賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

全能者のため息

2019-08-31 22:42:15 | 職場の人間関係

   あなたの心の中には非常に大きな秘密がある。あなたはそのことにまだ気がついていない。なぜなら光のない世界でずっと生きてきたからである。あなたの心と霊はあの悪い者に取上げられてしまった。あなたの目は暗闇のせいで見えなくなり、空の太陽も夜のきらめく星も見ることができない。あなたの耳は欺瞞的な言葉で塞がれ、ヤーウェのとどろきわたる声も玉座から流れる水の音も聞こえない。あなたは正当にあなたのものであるすべて、全能者があなたに与えたものすべてを失った。あなたは終わりのない苦しみの海に入った。救出する力もなく、生き残る希望もなく、ただもがき駆け回ることしかできず…。その瞬間から、あなたはあの悪い者に苦しめられるように運命づけられ、全能者の祝福から遠く離れ、全能者の施しの届かないところにおり、後戻りできない道を歩いている。百万回の呼び声もあなたの心と霊を奮い起こす見込みはない。あなたはあの悪い者の手の中で深い眠りについている。悪い者は境界も、方向も、道しるべもない広大な領域へとあなたを誘惑した。それ以来、あなたは本来の純粋さと無邪気さを失い、全能者の気づかいを避けるようになった。あなたの心の中では、あの悪い者があらゆることにおいてあなたを操縦し、あなたのいのちになった。あなたはもはや悪い者を恐れることも、避けることも、疑うこともしない。代わりにあなたは悪い者を心の中で神として扱う。あなたは悪い者を祀り、礼拝するようになる。あなたと彼は物体とその影のように切り離せなくなり、生においても死においても互いに委ねあっている。あなたは自分がどこから来て、なぜ生まれ、なぜ死ぬのか全く知らない。あなたは全能者を見知らぬ人として見る。あなたは全能者の起源を知らず、ましてあなたのために全能者が行った全てのことなど知るよしもない。全能者から来るあらゆることがあなたにとって憎むべきものになった。あなたはそれを大事にしないし、その価値も知らない。全能者からあなたが施しを受けた日から、あなたはあの悪い者とともに歩いている。あなたは悪い者とともに何千年もの風雨を耐え抜いてきて、悪い者とともにあなたのいのちの源であった神に立ち向かう。あなたは悔い改めを一切知らず、ましてや自分が滅亡の淵に達したことなど知りもしない。あなたは悪い者があなたを誘惑し苦しめてきたことを忘れてしまった。あなたは自分の起源を忘れてしまった。そのようにしてきょうこの日まで、一歩一歩悪い者はあなたに害を与えてきた。あなたの心と霊は麻痺し、腐敗してしまった。あなたはもはや人の世の苦悩について不満を言うこともなく、世の中が不公平であるとは信じない。まして、全能者が存在するかどうかなど気にかけることもない。このようになったのは、あなたが随分前に悪い者を真の父と思うようになり、もはや彼から離れることはできないからである。これがあなたの心の中の秘密である。



   夜明けが到来すると、明けの明星が東に輝きだす。それは以前にはそこになかった星で、静寂な星空を照らし、人々の心の中で消された光を再び燃え立たせる。人々はこの光のおかげでもはや孤独ではない。この光はあなたも他人も同様に照らす。しかし、あなただけが暗夜に眠りについたままである。あなたには音も聞こえず光も見えない。あなたは新天新地、新しい時代の到来にも気付かない。なぜなら、あなたの父が、「我が子よ、起きなくてよい。まだ早い。外は寒い。外に出るな。剣や槍があなたの目を射抜かないように」とあなたに言うからである。あなたは自分の父の忠告だけを信じる。なぜなら父はあなたより年を取っており、あなたを心から愛しているので、父だけが正しいと信じているからである。そのような忠告と愛があるために、あなたはもはや世界には光があるという言い伝えを信じなくなり、世界にまだ真理があるかどうかを気にかけなくなる。あなたはもはや全能者からの救済を望むなどということはしない。あなたは現状に満足していて、もはや光の到来を期待しないし、言い伝えられる全能者の出現に注意することもない。あなたに関する限り、あらゆる美しいものは復活させることができず、存在することもできない。あなたの目には、人類の明日、人類の未来は消滅し、跡形もなくなっている。あなたは父の衣に必死になってしがみつき、共に苦しむことを気にせず、あなたの旅の友、長旅の方角を失うことを恐れている。広大でもやの掛かった人の世があなたがたの多くを作り上げ、この世の様々な役割を満たすことにひるまず屈せず立ち向かうようにさせた。それにより、死を全く恐れない多くの「戦士」が作り出された。さらには、自らの創造の目的さえ知らない無感覚で麻痺した人間の群れが次々に生まれた。全能者の目はこの苛酷な苦しみにある人類の一人ひとりを眺めている。全能者に聞こえるのは苦しむ人々の泣き叫ぶ声であり、全能者に見えるのは苦しめられた人々の恥知らずな有様であり、全能者が感じるのは救いの恩恵を失った人類の無力と不安である。人類は全能者の配慮を拒絶し、自らの道を歩くことを選び、全能者の目による詮索を避けようとする。彼らはむしろ深海の苦さを、最後の一滴まで、かの敵とともに味わう方を好む。全能者のため息は人類にはもはや聞こえない。全能者の手はもはやこの悲劇的な人類に進んで優しく触れることはない。全能者は何度も何度も奪還し、何度も何度も失う。このように全能者の働きは繰り返される。その瞬間から全能者は疲れ、うんざり感じ始め、その掌中にある働きを止め、人々の間をさまよい歩くのを止める…。人間はこのような変化の一切、このような全能者の行き来にも、全能者の悲しみと憂いにもまったく気づかない。

   この世界にあるすべてが、全能者の思いによって、全能者の目の下で、急激に変化している。人類が一度も聞いたことのない事が、突然到来する一方、人類が常に所有してきたものが、知らないうちに消え去ってしまう。誰も全能者の所在を推し量ることはできないし、まして全能者の生命力の超越性や偉大さを感じることなど到底できない。人には知覚できない事を知覚できるゆえに全能者は超越的である。人類によって捨てられたにもかかわらず人類を救う方であるゆえに全能者は偉大である。彼は生と死の意義を知っている。それだけでなく、自身が創造した人類の存在を司るのに適した法則を知っている。彼は人類の存在の基礎であり、人類を復活させる贖い主である。彼は幸せな心に悲しみという重荷を負わせ、悲しむ心を幸福で引き上げる。これらは全て彼の働きのためであり、彼の計画のためである。

