行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

ブルターニュ紀行 31 < ロリアン 3 汎ケルト民族フェスティヴァル > 

2021-04-12 00:15:12 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『ロリアン  汎ケルト民族フェスティヴァル』のパレード


荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れる
31

実は
『Organisation Céltique ケルト民族機構』
という組織があります
正式メンバー「ケルト民族国家」6カ国で構成
北から
「南部を除くスコットランド」「アイルランド」「マン島」「ウエールズ」「コーンウォール」
「ブルターニュ」
そして準加盟国として
北スペインの「アストゥリア」と「ガリシア」
オブザーバーとして「ケベック」
で構成されているようです

シンボルの旗もあります


上段の左から右へ
「ブルターニュ」「マン島」「スコットランド」
下段左から右へ
「アイルランド」「コーンウォール」「ウエールズ」
中央はケルトのシンボル『三つ又巴』

そもそも『ケルト民族』というのは
イタリアのエトルスク人が青銅器を使っていた2500年前に
現オーストリアの『ハルシュタット』で岩塩が取れることで人が集まり
さらに鉄器の使用が起こって「鉄器文明」が始まり
そこから西欧へ進出していったハルシュタット人たちの子孫のことです


黄色がハルシュタット文明の中心
薄緑から緑そして濃い緑との順に辺境になってゆきます

当時の西欧は森しかないところで
散り散りになって広がっていったハルシュタット人たちは
ケルト人と呼ばれるようになり
お互いの繋がりも関係性もなくなって文明としての求心力を失っていった結果
ローマに征服されてしまうことになる

ケルト族の典型的な兜

巨石遺跡によく見られる文様

この文様が「三つ又巴」に収斂されて行く


こういうヴァリエーションも生まれ


これがさらに複雑に四つ又となって
「ケルト十字架」へと繋がってゆく



この『ケルト十字架』は
キリスト教文化の十字架の変形ではなく
起源はもっと古い

ちなみに
フランスあたりの彼らは「ガリア人(仏語でゴール人)とよばれましたが
地域によってバラバラな勢力に過ぎず
ローマの勃興とともに滅ぼされたり同化させられたりして
ローマ人による広大な新しい文化圏の形成とともに
独自性が消えて行きました
辺境を除いて

と言う事で緑と濃い緑の地域だけ
言語や風習などの「ケルト文化」が残ったのです

もともと20世紀になってブルターニュでは
自分たちの起源に重きを置いた文化人たちが「Cercle Céltique ケルト・サークル」
という運動を起こして
各地で祭りをを開いて自分たちの言語や音楽を再認識して残して行く文化運動を
行っていて
そこから「Organisation des Nations Céltiques ケルト6カ国の組織」が
作られていきました


青 『スコットランド』
緑 『アイルランド』
(小さな)橙色 『マン島』
赤 『ウエールズ』
黄色 『コーンウォール』
黒 『ブルターニュ』

そして
ここ「ロリアン」では戦前からほぼ毎年『Féstivale Céltique ケルト祭』という
他の5カ国も参加するイヴェントを大々的に行ってきたのです

公式パレードの出発からどうぞ


6カ国の国旗が先頭です

フランス海軍ブルターニュ師団

ウエールズの団体






カンペルレの団体




















やがて大観衆と一体になって



メイン会場である野外ステージの広場に集結




ライヴ・コンサートに突入






ステージでも






別の場所の小ステージでも





体育館ではダンスパーティーも



プレジャーボート・ハーバーの前では海軍軍楽隊が




スタジアムでも



ゴルフ場でも



コンサート会場の周囲には
お食事処や



模擬店もたくさん出ます



ソーセージを焼いてたり




そば粉のギャレットはブルターニュですから必須アイテム

夜の帳が下りる頃から
大ステージでも







小ステージでも




参加国の有名ミュージシャンやバンドが続々登場




各テーマごとのグランプリが競われます

誇らしき受賞者

老いも若きも老若男女の笑顔があふれます







準オブザーバー地域中南米の
キューバからも



『ロリアン 汎ケルト・フェスティヴァル』
毎年8月に開催され
80万人が集います
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見など何でもお寄せください
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ブルターニュ紀行 30 < ロリアン と その周辺 2 > 海とケルト文化に生きる民

2021-04-09 00:07:27 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ポー・ルイの岬の先端に突き出す城塞『Citadelle de Port-Louis』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れる
30


「ロリアン」の対岸に突き出す小さな岬の町
『Port-Louis ポー・ルイ』
をご紹介します

Photo by @GoogleMap

「ポー・ルイ」の一番先端に
「ヴォーバン型の城塞」がある
ちなみにそこから真北の小さな島に向き合う緑色に塗られている場所が「ロリアン」
何か書いてあるところが「潜水・潜水艦博物館」



Photo by @Bretagne.com

町は海水浴客で賑わう


町の雰囲気も開放的でとても良い






『Eglise Notre-Dame de l'Assomption 被昇天の聖母教会』


しかし
この町は何と言っても「海と城塞」で成り立っているのです





二番目の跨堀橋

大手門

大火薬庫

小火薬庫

実は
現在この城塞の中は『インド会社博物館』になっている

16世紀は大航海と発見の時代
17世紀になるとアフリカ航路で東廻りで東洋貿易を拡大し
 ポルトガルとイングランドと
新たに海外貿易経営に参画してきたオランダなどと競って
利益を確保するために
各国は挙ってインドに出先機関としての代表部を開設していった
いわゆる『インド会社』




フランスは1653年ルイ14世の宰相コルベールによって創設され
東北インドの「シャンデルナゴール」に進出
18世紀に入ると『東インド会社』と組織改編する

そのフランス本部が
ここ「ポー・ルイ」に置かれたのです


従って
この場所が『(東)インド会社博物館』となった






博物館としての展示内容は
設立者や運営責任者などと船団を率いた提督や出先の管理責任者など
人物紹介と来歴の資料と説明
輸送手段であった艦船の種類や特徴と建造方法及び経歴と模型の展示
アフリカ・アラビア半島・インド・中国ごとの
交易内容と取り扱った製品などの資料と説明と展示
などが中心
















甲板と船倉の構造と荷積の様子












船舶建設の様子

以下は中国の工芸品と物産



中国製のシルクで作られたドレス




オランダ東インド会社のロゴ入りで発注された磁器の壺


















アラビアの工芸品も







そして日本も少し


アフリカも

アフリカの金細工『奴隷を斬首する権力者』

そして
時代を超えて貴重な商品は香辛料だった

香料

大西洋横断以前は
シルクロード経由で運ばれる「胡椒の1ポンドは金1ポンド」と言われた
大西洋横断に成功したスペインが中南米の胡椒を独占
それに対抗するために各国は
アフリカ回りインド洋経由の新ルートを開発
一気に香辛料が手に入りやすくなったとはいえ
依然として高価で利ざやの大きい商品だった


17世紀後半からアラビア経由で西欧も
「コーヒー」「茶」「ココア」
を飲むようになり
お茶の輸入合戦も激しくなってゆく

そのような背景で
船団を組織できる大船主は
戦時にあっては王室海軍に組み込まれて提督として働き
平時では
航路で出会った他国の輸送船を襲って富を稼ぐことを
国王から「特許状」」を得て常態化していた
イングランドの『ジョン・ドレイク』や
フランスの『ロベール・シュークゥ』などは有名
イングランドもポルトガルもスペインもオランダも同じことを行って
それらの武装輸送船を『私掠船』とよぶ
北ブルターニュの「サン・マロー」や「ロスコフ」を拠点に
私掠船が活躍したことはすでにご紹介した通り


『Boulongne Fuite ブゥロンニュ・フュイット号』

『Beaumon ボーモン号』

『Le Soleil d'Orient 東洋の太陽号』

上の三隻は名高い私掠船(高速フリーゲート艦)の模型



これらの戦斧は
他国船に乗り移って襲撃する際に用いられたもの



西アフリカでは
他部族を征服したがっていた『ダホメー族』に銃などを与えて
その代わりに
捉えた捕虜を銃の代金として受け取っていた


西アフリカの黒人を奴隷として新大陸に売るために運ぶ油槽船
一番下の船底と一つ上の甲板に
奴隷たちを「積む」やり方の図解

フランスには奴隷制度はなかったし奴隷もいなかったが
奴隷貿易で財をなした商人たちは存在した



南インド『ポンディシェリィ』の岸壁のフランス東インド会社の建物


嵐と戦う輸送船


伝聞と想像で描かれた「インドの風景」の壁紙

これも同じインド文様の壁紙

非常に興味深く
フランス人の異民族文化の工芸品への目利きの水準の高さがよくわかり
かつ資本主義の醜さと残酷さを教えてくれる博物館だと言える

建物を出ると城塞の城壁の周りを歩こう
ほぼ300度くらいは回れる
眺めが変わってゆくのを楽しむのも良い


城壁の「通用門」からビーチに出られる


よくぞ作ったり
と思えるほど広大な構築物なのです

そして


対岸から見るのも美しい
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 29 < ロリアン と その周辺 1 > 海とケルト文化に生きる民

2021-04-07 00:13:41 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ロリアン『汎ケルト諸国フェスティヴァル』のコンサート会場

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスで無い異世界を訪れよう
29


『La Blavet ブラヴェ川』と
『La Scorff スコルフ川』と
『La Ter テル川』とが
海に流れ込み複雑な入江を形作る大西洋沿いに
『Lorient ロリアン』
7〜8の自治体が形作る港湾都市圏がある




