賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

65条のキリストが二回目降臨することに関する最も良い聖句

2020-04-15 10:34:30 | 聖書の名言

  聖書には主イエス・キリストの二回目の降臨について預言する聖句がたくさんあります。以下の聖句はイエスの再来の兆候、時間、方法及びキリストが再臨したらどんな働きをなさるかなどの面からまとめました。あなたがキリストの再臨する預言をよりよく理解し、そして、この中から新しい光を得て、一日も早くイエス・キリストの再臨を迎えられるように助けていきたいです。

 

一、主イエスの再来の兆候

アモス書 4:6-8

『わたしはまた、あなたがたのすべての町であなたがたの歯を清くし、あなたがたのすべての所でパンを乏しくした。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった』とヤーウェは言われる。『わたしはまた、刈入れまでなお三月あるのに雨をとどめて、あなたがたの上にくださず、この町には雨を降らし、かの町には雨を降らさず、この畑は雨をえ、かの畑は雨をえないで枯れた。そこで二つ三つの町が一つの町によろめいて行って、水を飲んでも、飽くことができなかった。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった』とヤーウェは言われる。

 

アモス書 8:11

主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、ヤーウェの言葉を聞くことのききんである。

 

マタイによる福音書 24:12

また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。

 

マタイによる福音書 24:6-8

また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。

 

マタイによる福音書 24:32-33

いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

 

ルカによる福音書 21:29-32

それから一つの譬を話された、「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。」

 

マタイによる福音書 24:29

しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。

 

ヨエル書 2:29-31

その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。ヤーウェの大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。

 

ヨハネの黙示録 6:12

小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり

 

マタイによる福音書 24:14

そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

 

マタイによる福音書 24:4-5

そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。」

 

マタイによる福音書 24:23-25

そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。

 

マタイによる福音書 24:48-49

もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら

 

ヨハネの第二の手紙 1:7

なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。

 

ヨハネの第一の手紙 4:3

イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

 

二、主イエスがいつ戻って来られるのか

ルカによる福音書 12:40

あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。

 

マルコによる福音書 13:32-33

その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。

 

マタイによる福音書 25:13

だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。

 

マタイによる福音書 25:6

夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。

 

三、主イエス・キリストの戻る方法

ヨハネの黙示録 3:3

だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。

 

ヨハネの黙示録 16:15

見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。

 

ルカによる福音書 17:24-25

いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。

 

マタイによる福音書 24:30

そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

 

マタイによる福音書 26:64

イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

 

マルコによる福音書 13:26

そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

 

ヨハネの黙示録 1:7

見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。



四、主イエスが再臨したらどんな働きをなさるか

イザヤ書 2:2-4

終りの日に次のことが起る。ヤーウェの家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、多くの民は来て言う、『さあ、われわれはヤーウェの山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう』と。律法はシオンから出、ヤーウェの言葉はエルサレムから出るからである。彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。

 

ヨハネによる福音書 16:12-13

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

 

ヨハネによる福音書 12:47-48

たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。

 

ペテロの第一の手紙 4:17

さばきが神の家から始められる時がきた。

 

詩篇 75:2

定まった時が来れば、わたしは公平をもってさばく。

 

ヨハネによる福音書 5:22

父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。

 

ヨハネによる福音書 5:27

そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。

 

詩篇 67:4

もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。

 

イザヤ書 26:9

わが魂は夜あなたを慕い、わがうちなる霊は、せつにあなたを求める。あなたのさばきが地に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶからである。

 

ヨハネの黙示録 14:7

大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。

 

ヨハネの黙示録 20:12

また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。

 

ヨハネの黙示録 11:18

諸国民は怒り狂いましたが、あなたも怒りをあらわされました。そして、死人をさばき、あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました。

 

五、キリストの二回目の降臨を待つ

マタイによる福音書 25:6

夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。

 

マタイによる福音書 25:13

だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。

 

