賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

神は様々な地理環境の境界を定めました

2020-03-13 23:16:48 | 聖書の奥義を開く

   本日は、こうした神が人間と万物に与えた律法により、どのようにして人類が育まれているかについて話をする。それでは、この主題はどのようなものであろうか。この主題は、こうした神が万物に対して与えた律法が、どのようにして人間を育んでいるか、ということである。これは極めて大きな主題なので、いくつかの部分に分け、それらの各部分をあなたがたに分かりやすく説明するため、ひとつずつ話をする。この方法であれば、あなたがたにとって把握しやすくなり、徐々に理解できるであろう。

 

 

   まず、神は、万物創造時に、山、平野、砂漠、丘、河川、湖沼の境界を定めた。地上には山、平野、砂漠、丘、そして様々な水域が存在するが、これらは何であろうか。これらは地形ではなかろうか。神は、様々な地形全ての間に、境界を定めた。境界の設定といった場合、それは何を意味するだろうか。それは、山や平野、砂漠、丘にはそれぞれ領域、範囲ないし一定の面積がある。さらに、河川や湖沼などの水域にも一定の水量がある。つまり、神が万物を造った時、神は全てを明確に分割した。神は、ある山の半径が何キロメートルであるか、その範囲はどのようなものかを、既に決めていた。また神は、ある平野の半径が何キロメートルであるか、その範囲はどのようなものかも決めていた。様々な物を造った時も、神は砂漠の範囲、丘の範囲やその割合、そしてそれらの境界が何により定められるかなどの事柄を、全て決めていた。神は、河川や湖沼を造った時に、それらの範囲を決めた。それらの物には、全て境界が存在する。それでは「境界」とは何を意味するであろうか。つい先ほど、万物に対する律法が、いかにして万物に対する神の支配により定められているかに関して話をした。たとえば、山の範囲と境界は地球の回転や時間の経過により広がることも狭くなることも無い。山の範囲と境界は固定されている。この「固定されている」というのが神の支配である。平野に関する範囲や、何がその境界となっているかについては、神により固定されている。平野には境界があり、平野の中央に、勝手に土が盛り上がることは無い。突如として平野が山になることは無い。ここで言う律法と境界は、このことを指す。砂漠に関しては、その役割や地形、位置などについては、ここでは話をせず、境界のみについて話をする。神の支配の下では、砂漠の範囲もまた拡大することは無い。なぜなら、神は砂漠にその律法と範囲を与えたからである。砂漠の面積、役割、砂漠の境界にある物、所在地などは、神によって既に定められている。砂漠はその範囲を超えることも、移動することも、勝手に面積が広がることも無い。河川や湖沼の水流には秩序があり、水流は継続しているものの、河川や湖沼の水はその範囲から出たり、境界を越えたりすることは、嘗て無かった。河川や湖沼は、すべて秩序をもって、それぞれ流れるべき単一の方向に流れている。神の支配の律法下において、勝手に干上がったり、あるいは地球の回転や時間の経過が原因で方向を変えたり、流量を変えたりする河川や湖沼は存在しない。こうした事柄は、全て神が掌握しており、神の支配下にある。つまり、神によって造られ、人間の世界にある万物には、それぞれ固定された場所、地域、そして範囲がある。すなわち、神が万物を造った時に、万物の境界が定められ、その境界は勝手に変えたり、更新したり出来ない。ここで「勝手に」、とは何を意味するであろうか。それは、天候や気温、地球の回転速度などが原因で、こうした境界がやみくもに移動したり、拡大したり、変形したりすることは無い、ということである。ある山を例に挙げると、その山には、特定の高さ、特定の裾野の面積、特定の標高、特定の植生がある。これは全て神により計画され、計算されたものであり、高さや面積は勝手に変わることが無い。平野については、人類の大部分が平野に住んでおり、気候の変化により平野の面積やその存在価値が変わることは無い。こうした様々な地形や地理環境に含まれている物事は神が造ったものであり、そうした物事でさえも、勝手に変わることは無い。たとえば、砂漠の構成要素、その下にある鉱床の種類、砂漠の砂の量、色、厚さなどは、勝手に変わることが無い。こうした物事が勝手に変わらないのは、何故であろうか。その理由は、神の支配と管理である。こうした神が造った様々な地形や地理的環境の中では、あらゆる物事を、計画された秩序ある方法で神が管理している。そうしたわけで、これら全ての地理的環境は、それを神が造ってから数千年、数万年後の現在も依然として存在する。こうした地理的環境は、依然としてそれぞれの役割を果たしている。ある期間に火山が噴火したり、地震が発生したり、地面が大きく動くことがあるが、それでもなお神は地形がその機能を喪失することを許さない。人間が享受し、見ることのできるこれら全てが地球上で秩序をもって存在することができるのは、ひとえにこのような神の管理とそれらのものに対する神の支配、そして律法を掌握しているからである。それでは、神はなぜ、地上にある全ての地形を、このような方法で管理するのであろうか。その目的は、様々な地理的環境で生存している生き物全てが安定した環境を得られること、それらの生き物全てが安定した環境の中で継続して生活し、増えることが出来るようにすることである。移動出来るものと出来ないもの、鼻孔で呼吸するものとそうでないものなど、こうした全ての生き物が、人間の生存のための、独自の環境を構成している。何世代にもわたって人間を育むことが可能であり、また人間が何世代にもわたり継続して平和に生存することが出来るのは、こうした環境のみである。

   今わたしが話した事から分かったことは何であろうか。神の万物支配における神の律法は、極めて重要である、ということである。この律法に従って育つ全ての生き物の前提条件は何であろうか。その前提条件は、神による支配である。全ての生き物がこの支配に従って、それぞれの役割を果たしているのは、神の支配があるからである。たとえば、山は森を育む。そして森はその森に棲む様々な鳥や獣を育み、守る。平野は人間が作物を栽培するために用意された場所であり、また様々な鳥や獣のために用意された場所でもある。平野では、大部分の人間が平らな地面で生活することができるので、人間生活に便宜がもたらされる。また、平野には、広大な草原が含まれる。草原は地球の植生である。草原は土を守り、草原に棲む牛、羊、馬を育む。砂漠もまた、その役割を果たす。砂漠は人間の住む場所では無く、その役割は多湿な気候を乾燥させることである。河川や湖沼の水流は、人間の飲料水として便利であり、またあらゆる生き物の水の需要のために存在する。人間は、水が流れている所であれば、どこでも飲料水を得ることができる。様々な地形に対して神が定めた境界は、こうしたものである。こうした神が定めた境界のため、様々な地形により様々な生存環境があり、そうした生存環境は様々な鳥や獣にとって好都合であり、鳥や獣に生存空間を与える。このようにして、様々な生き物の生存環境の境界が発展した。次に話をするのは、このことである。

 

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