Photo by @BretagneCinema

右手前の先端に要塞のある部分は『Port-Lous ポー・ルイ』
と言う自治体で
その岬が向き合う左側が『Larmor-Plage ラッモル・プラージュ』
その上の密集地が『Lorient ロリアン』
その北側を右の湾から西に「スコルフ川」
写真右端の小さな岬も上に東に入って浮いく「ブラヴェ川」

「ロリアン」だけの人口は6万人ほどで典型的な地方の中都市だが
周辺を含む広域都市圏は15万人ほどに膨らむ

軍港でもあったこの町はドイツ軍に占領されており
1940年9月の英国空軍による空襲から
43年まで何度も繰り返し空爆を受け多くの
家屋と教会とが破壊され消失した

Photo by @Partimoine.Lorient.bzh

従って「旧市街」てきな雰囲気はほとんど残っていない
中心街も建物は皆新しい

『Rue du Port 港通り』

そして
町の主だった施設も皆新しい

『Gare de Lorient ロリアン駅』




『Grand Théatre de Lorient 市立大劇場』

『Médiathéque François Mitterand ミッテラン記念図書館』

『Hôtel de Ville 市庁舎』

『Cité de la Voile Eric Tabarly エリック・タバッリー帆船センター』

ここはブルターニュ出身の海軍士官で著名な外洋レーサーだった
「タバッリー」の名を冠した
ヨットの建設方式を古代から辿り
現代の国際的外洋ヨット・レースの沿革と競技方法の解説
などを行っているライヴ・ミュージアム

さらに一つユニークな施設がある
戦前戦後の潜水艦工廠とドックを利用した
『Musée Sous-marin 潜水博物館』

『Bunker des Sous-marins 潜水艦格納庫』

この博物館は
潜水と潜水作業や海底の実態
及び
潜水艦の歴史を資料と映像を使って解説し
実際の潜水艦の展示で構造なども見るkとができる博物館



格納ドック



実際の潜水艦を保有する『K2ドック』









内部も見学できる

魚雷発射管室

持ち場の就寝用ハンモック

探査室

操舵ポスト

注排水コントロールバルブ

中央通路

天井の各種配管

ところでこの「ロリアン」では
ブルターニュ最大の「汎ケルト・フェスティヴァル」がおこなわれます

ケルト諸国の国旗パレード

このフェスティヴァルは後日一項を挙げてご紹介します


※  ※

都市交通や道路管理などの広域都市行政を行う
「ロリアン広域都市圏」では最北端の
『Hennebont エンヌボン』
に行ってみよう


1kmほどの幅で10kmばかり遡った「ブラヴィエール川」が
狭くなるあたりにこの町はある


ここは未だに城壁の残る城郭都市


城壁が旧市街に素敵な情緒を添える






城壁の要所を締める防御の塔と
その上に乗る物見(ものみ)の台

同 拡大


別の物見台





大手門
旧市街は今でも城壁で囲まれている

大手門 内側



武装城門
脇門だがかつては跳ね橋が備わっていた

通用門


民家





城壁の外に広がる新市街に教会がある


『Basilique Notre-Dame de Paradie 天上世界の聖母バジリカ聖堂』

身廊から内陣を望む

内陣と主祭壇

『Notre-Dame de Pitié ピエタ』





外壁上部に取り付けられている『Gargouille 魔除け兼雨樋』が
実になんとも素晴らしい
特にこれは
本来雨水が垂れる口元から雑草が生えて
あたかも怪物が火を吐いているごときに見える偶然の結果がいおもしろい









この「エンヌボン」の町の二大イヴェントは
ブルターニュの主要な町では必ず行われる年に一度の「ケルト音楽パレード」
中世都市を唄うこの街独特の「時代祭」



ケルト民族音楽パレードは
多くのブルターニュの町で繰り広げられる



「時代祭」には大勢の観光客が集まる


 ※  ※

ついでに
「エンヌボン」から北西に数キロ
「スコルフ川」沿いの『Pont-Scorff ポン・スコルフ』
まで足を伸ばしてみよう


町に名の通り
「スコルフ川」と「橋」の組み合わせ



橋のたもとには
礼拝堂の正面の壁面のような廃墟がある


柳瀬でも作れそうな堰がある



家並みはそこそこ古い民家が並ぶ
そして
それほど古いものではないが礼拝堂もある

『Chapelle Notre-Dame de Bonne Nouvelle 吉報の聖母礼拝堂』


正面ファサード

内部



古い館もある


続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 28 < ランゴネット と ケルナックレーデン > 

2021-04-05 00:00:02 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 :  ケルナックレーデンの聖母教会の鐘楼(部分)

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界をめぐる
28


「ル・ファゥエット」からもう少し北へ10kmほどに
『Langonnet ランゴネット』
その町に
教会が二つ と 修道院が一つ が
注目される

まず
『Eglise de la Trinité 聖トリニテ(三位一体)教会』
16世紀の建立

『Eglise de la Trinité de Langonnet ランゴネットの聖三位一体教会』
南側

後部礼拝室

北側





祭壇




壁の扉上のアーチの斜め上にあった装飾
例によって表情など極めて素朴だ

天井は珍しく無彩色


修復中かと思った

カペー王朝の王権の全国浸透とともに全土に広がっていった
ゴシック様式の教会堂ならば
この骨組みが全部切石を組んで作られた
アーチの骨組みの間も石で埋めて天井を組んだ


このように木材で作ら手た骨組みを見ると
ゴシックのアーチ構造がよく理解できる


この部分の天井はアーチの骨組みを交差させていない
単純な形で
骨組みの間も全部塞いで天井が完成している
これから彩色する予定なのかもしれない


かつての彩色の後がわかる
木の壁の木製の聖人像

これまでにご紹介してこなかったかもしれませんが
エンクローの敷地内に泉があることが多いのです


ここの泉は
噴水口が一見椅子のような形をしている
これもユニーク







二つ目の教会は
『Eglise Saint-Pierre et Saint-paul 聖ペテロと聖パウロ教会』
12世紀建立 16世紀改修



正面全景



アンクローの「勝利の門」


「納骨堂礼拝堂」の扉口


身廊全景




創建が12世紀と古いので
壁やアーケード表面の傷んでいる所を漆喰で固めた補修が行なわれている
そのために
極めて「白い教会」のイメージになっている






12世紀ロマネスク時代の線刻装飾



時代的な特徴もあって
極めてユーモラスな表現の人物(聖人)像
線刻文字も保存されている

そして
「Langonnet ランゴネット」の町自体のはずれに
『Abbaye de Notre-dame de Clarté 光明の大聖母修道院』

中央玄関

回廊



修道院には必ず回廊があり
回廊の四辺のうちの一辺には『Salle Capituraire ( Salle des Chapitre) 運営会議の間』がある
その入り口



運営会議の間

回廊のアーケードの作りは17世紀風に改築したのだfろう
運営会議の間はゴシックの時代のまま

同 ディテール


同 逆向き

この修道院は全き沈黙の緑の只中にある
渓流が敷地の縁を洗う

『L'Ellé エレ川』

敷地自体も広大で


修道院の建物自体まで美しい並木が誘う


建物自体が緑の中に埋もれているかのようだ


広大な敷地を囲む塀というには大げさな囲いの縁に
泉もある





※  ※

この辺りで
また海の方角に南下しよう
「ランゴネット」から南東に15kmで『Kernascléden ケルナックレーデン』

その町の教会
『Eglise Notre-Dame de Kernascléden ェルナックレーデンの聖母教会』
が特筆に値するのです


正面は見慣れた感じがする
ただ側面は西半分と東半分とで印象が異なる


南側側面

鐘楼とポルシュと翼廊とを持つ西側半分は
玄武岩でいかつい

南側側面の西半分

祭壇を持つ東側半分は
白い石灰岩

実は
翼廊部を挟んで左右にポルシュがある

南側側面の東半分

北側の西半分


北側の東半分

入り口例によって南側の鐘楼近くにメインのポルシュという定番



ポルシュ

ポルシュ上部 破風のディテール





ポルシュ内左の壁の壁龕の聖人像

ポルシュ内右側壁面の壁龕の聖人像

内陣側の小さい方のポルシュは






内陣の天井のフレスコが素晴らしい

















壁には「地獄絵図」のフレスコの痕跡も







主祭壇

フランスの守護聖人 『Sainte-Jeanne d'Arc  聖ジャンヌ・ダルク』




外装もじっくり見たいところですが高すぎて見えない部分ばかり






gargouille 雨どい兼魔よけ


=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 27 < ル・ファウエット > 

2021-04-02 00:48:01 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ファウエットの『サン・フィアックル礼拝堂』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
27


海から少し遠ざかり
「ポン・タヴェン」から北東へ30kmほど行くと
『Le Faouët ル・ファウエット』という村に至る

この町には面白い施設があるんです
『Musée de l'Abeille Vivante et la Cité des Foumis』
「生きた蜜蜂と蟻の博物館」


ここは
「蜜蜂」と「蟻」と「カミキリムシ」などの昆虫類の
種類や生態などの説明と観察
養蜂の技術や歴史の展示と実演
などを
見て聞いて部分的には触って理解出来るライブ・ミュージアムなのです