   全能者のいのちの供給から離れた人類は、存在の目的を知らないが、それでも死を恐れている。支えもなく援助もないが、人類は依然として目を閉じようとせず、自らの魂を感じることもない肉の塊として頑なにこの世における下劣な存在を引きずっている。あなたはこのように何の希望もなく生き、他人も何の目的もなく生きている。伝説のあの聖なる者だけが、苦しみにうめきながら彼の到来を待ち焦がれる人たちを救う。この信念は知覚のない人々においてはまだ実現していない。しかし人々はまだそれを切望している。全能者は深い苦しみの中にあったこのような人々に慈しみを抱く。同時に、全能者は何の知覚もないこのような人々にうんざりしている。なぜなら、人間から答えを得るのに、あまりにも長く待たねばならなかったからである。全能者は探したい、あなたの心と霊を探し、あなたに水と食料を施したい、あなたを目覚めさせたいと思っている。それにより、もはやあなたが渇きと飢えを感じないようにである。あなたが疲れているとき、この世の荒廃のようなものを感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見守る者がいつでもあなたが来るのを抱擁して迎えるからである。彼はあなたのそばで見守り、あなたが立ち返るのを待っている。あなたが記憶を突然回復する日を待っている。すなわち、あなたが神から来たのであり、いつであったかは不明だが道に迷い、いつであったかは不明だが路上で気を失い、いつであったかは不明だが「父」ができたことに気づく日を。さらに、全能者がずっと見守ってきたということ、とても長い間あなたが帰ってくることを待っていたということに気づく日を。全能者は切実な思いで見守り、そして答えのない応答を待っている。全能者の見守りはきわめて貴重であり、それは人間の心と霊のためである。この見守りは無期限かもしれないし、それは終わりの段階にあるのかもしれない。しかし、あなたは自らの心と霊がたった今どこにあるのかを正確に知らなくてはならない。

 

その他の内容:

創造主の権威のもとでは、万物が完璧である


クリスチャンの証し-工場に入ってたったの2ヵ月で、私はどうやって工場長になったのか

2019-08-28 10:19:39 | 職場の人間関係

   社長は次のことを私に丁寧に言いました。「私と夫、息子3人で話し合った結果、あなたにXにある私たちの刺繍分はいらない工場の支配人になってもらおうと考えたの。安心してね。そこの給料はここより絶対いいから」。私は身に余る待遇に驚きながらも、「社長がそれほど私を信頼してくださるなら、自分の良心にかけて、やるべきことをしっかりやります」と真心を込めて言いました。

   自分が工場で働き始めてたったの2ヵ月で、社長から認めてもらったことを考えると、本当に感慨無量でした。この1件は、私が工場に入ったときのことから話さなければなりません。



工場で働き始めると、古参の従業員からいじめを受けた

   2014年夏、北京のある通りの刺繍工場で縫製工として働き始めました。最初の10日間はすべてが順調でした。11日目の朝、通りにある別の刺繍工場の従業員である小華が私のいる工場に働きに来ました。小華は30歳ぐらいで、北京で7~8年の刺繍経験があります。彼女はこの工場の仕事をすべて終えた後、別の刺繍工場に移り、臨時従業員になったのですが、その後、この工場でまた仕事が発生したので、戻ってきたのでした。このため、この通りの刺繍工場の従業員はみんな彼女のことを知っています。だから小華が刺繍工場の玄関に入ると、十数人の従業員が彼女を見て、笑いながら挨拶をしたのでした。

   しばらくして、小華は服の入ったカゴと木製の腰掛を持って来て、「ガタン」という音とともに、私の隣に座り、服を縫い始めました。彼女の左腕が私の右腕にくっついていたため、私は糸を全く伸ばせませんでした。彼女のふてぶてしい様子を見ると、嫌な気持ちになりました。「この人は人間性に乏しいのではないかしら?まったく思慮が足りない!この座席は工場が決めたものだよ。すべての従業員同士の距離は固定されていて、ちょうど糸を伸ばせるようになっていることを、知らないわけではないでしょう。私のそばに座るなんて、明らかに新人の私が服を縫えないようにして、いじめているのでしょう」。しかし、そのとき、自分は神様を信じる者で、クリスチャンの見本を表さなければならず、人と争うべきではないと考えました。そして私は自分の腰掛を後ろに移し、身体を傾けて糸を伸ばせるようにしました。私は心の中で「あなたに譲ってあげたのだから、これで問題ないでしょう」と思いました。しかし信じられないことに、私が腰を掛けて服を縫おうとすると、彼女は私の前の上方にあるライトを消したのでした。ライトが消えると、全く仕事になりません。私は腹からこみ上げる怒りに耐えました。「いじわるにもほどがある」。しかし、私は心の中の怒りに耐え、笑いながらこう言いました。「私もあなたみたいに若い頃はライトを付けなくても見えていたのだけど。今はこんなに年を取ってしまってね。ライトを消してしまうと、針と糸がはっきり見えなくて、仕事がしにくいのよ」。私はしゃべりながら、身を起こして蛍光灯を付けました。しかし彼女は信じられないことに、怒って「ガタン」と音を立てて、ライトを消し、私を非難しました。「白昼からどんなライトが必要なのよ?ライトがないほうがまだいいよ!」。

   神の御言葉によって、怒りをしずめる

   彼女のふるまいで、私は怒り心頭でした。心で次のように考えるのを禁じえませんでした。「私は神様を信じているから、こうやって2回も譲歩してあげたのに、まだ付け上がって来るなんて思いもしなかった。本当に分別がない。あなたのふるまいのことで、社長を呼びさえすれば、私のためにきっと正当なことを言ってくれる。私が声を挙げずにいじめられるままだったら、周りの人からどう見られるかしら。笑われでもしたら、とても情けないじゃない!メンツを取り戻さなきゃ。どうあっても、いじめられてはいけない!」。考えれば考えるほど怒りがこみあげて来て、彼女に言い返そうとしました。そのとき、神様の御言葉を思い起こしました。「サタンによって堕落させられるまで、人はもちろん神に従い、神の言葉に従っていた。人はもちろん健全な理知と良心を持っており、人間性も正常であった。サタンによって堕落させられた後、人が本来持っていた理知、良心、人間性は鈍くなり、サタンによって損なわれ、したがって人は神に対する服従や愛を失った。人の理知は異常になり、性質は動物の性質と同じになり、神に対する反抗はますます頻繁になり、深刻になっている。しかし、人はまだこのことに気づかず、認識せず、単に盲目的に反対し、反抗している。」神様の御言葉で私は理解しました。神様が最初に創造した人間は神様の話を聞き、神様に従順で、良心を持っていました。しかし、サタンによって人は堕落した後、サタンの毒が私たちの心に入り込み、私たちの命になってしまいました。私たちがこれに従って生きることで良心を失い、自己中心的で、傲慢で、卑しくなりました。何をするにも自分の利益を原則とするようになり、普通の人間関係を失ってしまいました。考えてみれば、小華が最初に私をいじめたとき、忍耐して気にしないようにできました。しかし、もう一度いじめを受け、自分のプライドと、利益が損なわれると、私は許容し忍耐することができなくなり、怒りに任せて彼女に言い返したくなりました。しかし、それでは、神様を信じない人と同じことです。ここまで考えると、すごく恥ずかしくなりました。

