ゲルニカの街中の『ゲルニカ』の複製
もう一度スペインに戻って
カタルーニアとは反対側
北西部の『バスク』に飛んでみよう
スペイン北西部とフランス南西部とにまたがる
『バスク』地方は
スペイン側の首都は「ビルバオ」
そして
現代史上最も象徴的な町が
『ゲルニカ』
バスク語表記『GUERNIKA=LUMO』
スペイン標準カスティーリア語表記『GUERNICA y LOMO』
時は1937年
スペイン バスク自治州ビスカイヤ県 『ゲルニカ=ルモ』
は
廃墟となった
4月26日の夜だった
スペイン全土を掌握しようとするファシストのフランコが
苦戦していた
反ファシストの人民軍『バスク独立戦線』との戦いを支援するために
ヒトラーは空軍部隊「コンドル部隊」を派遣し
徹底的な空襲を敢行
町は
ほぼ全滅だった
ヒトラーは
「バスク解放軍の仕業だった」
と
言い逃れをしたために世界中から怒りを買った
歩いていると
歩道に
こんなタイルがはめ込まれている
『バスク』という地名は
現地語で
「聖なる樫の木」
矢印の示す方向へ歩いて行くと
ドーリア式円形神殿で
大空襲で全滅した『ゲルニカ』の
町のシンボルだった
『樫の木』(当時4代目)
が
コンクリート処理をされて
保存されている
現在は「6代目」の樫
14世紀に町がつくられ
港を守る町の独立を領主が保障した
以後
ビスカイヤ伯爵
イスパニア国王
フランコ総督
バスク・ビスカイヤ自治州首相
たちは
即位の戴冠式や就任式の後
必ずゲルニカの町を訪れ
自治州議会議事堂で
『ゲルニカ』の自治権を守る宣誓式を
執りおこなう
その独立のシンボルとして
一本の樫の木が
歴史を超えて大切に守られ
枯れかかると
接ぎ木で代々伝えられてきた樫の木が
町の象徴とされているのです
自治州議会議事堂があり
広間の天井からは
シンボルの樫の木が
ステンドグラスの天井全体から
日陰を作ってくれている
自治州首相の
専用の椅子
未だに自治州議会が開かれる
議場
壁には
歴代ビスカイヤ伯爵
イスパニア王
自治州首相
の
肖像画が議場を見下ろしている
この議場に
議会開催中の写真が貼ってあった
現在
過去の不幸な破壊の傷跡は残っていない
あの石化した「樫の木」以外は
破壊以前と
ほぼ同じように再建された
中央広場
この建物の反対側に
『ゲルニカ平和記念館』(Museo des Pas de Guernika)
が設けられている
今回掲載したモノクロ写真は
この記念館からコピーさせていただいた
【閲覧注意】
この惨劇を前にして
1937年のパリ万博に出品を依頼されていた「パブロ・ピカソ」は
怒りと悲しみとを
全力でぶつけて
彼の代表作の一枚となる『ゲルニカ』を描き上げた
色彩のない
モノトーンで
人間の持つ
野蛮性や暴力を前にしての
無力感
悲しみ
怒り
嘆き
恐れ
などを
生々しく表現している
色彩なしで
おそらく
「牛」や「馬」で表されているのは
人間の
動物としての
「獣性」や「暴力性」や「野蛮さ」や「愚かさ」
つまり
「非文明性」「非精神性」
か
そして
人で表されているものが
精神を持った
動物とは違う人間の
「虚弱性」や「無力感」や
「恐れ」や「嘆き」や「絶望感」や「あきらめ」や「怒り」
など
「文明」「精神」
ではなかろうか
『日常と平和を奪う者』者の狂気
と
『日常と平和を奪われた者』の激情
もちろん
直裁的には
「幼い子供も含めてほぼ全員の市民」や「女子修道院の尼僧たち」
に加えて
牛馬ら「家畜」までが
命を奪われた事実から
家畜においてすら
不合理な暴力への悲しみや怒りが迸り溢れ出ている
と解釈する方が普通のようである
今現在
食べて
寝て
一応明日もあるはずの
生きている自分に感謝し
その
人間の本来の感情や精神の営みを暴力で叩き潰す思想や行動に
抵抗したいと
思った........
今回は、感情の赴くままに重たい内容になってしまったかもしれません。
これからは、明るい世の中で楽しく旅行できる喜びを、お伝えしたいと思います。
次回をお楽しみに
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