賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

聖書を学ぶための秘訣

2019-10-17 21:57:05 | 聖書の言葉

   聖書を読むのは各キリスト教徒にとって必須課程です。多くのキリスト教徒たちは聖書の解釈に上達して主の御心をより良く理解しようと聖書の学習方法を幾つか考えました。第1に、彼らは聖書の何バージョンを読むかを選択します。今現在、聖書は、「The Daily Study Bible」、「The Cross References of the Bible」、「Abundant Life Study Bible」等沢山のバージョンが存在しています。また、多くの霊的人物により執筆された聖書の異なるバージョンも存在しています。そして、彼らは大抵の場合、有名な、または一流の霊的人物に書かれた聖書を選びます。第2に、彼らは聖書を読む時に、自分たちが最も重要と考える章や牧師と長老たちによって頻繁に説明されている聖句を最初に選びます。第3に、彼らは聖書を毎日少しだけ読む、等です。皆が聖書の学習方法を幾つかまとめ上げることができました。神の御導きに感謝します。ついこの前、同僚の何人かと私が学習方法について話し合っていた時、私たちは最適な聖書の学習方法を見つけたので、私はそれを兄弟姉妹たちと共有したいと思います。



   聖書に精通している兄弟姉妹たちは、聖書には神の御言葉に限らず、人間の言葉も含まれていることを誰もが知っています。注意して読めば、神の御言葉は聖書の中で全て明確に示されていることが容易に分かります。例えば:旧約聖書の預言書において、ヤ―ウェ神が預言者に伝えるようにと明らかにした御言葉は、「主の御言葉は臨んで」や「主はこのように言われた」等のように明確に言及されています。聖書の他の聖句においては、ヤ―ウェ神が自ら仰った御言葉も、「神は言われる、」や「ヤ―ウェ神は言われる」等のように明確に示されています。そして、それ以外は全て人間の言葉で、当時ヤ―ウェ神の働きを体験した人間によって書かれています。新約聖書の4つの福音書は4人の著者によってそれぞれが主イエス様の働きについて聞いたことや実際に目にしたことについて書かれており、その中に出てくる主イエス様の御言葉は、「イエス様は言われる」や「イエス様は彼らに言われる」等の言い回しで明確に示されています。さらに、ヨハネの黙示録はヨハネが神の霊感の下で見た黙示であり、神が世の終わりにどのように働かれるかを預言しています。これらの御言葉は神の御啓示から直接きているもので、その全てが神の御言葉です。

   一方でそれ以外は全てパウロと他の弟子たちが当時各教会宛てに書いた手紙となっています。手紙の冒頭で、これらは、「神の御旨によるイエス・キリストの使徒パウロから誰それへ、」や「イエス・キリストの使徒ペテロから誰それへ」のような言葉で明確に示されています。これらの手紙は彼らがそれぞれの義務ゆえに当時各教会にいたキリスト教徒たちを説き、励ますために各教会宛てに書いた言葉です。そして、これらの言葉は全て彼らの経験と知識を語ったものであり、人間の心を表しているだけで、神の御言葉とは比較できません。なぜなら、神は神の本質を有しておられ、神の御言葉のみが真理であるからです。主イエス様はこう仰りました、「わたしは道であり、真理であり、命である」ヨハネによる福音書 14:6。「わたしはよみがえりであり、命である」(ヨハネによる福音書 11:25)。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハネによる福音書 6:63)。神は私たちの羊飼いであられます。神の御言葉は真理であり、権威と力を有され、神の性質を表しています。それらは私たちのいのちとなることができ、私たちが必要とするものを備えることができ、暗闇の中で私たちの行く先を導く灯火であられ、そして誰も表すことができないものなのです。しかし、人間の言葉は全てが聖霊の御啓示と御啓蒙を得た後に、その人の経験した神の働きに基づいた知識からくるもので、それらは人間の理解と考えを表現し、人間が有するものと人間そのものを表しているのです。その中には人々のいのちに有益なものや霊的成長をもたらすものがありますが、聖霊によって啓かれ啓蒙された言葉はそのいずれも神の直接的な表現を示すことはできません。それらは真理でなく、人間のいのちとなることもできません。使徒パウロはこう言っています、「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である」(コリント人への第一の手紙 3:6)。聖書に書かれた神の御言葉と人間の言葉を見分ける際、聖書の最適な学習方法は先ずはじめに神の御言葉を読むことを選択する、そして神の御要望に沿った形で正しく実践して神からいのちの備えを得ることができるよう、神の御言葉の真理を理解し、神の御言葉に込められた神の御心を捉えることであると断言できます。

   神の御言葉はその真理を理解するにはどのようにして読むべきでしょうか?聖書にはこう記されています、「神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす」(コリント人への第二の手紙 3:6)。神の御言葉には多くの謎があるため、それは手紙からは知り得ません。代わりに、私たちはそれらの霊的な意味を熟考することに注意を払うべきです。そうしたら、これはどのようにして達成できるのでしょうか?兄弟姉妹の多くは特に、聖句をより良く理解するために「Concordance of the Bible(聖書の用語索引)」や「Bible Encyclopedia(聖書の百科事典)」等の補助的ツールを購入しています。これら補助的ツールは霊的用語や聖句の文字どおりの意味を理解するのに役立ちます。しかし、主の御言葉の真義を理解したい場合は、それよりも、神の前で心を静めて注意深く神の御言葉を読む必要があります。そうした時に私たちはようやく聖霊の御啓示と御啓蒙を授かって、神の御心を理解できるようになるのです。

   神の御言葉は真理であり、その各御言葉には神の御心が込められており、神御自身のいのちの性質を明示しています。これ故に、神の御言葉を読む時は、神が各御言葉を言われるその御旨、なぜ神はそれらの御言葉を言うことを望まれたのか、神の御言葉はどういった問題を明らかにされたのか、そして各問題においてどういった明示がなされているのかを理解するべきです。私たちはまた、神の御言葉は真理であること、そして神が明らかにされる問題は私たち全員が抱えているものであり、特定個人に限られたものではないことも理解するべきです。従って、私たちは神が明らかにされる問題に基づいて、私たちの内に関するどの明示が神の御言葉を実践しておらず、むしろ神に背いて抵抗しているのかを検討するべきです。私たちは自分たちそれぞれの短所と欠落を知るべきであるだけでなく、神が有するもの、そして神そのものも知る必要があります。神の御言葉を心で読むと、神の御言葉の言外から神の私たちに対する慈悲と御救いを知ることができます。

   主なる神様に感謝です!私は、主を信仰する兄弟姉妹たちが聖書を読む時、神の各御言葉から神の御心を知り、神が私たちに期待されることを理解し、自分たちの堕落と短所を明確に認識し、自分たちの実践の逸脱した状態を知り、そして主の御心と一致した形で行動できるように遅れをとらぬよう改心し、すぐに神の心と一致した人になることを期待しています!アーメン!


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