賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

物語:大いなる山、小川、強風、そして巨大な波

2020-01-21 00:26:52 | 聖書の奥義を開く

   曲がりくねった小川があり、その小川は大きな山の麓へと流れ込んでいた。この山は小川の流れを遮っていたので、小川は「私を通してください。私の進む道にあなたが立って先へ進むことが出来ません。」と、か弱い小声で山に頼んだ。すると、山は「どこへ行くのか」と尋ねた。小川は「自分の故郷を探しています」と答えた。山は「分かった。私を超えて流れてゆくがいい。」と言った。しかし、小川は弱く、幼かったので、そのような大きな山を越えて流れることは出来なかった。そうしたわけで、小川は引き続き大きな山の麓に流れ込むよりほか無かった。

 

 

   強風が吹き込み、砂や塵を山のある場所へと運んできた。強風は大声で「私を通せ。」と怒鳴った。すると、山は「どこへ行くのか」と尋ねた。強風は「山の向こう側へ行きたいのだ。」と怒鳴り返した。山は「分かった。私の中心を割って通れるのであれば、通ってよろしい。」強風は様々な方向で吹き込んだが、どれほど強く吹き込んでも、山の中心を割って通ることが出来なかった。強風は疲れ、吹くのを止めて休んだ。そうしたわけで、山のそちら側は、そよかぜがたまに吹く程度であり、そこに居る人々はそれに満足していた。それは、山の人間に対する挨拶であった。

   海辺では、小波が砂州に優しく打ち寄せていた。突然、大波が現れ、山の方へと押し寄せて行った。大波は「そこをどけ。」と叫んだ。すると、山は「どこへ行くのか」と尋ねた。大波は留まること無く押し寄せながら「今、領地を拡大しているところだ。」と答えた。山は「分かった。私の頂を越えて通れるのであれば、道を譲ろう。」大波は少し下がってから再び山へ向かって押し寄せた。しかし、どれほど頑張っても、山の頂を越えられなかった。大波は仕方なく、次第に来た方向へと引き下がっていった。

   小川は何世紀にもわたって山の麓を優しく撫でて流れ続けた。山が造った経路をたどり、小川は大河と合流し、故郷である海へと流れ込んだ。小川は、山の慈しみを受け、道を見失うことが無かった。小川と山は互いに信頼し合い、制限し合い、頼り合っていた。

   強風は何世紀経っても相変わらず山に吹き付けていた。強風は、それ以前と同様に山の所へと「訪れる」時に大きな渦を巻く砂を吹き込んだ。強風は山を脅したが、山の中を割って吹くことは出来なかった。強風と大きな山は互いに信頼し合い、制限し合い、頼り合っていた。

   大波もまた何世紀経っても相変わらずで、領地を広げるのを止めなかった。大波は何度も山へと押し寄せたが、山は全く不動のままであった。山は海を見守り、そのために海中の生物が増加し、繁栄した。大波と大きな山は互いに信頼し合い、制限し合い、頼り合っていた。

   物語はこれで終わりである。まず、あなたがたはこの物語について、どのような意見があるであろうか。また何がこの物語の主題であろうか。最初に山があり、それ以外に何が登場したであろうか。(小川、強風、そして巨大な波が登場した。)最初の部分では、小川と大きな山の間で、何があったであろうか。覚えているだろうか。(小川は大きな山の麓を流れていた。)小川は大きな山の麓を流れていた、というのは、小川と山の間の出来事であろうか。小川はどこへ向かっていただろうか。ここで大きな山と小川について議論するのは、何故だろうか。(大きな山は小川を守っていたので、小川は道を見失うことが無かった。小川と山は信頼し合っていた。)山は小川を守っていたと言うべきであろうか、それとも妨害していたと言うべきであろうか。(守っていた。)山は妨害していなかったであろうか。山と小川は共にあった。山は小川を守り、また山は小川の障害でもあった。山は小川を守っていたので、小川は大河へと流れ込むことが出来たが、同時に小川が様々な所へ流れ込んで洪水を引き起こし、人々に災害を起こすのを防いでいた。これが、この部分の要点だろうか。(その通りである。)山が小川を保護し、人々の家を守る障壁の役割も果たしていた。そして小川が山の麓で大河と合流し、その後海へと流れ込んだ。それは小川には不可欠なことではなかろうか。(その通りである。)小川が大河へと流れ込み、そして海へと流れ込んだ時、小川は何を頼っていただろうか。小川は山を頼っていたのではなかろうか。小川は山の保護に頼り、山は障壁としても機能していた。そのことが要点だろうか。(その通りである。)この物語において、山の小川に対する重要性が分かるであろうか。(分かる。)山は重要であろうか。(重要である。)神が山を高くしたり、低くしたりすることについて、神には計画があるであろうか。(ある。)そのことには計画があるであろう。これは物語の小さな部分であるが、単なる小川と大きな山から、人間は、神が小川と山を創造したことの価値と意味を理解することができる。また、神による小川と山の支配から、神の知恵と目的も理解できる。そうではないだろうか。