   続いて、私は神様の御言葉をまた思い出しました。「人々にすべてが起こるのは、彼らが神に対する証しに固く立つことを神が必要とする時である。当面、あなたには重要なことは何も起こっていないし、あなたは重大な証しはしていないが、あなたの毎日の生活の詳細はすべて神への証しに関連している。あなたが兄弟姉妹、あなたの家族、あなたの周囲のすべての人から称賛を得られたら、また、いつか不信心者が来て、あなたの行うことのすべてを称賛し、神の行うすべては素晴らしいことがわかったら、その時、あなたは証しをしたことになるのである。」今日起こったことは神様が許されたことであり、異邦人の中で神様のために証をするチャンスでもありました。私はクリスチャンとしての模範を表すべきであり、自己中心的な本性によって物事を行うことでも、怒りに任せて小華と争うことでもないのです。私はここまで考え、もうライトをつけるのをやめ、彼女にも言い返すのもやめました。その代わり、自分の腰掛とカゴを玄関口まで運び、日光を借り、服を膝の上に乗せて縫製作業をしました。服を縫いやすくはなかったですが、自分が神様の御言葉を実行し、神様のために証をしているだと考えると、心には癒しがありました。この日は1日、彼女はもう私に構ってくることがなかったので、私はこの件はここで片付いたと思いました。

   サタンの計画に打ち勝ち、しっかりと立ち、証をする

   2日目の朝、私は刺繍工場に来たとき、前日の座席が空いているのを見ました。しかし、小華が今日も仕事に来ることを考え、やはり玄関口辺りで縫製することにしました。彼女はその日遅く来ました。そのときには、前日の場所は他の従業員がもう座っていました。すると彼女は信じられないことに、腰掛を持って、カゴを提げて私の右隣に座ったのです。前日と同じことがまた繰り返されました。彼女の左腕が私の右腕に当たり、糸を引くことができません。私は心の中でこう思いました。「昨日、譲歩してもまだダメだというの。今日もいじめてくるなら、人間性が欠落している。あなたみたいな人は見たことがないよ」。腹から怒りがこみ上げ外に吐き出したくなりました。彼女と口論しようかと思いました。しかし、神様の声が私にはっきりと示しました。「あなたが毎日行うこと、日々出会う人々でさえわたしの手で定められたものである。…」。私は心の中で祈りました。「神様、日々の人や物事はすべてあなたが備えられたもので、私に近づくことを許されました。この人はこのように何度も何度も私をいじめます。ここにあなたの御心があるに違いありません」。神様はこう話されました。「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。…神があなたに対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある―その背後にはすべて戦いがある。」神様の御言葉で分かりました。外から見ると、彼女が自分を困らせているが、実際は霊的にサタンが悪いことを図っているのです。前日、私は神様の恵みで、真理を実行できました。しかしサタンはそれに不服で、続けて私を試みる状況をセッティングしたのでした。小華は私の隣に座り、私が糸を伸ばせないようにすると、私の稼ぎは少なくなります。しかし、多く稼ぎたいがために、小華と言い争いをしたら、証を失ってしまいます。

   神様の御心が分かった後、サタンの悪い計画を見破り、理性と英知を持って、許しと忍耐を表して、神様の証人とならなければならないことに気づきました。私は椅子を後ろに移し、もっとドアに近づいて、糸を伸ばせるよう、身体を傾けました。小華は私を見ても声を出さず、もう何もしなくなりました。

   真理を実行し、古参の従業員から敬服される

   私が新しいモデルの服を縫製しているとき、偶然にも小華の表目の編み方が違っていることに気づきました。縫った服は必ず不合格になってしまいます。しかし彼女自身はまだ気づいていませんでした。私は「こんな表目の編み方だと、縫ってもやり直しになるに違いない。社長の基準を全くクリアできないだろう」と考えました。案の定、社長が間もなく検品にやってきて、小華が縫った服のポケットを見て、「ダメ。不合格。ポケットの縫目がはっきりと見えてしまっているじゃないか。縫目が見えないようにしないといけないよ」と言いました。小華は糸を抜いてやり直しをするしかありませんでした。社長はまた、私の仕事を見て、笑いながら、「これでいいですよ!」と言いました。私は心の中で喜びました。「あなたはすごいんじゃなかったの?私をいじめるんじゃないの?これで、もう私にかなわないでしょう!やり方は教えてあげないから」。私は引き続き服を縫製していましたが、時折小華を見ていました。彼女はまだ従来の間違った表目の縫い方をしていました。彼女は針を抜いては入れ、抜いては入れを繰り返し、何度も見ていましたが、どうやって縫っていいのか分からず、服を持って社長に聞きに行きましたが、彼女を叱る社長の声だけが聞こえました。「ダメ。糸を抜いてもう一度やり直しなさい。どうしたことかね?(私を指して)あの子を見なさい。新人でもよくできているじゃないか。どうやって縫うのか彼女を見てみなさい!」。小華は頭を垂れて、落ち込んだ様子で、私のそばに来ました。もう前のような高慢さはありませんでした。私はそれとなく喜んでいました。「どんなもんだい。社長から見ると、あなたは私にかなわないのではないか?よくも私をいじめ、辱めてくれたね。きょうはあなたの番だよ」。小華は仕方なく、糸を抜いて縫い直し始めましたが、やはり縫い方が間違っています。しかし、彼女はどうしていいのか分からず、顔は苦しさ で赤くなっていました。このポケットはすでに2度も糸を抜いており、もう一度失敗すれば、縫うのはもっと難しくなります。その時、私は良心の呵責を感じ始めました。「この服は今日入ったばかりの新しい服で、彼女は正確に縫えないが、私は縫える。私が彼女に教えるべきでしょう。どうして自分は彼女に教えず笑っているの。もし違う人だったら、最初に間違いを見ると絶対に教えるのに。よくよく考えてみよう。彼女に教えないのは私をいじめていたからか?」。

