保護地区指定されている

Poto by INPN(国立自然文化財委員会)

濃紺に塗られた範囲が「自然保護区」の湿地帯


かつては塩田があった




今は塩田はないが
今も昔も野鳥の天国であることには変わりがない











尾瀬のように
歩ける位置が決められている



そして
野鳥の観察ポイントも作られている


平らな地面にあったり



斜面にあったり


樹上にあったり




この保護区で観察できる野鳥の写真を
保護委員会からお借りしてきた

All photo of birds below
 by "Réserve Naturelle de marais de Séné" @reservedesene.bzh

『Avocette élégante ソリタカセイタカシギ』

『Vecasseau variable ハマシギ』

『Becasseau des marais コアオアシギ』

『Chevalier avoyeur アオアシシギ』

『Chevalier arlequin ツルシギ』

『Chevalier cul-blanc オジロシギ』

『Chevalier gambette アカアシシギ』

『Chevalier guignette イソシギ』

『Combattant varié エリマキシギ』

『Courlis-colrieu cendre (ハイイロ)ダイシャクシギ』

『Echasse blanche セイタカシギ』


『Pluvier-argenté ダイゼン』

『Vanneau-huppé タゲリ』

『Bernache cravant コクガン』

『Canard colvert マガモ』

『Canard pilet オナガガモ』

『Canard siffleur ヒドリガモ』

『Sarcelle d'hiver コガモ』

『Tadorne de Belon ツクシガモ』

『Canard souchet ハシビロガモ』

『Sygne tubercule コブハクチョウ』

『Aigrette gazette コサギ』

『Heron cendré アオサギ』

『Heron gardebeouf アマサギ』

『Spatule blanche ヘラサギ』

『Fourque macroule オオバン』

『Grand carmoran カワウ』

『Grèbe castagneux カイツブリ』

『Martin pécheur カワセミ』



せっかくだから『Séné セネ』 の村と港やその周辺にも行ってみよう



小さな村なので家並みには見るべきものはないが
こんな港
そして礼拝堂がある

『Chapelle de Bon Voyage de Kerarden ケラルデンの良き旅の聖母礼拝堂』







やはりこの村は港で成り立っている

『Port Sainte-Anne サント・アンナ港』










手の届きそうな近さにいくつもある小さな島々に
観光客を渡す連絡船や
モルビアン湾一周遊覧船などが発着する





伝統的な赤い帆の船のお祭りがあります


3本マストの大型船も集まってきて



無数にある岬めぐりで盛り上がります




複雑な地形だけに小さな岬もたくさん有って

『Prèsqu'ile de Villeneuve ヴィルヌゥヴ岬』

海と陸との織りなす光景は
朝昼晩を通して刻々と変化して目を飽きさせません








島といえば
こんな近い距離にもこんな小さな島がある

『Ile de Bachit ベシ島』

別の角度から引き潮の時に


100m x 50m ほどで一軒の家があり
私有地です

では今回はこの辺で
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 41 < ヴァンヌ 2 > モルビアン湾に沿って 5

2021-05-07 00:49:28 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ヴァンヌの旧市街の家並み

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
41



前回に引き続きモルビアン地方の中心都市「ヴァンヌ」のご紹介です
今回は街の中を歩いてみることにしましょう

何しろ旧市街の家並みが絵のような光景なんです

教会のすぐ横に『Place Henri IV アンリ4世広場』という
小さな広場がありまして
そこが一番有名なのですが
もちろんそこだけというわけではありません


レンズが広角ゆえの両端が斜めに写ってしまう特性を割り引いたとしても
この二軒の傾き方は
ハンパない



支える基礎の石の柱までもが
曲がってる
こういうのは以外と珍しくはないので各地にあるのです
各階の床は完全に水平に直してあって
生活して行く上での不便はないのです
窓やドアもしっかり開け閉めできる


上層階に行くに従って床面積を増やしていくので
どんどんせり出してくる






「アンリ4世広場」のすぐ先
教会の前は『Place Saint-Pierre サン・ピエール広場』


この黄色の柱の家も
傾き方が尋常ではございません






その他
いたるところ目を奪われる光景あり






この古そうな丸い塔のうねり具合といったら



その塔の上に無理やり乗せられた屋根の
ごめんね感





























この真ん中の細身の建物
地上階は両側の建物と同じ平面にあるが
上階に行くに従って
反っくり返るように後方に傾いてる







そんな中に
『La Cohue ラ・コユー』
と言う名の古い建物があります



黄色い家は後からの付け足しで
その右の
アーチの玄関口を持つ石の建物ですが黄色い建物の裏側に結構大規模で
ブルトン語の「Le cohue」は
「市場 兼 交易所 兼 裁判所」


15世紀半ばまでは
地上階には小口の店舗や仲買人の小間がひしめき合い
上の階がブルターニュ公のお白州だった



ブルターニュ公国のフランス王国への吸収合併の後は
紆余曲折があり
現在は『Musée des Beaux Arts de Vannes ヴェンヌ市立美術館』
に使われている


