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プロヴァンスを巡ろう 40 三つの大修道院のあと二つ <ル・トロネ と シルヴァカーン>

2021-01-13 00:37:22 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Abbaye du Tholonet ル・トロネ大修道院』


プロヴァンスの三大「Abbaye 大修道院」
『Abbaye de Sénanque』
を既にご紹介した

あとの二つ
『Abbaye du Tholonet ル・トロネ大修道院』
『Abbeye de Sylvacane シルヴァカーン大修道院』
をご紹介しよう

「ル・トロネ」は
「サン・マクシマン・ラ・サント・ボーム村」から東へ40kmほど
近くで幹線道路を離れて間道を小さな村々を横切り
かなり広大な森をくぐり抜けて走る

入り口は小さな堀に掛かる橋を渡る小さな城門


塀で囲まれており
中は見えない


城門の落とし格子は開けないので
アーケードの中で右側を巻いて入る



ここを抜けて左に出ると
正面の格子の向こう側になる

ローマ帝国消滅以後
数多くの異民族の侵略があり
地中海の海賊にも
ノルマン人(バイキング)にも
修道院は豊かであるという前提で散々略奪を受けた

従って
重要な修道院は堀と城壁で防御する事が習いとなる


修道院は『Monastère モナステール』で「修道院」と訳す
志を同じくする
その修道会の規約を守る誓いを立てた者同士が
外界とは閉ざされた閉鎖空間で共同生活を行い修行する場

そこの院長が
Abbé (アベ)
という聖職位を持っていれば
Abbeye (アベイ)
と呼び「大修道院」と訳す



修道院の教会は「修道院聖堂」
修道院の各種施設の中の最大の建造物だ



正面からでは想像できない大きさがある


身廊部

内部が極めてシンプルなのは
この大修道院が
もっとも戒律の厳しい『シトー会』傘下の修道院であり
建築様式がロマネスクだから

例によって
回廊の一面の内側に
『Salle des Châpitres サル・デ・シャピィトル(運営会議の間)』がある



地盤の岩盤を残してあることがわかる

奥の開口部の向こう側が回廊
三つの開口部の高さが違うことにお気づきだろうか


この通路は三段の高低差でできている



手前の通路に段差がある
アーケードの奥の運営会議の間に
参加する修道僧のベンチが三段見える

そして
回廊の階段から上に上がると



『Réféctoire レフェクトワール(共同大寝室)』があることも
同じ
これを登って
途中で右に折れて登ると




右奥に出てくる
左端の階段は回廊の二階部に出る

それより
この「ル・トロネ大修道院」の際立った特徴は
回廊の敷地が均等の高さではなかった
という事


アーケードから反対側を見てみると
極めてはっきりとわかる



平面図上で四角い回廊を設計し
土地の起伏をそのままに
四本の通路を無理やり繋いだぞ
どうだ!
という様な強引さ


この三面
すべて地面の高さが違うという現実

それ以外は
作り方は極めて普通で
有るべき物は全て有った


回廊の一角は当然聖水盤がある
単に祝福用だけではなく
生活用水をここから調達していた様だ

 ワインを作って収入源にしていたのも
他の多くの修道院と同じ


絞る葡萄の房を入れる圧搾槽
下に
原液が流れ出てくる回収口がある



葡萄の房を上の圧搾槽に入れて
上から圧力をかける「圧搾用の重し」を上げ下げする
巨大な長い梃子の先端を受け止める部分

聖堂内部には成人の彫像もあった


極めて素朴なゴシック初期の聖母子像


この聖者様はどなたなのだろう


革命中1791年
最後に残った数名の修道僧が亡命し修道院としての機能は消滅
国家財産として接収されて競売
家畜小屋となる
1854年には国の重要文化財に指定されて
以後国有の文化財



20世紀入って
長雨の年に地盤低下が起こり
その後
建設当時の切石の採寸の不正確さと地盤の土砂崩れとの
ダブルパンチで
相当被害を受けてしまった







現在も鋭意修復中


見学を終えて引き返す
訪れた時に最初の外から見た城門は
内側から見るとこうなる
講師の門扉は格子で普段は上げないので
入った時と逆に左側を回り込んで
出るようになる

すぐ近くの村の路地に
おそらく村で一軒だけの小さなレストランがある
その前の
一抱えほどの丸石をはめ込んでゴロゴロ凸凹の石畳の道全体を
テラス席にしてあった



素朴な田舎の家庭料理のプロ版みたいな
美味しいお昼を食べられます

  
※  ※

三番目にご紹介するのは
『Abbaye de Sylvacane シルヴァカンヌ大修道院』

「エックス・アン・プロヴァンス」の北東20Kmあまり


修道院聖堂の正面の池に水蓮が咲いていた
この池は当時は食用の川魚の養殖池だった


この聖堂の特徴は
一番奥「内陣」が平らであること




従って当然
十字架型の頭部分(内陣)の外側
「外陣」も


平らだ

回廊 北側通路

回廊 西側通路

ここの回廊は
アーケードを支える柱にも全く何の装飾もない


極めて原始的な内庭になっている


Salle des Châpitres  運営会議の間

他方
この部屋の柱の一本は
最近の修復であろう


ここの回廊の一角の聖水盤は
実は井戸


共同大寝室も同じ構造


回廊から
この階段で共同寝室に至る


聖堂交差部の鐘楼は
壊れた訳ではなさそうだ


12世紀半ばの本体建立に遅れること数世紀
おそらく16〜7世紀に作り足そうとして
すぐさま中断してしまった様だ

この『シルヴァカンヌ大修道院』も
大革命で国有財産として競売処分となり
農場に成ってしまった

その後1840年に文化財指定を受け
早々に国有化されたが
修復や復元工事は1960年代になってから
やっと始まった


12世紀から13世紀に全欧に発展した『クリューニー会』修道会が
ゴシックの技術を起こし
発展させ
大規模大聖堂建設や華麗なステンドグラスの生産技術を確立して
教会文化が爛熟する

それを「退廃」だと批判して
結成されたのが
『シトー会』

精神も肉体も一切の虚飾を廃し
ひたすら修行に徹することを規約とした

『プロヴァンスのシトー派三姉妹』
と呼ばれてきた
『セナンク』『ル・トロネ』『シルヴァカンヌ』
三つの大修道院のうち
セナンク大修道院だけが
今日も修道院として機能している
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