ロゼール地方の養蜂巣箱
樫の木の躯体に鉄平石の蓋


ランド地方の巣箱
ドロ塗りの植物の茎の編み込み


ソローニュ地方


コレーズ地方の巣箱
木製の箱に編み物の蓋






それから
15世紀末から16世紀初頭の完全な形で残る「市場」の建物が素晴らしい


構造は樫と一部樅の木



おおよそ
50m x 20m


ブルターニュで一番最初に国の重要文化財に指定された市場建築

この町の教会はこれ

『Eglise Notre-Dame de l'Assomption 被昇天の聖母教会』










さて
ここまでは前置きと言う事にして
この町には二つの名物礼拝堂があるのです

一つ目
『Chapelle Saint-Fiacre 聖フィアクル礼拝堂』


正面の鐘楼を含む三基の尖塔がとってもユニーク






ポルシュの左右の壁龕には諸聖人の像はもはやない
あるいは最初から作られなかったのか
それより
この礼拝堂の最大のポイントは「Jubé ジュベ」なのです
プロワンスめぐりの際に
どっかでジュベのご紹介はしました


身廊から内陣に入る位置にある装飾した仕切り壁




身廊側から見たジュベ



逆から見た裏側





左端の天から舞い降りてくる天使の姿が美しい








地獄で怪物を食らう罪人の顔がなんだか嬉しそうにも見える




上部には必死でしがみつく人
下には転落する人







イエスと同じ場所で十字架刑に処せられた聖アンドレ


重圧を支えるのは決まって愚者


教えに背いて悪しき行きまたをしていると
こうなる


仕切り自体


外の陰に
ブルターニュ公国の紋章の「ミンクイタチ」


サン・フィアクルの泉もちゃんとあります




そして
もう一つの名物礼拝堂は
『Chapelle Sainte-Barbe 聖バルブ礼拝堂』



非常に微妙で不思議な立地で
低い山の斜面のギリギリ麓近くに立っているのですが
車を降りて
階段を登っていくと右に小さな祈祷所があり
そのまま進行方向に今度は階段を下って聖バルブ礼拝堂に至る
ちなみに
右に小さな祈祷所の見えるところまで登って
左に階段を曲がって登ると山の茂みの中に入って
展望台のように開けたところに出る


小さな祈祷所は『Oratoire Saint-Michel 聖ミカエル祈祷所』
と名付けられている

聖ミカエル祈祷所


この角度で見ると
結構高いところにいるように見えるが高山では決してない

ちなみに交差する階段の下は



上に登って行く道の階段が下を潜り抜ける
上の階段の交差部から「サン・ミッシェルの祈祷室」を右に見ながら


真横に降りるのですが
礼拝堂の方向に降りたすぐの斜面に「聖祠」がある

その真上が展望所


そこに小さな鐘楼があります
4本の四角い石の柱で支えられた屋根の真ん中に鐘が下がっているのです






実は階段を上り下りしなくても
下の坂道の階段からも行けることは行けるのですが


 なぜにこんな狭苦しい空間の使い方をしたのだろう
こうやって
人を画面に入れて撮ると礼拝堂がそんなに小さいわけではないことが
理解できます

この礼拝堂は
内部には見るべきものは殆ど無いが



丹塗りの剥げかかった医師の天井がある
それに
木の扉のレリーフの天使たちが


衣の襞の表現など
鄙にも稀なルッネサンスの見事さは特筆に値する

そして
お約束の泉は上の高台に


『Fontaine de Sainte-Barbe 聖バルブの泉』

龕の中央は当然『聖女バルブ』の像だが首がなくなってしまっているのが残念だ

その高台には
寺守り(管理者)事務所兼住居があり
売店にもなっている



では今回はこのくらいで
次回をお楽しみに
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様からのご感想やご意見をお待ちして居ります
お名前の所はニックネームややハンドルネームで結構です
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ブルターニュ紀行 26 < カンペルレ > 川とお花とメロヴィンガ朝様式の修道院と

2021-03-31 00:34:10 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『カンペルレ』の街並みと『ノートル・ダム教会』の鐘楼

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
26


「ポン・タヴェン」から東へ20km弱
「La Laïta ライタ川」に沿って面白い街がある
『Quamperlé カンペルレ』

50kmほど離れている西ブルターニュの主邑「Quimper カンペール」と
名称上に何らかの関係があるのかは不明

町の主たるランドマークは
『La Laïta ライタ川』と
1020年頃に創建された『Abbaye Sainte-Croix 聖十字架大修道院』の
修道院聖堂


北西からくる『L'Isolé イゾレ川』と
北東からくる『L'Ellé エレ川』が
「カンペルレ」の町の中心で合流して「ライタ川」となる

『Pont Lovignon ロヴィニョン橋』

エレ川にかかるこの橋は欄干に花が咲き乱れるので
『Pont Fleuri 花咲く橋』
とも呼ばれる



しかし
この町は数ある橋や川岸の道
それに古い民家など
お花で飾り立ててあるのでこの橋だけの特徴ではない












 取りあえず話を修道院に戻そう

ブリテン島のある公爵とコルヌアイユ伯爵との間に続いた
この地の領主権をめぐる混乱が収束し
1000年頃のコルヌアイユ伯爵「アラン・カイナート」に病気が続いたため
ローマ教皇ヨハネス19世にお伺いを立てたところ
地震の居城の場所に修道院を建てるよう勧められた

伯爵から土地を寄進されて
ベネディクト会の修道僧がおそらく1020年頃らしい
「カイナート伯」の兄弟であったその開祖は
任期中暗殺によって殉教した事で列聖された『Saint-Gurloës 聖グルロエ』

1054年には既に公文書に修道院の名称の記述がある

この大修道院は
『L'Isolé イゾレ川』と『L'Ellé エレ川』の合流部に
両川に挟まれるようにして建てられた


鐘楼が見える

特筆すべきは
修道院聖堂(教会)が円形教会だということ


正確に言うと
縦横の腕木がそれぞれ中央部で交差する東方教会の
ギリシア正十字の中央部に
ロマネスクの極く初期に見られた円形教会を組み合わせた形


十字架の四方の一本が正面の扉口


中央部は一段高くなっており


その下に地下祭室がある
そこに
ルネッサンス期の『キリストの埋葬』という
群像が有る



1500年頃の作とみなされ
作者不詳ながら
ブルターニュで最も古いルネッサンスの「イエスの埋葬」
ということになっている










革命後の混乱期と19世紀末から20世紀初頭の洪水などで
かなり傷んでいる


交差部の天井


扉口を入って中央を通り抜けた十字架の反対側の腕の部分が
中央祭壇







おそらく創建当時のものであろう四本の太めで短い円柱で支えられた主祭壇の
左右を照らす燭台が素晴らしい



中央から主祭壇にむかって十字架左腕の礼拝堂は
ルネッサンスの彫刻祭壇衝立「ルターブル」がある








これも「鄙には稀な」見事さ
ローマにでもありそうな大理石のレリーフと彫刻は
16世紀の中央宮廷文化に
引けを取らない仕上がりだ









三番目の礼拝室と祭壇は



とてもシンプル

さらに『Sacristie 聖具収納室』に小祭壇もあって


この小祭壇の壁やら床やらを中心に
聖堂内部のいたるところに彩色された彫刻がたくさん飾られている
特になぜか「聖母子像」が多い














それから興味深いことに
17世紀初頭の『着衣の磔刑イエス』
という彫刻


この「着衣の磔刑のイエス」は
6世紀頃にシリアで流行した表現形式で
その後フランスに伝わり
ブルターニュには相当遅れてもたらされた


『Abbé 大修道院長』の椅子
「Cathédra 司教座」に準じる聖なる椅子です

さらに
上でご紹介した交差部の地下祭室は「半地下」なのだが
そのさらに下に『クリプタ 地下祭室』がある

そこに
この修道院の開祖の墓がある

開祖『Tombeau de Saint-Grüries ( Guruliës) 聖グルリエスの墓碑』



さらにもう一人


15世紀半ばに修道院の大修復を行った
『Saint-Lespervez 聖レペルヴェス』の墓も


この大修道院は
大革命の最中1792年に任務停止とされて
修道院聖堂は教区教会として残されたが
回廊その他の施設は
簡易裁判所や国家警察に使われて今日に至っている

『回廊』

さらに付け加えるならば
本来は聖堂中央の屋根の上にかなり大型の鐘楼が建っていたが
17世紀以後重みで各所にヒビが入り
支柱の補強などを行っていたものの
革命後の19世半ばに崩落した


崩落前に鐘楼の重みを支えるために補強した際に付け加えられた
アーチを持つ「控え壁」が残る

20世紀初頭 主祭壇のある内陣の外に
鐘楼を持つ小教会を建てた



この修道院聖堂から100mほど北に一部遺構がある



大修道院の付属の『Eglise saint-Colomban 聖コロンバン教会』






西側正面の壁とその他ほんの一部だけ残った

西側の正面扉口に向き合うように19世紀後半に市場が建てられた


ギュスタヴ・エッフェルの活躍で「鉄」が建築素材として定着した
その当時全国の古い市場が鉄骨製に立て直された
そんな一つ




 二本の川が合流して『L'Laïta ライタ川』になってすぐの右岸の
小高い場所に教会がある
それが町中で一番どこからでも見える教会で
『Eglise Notre-dame et Saint_Michel 聖母と聖ミカエル教会』
巻頭の写真で見える鐘楼はその教会のもの




その「聖母と聖ミカエル教会」のある高台に登る坂道から振り返ると


大修道院と新しい鐘楼が見える

旧市街には美しい古い家並みが未だに多く残る







=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様の「ご感想や「ご意見」「ご希望」を追いまちしております
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ブルターニュ紀行 25 < ネヴェズ 周辺 > 

2021-03-29 00:01:02 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ル・エナンの潮力水車

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界をめぐる
25


「ポン・タヴェン」と大西洋岸との直線で5〜8kmの中間点あたりに
『Nevez ネヴェズ』という町がある
そこを拠点に
周辺にまた訪れるに足るポイントがいくつかあるのです
具体的には
礼拝堂が一箇所
特殊な水車小屋が一軒
瀟洒な屋敷が一軒
城が一軒
そして素晴らしい伝統家屋