オーソドックスな絵画も勿論あるが


現代美術にも力を入れており


テラコッタのりんご



エントランスホールにほど近いところに
巨大な
判別不明の作品がのたうっている



木のチップを張り合わせて作られているらしく
先端から内部が覗けた


中庭にも何やら不思議な作品が



そして昔の井戸も保存されている



さて
旧市街の中心的存在である教会に行ってみましょうか


『Cathédrale Saint-Pierre 聖ペテロ大聖堂』




見るからに絵のようなゴシック


13世紀に作り始め
途中の中断やら何やらで
完成は19世紀になってから
まるでケルンやロンドンの大聖堂級です


手前に見える
正面ファサードに向いて左の塔の下から2段目までが
13世紀創建当時の姿


3段目ととんがり屋根は19世紀のもの


内部も見てみよう


身廊の奥
内陣の始まる位置の左右に付け柱が其々立っているのが興味深い


それぞれの付け柱の前は祭壇になっている






これだけの規模のカテドラルだけに
主祭壇は9箇所通り十字架の交差部にある




Photo by ⒸHellegouarch

天井の石組みのアーチの上
外から見た粘板岩の瓦ぶき屋根の内側はこうなってます
この写真では分かりにくいですが
左下の部分で天井カーブの曲面がわかるんです


『Tour de St-Sacrement dit de la renaissance』

通称「ルネッサンスの塔」という『秘蹟の塔』という部分があり
大聖堂本体と中でつながっていて
中は「聖秘蹟の礼拝堂」







イタリア式のクーポラ(円蓋天井)が「ルネッサンスの塔」の名に恥じない


ところで
この町のシンボルのようなものをご紹介しよう
その名も『Vannes et sa Femme ヴァンヌとその妻』


一階と二階の境目の左端を見て欲しい
こんな彫刻が見えるでしょう


この家自体の装飾で
石造り
本体のその部分のブロックからそのまま削り出してある
鎖でぶら下がったプレートに「ヴァンヌとその妻」
これはおそらく16世紀のもので
いつしかその店の屋号として呼びならわされてきたようで
19世紀には公式に屋号として使われていた記録もある
これも「登録重要文化財」です

最後にお祭りの光景を挙げておきます

$











 =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 40 < ヴァンヌ モルビアンの中心都市 > モルビアン湾に沿って 4

2021-05-05 00:05:51 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 旧市街を囲む城壁に建つ「シャトー・ド・レルミタージュ」と外堀公園

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
40



モルビアン湾を
島々を躱わしながら
四方八方から飛び出してる岬を避けながら
北東の一番奥まで入ってきて
最後の小さな枝分かれしている入江を遡ると「ヴァンヌ」だ


 
『Pont Kérino ケリーノ橋』という可動橋がある
それがぐるりと回ったら
細い運河のような水路に入り





北にまっすぐ1kmほど遡ると
「ヴァンヌ」の旧市街の正面にたどり着く


この写真の左奥が突き当たり
対岸は上陸地点


この界隈は非常に賑やか


露天市が立っていたり


カフェがお客で鈴なりだったり
ところで水路をやってきて突き当たりを見てみると


正面の白い建物の真ん中あたりが黒っぽい部分がお分かりだろうか
それが勝手の城門




『Porte Saint-Vincent サン・ヴァンサン門』

この門を入るとすぐ旧市街が始まるのですが
外(港側)から見ると見事な細工ながら


くぐって内側から振り返ると


何の愛想もないという
実に外面の良い城門なのであります

その旧市街の魅力満点の家並みを見ていただく前に
城壁をご紹介しなくてはなりません

「サン・ヴァンサンの門」を潜らずに向かって右に城壁に沿って行くとほどなく

『Château de l'Hermitage エルミタージュ城』

この光景となる
逆向きに見ると





この城は14世紀にブルターニュ公の居城の一つとして建てられ
その城から城壁がぐるりと町を取り囲んで防御していた
15世紀半ば公国がフランス王国に併合合併されて独立をなくして以降
打ち捨てられて廃墟となり
17世紀に略奪破壊された
現在の建物はその後の裕福なと日の貴族が革命直前に立て直したもの


城壁の外側の空堀の位置が城の前は庭園であった
その中ほどを
港につながる小さな小川『La Maeie マリィ川』が流れる
城内は完全に修理されて何もない真っ白な空間で
展示会や各種イヴェントに使われている


この写真の一番下の花を飾ったて金属の手すりは
「マリィ川」を渡る古くて小さな石の橋の欄干



橋の向こうに見えるのが「エルミタージュ城」
その橋の下をくぐった流れは急に広くなり
岸辺に保存されている昔の「共同洗濯場」の細長い屋根が伸びる

洗濯場の屋根

二階部分は「井戸端会議」に打ち興じたおかみさんたちの溜まり場
ででもあったか


そして
洗濯場の位置から流れが大きく曲がってきたに向きを変える





そこから先の空堀はかなり広くなる



長く伸びる城壁のひときわ大きな丸い塔は
『Tour de Connétable 元帥の塔』と」名付けられている
上の写真は南から北側の面を見ている


真横


横を通り過ぎて振り返った北側の角度



城壁の内側から見た「元帥の塔」


この辺りから「マリィ川」は東に向きを変えて道路の下に隠れる
流れとは逆方向に見て来たわけですが


つまり
川はここから空堀の中に入ってきて
今までのところを流れて港の直前でまた地面の下になって
港に注ぐわけです

この「マリィ川」の手前から「元帥の塔」の方を見ると



こんな具合に見える

少し立ち位置を変えたり
目の高さを変えたりすると
同じ城壁でも見え方がかなり違って見えるので興味深い








空堀公園の北のはずれの一番広く広がっている地点で


写真の角の塔から城壁は向こう側(西)にほぼ直角に曲がっている





この辺りの壁面の写真手前あありを目を凝らしてよく見ると
部分的に赤いレンガが使われているのを確認できる
これは古代のローマ時代の城壁の名残なのです
ローマ人は石積みの壁にレンガの赤い色のラインを入れて見栄えを良くし
かつ石の使用量も抑えて節約していた

その先に
数軒の民家とともにもう一つ城門がある

『Porte Prison 牢獄門』

なにやら恐ろしげな名前の門だが
おそらく塔の分厚い壁をくりぬいて牢獄が作られていたのだろう





右の馬車と甲冑を纏った騎馬隊とが通る大きな開口部と
左の細くて狭い歩行者用のと
ともに跳ね橋を渡って入っていったことが
跳ね橋を上下させる腕木が動く細い縦長の隙間から見て取れる


例によって
内側から見ると味もそっけもない作りになっている

もう少し違う角度の城壁を続けましょう








もっと別の城門もあります

『Porte de Calmon カルモンの門』

この城門は
上部のかなりの部分が何らかの理由で削り取られてしまっている

お祭りの日には
もの凄い人出が城壁の下に詰めかける


そして
城壁の上も歩けるところがある






ヨーロッパには城壁で囲まれた古い町や村が数多く残っていて
多くの場合
城壁の上を歩けるので「城壁一周ツアー」をやることを
強くお勧めします
目線が変わって面白いし
興味深いものを見かけることができる場合が多いんです