ヨハネによる福音書 10:27

わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。

 

ヨハネの黙示録 2:29

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。

 

ヨハネの黙示録 3:20

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。


神様の名前についての聖句ー神様の名前の奥義を認識する

2020-04-14 09:32:09 | 聖書の名言

  聖書の記録により、違う時代には神様の名前も異なります。旧約はヤーウェ神であり、新約は主イエスであり、黙示録で終わりの日に神様が新しい名前があると預言されています。では、神様はなぜ違う時代には異なる名前をつけるか。終わりの日に神様の新しい名前は何でしょうか。以下の聖句と関連する文章を読んで、あなたに神様の名前の奥義を明らかにします。

 

Cherry Blossom, Bumblebee, Cherry, Blossom, Spring

 

1、旧約聖書の中の神様の名前

出エジプト記 3:15

神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるヤーウェが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。」

 

出エジプト記 20:7

あなたは、あなたの神、ヤーウェの名を、みだりに唱えてはならない。ヤーウェは、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

 

出エジプト記 34:14

あなたは他の神を拝んではならない。ヤーウェはその名を「ねたみ」と言って、ねたむ神だからである。

 

イザヤ書 43:10-11

ヤーウェは言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしがヤーウェであることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみヤーウェである。わたしのほかに救う者はいない。」

 

2、新約聖書の中の神様の名前

マタイによる福音書 1:21

彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。

 

使徒行伝 4:12

この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。

 

ピリピ人への手紙 2:9-11

それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

 

3、黙示録で預言された主の再臨の新しい名前

ヨハネの黙示録 3:12

勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。

 

ヨハネの黙示録 1:8

今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。

 

ヨハネの黙示録 11:16-17

そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言った、「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。」

 

ヨハネの黙示録 4:8

この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。

 

ヨハネの黙示録 19:6

わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。」

 

ヨハネの黙示録 15:3

彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。」

 

ヨハネの黙示録 16:7

わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります。」


神様の名前についての聖句ー神様の名前の奥義を認識する

2020-04-14 09:32:09 | 聖書の名言

  聖書の記録により、違う時代には神様の名前も異なります。旧約はヤーウェ神であり、新約は主イエスであり、黙示録で終わりの日に神様が新しい名前があると預言されています。では、神様はなぜ違う時代には異なる名前をつけるか。終わりの日に神様の新しい名前は何でしょうか。以下の聖句と関連する文章を読んで、あなたに神様の名前の奥義を明らかにします。

 

1、旧約聖書の中の神様の名前

出エジプト記 3:15

神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるヤーウェが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。」

 

出エジプト記 20:7

あなたは、あなたの神、ヤーウェの名を、みだりに唱えてはならない。ヤーウェは、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

 

出エジプト記 34:14

あなたは他の神を拝んではならない。ヤーウェはその名を「ねたみ」と言って、ねたむ神だからである。

 

イザヤ書 43:10-11

ヤーウェは言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしがヤーウェであることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみヤーウェである。わたしのほかに救う者はいない。」

 

2、新約聖書の中の神様の名前

マタイによる福音書 1:21

彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。

 

使徒行伝 4:12

この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。

 

ピリピ人への手紙 2:9-11

それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

 

3、黙示録で預言された主の再臨の新しい名前

ヨハネの黙示録 3:12

勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。

 

ヨハネの黙示録 1:8

今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。

 

ヨハネの黙示録 11:16-17

そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言った、「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。」

 

ヨハネの黙示録 4:8

この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。

 

ヨハネの黙示録 19:6

わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。」

 

ヨハネの黙示録 15:3

彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。」

 

ヨハネの黙示録 16:7

わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります。」


10つ感謝に関する聖句はあなたに神様の愛を感謝するように助けます

2020-04-12 22:29:34 | 聖書の名言

   感謝は感謝祭のパテントではなく、聖書にこう書かれています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18)神様は私たちを造り、救い、そして私たちの全ての必要なものを与え、いつでも私たちのそばに伴い、サタンに害されないように見守ってくださいます。これは神様の至高の愛です。心と霊がある人はみな神様の愛に感動され、感謝を捧げない人がいません。以下の10つ感謝に関する聖句は私たちが神様を感謝するように導きます。