「Tremorvezen トレモーヴェーゼン」村に
『Chapelle de Notre-Dame de la Clarté de  Tremorvezen /
 Chapelle des trois Marie』
「トレモーヴェルゼンの 光明の聖母 又は 3人のマリア礼拝堂」
16世紀初頭建立


正面全景


この角度から見ると
土地が低くなっているために東側の鐘楼の尖塔があまり高く見えない



しかし
こう見ると尖塔の複雑な細工も高さもよく分かる
















壁面を飾る彫刻の中に
聖母子像が三体ある






三番目の聖母子像の拡大図

これらの三体の「幼子イエスを抱く聖母マリア」像のために
この礼拝堂の別名が
『三人のマリアの礼拝堂』
と呼ばれる

さらに
天井の斜めの梁の圧力を吸収する要の重しとして
別の「聖母子」がある





それから
この礼拝堂に付属する泉も残っている





※  ※

次に
『Le Hénan ル・エナン村』に特殊な水車小屋
『Moulin à Marée de Hénan エナンの潮力水車小屋』


この水車小屋がなぜ特殊かというと
海から結構離れた川にある『潮力水車』だからなのです








干潮時

満干の中間時

満潮時



内部

風車と同じように小麦を挽いて粉にする
効率よく「轢く」ためには
回転力が強い
回転速度が速い
ことが肝要だ
ブルターニュの干満の差の大きさと
遠浅の地形だと
同じ潮位の差でも距離が長くなるが
干満に掛かる時間は同じ
その分水流が早く回転速度が稼げるわけなのです


※  ※

最後に城と屋敷をご紹介しよう

まず『Château du Hénan デュ・エナン城』
この城は重文だが個人の所有で一般後悔はされていない

『アヴェン川』沿いに建っている


一年に一回9月後半の土日に行われる
『文化財の日』
にだけ関学ができる







『Manoir de Dalmor ダルモール屋敷』
これは『Névez ネヴェーズ』の区域内にある





実はこの城
ホテルになっております

海が真ん前の斜面というこれ以上ないほど絶好の位置にある




「高級ホテル」などという雰囲気にはしてなくて
古い「マノワール 古いお屋敷」の実用的な環境をそのまま
ホテルに改装した「健全な」存在です

サロン(共用空間)

客室例 1


客室例 2 広い専用テラス有り

客室例 3


海を独り占め



レストランも機能的で落ち着いている
そして料理は極めて田舎風





例2の客室は
右端の窓が二つ並んでるお部屋で
下の地上界の4部屋の屋根の部分が全部「プライヴェート・テラス」なんです

道路から到着するとこう見える



※  ※

最後のおまけで
この「ネヴェーズ」の小集落『Kerascoët ケラスコエット』に
今は非常に少なくなった藁葺きのこれぞブルトンの伝統民家という家が
何軒もあって観光客の人気を集めている






















共同パン焼き釜

井戸



では今回はここまで
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 24 < コンカルノー から ポン・タヴェン > ブルターニュの出島 から 後期印象派の聖地 へ 

2021-03-26 00:28:46 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : コンカルノー『要塞島』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスの中にあってフランスではない異世界を訪れよう
24


『Concarneau コンカルノー』
に行ってみよう

先日の「ベノデ」から東へ15km
「ポン・ラベ」からだと25km
地図の右端の白抜きのところが『Concarneau コンカルノー』という漁港があり

この町は湾の中に『出島』がある


橋を渡ってちょっとした「橋頭堡」に渡り
さらに橋で
三角形の出丸に入る











出丸に入る門

出丸の中



城塞都市の門

これをくぐると
やっと本丸に入れるわけです


入るとしばらく静かだが
程なく
両側にハンドクラフトの店や各種特産品の店が並ぶ
賑やかな雰囲気になる








中央広場のような役割の場所

ここ10年ほど全国展開して珍しくなくなったが
この辺りのブルターニュが発祥の
一見すると「魚屋」みたいな雰囲気のセルフの秤り売りクッキー屋さんもある


ロクロナン発祥の銘菓『kouign Amann クイニャマン』の
ミニミニ版みたいな
『Kouinette クイネット』も
セルフサービスの秤り売りです


横に出る小さな城門もあります

poterne(通用門)






対岸の町『Fouesnant フエナン』からの眺め




こんなかわいらしい
かつクラシカルな渡し舟も昔から活躍してます

『Arrivée du Pardon de Sainte-Anne de Fouesnant』Alfred Guillou
『対岸の町フエナンからのパルドン祭り巡礼団の到着』
アルフレッド・グイユウ 1887年


Photo by @Bratagne.com






※  ※

では次に
「コンカルノー」の東15km『Pont Aven ポン・タヴェン』

ここは結論から言うと
「Paul Gauguin」が一年滞在し
その後彼を慕った欧米の和解型達が住み着いて創作活動に励んだことで
後期印象派の聖地の様に言われている村だ

『L'Aven アヴェン川』が流れている


この写真の位置は村のはずれの港の位置
ここから海に向かって15kmほど
うねうねぐにゃぐにゃ
曲がりくねったり細まったり太くなったり
平均数百mほどだと思われるが
1kmを超えたり500mほどになったりしながら大西洋に注ぐ

村の中は小さな流れで村を出ると急に広くなるので
村が河口で
村を出たら湾と言っても良いくらいだ

村は川の両岸にまたがっているので
『Pont Aven アヴェン橋』
となったのだろう

一番よく写真に移されているのはこの光景


名高い「ポンタヴェン」のビスケット屋さんと
川と
橋と
小さな石の可愛い小屋と


実はこの小屋は
何と
公衆トイレなのです(!)
おそらく全仏で最も美しい公衆トイレット

あとは
村の光景はアヴェン川とともに紹介されることがほとんどと言っても
過言ではない














この村に『Paul Gauguin ポール・ゴーギャン』が滞在したのは短期間だが
ゴッホと画商をしていた彼の弟を通じて知り合い
エミール・ベルナールを発掘する

村の『Eglise Saint-joseph 聖ヨセフ教会』の付属礼拝堂
『Chapelle de Trémalo トレマロー礼拝堂』


にある素朴なイエスの磔刑像が「黄色いイエス」と呼ばれており



この像をゴーギャンが描いている

『Christ jaune 黄色いキリスト』1889年 オルセー美術館蔵

遠近法や色彩のグラデーションなどを無視し
輪郭を黒い線で描いてその枠の中を原色で塗る『Cloisonnisme 輪郭分割主義』
はその後のゴーギャン絵画の基本となるが
これは版画などの影響からなる「ジャポニスム」である

この村の美術館は非常に心地良い建築物


夏場は緑に囲まれた水辺の村の自然の中に
全く違和感なく溶け込み
暗い冬場にも明るいつくり


ガラスと木とつや消しのアルミの組み合わせは
ここ20年ほどフランス人の好みを反映している




村の水車小屋が観光客の目を引くが



ゴーギャンはこの水車小屋を描いている

『Moulin David ダヴィッドの水車小屋』1893年

彼の「ポン・タヴェン」二度目の滞在のときの作品


さて「ポン・タヴェン」の周辺に
世にも「オペラの世界」といった程の城跡があるんです
『Château de Rustéphan リュステファン城』(跡)


いきなりこれです


王子の口づけを待って眠り続けるお姫様が居そうじゃありませんか

Photo by Archivedechateau
『Déssin de Chevalier de Fréminvilles シュヴァリエ・ド・フレマンヴィルの素描画』
正面図 19世紀前半

すでに最上階と屋根はなくなっている



同 側面図

20世紀初頭の写真 Photo by Lefèvre Pontalis

この時点から現在までほとんど変わっていない


最初の写真の塔
元来城の中央部にあった塔の基部



その上部






正面右の端の塔の上部
無くなった建物の切妻壁にあった煙突が残っている



ついでに
「ポン・タヴェン」周辺の別の地区
『Nizon ニゾン』地区には『ドルメン』もあります

『Dolmen de Coat Ruzuen コート・リュウエンのドルメン』









最後のおまけおまけ
「メンヒル」もある

『Menhir de Kerangosquer ケランゴスケールのメンヒル』

=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 23 < ペンマーク岬 > で またまた教会三昧

2021-03-24 00:23:50 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ペンマーク岬の三世代の『エクミュルト灯台』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
23


ポアント・デュ・ラまで伸びる「シズン半島」の南東部の根元は
『Pointe de Penmarc'h ペンマーク岬』

Photo by @GoogleMap

左の最先端が「ラ岬」
右下に小さな丸みをもった出っ張りが『Pointe de penmarc'h ペンマーク岬』
そこを起点に
例によって例のごときブルターニュの珠玉の小教会や礼拝堂が集中する

南から北へと訪れて行こう


地図を拡大すれば
先端の南岸に『Kerity ケリティ』が見つかればそこに
『Eglise Sainte-Thumette de Penmarc'h ペンマークの聖テュメット教会』
がある