   私は生命に入る交わり を思い出しました。「現在、すべての人の人間関係は異常です。 その主な理由は、人々がサタンによって非常に深く堕落させられているからです。 人々は自分自身と自分の肉のために生きています。他の人のことを思いやることがまったくなく、人間として持っているべき愛情さえありません。人々は互いに争い合い、画策し合い、しかもそれをおおっぴらに公然と行うのです。正常なやり方で人類が互い仲良くやっていくことはありません。人間が持っているはずの良心と理性は、地球上から消えてしまいました。人類の間に協力の精神はありません。僅かばかりの忍耐さえないのなら、人々はお互いに敵対するでしょう。人間の心は、悪、対立、敵意、そして不和でいっぱいです。 それはまるで、人には人間の似姿がないかのようです。人は完全にサタンによって所有されており、人の心の中はサタンの哲学で満たされています。」この交わりについて考えたとき、自分の汚い性質を自覚しました。以前、彼女が私をいじめていたとき、彼女と争わず、寛容と忍耐を表したと思っていました。しかし今、彼女が助けを必要としているとき、愛の手を差し伸べるどころか、彼女の不幸を楽しみ、自分のプライドのため喜んでいました。それでは、以前、私は自分の嘘の姿を表していたのでしょうか?私が表したのはサタンの汚れた性質でした。まったく愛がなく、普通の人としての良心を持っていなかったのです。私はこのことを知り、本当に自責の念にかられました。自分は神様が求める人としての基準にほど遠かったのです。神様は今日、私を人の群れの中に入れています。私は人の中で神様の証人となり、神様の栄光を表さなければなりません!

   そこで、私は進んで笑いながら小華に近づきました。「小華さん。表目の縫い方が間違っているよ。これでは縫っても縫い直さないといけないよ」。そう言って、彼女に縫うコツを教えてあげました。彼女は試してみると、すぐにポケットを縫い終わりました。縫い終わった後、私に見せ、尋ねました。「このように縫ったけど大丈夫?」。「これでいいよ!」。彼女はとても喜んで、また縫い始めました。このシーンを見たとき、真理を行うことで人が利益を得ることで、自分もそれを味わい楽しめるということを心から感じました。昼食のとき、小華は私を見ると別人のように、急いで魚と豆腐の煮物をボウルから取り分けてくれました。そして笑顔で私にこう言いました。「お姉さん、多く食べてね」。それ以降、彼女は毎日、工場の玄関に入って私を見ると、ニコニコして「袁姉さん、もう来ていたの!」と声を出します。彼女ははっきりと私に謝っていません。しかし私は彼女の態度はすでに変わっていることを知っています。私は心の中で本当にうれしく思いました。その後、数日もたたないうちに、彼女は前の工場で仕事が発生したため、そこに戻っていきました。この時、私の座席の斜め前の年配の女性が私に次のように言いました。「ねえ、私はあなたに味方したいけど、彼女はあなたにひどく当たっているのに、どうして彼女を助けるの?もし私だったら、彼女に遠慮しないのに!」。私は笑いながら言いました。「私たちはみんな外に働きに来ていて、一緒に働けるのも縁でしょう。だから、ちょっと譲歩するぐらい何でもないですよ!」。私は心の中ではっきり分かっていました。自分の人間性、寛容、愛する心を表せるのは、神様の御言葉が私の内で働くからです。私自身は決して良い者ではありません。

   社長は、私と小華の間の出来事をすべて知っていました。ある日、彼女は私にこう言いました。「袁さん。あなたは優しくて、人柄が立派だね。優しい人はどこに行ってもウケがいいものだよ」。それ以降、社長は、稼げる仕事を私に回してくれるようになりました。その上、他の従業員の縫製に間違いがないかどうかチェックするよう、私に頻繁に言いつけるようになりました。そして工場の従業員たちは私のことを「先生」と呼び始めました。この当時の経験について考えると、真理を実行し人の模範になる上では、プライドが傷つき、悔しい思いをすることもあるが、後になって、そんなことよりずっと大きいものが得られるのだということを本当に体験したのでした。神様の実際的な導きにより、私たちはどのように善で悪に報いるべきか知り、人の見本としてどのようにふるまうべきなのか知るのです。


職場話題・仕事を維持する良い方法

2019-08-27 08:46:46 | 職場の人間関係

   私は最初アメリカに来た時、言葉の壁が原因で、レストランのキッチンスタッフの仕事を見つけるのにかなりの時間がかかりました。しかし、ボスはとても気性が荒い人でした。彼は新規スタッフおよび前からいるスタッフに対しても、誰かのミスを見つけた場合、またはスタッフが彼の気に入らないことをした場合には怒鳴りつけたり、その場でそのスタッフをクビにしていました。私も最初は彼によく怒鳴られました。

   私はレストランで特定の料理をいくつか担当していました。一度、ボスが私を試そうとしてこう聞いてきました、「メアリー、糖醋排骨(甘酢骨付き肉)のレシピは何だ?」私はとても緊張して、声が小さくなり、材料の1つを忘れてしまいました。すると、ボスはすかさずへらを自分の手に叩き付けて声を上げました、「何で俺はこんなバカを雇ってしまったんだ……」私はボスの厳しい言葉にとても傷つきましたが、あえて何も言いませんでした。キッチンにいた6人の中から誰かが毎日叱られ、その内3人は仕事中のミス、またはボスの気に入らないことをしてクビになってしまいました。私はそれが特に心配でした。毎日、私は職場に行くと神経が過敏になりました。そして、ミスを犯して皆の前で叱られることや、クビになることまで心配した私は全てを慎重に行いました。



   ある日、私はトレイいっぱいになった洗いたての皿を棚に置きに行ったのですが、突然足を滑らせて、抱えていた皿をトレイごと地面に落としてしまったのです。私は皿がたくさん割れたのを見て唖然としてしまいました。私はこう思いました、「これで終わりだわ、もうたくさん皿を割ってるから、ボスにばれたら間違いなくクビだわ。同僚も以前似たようなミスをしてクビになっていたわ。」私はこう考えるだけでも怖くて、どうしていいのか分かりませんでした。私のやらかしたことを他の同僚たちが聞いた時、その数人は「なんでそんなにそそっかしいのよ?いくら取られるか分からないわよ」、と言ったり、他の人たちは「もう、これで決まりね。メアリーは確実にクビだわ」、と言っていました。皆がこう言ったのを聞いて、私は、「この仕事を見つけるのは苦労したし、ボスに本当にクビにされたら、どうやって生活していけばいいの?」、と更に心配になりました。私は英語が下手だし、他のスキルもないし、他の仕事には就けないと分かっていました。その時、私の同僚がこう言いました、「ほら、これ片付けましょう。ボスにばれないようにしなきゃ。じゃないと、どんなにキツイ仕打ちを受けるか分からないわよ、メアリー。」料理長も駆けつけて来てこう言いました、「みんな、急いで、片付けを手伝うんだ。ボスに知らせる訳にはいかないぞ!」こうして私の同僚全員が片付けに取りかかってくれたのです。数人が床を掃いて、他の人たちが割れた皿の破片を拾ってくれている時、私は怖くなって、困惑ました。そして、私もできる限りごまかそうとして同僚が掃除するのを手伝いました。

