巻頭写真 : ロクマリアケールの『悪魔の杖』
荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
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オーレから南下すること15km
ちなみにカルナックから東へ10km
モルビアン湾の様い入口の西側の岬の先端に著名な遺跡群がある
『Locmariaquer ロクマリアケール』村
Map by ⒸGoogleMap
基本的には
フランス最大のメンヒルと一つのテュミュリュス
さらに一つのドルメンが隣り合わせに一箇所
さらに別のドルメンとテュミュリュスが四箇所
ある
まず
フランス最大のメンヒルとテュミュリュスとドルメンとがある『Er-Grah』という場所
『Tumulus de Er-Grah』
最初は下の写真の小さな円形のケルンだけだと思われていた
紀元前4500年頃のより小さなケルンを
前4300年頃に周囲を覆って長大なこの形のものに作り直されたらしい
それすらもすでに充分荒らされていた
それが
周辺に散らばる石片が
その小さなケルンの南北を延長した巨大なテュミュリュスの残骸
であることがわかった
紀元前4000年ごろと推定されており
少なくとも140mの大きなものであったようだ
全長170mあっただろうという人もいる
そして原型がわかるブルターニュ最大の
ということはフランス最大のメンヒルが
隣り合わせに
左端にテュミュリュスの石の塊があり
右端にそのメンヒルが
ただ残念なことに
ここのメンヒルも四つに折れて地上に寝ている
『Men-er-Hroëc'h (Grand Menhir Brisé)』
先端から三切片
折れている四つの部分全部は一度に画角に入れられなかった
根元から三切片
このメンヒルが折れていなければ
全長20mで
総重量は280トンの一枚岩
地中に3mほどの基礎の部分が埋まっていただろうと言われている
紀元前3900年頃と推定されている
この辺りにあった50mほど並んだ列柱の起点となっていた
最大のメンヒルだった
建設後300年ほど経って不明な理由で
他のメンヒル共々倒されてしまったらしいことがわかっている
通常は「Grand Menhir Brisé(壊れた大メンヒル」と呼ばれるが
地元の呼び名の「Men-er-Hroëc'h」は
ブルトン語で『魔女の杖』を意味する
パノラマで撮ると全部入るが
逆に大きさが伝わらないのでつまらない
一応
巨大テュミュリュス跡と悪魔との2ショット
次に
すぐ近くにもう一つ
『Dolmen de Table de Marchands 商人(あきんど)の商品棚』
と呼ばれるドルメンもある
『Dolmen de Table des Marchands』
これは7mほどの玄道を持つケルン(テュミュリュス)で中にも入れる
テュミュリュスなのに
なぜ「商人の商品棚」ドルメンと呼ばれるかというと
実は100年前まではドルメンだった
19世紀後半の絵葉書
こんな形をしていたから地元では「あきんどのテーブル」ドルメン
と呼ばれていた
しかも上蓋の巨大な石は
上で挙げた魔女の杖の一片であったらしい
写真で人が座っている部分が小さなケルンだったので
このテーブルも近くに散らばっていた石を集めて綺麗に積み直してしまった
玄室は見事な線刻文様が施されている
では
同じ「ロクマリアケール」の域内の
次の場所に移ろう
『Les pierres Plates レ・ピエール・プラット』
直訳して「平らな石(複数形)」
『Les Pierres Plates』
ここは
一つのメンヒルと
一つのドルメンの組み合わせ
確かに
ドルメンの上蓋の部分は平らだ
基本的には
小さなケルンで覆われた「Allée Couverte アレ・クヴェールト(覆われた通路)」の形
26mほどの長さがあり今は上蓋は50枚ほどだが
作ら手た当時は70枚ほどあったらしいと推定できるそうだ
今は玄道はそれほど奥深くはない
玄室には線刻画が見られる
棕櫚の枝のような文様
これは盾だろうか
もう一箇所
『Dolmen de Mané-Lud ドルメン・ド・マネ=リュッド』
民家のすぐ近くにある
玄道は鉾のほとんどのドルメン(アレ・クヴェール、テュミュリュス)と同じように
おおよそ南北を向いている
長さは約5m
玄室の天井を形成する蓋は8m以上の長さがある
舟や鳥や斧などと思しき線刻画があちらこちらに見られる
玄室から玄道を振り返ると
がっちりと安定した構造がよく分かる
ここは
見るからにテュミュルスだが
地元では昔からドルメンと呼ばれてきた
地元の道路標識
次の一箇所
『Tumulus de Mané er Hroëc'h または Dolmen du Ruyk』
「テュミュリュス・ド・マネ・エル・ホロェック 別名 ドルメン・ド・リュイック」
周辺の光景はこう
メンヒルはともかく
ドルメンやそのヴァリエーションのケルンやテュミュリュスは
ナポレオンの命で詩人のメリメが遺跡の全国調査を行って
「文化財」という発想が生まれるまでは
中世がおわた頃から荒らされ放題でむき出しになっていたか
崩れて埋まって
こんな感じになっていたかのどちらかだったことが多かっただろう
玄道はかなり良好な状態で保存されているように見える
この玄道には10数段の階段で降りる
そして湾曲してさらに入り口らしきものがある
ということは
おそらくはるか昔に盗掘されて造られたトンネルを
さらに後世に補強し直したものではなかろうか
この玄室は5m x3m ほどもある
これだけ広い玄室だと
いろんな時代に
人が住んだり
物置に使われたり
ゴミ捨て場になったりしたはずで
崩れなかったことが奇跡的だと思われる
しかも
このチュミュリュスは
地表部は100m x 60m の規模で地上より8mほど高く盛り上げられている
ここも一つ前の「マネ・リュッド」と同じような形だが
ドルメンではなく
完全にテュミュリュスだと理解できるし
現地でもそう呼ばれてきた
最後にもう一箇所
『Dolmen de Mané-Rutual ドルメン・ド・マネ=リュテュアル』
ここは
「Er Grah」から200mほど離れた
村の中心地からすぐ
全長15m
全幅3,4m
全高1,2m
39個の側石で6枚の蓋石を支える
その上蓋の中で一番規模が大きなものは
なんと長さ11m
重量40〜50トン
玄道の長さ10m弱
前室があり
その奥に半円形の玄室をもつ
ここは
19世紀後半に重文指定とともに修復され
1936年に再度発掘調査と修復が行われた
その際
強度を保つために
一部をコンクリートで補強された
発掘調査の際に火打石や斧や土器などが見つかり
「Vannes ヴァンヌ」の街の「Chateau-Gaillard」の展示室に
展示されている
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