では「ヴァンヌ」の街の中のご案内は次回に
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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何でもお待ちしています
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ブルターニュ紀行 39 < サント・アヴォア バデン アラドン> モルビアン湾に沿って 3 北岸を東へ

2021-05-03 00:44:22 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : アラドンとセネを分ける海峡の航行標識のごとく語られる「薔薇色の家」

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
39


再び「オレー」まで引き返し
そこから「モルビアン湾」の北側を西から東へ辿ってみよう



前々回ご紹介した「Auray オレー」の町を橋の手前から見た写真を思い出して欲しい
つまりオレーの町のオーレ川を挟んだ反対側は
『Sainte-Avoye サント・アヴォワ』

その町の南
「オーレ川」に合流するやはり狭い入江のような「ボノ川」に面して
対岸の『Bono ボノ』に向き合った
『Puruneret プリュヌレ』地区に
不思議な形の礼拝堂がある

『Chapelle Sainte-Avoye 聖アヴォワ礼拝堂』

どこが不思議な形かというと

Photo by @pluneret.fr

正面の鐘楼が
四角い断面の三方向の壁と屋根が出来て
一面だけ壁を作ってないような
なんとも見ていて居心地の悪い形


実はこの上にはまともな鐘楼が立ち上がっていた
1720年代に落雷で崩壊
以来今ある木材の天井が架け渡された


この礼拝堂は
16世紀にこの地方の貴族「Lestrelin レトルラン家」が建てた
私家族用の礼拝堂で
同家が管理運営費用も負担してきた

そしてこの礼拝堂には
これまでプロヴァンスやブルターニュの何箇所かでご紹介した
美しい「Jubé ジュベ(内陣隔壁)」があるのです


 身廊側から内陣の方向を向いて見える「ジュベ」
少しだけ引いてみる


内陣へ入る扉を閉ざすと


こうなります

逆に
祭壇のある内陣の方から身廊に向かってジュベを見ると


こちら側からも
少し引いて見よう


ディテールを幾つか







安全祈願に奉納された「サント・アヴォワ丸」の模型


ポルタイユ(正面扉口)前で上を見上げる


















ちなみに
この「プリュヌレ」地区の南端を流れる『Bono ボーノ川』




※  ※

それを渡って東へ進んで行こう
渡ったところの町「ボーノ」から3kmばかり南下すると
モルビアン湾の海岸線が複雑怪奇にギザギザと切れ込んでいて
『Baden バーデン』という小さな村がある

眠ったような静かな村で
教会と礼拝堂とだけがある典型的なブルターニュの町

『Place Weiheim ヴェイシャン広場』

『Eglise Saint-Pierre 聖ペテロ教会』



外陣が四角くくて鬼十になっている


この外陣が四角いのもある意味で極めてブルターニュ型


南側の翼廊は小さい

そしてお約束の礼拝堂

『Chapelle Saint-Meriadec 聖メリアデック礼拝堂』


同 内部 祭壇

1830年代に作り直して子の形になったらしい


祭壇は非常にチャーミング



航海の安全を願って奉納された船がぶら下がっているのも
見慣れた光景


こちらの船は
パルドン祭で練練り歩くままの様子で飾られている




向きが逆だが泉もある



なにやら不明の祠


これは道路側で塗り直される前

村の雰囲気も少しだけ



この辺りは茶色い石が多いらしく
聖ペテロ教会も含めて民家も茶色の石で建てられている






集落の中心部から南に『Marée de Pen-en-Toul ペン・エン・トゥル沼沢地』
という沼地があって自然保護区で数々の野鳥や植物が保護されている







沼沢地の外れからそのまま南側に岬が伸び
その岬の入り口近くが『Locquerltas ロッケルタス』

そこには素朴なカルヴェールを持つ礼拝堂とドルメンがある


『Chapelle Saint-Gildas de Locqueltas ロッケルタスの聖ジルダス礼拝堂』

同名の礼拝堂が少し前に別のところでも出てきた



そしてドルメン


このドルメンの際立った特徴は
横に「副玄室」を持つということ

 その岬を南端まで行くと『Larmor-Baden ラルモル=バーデン』という「あざ」

そこから目と鼻の先の海の中に『Ile Berder ベルデール島』という島があり
引き潮のとき渡れるコンクリートも道が付いている

『Ile Berder ベルデール島』

この写真ではそろそろ潮が満ちてくる頃
今ならまだ
ふくらはぎあたりまで水に浸かりながら渡って行ける


※  ※

さらに
途中舗装入江を渡りながら東進すると
『Arradaon アラドン』

海岸がとても美しい







教会はある


『Eglise Saint-Pierre d'Arradon アラドンの聖ペテロ教会』

ここの教会も聖ペテロに献堂されている















`

では
次回はモルビアン湾の主邑『Vannes ヴァンヌ』を
ご紹介しましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 38 < ロクマリアケール > モルビアン湾に沿って 2 巨石文明遺跡

2021-04-30 00:34:00 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ロクマリアケールの『悪魔の杖』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
38


オーレから南下すること15km
ちなみにカルナックから東へ10km
モルビアン湾の様い入口の西側の岬の先端に著名な遺跡群がある
『Locmariaquer ロクマリアケール』村

Map by ⒸGoogleMap

基本的には
フランス最大のメンヒルと一つのテュミュリュス
さらに一つのドルメンが隣り合わせに一箇所
さらに別のドルメンとテュミュリュスが四箇所
ある

まず
フランス最大のメンヒルとテュミュリュスとドルメンとがある『Er-Grah』という場所



 『Tumulus de Er-Grah』

最初は下の写真の小さな円形のケルンだけだと思われていた
紀元前4500年頃のより小さなケルンを
前4300年頃に周囲を覆って長大なこの形のものに作り直されたらしい
それすらもすでに充分荒らされていた