   しかし、私は床にしゃがんで数分間掃除をした後、心の中がとても気まずくなりました。私はクリスチャンです。私は明らかに皿を割ってしまったにもかかわらず、ボスに嘘をつこうとしました。これは欺瞞行為です。これは神の御心に適っていません。そして、私は神のこの御言葉を思い出しました。「正常な人間のように行動するということは、筋の通った話をするということである。然りは然り、否は否とだけ言いなさい。事実に忠実に、適切な話しかたをすること。ずるをしたり、嘘をついてはならない。」「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。……当面、あなたには重要なことは何も起こっていないし、あなたは重大な証しはしていないが、あなたの毎日の生活の詳細はすべて神への証しに関連している。あなたが兄弟姉妹、あなたの家族、あなたの周囲のすべての人から称賛を得られたら、……」

   神の御言葉を熟考し、私はこう気が付きました。「私はクリスチャンです、そして正直であり、嘘をつかないことは神から私たちに対する要件です。何か過ちを犯したなら、私は勇気を出してその責任を取る必要があります。なぜなら、そのように生きてのみ、私は人間らしさと尊厳を手にすることができるからです。この事件は表面的には私が皿を割ってしまっただけのことであるように見えますが、今回起こったことは私に対する試験なのです。神は側で私が真理を実践して正直になれるかを見ておられ、サタンも私が何を選択するかと待ちながら私のことを見ているのです。もし私が個人的なメリットを守ろうと試み、ボスに叱られることを恐れ、または解雇されることを心配していたら、偽りを使って対応し、神の証言をし損なってしまうでしょう。サタンは神の前で私を非難し、それが神の御名を傷つけることにもなるでしょう。それは、私が神を心から信仰する者ではないことを示してしまいます。こう考えた後、私の心の中は明るく晴れました。私は断固たる姿勢で神の証言をする必要があったのです。ボスが来た時、私は自分の犯したミスを認める心構えができていました。

   この瞬間、私の手は動きが止まり始め、それを見た料理長がこう言いました。「メアリー、急いで片付けるんだ!ボスがもうすぐ来るぞ。」料理長がそう言ったのを聞いた時、私はまだ内心ビクビクしていましたが、それでも神の御言葉通りに振る舞って、正直に話す決意をしました。私はクビになっても、叱られても、文句を言わないと決めたのです。

   私たちが掃除をし終わった後、私は料理長が破片をゴミ箱の下に隠しているのを見ました。私はこう言いました。「隠さないでください。ボスが来たら、私は正直に話して、値段がいくらでも払います。」私がまだ喋っている最中に、料理長が割り込んで心配そうに言いました。「メアリー、一体どうしたんだ?ボスに話すのか?そんなのクビにしてくださいって言っているようなもんだぞ。この仕事を失ってもいいのか?今仕事を見つけるのがどれだけ大変か知らないのか?破片をボスから隠すのを手伝ってあげるから、そうすればボスはお前を困らせたりしないよ。」私はボスに話すと決めていたので返事をしませんでした。

   10分、20分と、時間はゆっくりと過ぎていきました。私は頭の中でボスの恐ろしい表情を思い描いてしまい、また緊張してビクビクし始めました。私は、神の要件は私たちが正直な人になることであると分かっていましたし、皿をたくさん割ってしまったことをボスに話したかったのですが、どうしてもクビになることが心配でした。「どうやってボスに説明するのが一番いいのかしら?」私は上手く言わないと間違いなく以前と同じくらい、またはそれ以上に叱られると確信していました。私は考えれば考えるほど、増々困惑していきました。あっと言う間に一時間が経ち、ボスが今にでも来るという時に、私はまだどうやってボスに説明するのかを決められていませんでした。私は心の中で祈ることしかできませんでした、「神様、私は怖いです。私は今日、真理を実践するために、ボスに心を開いて正直に話す必要があると分かっています。しかし、真実を話すことを考えると、どうしてもクビになることを心配してしまいます。神様、どうか私に自信と力をお与えください、そして私が自分のメリットを考慮せず、あなたを満足させるために真理を実践できるようにしてください。」こう祈りを捧げた後、神の御言葉のある節が突然私の頭に浮かびました。「人の心と霊は神の手の中にあり、人の生活全ては神に見られているのである。あなたがこのことを信じようと信じまいと、生けるものも死せるものも、ありとあらゆるものが、神の思いによって、移ろい、変化し、新しくされ、消え去るのである。これが、神が万物を支配する方法である。 」神の御言葉の御導きと啓蒙を受け、私の心は明るく晴れました。そうです、神は全ての物、出来事、そして人々を支配されておられるので、ボスの考えと私の仕事もその両方が神の御手の中にあるのです。私が職場に残ることを神がお許しになるのであれば、ボスは私をクビにはしないでしょうし、私が解雇されるのであれば、神はそれをも許可されたということであるため、私は単純に神の御采配に服従するべきなのです。これに気が付いた後、私の心はとても静まり落ち着きました。

   一時間後、ボスがやって来ました。そして、私は心の中で神に祈りを捧げ、サタンの邪悪な力を打ち破って真理を実践できるような力を求めました。神に感謝します。私はボスの姿を見た時、どこから力が沸いてきたのかは分かりませんが、こう言いました、「ボス、今日、私はミスを犯してしまいました。」私の言ったことを聞いたボスは、怒らなかっただけでなく、うっすらと笑みを浮かべながら「何をやらかしたんだ?」、と言いました。私はゴミ袋を開けてこう言いました、「誤まって皿をたくさん割ってしまいました。ここに入っていますから、いくらの損失になるか確認していただいたら、私の給料から引いておいてください。」ボスは私の所にやって来て、袋の中の割れた皿を見た後に普通の口調でこう言いました、「弁償する必要はない、皿が割れただけじゃないか、どうでもいいよ。そんなことより、手を怪我してないといいけど。これからはもっと気を付けてくれよ。」そして、彼はもう一度私に怪我がないかと聞いてくれました。私はびっくりしたと同時にボスの言葉を聞いて嬉しくなりました。私がミスを犯した後に、あの気性の荒いボスがこんなこと言うなんて信じられませんでした。