『Eglise Sainte-Thumette 聖テュメット教会』

ここもこの角度から見ると
身廊に対して北の片側だけの側廊だと思える


少しずれると3身廊形式(身廊プラス両側に側廊)のようにも見えるが


やはり側廊は片側だけ

それとは別に正面扉口(ポルタイユ)の上に鐘楼を建てるはずだったのが
基礎部分だけ造った段階で中断してしまっているのはわかる


鐘楼は
崩壊したのか工事続行を中断したままなのか




後陣


次に
巻頭写真の岬のすぐ北側
「Penmarch」から左の海岸に
『Chapelle Notre-Dame de la Joie 法悦の聖母礼拝堂』

『Chapelle N.D.de la Joie』

鐘楼が何やら複雑な形をしている










マーメイドが艶めかしい












西に引き返して『Penmarc'h』の東側あたりに
『Chapelle Saint-Nonna 聖ノンナ礼拝堂 』






無骨でゴツい鐘楼


正面にもポルタイユがあるが
通常はこの鐘楼の塔の横のポルシュから入る





装飾の少ないブルターニュの教会だが
ここのレリーフは興味深いものがある









福音書の巻物を拡げて掲げる天使


そのまま北に登って「Plomeur」の上あたりに
『Chapelle Notre-Dame de Tronoën トロノーエンの聖母礼拝堂』
ここのカルヴェールは凄いんです

『Chapelle Notre-Dame de Tronoën』

まず教会堂本体について何が変わっているかというと
そう
お分かりですよね
鐘楼が本体の真ん中に立ち上がっている
普通は西側正面扉口の上
または
正面の扉口の並びの横
でなければ
十字架型の交差部
さもなければ
後陣(十字架の頭)の横

なのにこれ


このように後陣の後方から見れば正面に立っているように見えますが
そうではない
もう一度見てみよう



カルヴェールを見なければ

西側正面をやや斜めから



上段左端は総督ピラトの裁きの場
上段右は十字架の道行き
下段左は生まれたイエスの初めての教会(まだユダヤ教の)にあがるお宮参り
下段中央はヨハネによるイエスの洗礼

東側正面

最上段
中央十字架の足元は「ピエタ」

上段左
地獄を訪れ怪物の口から出てくる亡者どもに祝福を与えるイエス
その上には聖骸布を掲げる聖ヴェロニカ

上段中央
イエスと会うマグダラのマリア

下段左端
最後の晩餐の後弟子達の足を洗うイエス

南側正面
下段右は最後の晩餐

北側正面上段
左端は神の子を宿したマリアが叔母エリザベート訪問
次はイエスの降誕で
左に牛と鶏
その横に眠り込むヨハネ



中央が産褥にあるマリアと既に足元にはイエス




マリアは乳房を出していることで
既に幼子が誕生していることを暗示している

右の三人は東方三賢人





そのまた北に『Chapelle Saint-Evy 聖エヴィ礼拝堂』


この礼拝堂は
湿地帯の中で緑に包まれるようにして穏やかに立っている




十字架型の横木が頭の位置にある「T字型」の特殊な形


内部は新しい
屋根の骨組みも作り直されて
壁の傷みも全て補修され昔の彫像が飾られている








まるで忘れ去られたかのような場所に
しっかりと忘れられずに存在している健気な礼拝堂です


そのもう一つ北にこれまた可憐な廃墟が残る
プロヴァン村の『Chapelle de Languidou ランギドゥの礼拝堂』

13世紀半ば「ロマネスク」様式の中で
先日ご紹介した「ポン・クロワ」の「ロスキュドンの聖母教会」と並んで
『ポン・クロワ派』主鏡建築様式の傑作に位置を争う教会建築と言われている


13世紀半ばに修道院が建設され
14世紀と15世紀に修復を受け
革命で破壊され
修道院聖堂だけがこの形で残った







この「バラ窓」の縁取りは実に素晴らしい



全国に数多いゴシックの大聖堂のバラ窓は
削りやすい全体の構造とともに「石灰岩」や「砂岩」であることが多いが
ここはブルターニュ
硬い玄武岩をくりぬいて作るのは時間と技術ともに大変だっただろう








『Penmarc'h ペンマナック』自体は
鰯漁で栄える漁港『port de saint-Guénolé サン・ゲノレ港』があって
鰯その他魚の缶詰工場もある


道路沿いにはこんなものも




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 22 < ポン・ラベ と その周辺 > シズン半島の根元の最南端

2021-03-22 00:49:59 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ポン=ラベの港

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れる
22


「ベノデ」から西に「オデ川」を渡って小さな湾の向こうに
『Pont l'Abbé ポン・ラベ」という町がある
そこから南西の岬の先端『Saint-Guénolé サン・ゲノレ』の間は
面白い村々がある

まず『Pont l'Abbé ポン・ラベ』
「司教橋」という名前の町

『Château de Pont l'Abbé ポン・ラベ城』

これはこの地方『Bigourdin ビグゥルダン』の歴史文化博物館が使っている




一つの島が中央部の大半を占める小さな入江の奥にある町は
港があるが
一番奥なので引き潮だとほとんど出入りは出来なくなる程の水位しかない

港からシャトーを望む

町の公設市場は19世紀のもの



お約束の教会は
これがまた見事な廃墟

『Eglise Saint-Jaques de Lambour ランブールの聖ヤコブ教会』



3世紀に着工し
最終的に完成したのは16世紀
そして今は




鐘楼の上部をなくした正面だけを除いて


見事に廃墟として残っている


残った細部を見るに
往時の全体の見事な姿が偲ばれる

身廊交差部から翼廊の入り口を望む


北側側廊部からやや斜めに身廊の西側正面を望む

中央祭壇の跡


19世紀の終わりに起こった階級闘争の際の教会権威排斥運動に乗じて
時の市長(れっきとした貴族の出)が議会に諮って
取り壊しを決議
屋根を破壊してしまった
壁や屋根の上や塔などに飾られていた彫刻類は
『Eglise Notre-Dame de carmes  カルメル会の聖母教会』に移され
未だにその教会が保存している

町のこの一角だけ


歴史が止まっている

ちなみにこの廃墟は
されて間もなく国の重要文化財に指定された

 ついでに
その『Eglise Notre-Dame des Calmes カルメル会の聖母教会』
もご紹介しておきます
13世前半「カルメル会」がブルターニュとしては4番目の修道院を
ここ「ポン・ラベ」に作った
今では修道院は消滅してこの修道院聖堂だけが残った


正面を見るだけで中に入らずとも
身廊と北側の側廊だけの構造なのがわかる

この正面左のすぐ屋根側の上に
階段が仕掛けてあるのが興味深い



内部は予測通りになっていた

北側廊と身廊

内陣が平らで祭壇に向かって座ると大きなステンドグラスに向き合う形になる
これもブルターニュ好みの造り

『Retable de l'Autel de sainte-Anne 聖女アンナの祭壇のルターブル』

この礼拝堂は側廊の突き当たりにある

聖母マリアの母『聖アンナ(アンヌ)』はブルターニュ全体の守護聖人
16世紀後半フランス王に嫁がざるを得ず「ブルターニュ公国」の独立性が消滅した
最後の君主が女性で『アンヌ(アンナ)』だったこともあり
いたるところに「Anne」さんがいるのがブルターニュなのです
ちなみに主祭壇はナポレオンとローマ教皇との和解の後
なぜか壊されて残っていない

『Retable de l'Autel de Saint-Crépin & Sainte-Crépinien』
「聖クレパン と 聖クレピニアン の祭壇のルターブル」

この祭壇は側廊側の壁の壁龕に作られている

『Chapelle de Saint-Crépin et Crépien』

これは靴屋の聖守護神『サン・クレパンとその一党クレピアン』の礼拝室
写真では小さすぎて判別不能だろうが
右側の人物は腰のベルののいくつものポケットに靴やハンマーが見える
当時の「靴職人ギルド」が奉納した

『Pieta ピエタ』16世紀作

この教会の外陣(祭壇のある内陣の外側)の南側に
不思議な塔が立っている
鐘楼なのだがアルドワーズの河原で葺いた鐘楼はブルターニュには
ほとんどない


山国のピレネーやアルプス
あるいは北欧ロシアなどの塔の屋根に似た形だが
なぜこのような形なのかは浅学にしてわからない


南側側壁から見ると
結構ははみ出す形で「独立」した塔であることがわかる




周辺には城もあります

『Manoir de Kernuz ケルヌーズ屋敷』


鳩小屋



※  ※

「ポン・ラベ」から南西に一直線に15kmで
岬の南西の角
『ペンマルク』と『サン・ゲノレ』という2つの自治体が繋がっており
「サン・ゲノレ」が西の海際
さらに
「ペンマルク」の南の海際に『ギルヴィネック』

岬の南西の角の南岸
『Guilvinec』から始めよう


古くから栄えた漁港





『Chapelle Saint-Trémeur 聖トレマー礼拝堂』






『Statut de Saint-Trémeur 聖トレマー像』

布教中に首を刎ねられたトレマーはその場では死なず己の首を持って歩いた
という奇跡伝説があり列聖され
この姿で表される

礼拝堂の泉

聖トレマー「アンクロー」管区民たちの共同パン焼き窯
丸い部分が窯で屋根がなくなった建物の切妻に煙突がある不思議な形

周辺には素朴な城もある

『Manoir de Kerghoz ケルゴズ屋敷』

母屋
中世の地方の小豪族イェイドの城の母屋はこんなもの
ただ防御の設備はしっかりしている


門の上に鳩小屋を置いた不思議な構造

城壁と防塁の塔



家並みが白いのが「南ブルターニュ」の特徴だ

あちこちある海岸のとある岩場に
不思議な図形の残る岩があった


円形や四角形の
明らかにヒトが削った跡

これらは近隣の礼拝堂のカルヴェールを造るために切った
採石の跡
円板型に切り取った石塊は十字架の基礎に使われた


ペンマルク岬の界隈は
次回に続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 21 < カンペール から南下 > 西ブルターニュの首都から いよいよ南ブルターニュへ

2021-03-19 00:32:20 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 西ブルターニュの首都カンペール