それが
周辺に散らばる石片が
その小さなケルンの南北を延長した巨大なテュミュリュスの残骸
であることがわかった



紀元前4000年ごろと推定されており
少なくとも140mの大きなものであったようだ
全長170mあっただろうという人もいる

そして原型がわかるブルターニュ最大の
ということはフランス最大のメンヒルが
隣り合わせに


左端にテュミュリュスの石の塊があり
右端にそのメンヒルが

ただ残念なことに
ここのメンヒルも四つに折れて地上に寝ている

『Men-er-Hroëc'h (Grand Menhir Brisé)』

先端から三切片
折れている四つの部分全部は一度に画角に入れられなかった


根元から三切片

このメンヒルが折れていなければ
全長20mで
総重量は280トンの一枚岩
地中に3mほどの基礎の部分が埋まっていただろうと言われている


紀元前3900年頃と推定されている
この辺りにあった50mほど並んだ列柱の起点となっていた
最大のメンヒルだった
建設後300年ほど経って不明な理由で
他のメンヒル共々倒されてしまったらしいことがわかっている

通常は「Grand Menhir Brisé(壊れた大メンヒル」と呼ばれるが
地元の呼び名の「Men-er-Hroëc'h」は
ブルトン語で『魔女の杖』を意味する


パノラマで撮ると全部入るが
逆に大きさが伝わらないのでつまらない



一応
巨大テュミュリュス跡と悪魔との2ショット


次に
すぐ近くにもう一つ
『Dolmen de Table de Marchands 商人(あきんど)の商品棚』
と呼ばれるドルメンもある

『Dolmen de Table des Marchands』

これは7mほどの玄道を持つケルン(テュミュリュス)で中にも入れる

テュミュリュスなのに
なぜ「商人の商品棚」ドルメンと呼ばれるかというと
実は100年前まではドルメンだった

19世紀後半の絵葉書

こんな形をしていたから地元では「あきんどのテーブル」ドルメン
と呼ばれていた
しかも上蓋の巨大な石は
上で挙げた魔女の杖の一片であったらしい
写真で人が座っている部分が小さなケルンだったので
このテーブルも近くに散らばっていた石を集めて綺麗に積み直してしまった

玄室は見事な線刻文様が施されている





では
同じ「ロクマリアケール」の域内の
次の場所に移ろう

『Les pierres Plates レ・ピエール・プラット』
直訳して「平らな石(複数形)」


『Les Pierres Plates』

ここは
一つのメンヒルと
一つのドルメンの組み合わせ


確かに
ドルメンの上蓋の部分は平らだ


基本的には
小さなケルンで覆われた「Allée Couverte アレ・クヴェールト(覆われた通路)」の形
26mほどの長さがあり今は上蓋は50枚ほどだが
作ら手た当時は70枚ほどあったらしいと推定できるそうだ

今は玄道はそれほど奥深くはない


玄室には線刻画が見られる






棕櫚の枝のような文様


これは盾だろうか


もう一箇所
『Dolmen de Mané-Lud ドルメン・ド・マネ=リュッド』

民家のすぐ近くにある




玄道は鉾のほとんどのドルメン(アレ・クヴェール、テュミュリュス)と同じように
おおよそ南北を向いている
長さは約5m







玄室の天井を形成する蓋は8m以上の長さがある
舟や鳥や斧などと思しき線刻画があちらこちらに見られる







玄室から玄道を振り返ると
がっちりと安定した構造がよく分かる



ここは
見るからにテュミュルスだが
地元では昔からドルメンと呼ばれてきた


地元の道路標識


次の一箇所
『Tumulus de Mané er Hroëc'h または Dolmen du Ruyk』
「テュミュリュス・ド・マネ・エル・ホロェック 別名 ドルメン・ド・リュイック」


周辺の光景はこう



メンヒルはともかく
ドルメンやそのヴァリエーションのケルンやテュミュリュスは
ナポレオンの命で詩人のメリメが遺跡の全国調査を行って
「文化財」という発想が生まれるまでは
中世がおわた頃から荒らされ放題でむき出しになっていたか
崩れて埋まって
こんな感じになっていたかのどちらかだったことが多かっただろう


玄道はかなり良好な状態で保存されているように見える


この玄道には10数段の階段で降りる


そして湾曲してさらに入り口らしきものがある
ということは
おそらくはるか昔に盗掘されて造られたトンネルを
さらに後世に補強し直したものではなかろうか



この玄室は5m x3m ほどもある
これだけ広い玄室だと
いろんな時代に
人が住んだり
物置に使われたり
ゴミ捨て場になったりしたはずで
崩れなかったことが奇跡的だと思われる

しかも
このチュミュリュスは
地表部は100m x 60m の規模で地上より8mほど高く盛り上げられている

ここも一つ前の「マネ・リュッド」と同じような形だが
ドルメンではなく
完全にテュミュリュスだと理解できるし
現地でもそう呼ばれてきた




最後にもう一箇所
『Dolmen de Mané-Rutual ドルメン・ド・マネ=リュテュアル』


ここは
「Er Grah」から200mほど離れた
村の中心地からすぐ


全長15m
全幅3,4m
全高1,2m


39個の側石で6枚の蓋石を支える
その上蓋の中で一番規模が大きなものは
なんと長さ11m
重量40〜50トン





玄道の長さ10m弱

前室があり
その奥に半円形の玄室をもつ








ここは
19世紀後半に重文指定とともに修復され
1936年に再度発掘調査と修復が行われた
その際
強度を保つために
一部をコンクリートで補強された
発掘調査の際に火打石や斧や土器などが見つかり
「Vannes ヴァンヌ」の街の「Chateau-Gaillard」の展示室に
展示されている

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ブルターニュ紀行 37 < オーレ > 南ブルターニュらしい穏やかな海 モルビアン湾 に沿って 1 

2021-04-28 00:34:13 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : モルビアン湾(写真提供 : モルビアン観光事務所)

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文化と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
36


南ブルターニュといえば『Golfe de Morbihan モルビアン湾』
「モルビアン湾」といえば
穏やかな海と数多くの島々と巨石遺跡
というイメージがすぐに出てくる

Photo by @GoogleMap

地図の左端に『エテル川』
その下に『キブロン半島』
半島の付け根を少し東に入ったところが「カルナック」
半島の東(右)側は『Baie de Quibron キブロン湾』
その東の岸辺から北東に狭い海峡を抜けて『Golfe de Morbihan モルビアン湾』
湾の中にある多くの島々の中で
細長い島が『Ile aux Moines 修道僧の島』
その東のやや小さい島が『Ile d'Arz アーツ島』
湾の北側の白い部分がこの地方の中心都市『Vannes ヴァンヌ』
湾の西の端の北に伸びる細長い部分が『Rivière d'Auray オーレ河』

