賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

キリストと融和する道を探せ

2020-10-04 23:55:23 | デボーション

   わたしは人々の間で多くの働きをしてきた。わたしがその間に発した言葉は数多くある。これらの言葉は人間の救済のためで、人間がわたしと融和するようにと発したものである。しかし、わたしと融和する者は、地上ではほんの数名しか得ていない。だから、人間はわたしの言葉を重んじないとわたしは言う。人間はわたしと融和しないのだから。このように、わたしのしている働きは単に人間がわたしを崇めるようにするためだけではなく、もっと重要なことには、人間がわたしと融和するようにである。堕落した人々は、みなサタンの罠に囚われている。彼らは肉に生き、利己的な欲求をもって生きていて、彼らの中には、わたしと融和する者は、ただの一人もいない。わたしと融和すると言う者もいるが、みな漠然とした偶像を拝んでいる。彼らはわたしの名を聖いものとしているが、わたしに反する道を歩んでいる。そして、彼らの言葉は傲慢とうぬぼれに満ちている。心の底では、みなわたしに敵対しており、わたしと融和していないからである。毎日、彼らは聖書にわたしの痕跡を探し、適当に「都合の良い」句をみつけては、いつまでも読み続け、それを聖句として唱える。彼らはわたしと融和する方法を知らず、わたしに敵対するということが何を意味するかを知らず、単に闇雲に聖句を読んでいるだけである。彼らは見たことがなく、見ることもできない漠然とした神を聖書の中に閉じ込めて、暇な時に取り出して眺めている。彼らはわたしの存在を聖書の範囲内においてのみ信じている。そういう人々にとって、わたしは聖書と同じである。聖書がなければ、わたしはいない。わたしがいなければ、聖書はない。彼らはわたしの存在や行為を無視し、その代わりに聖書の一字一句に極端かつ特別の注意を注ぐ。そして、その多くは、聖書で預言されていない限り、わたしは自分がしたいことは何もしてはいけないとさえ信じている。彼らはあまりにも聖書を重視し過ぎている。彼らは言葉と表現を大事にするあまり、聖書の語句を用いてわたしの発する一語一語を評価したり、わたしを批判するほどである、と言える。彼らの求めているのは、わたしとの融和の道ではなく、また、真理との融和の道でもなく、聖書にある言葉と融和する道なのである。また、彼らは、聖書に合致しないものは、例外なく、わたしの働きではないと信じている。そうした人々はパリサイ人の従順な子孫なのではないか。ユダヤのパリサイ人は、モーセの律法に基づいてイエスを罪に定めた。彼らは当時のイエスとの融和を求めず、律法に文字通りに忠実に従うあまり、イエスが旧約の律法に従っておらず、またメシヤでもないという罪で、ついに無実のイエスを十字架につけたのである。彼らの本質は何であったのか。彼らは真理と融和する道を求めていなかったのではないか。彼らは聖書の一字一句にこだわり、わたしの心とわたしの働きの手順や方法には無関心でいた。彼らは真理を求めた人々ではなく、あくまで言葉に固執した人々であった。彼らは神を信じたのではなく、聖書を信じていた。つまるところ、彼らは聖書の番犬であった。聖書の影響力を擁護するため、聖書の権威を維持するため、聖書の評判を守るため、彼らは慈悲深いイエスを十字架につけることまでした。彼らは、ただ単に聖書を守るため、人々の心の中にある聖書の一字一句の地位を維持するために、そうしたのである。だから、彼らは未来と罪のための捧げ物を見捨て、聖書の教義に従わなかったイエスを罪に定めて殺したのである。彼らは聖書の一字一句に隷属していたのではないか。

 


   では、今日の人々はどうだろう。キリストは真理を解き放つために来た。しかし、人々は天に入って恵みを受けるために、キリストを人間の間から追い出したいくらいなのである。彼らは聖書の権益を守るために真理の訪れを完全に否定し、聖書の永続を確実にするため、再び肉となったキリストをもう一度十字架に釘付けにしたいくらいなのである。あれほど悪意に満ちた心をもち、わたしに対してあれほど敵意のある本性をもつ人間が、どうしてわたしの救済を受けられるのか。わたしは人間の間に生きているが、人間はわたしの存在を知らない。わたしが人間に光を照らしても、人間はわたしの存在を知らずにいる。わたしが怒りを人間の上に放つと、人間はますます強くわたしの存在を否定する。人間は言葉、聖書との融和は求めるが、真理と融和しようとわたしの前に来る者はただの一人もいない。人間は天のわたしを見上げ、天にいるわたしについて、とりわけの関心を向けるが、肉におけるわたしを心にかける者は誰一人いない。人間の間で生きるわたしがあまりに平凡だからである。聖書の言葉に合致するものだけを求める人々、漠然とした神に合致することだけを求める人々は、わたしには哀れに見える。それは、その人たちが崇めているのは死んだ言葉と、計り知れない宝を与えられる神だからである。その人々が崇めているのは、人間の思いのままになる神なのだが、それは存在しない。では、そうした人々はわたしから何を得られるのか。人間はただ言いようもなく低劣である。わたしに敵対する人々、わたしに限りない要求をする人々、真理を愛さない人々、わたしに反抗心をもつ人々──どうしてそんな人々がわたしと融和できるのか。