   その瞬間、私の同僚全員が唖然とした表情で私を見ました。彼らは私が本当に進んで自分のミスをボスに認めるとは想像もしておらず、私もボスが私に罰を与えないだけでなく、優しく話してくれるなんて全くの予想外でした。料理長は私と一緒にゴミ出しをしていた時、歩きながら私にこう言いました。「お前は一体何を考えていたんだ。このことはボスに言わなくてよかったのに。俺たちはボスがお前に冷たいことを知ってるから、助けてやるつもりだったのに。俺たちがボスに喋ってしまうって心配してたのか?」私は真剣な口調でこう言いました、「いいえ、あなたが本当に私を助けようとしてくれていたことは分かってました。でも、私はクリスチャンだし、神は私たちに正直になり、現実的に物事を行い、決して人を欺いてはならないと仰ったのです。私たちは過ちを犯したら、勇気を出してそれと向かい合って、それに耐える必要があるのです。それは、クリスチャンが生活の指針とする原則なんです。」料理長は驚いてこう言いました、「お前はクリスチャンなのか。どうりで、お前とは長い付き合いだけど、お前は他の人と違っていい人だなあっていつも思っていたんだ。お前のこと、本当に尊敬するよ。神を信仰することはいいことだな、俺も将来それについてお前からもっと勉強したいよ。」料理長がこう言ったのを聞いて、私はとても嬉しくなり、心から神に感謝しました。これは私が善良な人である故のことではなく、神の御言葉が私にもたらしてくださった効果なのです。

   私が更に驚いたのは、あれ以降、ボスは私に怒鳴らなくなった上に、店が新しいスタッフを採用しようとする度に、私と相談して私の意見を考慮してくれるようになったのです。彼は更に私の給料を上げてくれました。今回の事件は、私が直面する全ての状況、そして私が遭遇する全ての人、出来事、そして物には神の御心が込められており、神はこれらの状況を使って私たちに更なる真理を御啓示くださるということを私は理解することができました。私たちは神の御要件に従って行動すれば、神の御導きと祝福を目の当たりにすることができるのです。神様に感謝します!


ネット上の話を鵜呑みにして、主のお迎えのチャンスを逃しかけた私(II)

2019-08-12 22:03:52 | 職場の人間関係

   その後、映画の主人公であるシャオイーがこのように語っている場面を観ました。「なぜ中国共産党は全能神教会を人間の組織だと言うの?なぜ受肉された神様には触れないの?『言葉は肉において現れる』のこともそうだ。中国共産党は全能神が表した真理を恐れているからさ。共産党は知ってるんだ。全能神の信者はみな『言葉は肉において現れる』を読んで全能神を受け入れたって。だから全能神教会が人の手によって創られた、人による組織だなんて言いふらすんだ。終わりの日のキリスト・全能神の出現と働きを隠して、この男性に注目を集めようとしてる。人々が神様を信じて従うのを止めさせるものだ。それが本当の目的だよ。事実を捻じ曲げ、神様が働きをなさる教会を人間の組織だと言う。そんなの神様の教会を弾圧するための言い訳さ。中国共産党はとことん狡くて邪悪だよ。」

   その瞬間になってようやく、中共政府がいつも「全能神教会は人間の組織である」と主張する理由がわかりました。これは、中共が全能神教会を抑圧するための口実であり、その悪しき動機が隠されていたのです。映画の抜粋シーンを観た後、リュウさんから3つの聖書の言葉が送られてきました、「そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。」(ヨハネの黙示録13:6)「この時代は邪悪な時代である」(ルカによる福音書11:29)「全世界は悪しき者の配下にある」(ヨハネの第一の手紙5:19)

   リュウさんはこのように話してくれました。「アダムとエバが神の御心に背いて善悪の知識の木の実を食べたため、人間は堕落してサタンの支配下で生きるようになり、サタンの邪悪な道を歩み、神に抵抗しています。全世界がサタンによって支配されてきたと言えます。ですから、この堕落した人類は、神の働きが到来してもいつも非難し、拒絶し、抵抗しています。主イエスが現れて働かれた時と同じです。この時もユダヤ教の祭司長、律法学者、パリサイ人がローマ政府と共謀して主イエスを十字架にはりつけにしました。終わりの日には、神の働きを為さって真理を伝えるために出現される全能神は宗教界からも中共からも非難と抵抗を受けられます。しかしサタンがいかに猛威を振るおうと、いかに神の働きを妨害して覆そうと、神の羊たちは皆神の御座の前に戻ります。これは神の権威によって決定されます。噂を流して神を非難し冒涜する人々は永遠に救われないのです。この点は疑いの余地がありません。神が世界を洪水で滅ぼし、ソドムを焼き尽くされた事実や、ユダヤ人がイスラエルから追放され、世界各地に離散した事実から、神の性質が聖く義にして、不可侵であることがわかります。神に抵抗する者は誰しも、神の義なる罰を受けなければなりません。一方、世界から拒絶され、非難されるほど、神の働きが為される可能性は高く、なお一層求めて吟味すべきものであることもわかります。真の道は古くから迫害を受けてきたためです。」刘さんの話はあまりにも反論の余地がなかったため、私は完全に納得しました。