今回から「モルビアン」湾岸をご紹介していこうと思う

まず湾の北西端「オーレ川」を遡って
『Auray オーレ』の街に行ってみよう


『Port d'Auray オーレ港』

例によって
北から来る小さな川「オーレ川」が急に広くなり
川と言ってもほぼ湾の様な
その始まりにあるのが「オーレ」


港は細長く
下流の方は町の新しい部分


奥まで入ると旧市街で
同じ港でも雰囲気が変わる
旧市街の雰囲気はとても落ち着いていて素晴らしい


川岸には旧市街を囲む城壁も見える


古い橋もある


橋を渡ると

登り坂













小高い位置にあるのが『Eglise Saint-Gildas 聖ジルダ(ス)教会』


幅の狭い正面に比較して非常に高い鐘楼を持つ




無骨そのものの重厚な厚みを感じさせる正面はブルトン魂そのもの


内陣主祭壇とルターブル(祭壇衝立)
及び
左右の小祭壇

主祭壇

西側(鐘楼下)扉口の上のオルガン

ジャンヌ・ダルク像

『定礎碑文』

1623年5月22日に定礎
1644年9月22日ヴァンヌの司教「セバスティアン・ド・ロマッド」により献堂

『Mise au Tombay du Jésus イエス埋葬像』

話変わって
ローマン・カトリックの支配に反抗する「プロテスタント(抵抗者)」の
ブルターニュに遅れてやってきた宗教改革運動がまだ続いていた17世紀前半
この地の裕福な農民『Yves Nicolazic イヴ・ニコラジック』の元に
1623年以降何度か聖アンナが出現して
自分のために存在していた聖堂の再建のことを語った
そしてある夜
不思議な松明(ロウソクという説もある)が現れ
彼と仲間数名とを光で彼の種有する一面の畑の一角に導いた
1625年3月7日から8日にかけての夜のこと

その地面を掘ると痛んだ木製の彫刻が出てきた
マリアとその幼子イエスを両膝に抱いた聖アンナに思えた

その地に昔存在していた
その奇跡が
『聖アンナの聖堂』を「バジリカ聖堂」として再建することとなった

これが
ブルターニュ全体の聖守護聖人『聖アンナ』に捧げた最も重要な聖堂となって
今日に至っている
『Basilique Sainte-Anne d'Auray オーレの聖アンナ・バジリカ聖堂』

『Basilique Sainte-Anne d'Auray』遠景

身廊が縦に長く
翼廊に幅が横に長く
鐘楼は内陣のある東側の奥に立っている

西側正面

泉越しに見る聖堂



聖堂内部に入ってみよう


長く高い身廊



十字架の交差部の主祭壇から奥の内陣には
高位聖職者や聖歌隊の席があるのもゴシックの聖堂の方程式通り


一番奥の内陣にも祭壇があり
そこのルターブル(祭壇衝立)に金張りのマリアを伴った聖アンナ像



回廊もある


回廊の周りは聖堂博物館になっていて
ブルターニュ中の各地から願掛けに寄進された歴史上有名無名の船舶の精巧な模型や絵が
飾られている


外に『聖アンナ祈祷室』なんてのもあった

『Oretoire Sainte-Anne』


このバジリカ聖堂は広大な敷地を持ち
周りは緑が豊か

その一角
聖堂を挟んだそれぞれに興味深いものが二つある

『La Scala Sancta 聖階段』

イエスの「十字架の道行き」に登場する階段に想を得て
各地に「聖階段」というものが作られている


これh1622年にカルメル会の修道僧たちの手で建設され
最初は聖堂入り口の「ポルシュ」の横に作られていたが
1870年に現在の場所「荊の園」に移された


以来
野外大ミサなどが行われる際の祭壇に使われ
ここから聖堂への行列が出発する


現在でも
膝で躙り登る苦行をする信者は後を絶たない



もう一つは
聖堂を挟んで反対側にある『Le Mémorial 慰霊堂』

『Le Mémorial Résional de la Grande Guerre de Sainte-Anne d'Auray』

人類初めての世界大戦の後
ブルトン人戦死者を鎮魂のために作られ
その後第二次世界大戦を経て
あらゆる大戦争でのブルターニュ出身の犠牲者のための施設という位置付けとなっている


背後の白い塀の向こう側が戦死者の墓地
塀の手前に
一人の兵士が代表で葬られており


敷地内には多くの十字架墓碑が整然と並んでいる


この写真はキリスト教徒のものだが
別の区画にはイスラム教徒の墓碑もある



基壇部に象徴的な鎮魂のレリーフが刻まれている



そして入り口を入ると


イエスの磔刑像を中心に
周囲にそれぞれの著名な戦いの戦場ごとの記念碑と祭壇がある






外の湾曲した階段を登ると


天井が
ブルターニュの教会の色
ブルーに染められていた


そして
聖アンナ出現の奇跡を体験した『イヴ・ニコラジック』の像が
出現した「マリアを伴った聖アンナ」の像と向かい合って建てられている




この聖アンナ像は高さ5mほどもある大きなもの


実際に出現の奇跡の起こった場所

この町の「パルドン祭」はこの位置からスタートします




聖堂の祭壇ルターブルに安置されている聖マリア像がお出ましになります

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ブルターニュ紀行 36 < カルナック の 巨石列柱遺跡 > 

2021-04-26 00:37:49 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : カルナックの『Alignements 巨石列柱』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れる
36


今回は全編「石だらけ」の回となります
というか
「石しかない」お話です

おさらいです

①「Menhir メンヒル」
直立させた一本の長い一枚岩

『Menhir de Kelhuit à Groix』
「ロリアン」沖にある「グロワ島」の『ケルユイットのメンヒル』

メンヒルの場合
地中に埋まっている部分が正確に何メートルあるのかはわかっていない
何トンも何10トンもある細長い石を直立させる為には
それなりの基礎部分が必要であるが
数千年経ているのに掘り返して倒れると元も子もないので調査しない