   この物語の次の部分は、何に関するものであっただろうか。(強風と大きな山に関するものであった。)風は良いものであろうか。(良いものである。)風が強すぎると、しばしば災害を引き起こすので、必ずしもそうとは限らない。強風時に戸外に居なければならないとしたら、どう感じるであろうか。どう感じるかは、その強さによるであろう。レベル2~3、あるいは3~4程度の微風であれば、せいぜい目を開いたままにしているのが困難となる程度であり、耐えることが出来るであろう。しかし、風が竜巻となる程の強さであった場合、耐えることが出来るであろうか。耐えきれないであろう。したがって、風が常に良いものである、あるいは常に悪い者である、というのは、誤りである。なぜなら、それは風の強さによるからである。それでは、ここで大きな山はどのような役割を担っているであろうか。山は風に対する一種の風防のようなものであろうか。(その通りである。)山が強風を受け、それをどのようにしているであろうか。(そよ風にしている。)その通り、そよ風にしている。そこに住む人々の大部分が、それに触れ、感じることが出来た。人々が感じたのは、強風であっただろうか、それともそよ風であっただろうか。(そよ風であった。)それは、神が山を造った時の目的の一つではなかっただろうか。それが神の意図であったのではないか。激しい風が砂を巻き上げ、それを防ぐものが無い環境に人間が生活したとすると、それはどのような生活であろうか。砂や砂利が舞い上がり、その土地には人間が住めないのではないだろうか。一部の人々は舞い上がった石が頭に当たったり、砂が目に入って見ることが出来なくなったりするであろう。人間は空に舞い上がったり、人間が立ち上がれないほど風が強く吹いたりするであろう。家は破壊され、様々な災害が起こるであろう。強風には価値があるであろうか。(価値がある。)その価値は何であろうか。わたしが、風は悪いと言った時、人々はそれに何の価値も無いと感じたかも知れないが、それは正しいであろうか。それを、そよ風に変えることには価値があるだろうか。湿度が高くむせかえるような時、そこに居る人々には何が必要だろうか。こうした人々には、気分を爽快にし、気持ちを落ち着けて改善するため、やさしく吹き渡るそよ風が必要である。たとえば、多くの人々で込み入った部屋に座っていて、息が詰まるような場合、何が最も必要であろうか。(そよ風である。)風通しが悪く空気が汚れている場所では、人間の思考が遅くなり、血行が悪くなり、頭脳の明晰度が落ちる。しかしながら、空気を循環させて換気できる場合、空気が新鮮になって人間の気分は格段に良くなる。小川や強風は災害を起こす可能性もあるが、山がそこにある限り、小川や強風は山によって人間に有益な物に変えられるのではないか。