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文化と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
21


ブルターニュには主要都市が三つあります
2つは半島のうんと内側
南北の中央部に『Rennes レンヌ』
南部に『Nantes ナント』
そして半島西端に寄ったところに『Quimper カンペー(ル)』

先の二つの都市は
地政学的に中近世の大諸侯「アンジュー家」の領土に接し
多かれ少なかれ王室にもつながる中央文化の影響があり
カンペールは生粋のケルト人ブルトンの都
と言いたいが
今の時代の都会は個性を急速に消していくので視覚的には大したものはない

『Cathédrale Saint-Corentin 聖コランタン大聖堂』

ただ大聖堂だけは
絵に描いたような定石通りのゴシック様式


ただでさえ天に向かって伸びるゴシックが
ブルターニュに来ると(隣のノルマンディーもそうだが)より
尖塔が細く且つ高くなる


西側正面ポータイユのオーナメントも完璧に仕上げられている
全体は明るい色合いの花崗岩で
三重の縁取りの天使と聖人たちのそれぞれの天蓋が
黒い石で作られている


内部も実に端正


身廊部と内陣とで角度が違う
これは意外とよくあることで
教会は通常内陣から作り
そこだけを臨時の壁で締めきって「献堂式」を行い
教会として使いながら
横軸である翼廊を作り
その後残りの縦軸である身廊を作って
最後に西側正面ポルタイユ(玄関口)を開ける
それぞれの段階で
資金的経済的状況で中断することが多いが
建設予定の敷地の構造や地盤の問題で一直線にできなかったことは
意外と各地の教会に見られる


街の中を『オデ川』が流れる

『Préfecture du Finistère フィニステール県警本部』

その川岸に県警本部がる
この「Préfecture プレフェクテュール」を日本では県庁と訳すが大間違い
フランスで「県」は「Departement」
「Prefecture」は警察庁県管区



ルイ11世の時代の城跡を20世紀初頭にフィニステール県警察本部
を置くことにして
コンクリート補強で全面的に改修したもの

『Musée départemental Breton 県立ブルトン歴史博物館』

展示物を一つご紹介しよう

『Croix de l'Eglise de Glouesnac'h グルゥエスナックの教会の十字架』

近郊の村『グルゥエスナック』の教会
『Chapelle Saint-Cadou 聖カドゥ礼拝堂』のカルヴェールの
ユニークな彫刻を施された十字架
磔刑のイエスの素朴な表現が素晴らしい

中心部は賑やかだが地方色はほとんど感じられない
少し離れると静かになる


西ブルターニュの中心都市だけに
祭りの時は旧ブルターニュ各地域ごとの衣装で行進が行われたりする




街中を流れる『L'Odet オデ川』を下流に辿ってみよう
街のすぐ南に
旧カンペール大司教の夏の離宮だった城がある

『Château de Lanniron ランニロン城』

Photo by @GoogleMap

「カンペール」の南を出た「オデ川」が直ぐ胃袋のような形の湖ように膨らむ
(しかし湖ではなく川のまま)
その上の「L字型」も曲がってるあたり左岸にこの城はある

その「胃袋のような」膨らんだところからさらに下流に下ると
『Gouesunac'h グゥエスナック』村(地図参照)に
上の「ブルトン歴史博物館」の展示品の十字架があった教会
『Chapelle Notre-Dame de Vray Secour』がある


『真実の救済の聖母礼拝堂』

博物館の十字架はここのカルヴェールだった
この村には
他にも魅力的な小礼拝堂が複数ある

『Chapelle saint-Cadou 聖カドゥ礼拝堂』

『Oratoire Saint-herbot』

同上礼拝堂アンクロー内の『聖エルボ祈祷所』

同 祭壇ルターブル

同 Fontaine


さらにもう一箇所

『Eglise Saint_pierre de Gouesnac'h グゥエスナックの聖母教会』

ここは「礼拝堂」ではなく
この村の教区教会

同 正面

同 聖母子像

風化が激しいがなかなか素朴で良さそう

同 カルヴェール

※  ※

そのままオデ川に沿って海まで下ると
『Bénodet ベノデ』
という町に至る

オデ川の河口に現在は橋がある
昔は政治的・防衛的戦略から上流に引き返して限られたところからでなければ
渡れなかった

『Pont de Cornouaille コルヌアイユ(コーンウォール)大橋』

この橋を渡るときの光景がこれ

上流側に向いて

下流側に向いて

ここ数日来の訪問地の写真から
北側のブルターニュと光線の具合がお分かりになるだろうか
大西洋に向いたブルターニュは
明るいのです

町の教会ももちろんあるが
例によって周辺の集落に美しい礼拝堂がある

『Chapelle Sainte-Brigitte de Perguet ペッゲの聖ブリジット礼拝堂』

同 アンクローの勝利の門



オレンジ色の硬い玄武岩でメジャーな彫刻家もいなかっただろう
16世紀のこの町の親方の素朴な彫刻が素晴らしい



カルヴェール 表

カルヴェール 裏

それもともかく
この町は「オデ川」に沿ってお城がたくさんあります

まず『Châteua de Kériolet ケリオーレ城』



































※  ※

次に『Manoir Lerzan レーザン屋敷』

ここは「オデ川」の対岸







『Salon de Madame Astor アストール夫人のサロン』

『Le Grand salon グラン・サロン』

『La salle à Manger ダイニング・ルーム』



※  ※

その他にも

『Château de Perennou ペレンヌゥ城』

同 正面側

最後に

『Châteu de Kerouzien ケルジアン城』

一回の投稿の容量制限でお城の説明は割愛させていただきました
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご意見ご感想を是非およせ下さい
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ブルターニュ紀行 20 < サン・テュゲン と ポン・クロワ > シズン半島を引き返しながら珠玉の教会を見る

2021-03-17 00:32:20 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ロスキュドンの聖母教会

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文化と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
20


北岸は「ドゥアルヌネーズ湾」に面する『Cap Sizun シズン半島』を
先端の「Pointe du Raz ラ岬」から
「オーディエルヌ湾」が洗う南岸を引き返す

10kmほどで『Primlin プリムラン』村に至る
その村のはずれの字(あざ)『St-Tugen サン・テュゲン(テュジャン)』村
何もない集落にポツンと
『Chapelle Saint-Tugen 聖テュゲン礼拝堂』の大鐘楼が威容を放っている

『Chapelle Saint-Tugen』

6世紀
プリムラン村の避難地だった場所に『Saint-Tujan テュジャンが隠棲の庵を編んだ
そこからこの地名がついたらしい
フランス名「Tujan」を ブルトン語風に「Tugen」と綴って
読み方もブルトン語になった



ちゃんと「アンクロー」になっております


勝利の門もちゃんとあります


カルヴェール




『La Pieta ピエタ(十字架から降ろされたイエスを抱く嘆きのマリア』

例によって正面ではなく右横のポルシュから入る



ポルシュの切妻の上部に
主邑の『プリムラン村』の名の由来である『Saint-Primlin 聖プリムラン』が
見下ろしている


壁の壁龕の聖者様たちのもしっかり
この礼拝堂の内部はとってもチャーミングなのです


フランス海軍の安全公開と海戦勝利を祈願して法のされた
19世紀の有名な戦艦2隻の模型

『Le saint-Primel』

二層甲板で74門の大砲で武装されていた19世紀前半の戦艦
本来は天井から吊るされていた

『Le Bayard』

1885年から数年間中国沿岸に派遣され『キントン湾』などで
清国と戦った仏清戦争に参加した5隻の戦艦の一隻
蒸気エンジンを備えた3本マストのハイブリッドで鉄板装甲


見事な「Retable ルターブル(祭壇衝立)」が幾つかある


『retable de la Vièrge 聖処女(マリア)の祭壇』のルターブル


『Bas-Côté sud 南側の側廊』

『Autel et Retable de sainte-Barbe 聖バルブの祭壇とルターブル』


『Saint-Tujan 聖テュジャン』


この聖者様は「狂犬病」の患者の守護聖人だったらしく
狂犬病に罹患した人は「聖テュジャン」の不興をかったからだとされて
この礼拝堂の専用の部屋に隔離したそうです
その隔離部屋の鍵を右手にぶら下げ
犬を左の足元に従えています

「聖テュゲンの鍵」
狂犬病が快癒した人がお守りにもらった隔離室の鍵

『Saint-Corentin 聖クロンティヌス』
5世紀西ブルターニュの中心都市『Qinper カンペール』の初代司教


『Archange Saint-Michel 大天使聖ミカエル』
定番で龍を踏みつけているポーズ

『Un Ange passe』
凛々しいお顔の天使

『Saint-Christophe portant le Christ』
イエスを肩に乗せて浅瀬を渡る聖クリストフ

古の洗礼水盤は
驚くべき彩色の壁と天井とに囲まれています

『Les annciens fonds batismaux かつての洗礼水盤』
花崗岩を切って作られている


 洗礼室に入る側の上半分を仕切る壁
聖職者が婚礼を取り仕切っている図

天井と北側の壁の装飾

東側の壁
ヨルダン川でのイエスの洗礼の図

堅信の秘蹟図






これら板壁や木張り天井の絵だけではなく
壁のフレスコの名残もある







ユニークな調度もあった

葬儀の際の棺を載せる台 1642年製



細かなディテールをご紹介すると大変なことになるので
ここらでもう一度外に出てみよう

アンクローの塀に接して


ここにも同じ形式の
泉が残っていた

振り仰ぐと鐘楼


地元の人たちからは
この鐘楼は「角塔」と呼ばれてきた




※  ※

サン・テュゲンから東へほんの3kmの
「Le Goyen ゴワイヤン川」の河口「Audierne オーディエルヌ」から
川を遡行する事5km
『Pont Croix』
「十字架の橋」という名前の村があります