②「Dolmen ドルメン」
両側のメンヒルの上に一枚岩を渡した形のもの

『Dolmen de Kélarn ケラーンのドルメン』
「法悦の聖母礼拝堂」をご紹介した「Penmarc'h ペンマーク」近くの
「Plobannalec-Lesconil」周辺にあるドルメン


③「Tumulus テュミュリュス 又は Cairn ケルン」
ドルメンを長くつなげて
その上を石のブロックを積み上げて覆ってしまったもの

『Tumulus Saint-Michel サン・ミッシェルのテュミュリュス』

カルナック地区にあり
時代とともに土で覆われたままのテュミュリュスとしてフランス最大

『Cairn de Table de Marchante ターブル・ド・マルシャンのケルン』

これは方面を覆ってしまっていた土砂をとりのぞき石積みだけの
当時の状態に戻したもの


④「Allée Couverte アレ・クヴェールト(覆われた列柱)」
チュミュリュスの覆いがほぼ消失し
トンネル状の「通路」だけが現存するもの

『Allée couverte de Locmariquer ロクマリアケーの覆われた列柱』

多少の覆いが残ったタイプ

『Dolmen (Allée couverte) de Landivisiau ランディヴィジオーのドルメン』

完全にむき出しのタイプ
この「ランディヴィジオー」は2月25日にご紹介しているが
「ドルメン」に関しては書いていません

これら
「テュミュリュス」と「ケルン」
及び
「アレ・クヴェールト」と「ドルメン」
昔から地元で呼ばれてきた呼び名が名称になっており
厳密な区分はない


⑤「Alignements 列石柱」
メンヒルを限りなく並べたもの

『Alignement de Carnac カルナックの巨石列柱』

朝霧の中の列石です


⑥「Cromlec'h クロムレック」
メンヒルを円形に並べたもの
イングランドの「ストーン・サークル」など


では
改めて『Alignements de Carnac カルナック巨石列柱』に話題を戻しましょう

この遺跡は構成される建てられている石柱の総数で世界に類を見ない


『Maquettes du Site Ménec メネック地区』 提供 : カルナック観光局

写真に写る右側の円形の建物は案内所で
屋根上のテラスに登って見ることができるが全体像など全く把握できない

「カルナック列柱遺跡」は
数百メートルずつ離れた三箇所のサイトの総称で

『Ménec メネック』
100m x 1160m メンヒル11列1099本
『Kermario ケルマリオ』
100m x 1120m メンヒル10列1029本
『Kerlescan ケッレスカン』
139m x 355m メンヒル13列555本

で成り立っている








各メンヒルは
高さ 5m〜50cm
周囲 1抱えから5抱えくらい


こんな「密」な部分もあったりする


言うまでもないことだが
これらの各メンヒルは全部一枚岩


 そして
「誰が」「いつ」「何のために」
造ったのかわかっていない
推定で紀元前3000年頃というのが研究者たちの共通認識となっている


なぜなら
放射性同位元素アイソトープで年代測定をしても
石の場合は「生成時代」は推定できても「加工された時代」の推定はできない
周辺地域にある文様が彩色されたテュミュリュスの内壁などを参考に
それらの顔料の分析から
「それと同じ時代に作られたに違いない」と思い込むしかないのだから


「何のために」
には昔から喧々諤々様々な推測が飛び交ってきた
-祭祀に使われた神殿だ
-権力者の力の誇示だ
-暦だ
-権力者の墳墓の一部に違いない
-宇宙人の仕業だ
云々

「古代の部族間の戦争で片方の王の力で敵兵を全員石に変えてしまった」
などという伝説すらある


「メネック」地区の一番起点の位置から遠くなるごとに
石の高さが概ね低くなっているが
これも
5000年の時の流れで
自然崩壊したり
壊されたり
倒れたり倒されたり
城を作るための石材として持ち去られたり
道路を作る際に撤去されたり

それ以前に
およそ規則的な形に切った石を並べたのか
手に入る石をそのままの形で大きさの順に並べたのか
詳しいことは全くわからないし
調査の仕様もない


人が写っているので石の大きさをお分かりになれると思う


左のメンヒルは
相当巨大で会ったらしいが斜めに割れて上半分は地上にある
人の手で割られなければ自然に割れることはないのだろう






この家の住民のご先祖は
家作の周囲の石は取り払って敷地を整備士畑も作ったのだろう
今では国の重要文化財でユネスコの世界遺産の一部になってしまっている





この列柱遺跡の三カ所のサイトからやや離れて
同じ「カルナック遺跡群」の一つで
『Tumulus Saint-Michel サンミッシェル(聖ミカエル)のテュミュリュス』
がある



この丘全体がテュミュリュスで
長径120m 短径60m
高度差は15mほどにも及ぶ結構な規模

頂上に「聖ミカエルの礼拝堂」を立ててあって
いつからか「サンミッシェルの丘」と呼ばれていたらしい
おそらく
誰も知らないくらい古い時代の墳墓だということは住民達は知っていて
丘全体を聖ミカエルに捧げて
悪しき現象が起こらないように鎮めたのではなかろうか


高さと方向の違う二箇所に入り口が見つかっており


それぞれ別の玄道を通って
中に一つある玄室につながっている
一枚目の写真の入り口からの玄道は上り坂になる

 『内部見取り図』 現地案内板を撮影

いずれにせよ
内部は公開されていないが
玄室からは20個ほどの石櫃が見つかり副葬品があった
それらの分析により
これは新石器時代紀元前4500年頃の墳墓である事が分かっている
ギザのピラミッドより2000年古いことになる





礼拝堂とカルヴェールは16世紀のもの



この階段は
特に下の方が痛んで崩れやすいので普段は坂道を登ることになっている




例の「泉」は下にあった


※  ※

やや離れてもう一箇所別のテュミュリュス
『Cairn de Kercado ケルカドーのケルン』

入り口は1m位しかない


しかし玄道はすでに立って歩ける高さがあり


玄室は天井高2m



そして判読しづらいが
側面には線刻文様が見て取れる


出口を振り返ると誕生が低くなる



ほぼ正円のこのケルンは紀元前4670年頃
実に古い

※  ※

また『Dolmens de Kerioned ケリオネッドのドルメン群』
ここには4基のドルメンがあり
そのうち最初のドルメンは8枚の左右のメンヒルで支えられ
内側に
非常に単純化された「斧」や「盾」や「渦巻き模様」等の線刻画が鮮明に見える