 

ヘブル人への手紙12:28

 

このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。

 

テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。

 

ピリピ人への手紙 4:6

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。

 

詩篇 28:7

ヤーウェはほむべきかな。ヤーウェはわが力、わが盾。わたしの心はヤーウェに寄り頼む。わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもってヤーウェをほめたたえる。

 

詩篇 34:1

わたしは常にヤーウェをほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。

 

詩篇 95:2-3

われらは感謝をもって、み前に行き、ヤーウェにむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。ヤーウェは大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。

 

コロサイ人への手紙 4:2

目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。

 

歴代志上 16:34

ヤーウェに感謝せよ、ヤーウェは恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

 

詩篇 118:28

あなたはわが神、わたしはあなたに感謝します。あなたはわが神、わたしはあなたをあがめます。

 

詩篇 100:4

感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。ヤーウェに感謝し、そのみ名をほめまつれ。

 

推薦閱讀

聖書の言葉


聖書の名言ー19節の罪に関する聖書の聖句・罪から抜け出す道を見つける

2020-04-11 22:54:43 | 聖書の名言

   私たちは主を信じて罪が赦されたが、否定できないのは、私たちはまたしばしば主の教えに背き、肉の欲に従って罪を犯し、例えば、嘘をつき、ずる賢く、欺くなど、逃げる道のない罪と告白のサイクルに生きながら捕われ、終始罪の束縛と抑制から抜け出すことができません。神様は義であり聖い神様なので、神様は常に罪を犯している人が天国に入ることを許すのか。主イエスは言われました。「イエスは彼らに答えられた、『よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。』」(ヨハネによる福音書8:34−35)罪を犯す人は神様の国に入ることができず、それでは、どのようにして罪の束縛から抜け出し、清くなって天国に入ることができるでしょうか。このテーマの聖句を閲読し、罪を犯す根源を認識し、そして罪から抜き出す道を見つけるように。

一、主を信じて罪が赦されたが、なぜまた罪を犯すのか

ローマ人への手紙7:23

1、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

 

ヤコブの手紙1:15

2、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

 

ローマ人への手紙5:12

3、このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。

 

関連する真理:

   「人が贖われる前、サタンの毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。サタンによる堕落を何千年も経た人間には、神に抵抗する性質が既に定着して存在していた。だから、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られた贖い以上のものではなく、人の中の毒を持った性質は取り除かれてはいなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるにふさわしくなる前に変えられなければならない。……人は贖われ罪を赦されたが、それはただ神が人の過ちを覚えず、過ちに応じて人を取り扱わないこととみなすことが出来る。しかし、肉に生きる人が罪から解放されていないと、人は堕落したサタン的な性質をどこまでも顕し続け、罪を犯し続けることしかできない。これが人の送る人生で、罪と赦しの終わりのないサイクルである。大多数の人は昼間罪を犯し、夜になると告白するだけである。そのように、たとえ罪のためのいけにえが人にとって永久に有効だとしても、人を罪から救うことはできない。救いの働きは半分しか完成していない。人は堕落した性質を持ち続けているからである。……」

 

二、罪を犯す結果

ローマ人への手紙 6:23

4、罪の支払う報酬は死である。

 

イザヤ書1:28

5、しかし、そむく者と罪びととは共に滅ぼされ、主を捨てる者は滅びうせる。

 

ヨハネの黙示録21:8

6、しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。

 

エゼキエル書18:20

7、罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。

 

ヨハネによる福音書8:34‐35

8、イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。」

 

ヘブル人への手紙10:26‐27

9、もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。

 

ペテロの第二の手紙 2:14

10、その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。

 

