『Bagnole-en-Forêt バニョル・アン・フォレ』 全景
また
エストレル海岸の後背地で『山のプロヴァンス』に戻ろう
「サン・トロペ」や「エストレル海岸」
から直線距離で
山側(北)へ10km〜20kmほど引き返すと
プロヴァンスの起伏の中に
ほとんど知られていない個性溢れた村々がある
※ ※
まず海から一番近いところで
『Bagnole-en-Forêt バニョル・アン・フォレ』
という村から始めてみよう
それほど斜面ではない立地で
一番外れを
教会が占めている
『Eglise Saint-Antonin 聖アントナン教会』
その中央の入り口の横に
ユニークなものがある
『Chapelle Notre-Dame 聖母の礼拝堂』
ルルドの
あるいは
サント・ボームの
聖地の『洞窟』のような
不思議な礼拝堂
『Chapelle Saint-Denis サン・ドニ礼拝堂』
起源は8世紀
この形になったのは11世紀
『Chapelle Sainte-Anne 聖アンナ礼拝堂』
この村は
14世紀に地中海から遠征してきた海賊軍に散々略奪破壊され
85年間人も住まぬ廃墟であったらしい
例のプロヴァンスの『ルネ王』により
領主権や司教権が整備され
14年代興南にやっと復興したという歴史があり
殊の外信仰心が暑かったのかもしれない
集落の中は
所謂プロヴァンスの小村
村の噴水
中心を外れると
こんな感じで静かになる
村の南側の断崖の下に小さな流れがあり
その谷間の反対側はもっと標高の高い山地となる
この山を登ると
標高450mほどのところに
古代ローマ以前の城塞集落跡があるのです
『バイヨンヌの城塞集落』と呼ばれている
『Oppidum de Bayonne バイヨンヌの城塞集落』
石器時代からの城塞集落跡を『Oppium』と言って
特に
ローマ以前の原住民族『ケルト族』のそれが
そう呼ばれる
ローマ以前の石積みの防壁が
二重に巡らされていた痕跡が残っている
向こう側が抜けて見えるこのアーチのようなカーブは
明らかに人の手で削られたものとわかる
この山の頂近くは奇岩が露出している
そのあたりに
古代ローマの遺跡も別に残っている
不思議な
岩の一部を丸く削った後が点々と
実はここ
ローマ人達の「碾き臼石」生産地だった
現場の固い岩盤を石臼の形に
切り出していた
太鼓状に切られた岩が
切り取られる前の碾き臼だろう
その「バニョル村」から北に4km
『Saint-Paul-en-Forêt サン・ポール・アン・フォレ』
という村があるがそこは飛ばして
『Saint-Paul-en-Forêt サン・ポール・アン・フォレ』
という村があるがそこは飛ばして
もう少し北まで行ってみよう
バニョルから10kmほど北側に
いくつもの美しい村がある
東から西へ
『カラス』『バルジュモン』『セイヤン』『ファイアンス』
『トゥーレット』『カリアン』『モントルゥー』
等々
※ ※
『Callas カラス村』
村の真ん中に教会
『Eglise Saint-Michel 聖ミカエル教会』
十字架型の教会の西側が正面扉口で
反対側の十字架頭部が丸くなくて平という
かなり変わった形
でも
中に入ってみるとしっかり半円形
白い石の鐘楼が眩しい
こんな小さな古い村ですが
周囲には
岩山と広い森とに囲まれていて
本格的なの住処にするお金持ちも多いと見える
こんなお屋敷もあります
※ ※
『Bargemon バルジュモン村』
この村は中央に教会
『Eglise Saint-Etienne 聖エティエンヌ教会』
四角い塔の上に
鐘のはいる部分の八角形の塔が乗る
正面扉口
正面の全景を写せる距離的空間はない
実はよく見ると
左のほうにもう一つ鐘楼があった
『Chapelle Notre-Dame de Montaigu モンテギュー家の聖母礼拝堂』
鐘楼の写真がないが
聖エティエンヌ教会の塔と同じ様な四角い塔の上には
八角形ではなく
鐘の入った四角い小型の塔が載っている
城壁や城門といった防御の部分の残っている
城壁を利用した建物
城門から中を覗く
別の城門
内側には噴水
別の噴水
上の二つの城門とは別の門を外から見る
内側から外を見ると
やはり村が高い位置にあることがわかる
城壁の外側に建つ建物
この
『エストレル海岸』の後背地の村々
もう少し続きます
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