   それからリュウさんは、『いのちの入りについての説教と交わり』の次の一節を送ってくれました、「真の道を吟味する際、特にウィキペディアに頼る人々がいます。彼らは『ウィキペディアに書かれていることは正確だ!』と言いますが、よく考えてみてください。ウィキペディアとは何でしょうか。この世のものに過ぎません。堕落した人間に書かれていないでしょうか。サタンの悪の力の一部ではありませんか。そこには真理があるでしょうか。そこに真理はありません。神に仕えるものではなく、神を畏れることは決してなく、神に証しされたグループではありません。どうしてそれを信じるのですか。嘘だらけのサイトです。嘘を広めています。サタンの政府が捏造する噂や嘘なら何でも、ウィキペディアは広めています。従って、嘘を広める組織ではありませんか。中国共産党が捏造する噂なら何でも、彼らが全能神教会の信用を傷つける手段なら何でも、ウィキペディアに掲載されます。つまり、ウィキペディアはサタンが嘘を広める道具で、サタンが人を欺く道具ではないでしょうか。それなのにどうして人々は真の道を調べるときウィキペディアを信じるのでしょう。この人々は何を血迷っているのか。この世が義であり公正であると信じているのでしょうか。政府や宗教界が『これが真の道だ』、『これが真の神だ』といった意見や主張を述べれば、この人々はその道と、その神を信じるでしょう。政府や宗教界が『これは真の道ではない』とか、『この神は本物ではない』と言えば、この人々はその道もその神も信じないでしょう。彼らは誰を信じるのかと言うと、政府を信じ、宗教界の言葉、宗教界の牧師や長老の言葉を信じています。ではこのような人は本当に神を信じているのでしょうか。彼らは神を信じていません。真理を認識しないため、神を信頼せず、神が本物であると信じず、神が真理であることを認めません。それ故に、そのような人が真の道を分析しようとすれば、サタンの嘘や噂を耳にするなり麻痺してしまうでしょう。この人は知的でしょうか。いいえ、違います。混乱しているのです。私の神への信仰には一つの原則があります。もし神であるならば、真理を伝え、人間を救うことができるはずです。それができれば私は信じます。私の神への信仰は揺らぎません。私たちが神を信じるのは真理を頂くためではないでしょうか。真理を得ることは、神を得ることです。真理を得なければ、あなたの信仰は失敗であり、何の役にも立ちません。真理を得て初めて、神を得ることができます。真理を得ずに、神を得ることはできません。」

   この話の一節を読んだ後、私は何だか恥ずかしくなりました。どの言葉も自分に向けられていたように感じて、こう思いました。「そうだ、ウィキペディアはこの世のものであり、その内容も堕落した人類によって書かれている。彼らは神を知らず、真理を持たず、神によって証しされた集団ではない。彼らが広めているものはあまりにも不純物だらけじゃないか。神への信仰と真の道の吟味において、俺はこの道に真理があるかどうかを確かめるべきだ。神のみが真理であり、道であり、いのちであり、神の働きのみが真理の表現なのだから。以前の私は、全能神の御言葉が真理であることは理解していたが、未だに中国共産党の噂や、権威があるとされるサイトに支配されていて、全能神の働きを吟味しようとしなかった。本当に愚かだった。中国共産党は全能神教会についての噂をたくさん捏造してきたし、ネットのプラットフォームは見境なく無分別にそれらを公開し、あちこちに転載している。それらが人々に及ぼす害は深刻だ。幸いにも、神が兄弟姉妹を通じて私を助け、導いてくださったおかげで私は惑わされていない。そうでなければ、主の再臨を迎えるチャンスを逃していただろうな。」

   私はリュウさんに尋ねました。「どうして神はこれらの噂が存在し、ネット上に溢れ、神の信仰者を欺いて害を及ぼすのを赦しておられるのでしょう。」

   リュウさんは、私が読むために神の御言葉の一節を送ってくれました。神の御言葉にはこうあります。「大きな赤い竜の国家にあって、わたしは、人々には測り難い段階の働きを実行し、彼らを風の中で揺れさせる。その後、多くの者が吹く風によって静かに漂い去る。まさにこれが、わたしが一掃しようとしている『脱穀場』だ。それがわたしの願いであり、それはわたしの計画でもある。というのは、わたしが働いている間に多くの『悪い者』が静かに忍び込んだからだ。しかしわたしは急いで彼らを追い払いはしない。むしろ、適切な時が来たら、彼らを追い散らす。そうしてはじめて、わたしはいのちの泉となり、真にわたしを愛する人々がいちじくの実やゆりの香りをわたしから受け取れるようにする。サタンがとどまる地、塵の地には、砂があるのみで純金は残っていない。だから、このような状況を見て、わたしはこのような段階の働きを実行する。わたしが獲得するものは砂ではなく、精錬された純金であることを、あなたがたは知らなければならない。悪い者がどうしてわたしの家に残っていられるだろう。」

   リュウさんはこのように話してくれました。「全能神の御言葉から、神が働かれる間にこれらの噂の存在を許されているのは神のご厚意と知恵によることが分かります。神の国の時代の働きは、神の人類救済のための経営計画を完了させるためのものです。神は、神を心から信じている人々の集団を神の国に招き入れ、偽の信仰者や空腹を満たすためにパンを求めるだけの人々を暴き、排除されます。主の信仰者は数多くいます。真の信仰者か偽の信仰者であるか、毒麦か麦であるかはどのように証明できるでしょうか。これらの噂は、神が人々を暴く働きを為さる道具の役割を果たしてきました。これは、神の知恵と全能性を十分に示しています。ある人が真の信仰者か否か、麦か否かは、この噂の嵐の中で暴かれるでしょう。これは脱穀場をきれいにするという神の働きであり、神の終わりの日の働きを受けた人は皆、この試験に合格しなければなりません。ここから、神の働きはまさに本物であり、非常に実際的で賢いことがわかります。終いには、完全に確信させる、神の義を称えるようになります。」

   神の御言葉を読み、兄弟の話に耳を傾けたところ、私は急に目が覚めて、神への感謝の気持ちがこみ上げ、自分のそれまでの歩みを思い出しました。絶望のふちに沈んでいた私を困難から救い出し、希望に満ちた米国という地に足を踏み入れるチャンスを与えてくださったのは神でした。そうして私は真のキリスト教徒になり、自由に神を崇拝しています。神の終わりの日の働きが私のもとに到来したとき、ウィキペディアの記事を盲目的に信じたためにサタンの噂の犠牲になるところでしたが、神が慈悲と恵みをかけ、兄弟姉妹を通じて思い出させてくださったおかげで、神の働きを求め、吟味して、救いのチャンスを掴むことができました。今では毎日神の御言葉を読み、神の働きを経験しています。兄弟姉妹と協力して神の国の福音を広めています。神の国の福音を広めるという本分を尽くすことができ、大変光栄に思います。神に感謝します。全能神にすべての栄光あれ。


職場の問題を解決する-お酒を諦める( II )

2019-08-05 19:10:38 | 職場の人間関係

 一度、私たちの会社のスタッフは祝日で休みの時がありました。私たちの部署の部門リーダーが私に電話をしてきてこう言いました、「今日は部門のメンバー全員が休みだなんて本当に素晴らしい。みんな出て来て軽く飲んでるんだ。みんな来てるのに、お前だけが来ていないじゃないか。出来るだけ早く来てくれよ。みんなで待ってるからな。」この言葉を聞いた私は心の中でこう思いました、「私はもう飲まないって決めたんだ。でも、行かないとはっきり言ってしまったら、部門リーダーは間違いなく不満になって、私は彼の面目を潰していると感じるだろう。でも彼らの言う通りにしたら、私は飲んだ後に苦しい思いをすることになる。一体どうするべきなんだろう?」そして、私は心の中で神に祈りを捧げ、私がこれまでのサタンの考えと観点を指針にして生きて行かなくてもいいように、自信と力を与えてくださるよう請いました。そして、私は彼にこう言いました、「最近私は仕事で少し疲れているので、ちゃんと体を休めたいんですよ。なので、今日は遠慮しておきます。」私の言葉を聞いた彼はがっかりしてこう言いました、「了解、でも今度飲み会をする時は、絶対来てくれよ!」