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ブルターニュ紀行 34 < ベル=イル・アン・メール > 海の美しヶ島 に渡ろう

2021-04-21 00:58:57 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れる
34


キブロンをフェリーで出港し南下すること45分
『Belle=Île-en-Mer ベル=イル・アン・メール』に到着する
港の名前は『Port du Palais ポー・デュ・パレ』
直訳すると「宮殿港」だが
港のある集落の名前が『Le Palais ル・パレ』だから

港は要塞のすぐ下








上陸したら
とりあえず要塞を訪れてみよう
『Citadelle Vauban du Palais ル・パレ・ヴォーバン要塞』

その前に

Photo by @GoogleEarth

港を挟んで北に要塞南に市街地
その市街地も東西と南と三箇所は城壁が残っている
港は西側にプレジャーボートと漁船用の係留池が伸びて
西の先端は閘門で閉ざされるようになって水位を維持している

実はこの要塞は二重の空堀に囲まれている

最初の空堀を渡る



その後
堀と堀の間を歩いて内側に入る橋のところまで行く




二番目の橋を渡って内側に入る



火薬庫

分厚い壁の丸い塔である火薬庫は
周りを同じような厚い石の壁で囲んだ中に建てられている
大きなバケツの中に小さなバケツを据え付けた様な構造とでも言えば良いか


井戸も必然









城壁の上から港の方向を見る



川の様に内側に伸びている内港の方向


城塞から出て下の港の位置


そのままプレジャー・ボートと漁船用の内港につながる




 オマール漁の籠が積んであった



閘門管理事務所

途中に水量調整と歩行者橋を兼ねた閘門がある








市街地を囲む城壁の城門

『Porte de Vauban ヴォーバン門』

『Poete Bangor バンゴー門』





外側が海の部分の城壁の上に


昔の給水場があります


この「小屋」の中(むしろ下)は貯水プール


今でも澄んだ水が讃えられている










位置関係を再確認しよう
下の地図上で上からぶら下がる「キブロン半島」から
「ベル=イル」の北東部中央「ル・パレ」に着いた



「ル・パレ」から東にまっすぐ



緑のポインターのあたりに来ると
島の西の果てにポツンと白い小さな家が建っている


船上の航海者を誘惑する「サイレン」にちなんで
『Syrène de Belle=Ile ベル・イルのサイレン』と呼ばれている

ここまでくると
この辺りも侵食と風化だけで作られた造形の美しい海岸線が
絵の様な複雑な美しさを持っている



この辺り一帯は崖脳えギリギリを観光客が歩き回る
踏み分け道みたいな通路が確保されている
写真で見るより
はるかに高度があり恐怖心覚えるほどだがみんな平気で歩いている

























そしてこの場所は
「クロード・モネ」が浮世絵に触発されて描いた絵のポイントの一つ




『アール・ヌーヴォーをたどろう 3 <起源となったジャポニスム 2>』


さて
この辺りから「ル・パレ」に引き返す道に戻って
途中で北に向きを変えると



いきなりメンヒルが道路際に立っていたり


野生の雉が戯れていたりを見ながら
北西の先端『Sauzon ソーゾン』まで行くと海岸に
『Fortin Sarah Bernardt フォルタン・サラ・ベルナール』という建物がある
「Fortin」とは「Fort 要塞」からきた言葉で「ちびっこ要塞」
というようなニュアンスなので
辞書には「トーチカ」と訳してあることがあるが
「守備軍分遣隊詰所」みたいな小さな兵舎


あの「サラ・ベルナール」が50歳の時に
廃止されていたこの軍の建物を買い取って別荘に改装
その後
1922年に亡くなる前年まで
30年間にわたって毎年夏にヴァカンスを過ごしたお気に入りの場所だった

Photo by @EspaceMuséographiqueSarahBernardt







軍の分隊の駐屯ようの建物だけあって
海岸のやや内側の窪地を利用して建てられているので海側から敵船が探索しても見えない



時期になるとエリカが咲き誇る

最後に「クロード・モネ」の連作を挙げておこう
『le Pyramide de Côte Coton コトン海岸のピラミッド岩』



実景






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ブルターニュ紀行 33 < キブロン半島 > 南ブルターニュの大地から 大西洋にぶら下がった盲腸みたいな半島

2021-04-19 00:27:57 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : キブロン半島の『原始の海岸線』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
33


巨大な「ブルターニュ半島」の南岸の中央部から
だらりとブラ下がる長細い半島
『Prèsqu'Île de Quiberon キブロン半島』

Photo by @GoogleMap

まず大陸側から細く海側に突き出してきて
ギリギリ狭くなってから
砂浜はあるものの
単線の鉄道線と道路一本で半島と繋がる


Photo by @GoogleEarth

この衛星写真では
上が大陸側で下が半島側
半島に入ってすぐ右側に要塞がある


この写真の向きも同じで要塞側から大陸側を見た角度

ということで
こ半島に入るとすぐ西側に要塞と
そこを根拠に駐屯する軍の施設や射撃場があります

『Fort Penthièvre パンティエーヴル要塞』

通常軍関係の施設や敷地は立ち入り禁止なのですが
ここは一部自由見学ができるのです
要塞が重文だからなのかどうなのか






現役兵士いた

Photo by @fortpenthievre

その半島の西側は
要塞のある『Porthivy ポルティヴィ村』を過ぎてからは
人間の手の入っていない
時間と風化と侵食の力だけで形成された
『Côte sauvage 野生の(原始の)海岸』
と呼ばれる海岸線が続く