満潮時にゴワイアン川越しに見ると綺麗な
そして散々見慣れたような光景が見える
しかしこの川
引き潮になると


同じ向きではないのが残念ですが

村の中は
古い石畳の細い道と古い家並みが詩情を掻立てる




金属ではないので錆びるはずはないのだが
屋根や上階の壁を覆った「アルドワーズ 粘板岩」の瓦が
錆びて見える


地形が丘のようになっているので
階段が多い




そして
またもや一番高いところに



細く細く伸びる尖塔が空を突く教会がある

『Eglise Notre-Dame de Roscudon ロスキュドンの聖母教会』

外観の「ブルターニュ」の主張の強さに比べて


内部はフランス中央文化のゴシックの大聖堂のような
端正な雰囲気

と思ったが
よく見るとやはりブルトンでした


木張りの天井の色具合
壁の最上部の天井を受ける長押の部分の細工
天井を支える梁一本一本に施された細工
今までのブルターニュの教会よりももっとブルターニュだった

十字架型平面図の交差する位置の天井
左上と左下に見える別の天井とそれぞれ色が違うのがお分かりだろうか






















上の写真の大きなステンドグラスの下が主祭壇
なのだが


その主祭壇に
『La Céne 最後の晩餐』の群像がある


裏から覗けるようにしてある


極々小さな彫刻です

教会自体もだが
この最後の晩餐像も個別に重文

そして
この「ポン・クロワ」の町の守護聖人『ロスキュドンの聖母』の像が
これ




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  
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ブルターニュ紀行 19 < ドゥアルヌネーズ から ラ岬> 大ブルターニュ半島全体の南の最西端 へ

2021-03-15 00:03:33 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ドゥアルルネーズ『Musée du Port (港博物館)』

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
19


ブルターニュ全体の最西端
三つにわかれる半島の南側『Cap sizun  シズン岬』を
付け根の
『Douarnenez ドゥアルヌネーズ』から
かつて「この世の果て」と呼ばれていた
『Pointe du Raz ラ岬』
に向かいます

Photo by @GoogleMap

拡大して読めれば
一番上に切れかかって書かれているのが「カマレ」
その下に上から「クロゾン」と下に「モルガ」
数日前にご紹介しました

『ドゥアルヌネーズ』は湾の奥の白いところ
そのすぐ北には「サント・アンヌ・ラ・パリュー」
東の「Kerlaz」とあるすぐ東隣に「ロクロナン」があるのです

ちなみに西の先端の赤い印の位置が『ラ岬』です


「ドゥアルヌネーズ」
で一番のポイントは
何をさておき『Musée du Port 港博物館』という名の
船の博物館なのです



全部「本物の船」ばかりが
建屋の中と表の港とで山ほど見ることができ
港に係留してある船の大半は乗り込んで中も見学できる
という素晴らしい博物館なのだ



早速館内に入ってみよう
入り口は黄色いところ


中は主に地下が展示空間となっている


船大工の作業工程の説明を受けているグループがあった

『Caboteur portugais ポルトガルの沿岸交易船』

『Tatara Porogue de Lanyu 台湾蘭嶼島の木舟』

『Ghe Thûng Chàï ヴェトナムの竹ざる舟』





外へ出て「浮かんでる船」を見に行ってみよう








『Bateau-Phare 灯台船』

『Saint-Denys Remorqueur 牽引船 (タグボート)サン・ドゥニ丸』

『Nizwa Doni  (Dhow / Daou)  オマーンのダウ船ニズワ号』

航行中の『ニズワ』 Photo by @MuséeduPort

シンドバッドも載っていたオマーンの木造船『ダウ船』は
鉄釘は一切使わない
木釘とコールタール系の塗装とで造られる


『Dieu Protège 神の加護号』

この船は博物館の修復部で完全に復元された


Photo by @MuséeduPort



『Bateau douanier 税関船』

この船は
港の水位を一定に維持するための堰の位置に係留されていた



実際に乗船してみよう


三隻ほど並列で舫ってある奥の船から乗れるように
高い位置の桟橋から浮き桟橋に降りて行く

上に写真でお見せしたユニークな舟から
つい最近まで現役だった「イワシ底引き網船」やら「オマール海老捕獲船」やら
各種取り揃えてお待ちしております



先ほどのタグボート「サン・ドゥニ」の見学を終えたお婆ちゃまとお孫さん


博物館復元部で完全修復されたノルウエーの沿岸交易船『Anna-Rosa』で
湾内クルーズも行われています


復元工事中の『Anna-Rosa』





対岸の船の見学には横断橋を使います





対岸は静かな住宅地という風情です

さてさて
船の話ばかりではなんですから
「ブルターニュ」らしい話題にも触れましょう

静かな住宅地の方の地区に古いものが残っている


屋根を失った廃屋に情緒が


この家は絵に描いたような典型的なブルターニュの民家
長方形
短辺は両方とも切妻
その切妻に煙突が立つ
往々にアジサイが植えられている
できれば四隅の角は切石を積みでドア周りと窓枠も切石
北半分のブルターニュはこのままの色
これから訪れる南半分のブルターニュは白く塗る


東西に長く伸びる巨大な『ブルターニュ半島』の
北側は英仏海峡で北の荒海
南側は大西洋でずっと暖かい
この家はすでに一部が白く塗られているのが「中央」あたりだからとでも
言えるのいだろうか

礼拝堂も

『Chapelle Saint-Michel 聖ミカエル礼拝堂』



内陣部の天井

もう一つ

『Chapelle Saint-Jacques 聖ヤコブ礼拝堂』


古えの洗濯場


かつての製塩所の跡


※  ※

では一気に半島の最西端まで40km弱走って
いよいよ
『地の果て』
に行ってみよう

『Pointe du raz ラ岬』

中世においては地球は平らだった
そして
大西洋に臨む岬は地の果てだったのです
そこから先は果てしなく続く地獄の大海原しか存在していなかった

星の位置だけで航海していた時代で「世界」はヨーロッパだった
そしてその最果ての地が『ラ岬』だと思われていたのです

駐車場に車を駐めて
前方に見える灯台まで10分ほど歩く


両側の植物相は保護区域に指定されており
道を外れて草の上を歩くことは禁止されている
長い長い年月と人々の途絶えることのない情熱と莫大な予算の投入の結果



時期になるとこうなったり

こんなになったりするのです


15分歩くと
案内所とカフェレストランとお土産やさんのある平屋建てのモダンな建物があるが
円形の敷地をフライパン型に彫り込んでその内側に並んでいるので
岬に向かってくるときも岬から振り返っても
その施設は見えない


屋根の高さが周りの地面の高さくらい

その先に
灯台と通信施設の塔がある
軍が管理しているので塀の中には入れないが
別に入る必要もない


通り過ぎて5分ほどで聖母子像が立っている



『Notre)dame des Naufragés 遭難者の聖母』

マリアが抱くイエスが
海難者に手を差し伸べている
日本で言えばあたかも「観音像」とでもいうところか


今度は石畳の道をまた10分ほどで小さな小屋があり
それが人工物の最後

時間と共に人はどんどん増えてくる



既に岬にいるわけですが
ここまで来ても皆が期待する岬は見えない

やっと見えるところまでたどり着いて


もう少し先まで行って


右上の少し高くなっているところまでは
ほぼ全員が行くんです
そしてその先が


いよいよ
ここから300mほどの長さで
海面まで80m
海面からいきなり切り立った高山の尾根の様に続くのです


道はないけれど
人の歩いた後を辿って足場と手がかりを確認しながら
20階建のビルの屋上から逆巻く荒海が岩に砕ける様子を見ると
腰が砕けそうになる



写真の下の方にわずかに道のようなもにが見える
そして
先端まで無事に辿り着ければこの写真がお撮理になれます


いかがでしたか地の果てのご感想は
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 18 < サント・アンヌ・ラ・パリュー と ロクロナン > で 大パルドン祭 を体感しよう

2021-03-12 00:37:17 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『ロクロナンの大トロメディ祭』の際に黒い森の中を行く『Bannière 幟旗』

荒海と信仰とケルト文化と巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
18


細長い三角形で東から西に伸びるクロゾン岬の根元の南側の付け根
あたりに
『Sainte-Anne-la-Palud サント・アンヌ・ラ・パリュー』
というほとんど人口もない様な集落があり

その村はこれから訪れる「ロクロナン」と並んで
ブルターニュの伝統的キリスト教のお祭り『パルドン祭』で名高いのです

「Pardon」
という言葉は「赦し」を意味します
自分の来し方生き方の上で犯す過ちを神様に赦しを請う「告解」や「懺悔」
特定の奇跡の場所や特定の場所の聖人のたどった道を
みなで辿りながら
出発点から解散まで参加する全員で行動を共にする
これが「パルドン祭」なのです