   わたしに敵対する人々は、わたしと融和しない。真理を愛さない人々も同じである。また、わたしに反抗する人々は、いっそうわたしに敵対し、わたしとは融和不可能である。わたしと融和しない人々をみな、わたしは邪悪な者の手に引き渡す。そうした人々を邪悪な者による堕落に任せ、自分たちの有害さを自由にあらわにさせ、最後には、邪悪な者に手渡し、食い尽くされるに任す。どれだけの人がわたしを崇めるかは気にしない。つまり、どれだけの人がわたしを信じているかは気にしないということである。わたしが問題にするのは、どれだけの人がわたしと融和するかということである。それは、わたしと融和しない人々はみな、わたしを裏切る邪悪な者だからだ。彼らはわたしの敵であり、わたしは自分の敵を自分の家に「納め」はしない。わたしの味方である人々は永遠にわたしの家でわたしに仕える。そして、わたしに敵対する者たちは、永遠にわたしの罰を受けて苦しむ。聖書の言葉だけを大事にする人々、真理やわたしの足跡を求めることに関心のない人々、そうした人々はわたしに敵対する。なぜなら、聖書に従ってわたしを限定し、聖書の中にわたしを閉じ込め、わたしに対して、この上ない冒瀆行為をするからである。そうした人々がどうしてわたしの前に来ることができるであろうか。その人たちはわたしの行い、わたしの心、真理に耳を傾けず、言葉、殺す言葉に執着している。どうして、そうした人たちがわたしと融和できるであろうか。

   わたしは実に多くの言葉を発した。また、わたしの心と性質を明らかにしてきた。それなのに、人々はまだわたしを知り、わたしを信じることができずにいる。あるいは、人々はまだわたしに従えずにいると言える。聖書の中に生きる人々、律法に囲まれて生きる人々、十字架上で生きる人々、教義に従って生きる人々、わたしが今日している働きの中で生きている人々──この中の誰がわたしと融和しているであろうか。あなたたちは、祝福とねぎらいを受け取ることだけを考え、どうしたらわたしと融和できるか、どうしたらわたしの敵になることがないかということを少しも考えようとしたことがない。わたしは、ほんとうにあなたたちに失望した。わたしは実に多くをあなたたちに与えてきたのに、ほとんど何もあなたたちから受けていないのだから。あなたたちの欺き、あなたたちの傲慢、あなたたちの貪欲、あなたたちの途方もない欲求、あなたたちの裏切り、あなたたちの不服従──このどれにわたしが気づかずにいるのか。あなたたちはわたしをごまかし、わたしをからかい、わたしを侮辱し、わたしを欺き、わたしに要求し、わたしに犠牲を強要する──そうした悪行がどうしてわたしの罰を免れることができようか。あなたたちの邪悪な行為は、わたしへの敵意の証拠、あなたたちがわたしと融和しない証拠である。あなたたちの一人一人が、自分はわたしの心にかなうと信じているが、もしそうなら、誰にその反論できない証拠が適用されるのか。あなたたちは、自分はわたしにこのうえなく誠実で忠実だと信じている。あなたたちは、自分はまことに親切で、思いやりがあり、わたしに多くを捧げてきたと思っている。あなたたちは、自分はわたしに十分奉仕したと思っている。しかし、そうした考えを自身の行いに引き比べてみたことがあるだろうか。わたしに言わせれば、あなたたちはひどく傲慢で、ひどく貪欲でひどくいい加減だ。あなたたちがわたしをばかにする手口は、とても狡猾で、愚かな意図や愚かしい手段をいろいろもっている。あなたたちの忠誠はごくわずかでしかなく、あなたたちの誠意はあまりに薄く、あなたたちの良心は、さらに乏しい。あなたたちの心にはあまりに多くの悪意があって、誰もあなたたちの悪意から逃れられない。わたしでさえ。あなたたちは、自分の子ども、夫、あるいは自己保存のためにわたしを締め出す。わたしのことを気にする代わりに、あなたたちは自分の家族、子供、地位、将来、自分の欲求充足を気にかけている。あなたたちは、話し行動しながらわたしのことを考えたことがいつあったであろうか。寒いとき、あなたたちは自分の子供、夫、妻、あるいは親のことを思う。暑いときもまた、わたしはあなたたちの思いの内に入っていない。務めを果たしている時、あなたは、自分の利益、自分の身の安全、自分の家族のことを考えている。あなたがわたしのために何をしたことがあるというのか。あなたは、いつ、わたしのことを考えたのか。あなたは、わたしとわたしの働きのために惜しむことなく身を捧げたことがいつあったであろうか。あなたがわたしの味方である証拠はどこにあるのか。あなたのわたしへの忠誠はどこに実在しているのか。あなたのわたしへの従順さはどこに実在しているのか。あなたの意図が、わたしから祝福を受けるためではなかったことがいつあったであろうか。あなたたちはわたしをだまし、欺き、真理を弄び、真理の存在を隠し、真理の本質を裏切る。あなたたちはわたしに敵対している。それでは、あなたたちの未来には何が待っているのか。あなたたちはただ、漠然とした神の心にかなおうとして、単に漠然とした信仰を追究しているが、あなたたちはキリストと融和しない。あなたたちの悪事は、邪悪な者たちが当然受けるものと同じ報復を受けるのではないか。その時、あなたたちは、キリストと融和しない者で、怒りの日を免れることのできる者はいないことに気づくであろう。あなたたちはまた、キリストに敵対する者にどのような報復が行われるかを知ることになるであろう。その日が来れば、神への信仰によって祝福され、天に入るというあなたたちの夢は、すべて砕かれるであろう。しかしながら、キリストと融和する者は別である。その人たちは、まことに多くを失い、多くの苦難を経てきたが、わたしが人間に与える嗣業をみな受けるであろう。あなたたちは最後には、わたしだけが義なる神であり、わたしだけが人間を美しい終着点に導けるということを理解するであろう。


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