酒を飲む,人間関係,神の恵み

 電話を切った後、依然として落ち着かず、心配だった私は心の中でこう考えました、「今回は飲みに行かなくて済んだけど、次回また彼らは飲みに行こうと誘ってくるだろう。彼らと一緒に行くのをいつも断っていたら、私は彼らの面目を潰していると思われないだろうか?彼らは私のことをどう思うだろう?でも、行ってしまったら依然として酒を飲むことの苦しみから抜け出せないでいることになってしまう。」従って、私は神に祈りを捧げ、自分の心の中の考えを伝え、私を御導きくださるよう請いました。後に、私は神のこの御言葉を目にしました、「神との正常な関係を持たなければ、あなたが他の人たちとの人間関係を維持するために何をしようとも、また、そのためにいかに励み、いかに多くの労力を費やしたとしても、それは依然として人間の人生哲学に属するものであろう。あなたは、人々が自分を賞讃するように、人間の観点と哲学により、人々の間で自らの地位を維持している。あなたは、神の言葉に従って人々との正常な関係を確立してはいない。もしあなたが、人々との関係に重点を置かず、神との正常な関係を維持し、自らの心を進んで神に捧げ、神に従うことを学んだならば、全ての人々との関係も極めて自然に正常なものとなるであろう。…正常な人間関係は、自らの心を神に捧げることを基礎として成り立つのであって、人間の努力によって達成されるものではない。神なしでは、人々の間の関係は単なる肉の関係である。そうした関係は正常ではなく、情欲に耽溺することであり――それは神が嫌悪し、忌み嫌う関係である。」私は神の御言葉を受けてこう理解しました:「人々の関係は神の御言葉を実践することを土台に確立しています。それはお酒を飲んで維持することはできません。過去、私は昇給と昇格を手にしようと、常にお酒を飲むことを利用して同僚やマネージャーたちとの関係を維持したがっていました。しかし、私はその関係を維持すればするほど、増々疲れていきました。私は昇格できなかっただけでなく、沢山苦しい思いをしました。今、私は神を信じているので、物事を神の御言葉に従って捉え、神と適切な関係を築くべきなのです。それい、人々の関係はお酒を飲んで維持されているものではありません。人々がお互いに良い関係を持てていれば、それは一緒にお酒を飲まなくても変わらず良い関係になります。良い関係でなければ、一緒にお酒を飲んでも、悪い関係のままです。他人からどう見られようとも、私の全ては神の御手にあり、誰もそれを変えることはできないのです。」私は神の御心を理解したら、心が安心しました。

 翌日、私が仕事に行くと、皆は普段通りに挨拶してくれ、部門リーダーも私に怒ってはいませんでした。全てが普段通りに行きました。私は心の中で嬉しくなり、神の言葉に従って実践したから想像していたように皆から見下されるようなことにならなくて済んだと感じました。このようなことが数回あった後、皆が私を飲みに誘ってくることはなくなりました。

 一度、部門リーダーがまた仕事の後にお酒を飲みに行った後、車の事故を起こして2か月の療養期間を必要としたことがありました。マネージャーは私にこう言いました、「部門リーダーはいつも酒を飲みに行ってたから、仕事にいつも問題があった。それに、彼はたまに残業をした後ですら酒を飲みに行くことがあった。だから、彼が事故を起こすのは時間の問題だったんだ。お前はあまり酒を飲もうとしないし、物事にも現実的に取り組んでいる。私はお前を部門リーダーに指名する。今後一生懸命働いて、仕事の後、家に帰る道中は気を付けるんだぞ。事故は起こさないようにな。」私は繰り返し頷きました。私はマネージャーとほぼ半年近くお酒を飲んでいなかったことを思い出しました。にもかかわらず、彼は私に部門リーダーの仕事を引き継ぐように頼んできたのです。私はこれにより、人は他の人を夕食に招待したり、プレゼントを贈ったりして一時的な利益を手にすることはできるが、正直な仕事をしていなければ、将来的に周りの人たちの称賛を得ることはできないということを心から学びました。私はまた、神を信じるようになってから、何かを狙ってマネージャーの機嫌を取るのではなく、神の御言葉に従って実践するようになっていたことにも気が付きました。こうすることで、私の心が落ち着いただけでなく、他の人まで心が安らいでいたのです。

 神はこう仰ります:「神の本質は聖なるものであるので、あなたは、神によってのみ、人生を通して光ある正しい道を歩むことが可能となり、神によってのみ、人生の意味を知ることが可能となり、神によってのみ、真の人生を送ることが出来るようになり、真理を獲得し、知り、真理からいのちを得ることが出来るようになる。人間が邪悪を回避するのを助け、サタンの危害と支配から人間を救うことが出来るのは、神のみである。神以外に、あなたが苦しまないよう、辛苦の海から救い出すことが出来る人間や物は存在しない。このことは、神の本質により決定される。」その瞬間、私は神のみが人間に対して真の愛を抱いておられるということを更に深く学びました。以前、真理を理解せず、自分の面目と将来の懸念に支配されていた私は、邪悪なトレンドに従うことを嫌がってはいても結局は大衆について行き、苦しい思いをしていたのです。神の御言葉による御啓示と御指導のおかげで、私はサタンの誤った考えによる抑制と束縛から抜け出すことができたのです。今、私は面目と将来の支配力に抵抗し、神の前で生きられるようになりました。マネージャーは私が彼らと一緒に飲みに行かなからといって私を見下さなっただけでなく、むしろ私を信頼して育ててくれたので、私は神の御恵みと祝福を心から感じることができました。

 今、私は神の御言葉を頻繁に読み、その理解を兄弟姉妹たちと共有し合うことで多くの真理を理解できているため、邪悪なトレンドから距離を置き、真の愛情の意味を理解できています。現在、私はもう人間関係に悩まされてはいません。代わりに、私は物事を神の御言葉通りに捉え、神の御指導と主権に従うことで真の解放と自由を手にしています。私は神が私を御救いくださったことにとても感謝しています!