まず出てくるのが
思わず「象が鼻岬」とでも呼びたくなってしまうような奇岩

『Arche de Port-Bara ポー・バラのアーチ』




その「野生の海岸」も
季節や天候によって見え方は全く異なる







































要塞のある村「ポルティヴィ」にある礼拝堂

『Chapelle de Lotivy ロティヴィ礼拝堂』

ポルティヴィを過ぎて
次に東側にもう少し大きな集落がある
『Saint-Pierre de Quibron サン・ピエール・ド・キブロン村』

そこの礼拝堂

『Chapelle de Penthièvre パンティエーヴル礼拝堂』

『Fontaine de St-Pierre de Quibron サン・ピエール・ド・キブロンの泉』

この泉は現役で水は清く澄んでいる

村はずれには巨大な「元」風車小屋の塔もある


もう一つ別にも



そして集落の外には巨石文明の遺跡も

『Alignement de Kerbourgnec ケルブゥルニェックの列柱遺跡』




『Dolmen de Roc'h ロックのドルメン』





『Prèsqu'Île de Quiberon キブロン半島』を南下してきて
最南端にある町『Quiberon キブロン』
の町に入る直前の海岸に城が見える

『Château Turpault テュルポー城』


実はこの城には全く歴史はない
20世紀に入ってから
中世の形式で英国風の趣味も加えて建てられた100年しか経っていない
城まがい


このブログを始めて以来
スペインやポルトガルやプロヴァンスやブルターニュやで
あれこれ「固有名詞」を出してご紹介してきた数多くの
教会や修道院や礼拝堂や城や宮殿
その他の建造物と遺跡などの中でおそらく「唯一」重要文化財ではないもの


ただ姿形と環境とがあまりにも人目をひくので
一応ご紹介しておくことにした

『Quibron キブロン』の町はビーチのある港町




ビーチの前にはレストランが並んでいる












この港から出るフェリーで
南ブルターニュで最も名高く最も人気のある島
『Belle-Île ベル=イル(美しい島)』
に渡れる



次回は
その「ベル=イル」に行ってみましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
【お願い】
皆様の「ご感想」「ご意見」「ご要望」「いちゃもん」「激励」などお待ちしています
なお
「フォロー」「いいね」などのリアクション・ボタンは
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ブルターニュ紀行 32 < エテル河 という名の潟 >

2021-04-14 00:55:12 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : エテル川に浮かぶ『サン・カド島』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスでない異世界を訪れる
32



「ロリアン」から東へ15km
短いが広くて岸辺はギザギザで島だらけの川『Rivière d'Etel エテル川』の
絶景を楽しんでいただこう

Photo by @GoogleMap

地図の左端に「ポー・ルイ」と「ロリアン」がある
「エテル川」は地図の右端
普通川の名前は冠詞の「La 稀に Le」がついて「名前」だけ
ところがこの川は
ブルトン語で『Ria Etel』とわざわざ「川」をつけるので
標準フランス語でも「Rivière d'Etel」と表記し
冠詞もつかない

青の部分は水深がそこそこ深いところで
それ以外は干潮時にはかなり水が少なくなるところ



この「エテル川」で一番有名な写真がこれです
漁師の家
水深が浅そうなのがよくわかります

そして
この家の背後に見えるのが
巻頭写真にした『Ile de Saint-Cado サン・カド島』


Photo by @communes.com

ベルツ村からサン・カド島へ渡る橋がかかってる
左に「漁師の家」が写ってます



橋のたもとの右側のほぼ同じような位置から撮った次の二枚の写真で
水位の変化がお分かり頂けるはず

満潮

干潮

上の写真でも
あるいは巻頭写真でもわかるが右端に礼拝堂がある



その礼拝堂がこれで
島の名前になった聖人「サン・カド」の」献堂されている

『Chapelle Saint-Cado 聖カド礼拝堂』








この礼拝堂の「カルヴェール「は独特の作り方をされていて


「アンクロー」は無く
カルヴェールだけが三方向から登る階段の上に立ててある


礼拝堂の方から見ると
背後に民家が並んでいるのが見える



カルヴェールの十字架部

内部は非常に明るくてカラフル


玄関口の上には「Tribune 二階席」もある







川から見るとこんな風に見えて


右側の木立の間から川岸に降りられる


 岸辺にある泉に階段で降りられる様になっている





『Fontaine de Saint-cado 聖カドの泉』











しかし特筆すべきは
この礼拝堂は堂内にも泉があるのです

左下が堂内の泉




島の周囲はこんな眺めにもなる








橋で繋がる反対側は『Beiz ベルツ村』

『Mairie 村役場』

『Eglise Saint-Saturnin 聖サトゥルナン教会』



そして
結構両岸は変化もある





さらには
浅い川で海から近く干潮の際の日照りを繰り返し受けていると


自然に塩が結晶化する


岸辺だけでは無く
浅い川の真ん中ですら浮いてくる


天然塩の結晶が見られるのです





「絵のような光景」にも巡り会える


まるで若い頃の「モンドリアン」の絵の様だ


そしてお約束の「廃船の墓場」も


陸に打ち上げられたクジラの様に


いつしか骨格だけになってしまう


日本ならば
産業廃棄物の不法投棄だの何だのと大騒ぎになるに違いない



極め付けには


こうなると
サハラで見かける白骨化したラクダと変わらない






しかし
うっとりする優しい美しさもふんだんにあるのです








両岸は自然も多く
小さな村々も点在する


小川の様な支流が流れ込む

小さな村にはこんな家々も





こんな泉と


共同洗濯場が残る村もある


こんな井戸がある家もあったり


ポンプ式の共同井戸が有る村もある



プルゥエネック村の『聖ギヨーム礼拝堂』は美しい


『Chapelle Saint-Guillaume de Plouhenec』


もちろん巨石文明の遺物も

『Dolmen de Kerlutu ケルリュテュのドルメン』


『Dolmen de Kerhuen ケルユーエンのドルメン』



これは牡蠣の養殖場に行く作業船だろうか
河口には確かに養殖場はある


川岸に


「牡蠣(売ります)」という手書きの看板のついた家もあった

そして
河口は川が運ぶ砂が微妙にあちこちに堆積し
打ち寄せる大西洋の波が水面下に複雑な変化をもたらす

河口

半世紀に一度くらいの割合で
深刻な海難事故が起こってきた歴史がある

では今回はここまでにしましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
【お願い】
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