ヨハネの黙示録 21:27

11、しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

 

関連する真理:

   「あなたはわたしがどのような人間を求めているかを知らなければならない。不純な人間は神の国に入ることを許されないし、また不純な人間が聖地を汚すことも許されない。あなたがたとえどれほど長くまたどれほど多くの働きを行ってきたとしても、最後のときになって未だ甚だしく汚れていれば、わたしの国に入ることは天の律法が許さないのである。世の初めから今日まで、人がいかに取り入ろうとも、人がわたしの国に入るのにわたしが便宜を図ったことはない。これは天の掟であり、誰にも破ることは許されない。」

   「今こそ、わたしは一人一人のために終わりを決めるときであり、人に働きかける段階ではない。わたしの手帳にひとりひとりの言葉や行動、わたしに従った道、本来の属性や最後の行いなどを書き留める。こうすることで、どのような人であってもわたしの手から逃れることはなく、あらゆる人たちはわたしが定めるように同類の人たちと共にいることになるだろう。わたしは、一人一人の終着点を、年齢や年功序列、苦しみの量、とりわけ憐れみを誘う度合いではなく、彼らが真理を持っているかどうかに基づいて決める。これ以外の選択肢はない。神の心に従わない人たちはすべて懲罰されることをあなたがたは悟らなければならない。これは不変の事実である。よって、懲罰される者たちすべては神の義ゆえに懲罰されるのであって、彼らの数々の邪悪な行為への報いである。」

 

三、どのように罪の問題を解決するのか

ヘブル人への手紙12:14

12、すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。

 

ヨハネによる福音書16:12‐13

13、わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

 

ヨハネの黙示録2:7

14、『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。

 

ヨハネによる福音書12:47‐48

15、たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。 わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。

 

ペテロの第一の手紙 4:17

16、さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。

 

ゼカリヤ書13:8‐9

17、「主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。

 

ダニエル書12:9‐10

18、彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。

 

ヨハネによる福音書17:17

19、真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。

 

関連する真理:

   「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。裁きの働きを行うにあたって、神は少ない言葉で人間の本性を明らかにするだけではない。神は長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このようなさらけ出し、取り扱い、刈り込みの方法は通常の言葉が取って代わることはできず、人間が完全に失った真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は制圧され、神への服従に向かうように徹底的に説得され、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、人による神の真の顔の認識と、人間自らの反抗的性質についての真理である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。」

   「裁きと刑罰の働きを通して、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして、人は完全に変わり、清くなることができる。この方法でのみ、人は神の玉座の前に戻るのにふさわしくなることができる。この日なされるすべての働きは人が清められ変えられるためである。言葉による裁きと刑罰、また精錬を通して、人は堕落を捨て、清くされることができる。」

   「神は何を通じて人を完全にするのであろうか。それは、義という神の性質によるのである。神の性質は主として義、怒り、威厳、裁き、呪いであり、神は主に裁きを通じて人を完全にする。一部の人々は理解できず、なぜ神は裁きと呪いによってしか人を完全にできないのかと問う。彼らは「神が人を呪ったら、人は死ぬのではないか。神が人を裁いたら、人は断罪されるのではないか。それにもかかわらず、人はどうやって完全になれるのであろうか」と言う。神の働きを理解しない人々はそう話すのである。神が呪うのは人間の不従順であり、神が裁くのは人間の罪である。神の言葉は厳しく、少しの気遣いもなく、人の内にあるあらゆるものを明らかにし、そうした厳しい言葉を通じて人の内にある本質を顕わにするが、神はその裁きを通じて人に肉体の本質についての深遠な認識を授け、それにより人は神の前に従順を示すのである。人の肉は罪から成り、サタンによるものであり、不従順であり、神の刑罰の対象である──であるから、人に自分を理解させるためには、神の裁きの言葉が人にもたらされねばならず、あらゆる精錬が行われねばならない。それにより初めて神の働きは成果を生むのである。」