   この物語の3番目の部分は、どのような内容であっただろうか。(大きな山と大波の話であった。)そのとおり、大きな山と大波の話である。この部分の舞台は海を見下ろす山で、山と、波しぶき、そして大波が登場する。この部分において、山は大波にとって、どのような存在であろうか。(保護するものであり、遮蔽物である。)山は保護するものであり、かつ遮蔽物である。そうではないか。大波を保護することは、海のこの部分が消滅するのを防止し、その中の生物が繁栄出来るようにすることである。遮蔽物としての山は、大量の海水が氾濫して災害を引き起こし、人間の家を破損させたり破壊したりするのを防いでいる。そうではないか。したがって、この山は遮蔽物でもあり、保護するものでもあると言える。このことは既に述べたように、山と小川、山と強風、そして山と大波との間にある相互依存と、それらの物がどのようにして相互に制限し合い、依存し合っているかの重要性を示すものである。

   これらの神の創造物の存続を支配する規則と律法がある。あなたがたは、この物語の出来事から、神が行った業を理解できるであろうか。神は宇宙を造り、その後の出来事を無視したであろうか。神は規則を設け、その規則がどのように働くかを計画した後、その規則を無視したであろうか。そのようなことがあったであろうか。(無かった。)それでは、どのようなことがあったであろうか。(神は管理している。)神は水、風、波を依然として管理している。神はそうした物事が荒れ狂い、人間の家を破損させたり破壊したりすることを許さないので、人間は引き続き地上で生活し、繁栄することが出来る。すなわち、神は、神が宇宙を造った時、既に存続に関する規則を計画していた。神がこれらの物事を造った時、神はこれらの物事が人間に資することを確認し、またこれらの物事を管理して人間にとって問題や災難とならないようにした。これらの物事が神により管理されていなかったとしたら、水は随所に溢れ出すのではないだろうか。風は随所に吹き荒れるのではないだろうか。神がこれらの物事を管理していなかったとしたら、こうした物事は規則により管理されず、随所に風が吹き荒れ、水が溢れかえるであろう。大波が山よりも高かったとしたら、その部分の海は存続出来たであろうか。海のその部分は存続し得なかったであろう。もし山が波と同じ程度の高さでなかったとしたら、海のその部分は存在せず、山はその価値と意味を喪失するであろう。

   ……

   大きな山と小川の部分に関し、この山はどのようなものであっただろうか。山には生物が繁栄しているので、山はそれ自体に存在価値がある。同時に、この山は小川を遮り、小川がとりとめもなく流れて人々に災害を及ぼすことの無いことが確実化される。そうではないだろうか。山が存在するおかげで、山は小川が流れる方向を示すと同時に、山の草木をはじめとする植物や動物などの生物を繁栄させることができる。山は小川の水を集め、山の麓を自然に流れさせ、そこで小川は大河へと流れ込み、最終的に海へと到達できる。この状況に存在する規則は自然により決められたものでは無く、神が創造した時に、特に定められたものである。大きな山と強風の部分に関しては、山には強風も必要である。山は、風が山に棲む生物に心地よく吹き当たることを必要とする一方で、風が被害を発生させないようにするため、山は風の吹く強さを制限する。この規則には、ある意味で山の義務がある。それでは、この山の義務に関する規則は、自然と決まったものであろうか。(そうではない。)そうではなく、この規則は、神が決めたものである。この大きな山には義務があり、強風にも義務がある。大きな山と大波の部分に関しては、山が無かったとしたら、大波は自分で流れる方向を探し当てていたであろうか。(そのようなことは無いだろう。)水もまた被害を発生させる。山には、それ自体に山としての価値があり、海にも海としての価値がある。このように、両者が相互に干渉せず、通常通りに存在可能な状況においては、両者は相互に制限もする。大きな山は洪水を起こさないように大波を制限して人々の家を守り、またこれにより海は海中に棲む生物を繁栄させることができるようになる。この環境は、自然に形成されたものであろうか。(そうではない。)これもまた神により造られた。これらの光景から、神が宇宙を造った時、神は山がそびえる場所、小川が流れる場所、強風が吹き出す方角と吹き込む方角、大波はどの程度の高さかが、予め決められていたことが分かる。神の意図と計画は、これらの物事全ての中にあり、それは神の業である。あなたがたは、万物に神の業が存在することを理解できたであろうか。

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