『ル・ピュイ・アン・ヴレー』の町の俯瞰
サンティヤーゴはスペイン語『聖ヤコブ』
仏語では「サン・ジャック」
言い伝えによると
12人の弟子の一人ヤコブの遺骸が乗った船が
北西スペインの海岸に流れ着いた
地元の人々は
その荒涼たる原野「コンポステラ」に葬った
その土地を
サンティヤーゴ・デ・コンポステーラ
と呼ぶようになった
中世になると
聖人が葬られた『聖地』を詣でて
誕生後に今日まで犯した過ちを雪がれたいと願って
全欧から巡礼が訪れるようになった
カトリックの暦では7月の末が『聖ヤコブの日』
その日に
サンチアーゴの大聖堂で大々的なミサが執り行われる
その日の前日までにたどり着けるように逆算して
仏国内四箇所(五箇所のルートもある)に巡礼者たちが集まった
パリ
ヴェズレー
ル・ピュイ・アン・ヴレー
サン・ジル(アルル)
パリの集合出発は『サン・ジャック・ド・ブッシュリー教会』
教会自体は19世紀に取り壊されて
現在は鐘楼だけ残っている
『サン・ジャックの塔』
パリからサンティアーゴまで全長2063km
120日程かけて歩く
シャルトル
トウール
ポアティエ
ボルドー
等を経て
仏最後の札所『サン・ジャン・ピエ・ド・ポー』まで
途中の
教会や修道院に立ち寄ってミサに与り
そこが所有する聖遺物にお参りしながら
シャルトルの『ノートル・ダム大聖堂』
ゴシック初期の
技術が完全に確立する前に完成している
ここに
ローマ・カトリック世界でも最も重要な聖遺物があるのです
『聖母のヴェール』
『聖母マリアのヴェール』
由来も来歴も確り残っている
信じるか信じないかは「イワシの頭」
宗教なので
トウールの『サン・ガシアン大聖堂』
最後西側正面が完成する頃には
すでに16世紀
従って鐘楼の先端部分は「ルネサンス」の様式
ポアティエの『ノートル・ダム・ラ・グランド聖堂』
ポアティエの町は
大聖堂よりこの教会の方が重要
12世紀
ゴシック以前の「ロマネスク」様式で
ほぼ創建当時から改築されずに非常に美しい姿で残った
「ノートルダム・ラ・グランド(大きな聖母)」
という名の小さな教会
後ろ姿
※
二番目の集合出発地点は
『ヴェズレー』
丘にへばりつく中世の村に支えられて
丘の頂上に残る
やはりロマネスクの名刹で名高い巡礼地
『サント・マリー=マドレーヌ・バジリカ聖堂』
「マリー=マドレーヌ(マグダラのマリア)の聖遺物
を持ち
巡礼者たちを集めてきた
『マグダラのマリアの聖遺骨』
三人の天使がかつぐ
円筒形のガラスの筒の中に収まっている
その他この教会は
初期キリスト教時代の古代ローマ寺院を聖堂に転用していた名残の
正面扉口を入ると本堂の前の「前室」を持つ教会建築を踏襲している
その
二つの扉口の彫刻群が世界的に名高いのです
正面扉口の彫刻
二番目の扉口の彫刻
ヴェズレーを経つと
リモージュ
ペリグー
などを経由してゆく
※
三番目の起点は
『ル・ピュイ』
他にも同名の街があり
ここは「ヴレー地方」なので『ル・ピュイ・アン・ヴレー』
ヴェズレーの『ノートル・ダム・ド・ラノンシシオン大聖堂』
『受胎告知のノートル・ダム』
町中で建物に取り囲まれて全景の写真など撮れない位置にある
大聖堂の中で巡礼出発を祝うミサに望んだ後
巡礼者達は西側正面の出口を出るために大階段を下ることになる
上の写真の突き当たりの階段を上ったところが
大聖堂の出口で
出発の大階段を出たところなのです
この入り口から中を覗くと
こうなってる
格子戸の中もずっと階段
この町には
尖った丘が二つあり
大天使ミカエルを祀った『サン・ミッシェル尖頂礼拝堂』
と
「赤いマリア像」
とが町人を見守っている
(カバー写真)
ここから出発すると
ローデス
フィジャック
カオール
等
フランス南西部の名だたる町々を経てゆく
ローデスの「ノートルダム大聖堂』
ゴシックという
北フランスに発した仏王室の権威から生まれた様式は
基本的構造には取り入れられたものの
外形の繊細さ等にまでは
影響を及ぼし切れていないことがよくわかる
『カオール』の町は
同じ大司教でも高位の権力者だった
馬蹄形に流れる「ロット川」に包まれるように町があり
そこには
素晴らしい要塞橋が残されている
建築家が
悪魔を騙して難しい架橋工事を成し遂げた
騙された悪魔は
橋の塔の一つの一番高いところにへばりついて
その橋を架けた事を恨んでいる
という伝説がある『ヴァラントレ橋』は
別名『悪魔の橋』
※
四番目の起点
『サン・ジル・デュ・ガール』
プロヴァンス地方の有名な町「アルル」の郊外
だから
集合出発地をアルルとしてある文献もある
今は存在しないサン・ジル大修道院の
ロマネスクの素朴だが素晴らしい修道院聖堂『サン・ジル』が
残っている
『サン・ジル大修道院聖堂』
この町から出発すると
モンペリエ
トウールーズ
など
北部政権のカペー王朝の進出に
最後まで抵抗した
南部フランスの有力諸侯たちの中心都市を経由する
トウールーズは
「赤い町」
と呼ばれてきた
建築用の石材が取れず建物がレンガで造られたから
町並み全体がレンガ色
『サン・セルナン・ド・トウールーズ・バジリカ聖堂』正面
正面はそっけない
南仏最大の大貴族の一人の領地の大聖堂にしては
少しも大規模にも見えない
しかし
何やら砦のように感じませんか?
ちなみに側面からは
この教会が非常に大規模であることがわかります
建築工学的にも
技術的にも
あまり大規模な建築物が建てられない「ロマネスク」様式では
フランス最大の大教会なのです
そして
後ろ姿が最高に美しい
ところで
『アルビジョワ十字軍』を含めて
ラングドック(フランス・カタルーニアを含めてフランス南西部)地方
は
フランス王国を確立し全土を王権の支配下に置きたい
北部フランス「カペー王朝」の干渉を繰り返し受けていた
そこで
通常町で一番大規模な建造物である教会に砦の役も持たせる
「武装教会」
という形式が広まったのです
例えば
『アルビ』という町の大聖堂はその典型
アルビの『サント・セシル大聖堂』
十字平面図の頭の方からの眺め
まるで要塞そのもの
全景
本来なら正面入り口がある西側先端は
砦の天守の役を持ち
扉口はない
パリの『ソルボンヌ』に次いで
中世から医学で名高いフランスで二番目に古い大学があり
ノストラダムスも
そこで医学を修めた
『モンペリエ』のカテドラルも
モンペリエの『サン・ピエール大聖堂』
やはり「武装教会」
この
サン・ジル(アルル)発のルートは
途中でピレネーを越える分岐路もあるが
以上四路は
最後は一つにまとまって
ピレネー山脈西端の一番低い峠(1000mほど)を越えるために
山麓の『サン・ジャン・ピエ・ド・ポール』
で
フランス国内の最後の夜を過ごした
そこは
次回でご案内しましょう
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