まず教会ですが


『Chapelle Sainte-Anne-la-Palud サント・アンヌ・ラ・パリュー礼拝堂』

当然「カルヴェール」もあります




この礼拝堂には15世紀の作になる
花崗岩に彩色された由緒ある聖母と聖アンナの像が伝わっています


我が子マリア様を従える聖アンナ像


『Grand Pardon 大パルドン祭』
は毎年8月の最後の週末
金曜日の15時のミサから始まって各種祭儀を続け
日暮れとともに
灯明行列があ行われます






夜を徹してのお祭りが続きます

翌日曜日の10時半の礼拝堂でのミサで始まり
件の聖母子(聖アンナと聖マリア)像が外にいる巡礼者たちに披露されます




その後
13時からの大ミサが野外の平原で執り行われ

礼拝堂に戻って
『聖母アンナと聖マリア』の像が近隣の主邑カンペールとレオンの大司教の手で
戴冠されます



まず『聖処女マリアに戴冠




続いてマリアの母聖アンナに戴冠





そして
戴冠した聖母子像のお披露目


この戴冠された二人聖女の像は翌日の野外ミサでお披露目です


いよいよ大行進の出発


雨が降り出し
直前になって野外ミサの決行が決定


雨と強い風の中を行く各地方の高位聖職者たち


大群衆に迎えられた戴冠した聖アンナと聖マリア




今回のパルドン祭で洗礼を受けた子供も行列に参加


※  ※

この「サント・アンヌ・ラ・パリュー」から西南西に7〜8kmで
『ロクロナン』

『Place de l'Eglise 教会広場』

教会の側から逆向きに村の中心の広場
この村は
16世紀に麻の帆布の取引の中心地として賑わい財をなした


その当時のギルドハウスや商館及び裕福な町人の館が
教会とともに細長い斜面の広場の周りに立ち並んでいる








教会は二つあるように見える

『Eglise Saint-Roman 聖ロマン教会』

この教会は二つのようで実は一つの教会なのです
左が1435年から1480年にかけて建てられた『聖ロマヌス教会』の本体
右は1485年頃から付け加えた『Chapelle de Penity ペニティ礼拝堂』で
中は繋がっており
礼拝堂に教会が献堂された聖人「ロマヌス」の墓がある

『Tombeau de St-Roman』

この墓碑はあくまで後世に造った記念碑であり
聖人の遺骸などが入っているわけではないことは
他の諸聖人たちや王侯の墓碑と同じようなもの

まず村の中を一周りしてみようか




















村の中にやや外れて礼拝堂がある

『Chapelle Notre-Dame de Bonnes Nouvelle 吉報の聖母礼拝堂』








内部は非常に整っている
ステンドグラスが現代の物であることだけがやや残念だが
こればかりは致し方ない



礼拝堂の裏に『ロクロナンの泉』と呼ばれる取水口がある



「サン・ロマン教会」に戻って
中を拝観してみよう


広場に引き返す途中に
苔むした(むしろ草の生えた)家の軒先に
「麻の機織り」
というのがあった


麻布の織物歴史博物館だった

教会の入り口は「ポルシュ」で
左右の壁の諸聖人の像はなく扉は二つに分かれる

『Portail de l'Eglise St-Roman 聖ロマヌス教会の扉口』

ちなみに
右隣に並ぶ「ペニティ礼拝堂」の入り口はポルシュ形式ではなく
いきなり「ポルタイユ」(扉口)で

『Portail de la Chapelle de Pénity』

こちらから入ると先ほどの『聖ロマヌスの墓』があり
そのまま左に教会本体につながる
その本体に入る曲がる角の壁になかなか良い群像がある

『Décente de la Croix イエスの十字架降架』



身廊部の奥を見ると立派なゴシックの大聖堂のように造られていて
当時の町の財力と文化の高さを忍ばせる


身廊の途中から内陣方向を見る



内陣の祭壇



聖遺物櫃


ところで
ここ「ロクロナン」のパルドン祭は
ブルターニュで何箇所か行われるパルドン祭の中でも
ひときわ名高い

この村では
「パルドン祭」を『Troménie トロメニィ』とよび
7月に毎年行われる

村の近郊に『Forêt Noire 黒い森』という名の
樹木の茂った一帯があり
初期キリスト教の時代は「屋外の聖堂」という位置付けで
近隣の信者が大勢集まって祭式を執り行ったらしい


森の一部の木々が苔むして神聖な雰囲気を醸し出している
いかにも初期キリスト教布教時代に
布教者たちが
地元のケルト民族のしきたりに合わせてキリスト教を導入した感覚が
理解できる気がします

そのあたりに
『Montagne de Locronan ロクロナン山』という山があって
と言っても平らな地形のブルターニュのことだから
せいぜい200mほどの高度差だと思うが
『聖人ロマヌス(サン・ロマン)』は毎朝朝食も取らずに山頂まで数キロ
裸足で歩いて修行にしていたという伝説があり
毎年順「トレミーン」の際に巡礼者たちがそのロクロナン山の頂から村まで歩く




『Grand Troménie 大パルドン祭』は6年に一度しか行われない
7月の最後の2回の日曜日を挟んで8日間にわたって
その際は「ロクロナン山」全体を取り囲む13kmに及ぶ山道は畑の中を
練り歩くのです


近隣の角村々から
それそれの教会の幟旗を持参して

ルート上の12箇所の街道の分岐点や村々に立つ「十字架」で
祈りを捧げながら


大人も子供も
男も女も





途中の札所には必ずお花がたくさん飾られます


数万人の見物客に見守られて
2万人の巡礼者たちとともに予定の行程を行進した聖遺物が
教会に帰還する



町中に順帝者たちがささげ持つ幟旗が翻ります

映画にもなった名高い「ロクロナンのパルドン祭」ですが
雰囲気を感じ取っていただけたでしょうか

最後になりますが
この町発祥の有名なお菓子が『Kouign Amann クイニィ・アマン』




お店は教会の並びにあります


=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 17 <シャトーラン プレィベン ロクロナン> クロゾン半島から また内側へ

2021-03-10 00:30:20 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : オールン川沿いの「シャトーラン」の町

荒海と信仰とケルト文化と巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
17


「クロゾン半島」から東へ引き返し
細長い逆三角形の半島の根元まで40kmほどで南北の中ほどに
『Châteaulin シャトーラン』
という町
先日の「ランデヴェネック」で話題にした『L'Aulne オールン川』
に沿って静かに佇む町


川の町への流入点
季節柄もあるが
ブルターニュにしては緑が濃い


町のポイントは橋


古い橋だけではない


最近新しい橋が架かった



この教会は
『Eglise Saint-Idunet 聖イデュネ教会』



外陣は
内陣がしっかり空間を取ってあって
その上で先端に礼拝堂を持つオーソドックスは形であることがわかる


身廊部から内陣と主祭壇を見る


内陣(十字架型の交差部から頭部)の天井は
彩色が特にきらびやかになっている




『Chapelle axiale 内陣奥の礼拝室』

天井アーチの起点部の彫像








町の丘の上には城址がある

天守跡

ちなみにこの「オールン川」は
水量調整の水面下ダムがあるのですが
魚が遡上できる仕掛けを作ってあります


この自治体の域内に小さな礼拝堂もある


『Chapelle Notre-dame de Chateaulin シャトーランの聖母礼拝堂』
アンクローの勝利の門が見える












さてこの辺で「シャトーラン」を後に
もう少しだけ東(内側)に引き返してもう一つの町に行ってみようか


※  ※

シャトーランから5〜6km東にあるのが
『Pleyben プレィベン』

 『Eglise Saint-Germain de Pleyben プレベンのサン・ジェルマン教会』(重文)

ここの「カルヴェール」は非常に大きな基壇の上にある

昔は教会の入り口右横にあったらしいが
大勢の信者の教会の出入りに困難だったので
20世紀初頭に40mほど離れたところに設置為直されたとか





下段左は目隠しされたイエス
中央は岩の前で跪いて祈る人物と岩の上の鶏
その右は鞭打たれるイエス
右端は茨の冠を被せられるイエス






下段右端に一人でいるのが総督ピラト
中央が手鎖で裁きに出るイエス
上の段は十字架の道行き



下段中央が最後の晩餐
その右が弟子の足を洗うイエス
上段中央はイエスの埋葬




この「カルヴェール」は
大規模なものとしてはブルターニュで一番最後に作られた
『Tronoën』16世紀前半
『Plougonven』1554
『Guimiliau』1581
『Plougastel-Daoukas』1602

『Pleyben』
起源1535 度々修復と拡大し 完成1650


教会堂自体も素晴らしい
大きな街の大聖堂のような中央文化で会ったゴシックの正当的な造り


ただ
入り口は西側正面ではなく
正面向かって右横に立つ鐘楼の下のポルシュを横から入る


ポルシュをくぐると左右の壁には定型通りに聖人たちの像が並ぶ

左側面


右側面

ポルシュ奥の扉口のアーチ上に聖人が一人見下ろしている

教会堂の守護聖人「St-Germain  サン・ジェルマン」

天井はブルターニュお約束通り木張りで青塗り

内陣から東正面の内陣を望む

十字架型の頭部に当たる内陣は奥行きが祭壇を置くだけの長さしかない

主祭壇

悔懺聴聞室

幼きマリアと母聖アンナ

殉教者第一号となった聖ステファヌス

レレオン地方初代司教『St-Pol de Leon』

壁の最上部から天井が立ち上がる位置の蛇腹に
あれこれ個性的な彫像がある







共同納骨堂
実はこれまで何度もこの言葉を使ってきましたが
実は礼拝堂でもあるのです
内部の半分とか三分の一ほどが祭壇を持つ礼拝室の様になっており
残りの空間が地下を含めて納骨堂なのです


ここ『プレィベン』の域内には
例によって古くて愛らしい小さな礼拝堂はたくさんある


『Chapelle de la Trinité 聖三位一体礼拝堂』




『Chapelle de la Madeleine マグダラのマリアの礼拝堂』



『Chapelle Notre-Dame de Lnnelec ランネレックの聖母礼拝堂』





『Chapelle Notre-Dame de Guénily ゲニリィの聖母礼拝堂』



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