ある日、小慧は突然吐き気を覚えました。悪いものを食べたせいでのぼせてしまったためではないかと思い、漢方薬を二種類処方してもらったのですが、それを飲んだあとも吐き気はひどくなるばかりでした。そのとき初めて、小慧はこう考えました。私は妊娠しているのではないか。しかし、次にこう思いました。「そんなことがどうしてあり得るの。二年間も不妊治療を受けて結局だめだったし、どうして妊娠なんてできるの」そうは言うものの、純粋な好奇心から妊娠検査を受けたところ、結果は陽性でした。彼女は興奮のあまり空中に飛び上がりそうになりました。本当にすごい! 妊娠しようと三年間頑張ったのに、結果は失敗だった。妊娠して子どもを授かる計画を完全にあきらめ、すべてを神様の支配と采配に託したところ、本当に妊娠した。これが奇跡でなくて何でしょう。彼女は、アブラハムが百歳で息子を授かったという、祖母が語ってくれた聖書の物語を思い出しました。そして、自分が今日妊娠したのは神様の権威とお力の表われだということに気づきました。小慧は心の中で制御不能な喜びを感じました。神様に感謝と賛美を捧げ、人間の出来事はすべて神様の支配と采配の一部なのだと、これまで以上に確信しました。
小慧は妊娠の喜びに浸りましたが、新たな問題が次から次へと起こりました。流産の可能性が高く、それを防ぐためにプロゲステロンを経口摂取する必要があると医師から言われたのです。また胎児が正常に成長しているかどうかを観察するために定期検査を受けなければならず、もし正常に成長していなければ中絶する必要がありました。また医師は小慧に、妊娠中に自分の知らないところで飲んだ二つの漢方薬が胎児に影響を与えているかもしれないと告げ、先んじて中絶するよう提案しました。医師の言葉は小慧にとって大きな打撃で、途方に暮れました。自分の状態を考えれば妊娠するのは難しく、この「予期せぬ」妊娠は奇跡だと知っていたのです。彼女は心配しました。中絶すれば再び妊娠することはないだろう。でも中絶しなければ奇形児を出産するかもしれない。彼女は不安でした。病院は子宮収縮抑制薬を処方してくれたものの、それがうまくいくと安心させるものは何もなく、どうすればいいかわかりませんでした。
ある集会で、小慧は胎児に関する自分の不安と心配を語りました。すると姉妹が神様の御言葉の一節を辛抱強く探して彼女に伝えました。小慧はそれを読みました。「科学は人のために何をしますか。科学が人にするのは、対象物を物理的世界において見ることができるようにすることだけで、単に人間の好奇心を満たすに過ぎません。それは人間に神が万物を支配している法則を見せてはくれません。人間は科学に解答を見出しているようですが、その解答は不可解で、一時的な満足感、人間の心を物理的世界に閉じ込めることだけに役立つ満足感をもたらすだけです。人間は既に科学に解答を見出したと感じているので、どのような問題が起きようとも、科学的意見に基づいてそれを証明したり受け入れようとします。人間の心は科学に取りつかれたようになり、科学に魅惑されるあまり、もはや神を知り、神を拝み、万物は神から来て、解答を得るには人は神に向かうべきであると信じる心をもたなくなります。」
姉妹はこう語りました。「私たちが科学を崇拝して頼るのは、科学の意見や論法が心に植え付けられているからです。例えば、『科学は万能である』とか『科学は至上である』とかいう考えのために、私たちは病気になったとき、神様の御心を探し求めて御前へ赴くよりも、医者に会って科学に頼るべきだと考えています。科学や医学が問題を解決できないとき、私たちは絶望と苦痛にさいなまれます。それと同じく、あなたは自分の病状を経験する中で、妊娠する可能性はないと医者から言われたとき、義両親が自分を見下すのではないかと恐れて不安になり、そのため苦しみの中で過ごし、あたかも救命具のように医者のところへ行きました。その医者が、あなたの飲んだ薬が赤ちゃんに影響を与えるかもしれないと言って、中絶するよう勧めてきたとき、あなたは神様の御言葉と行ないを心の裏側に置いて、神様から授かった子どもが健康でないのではないかと不安になりながら、不安と苦悩の中で過ごしたのです。事実は、人間は神様によって造られ、各人の身体の欠陥や将来何が起きるかはすべて神様によって操作され、神様は人々のためにとても正確なご準備をなさっているのです。私たちは神様のお言葉から、科学は真理でなく人々を救えないこと、それは人々を堕落させ、混乱させ、誤った方向へ導くだけだということを知るので、自分から苦痛を取り除きたければ、物事を行なう原則として神様のお言葉を受け入れ、科学を正しく扱うとともに、盲目的に従ってはいけません。現状において、あなたは胎児を守るために必要なことを行ない、予定通り検査に行きなさい。でも胎児の運命を神様に託して祈り、子どもが健康に生まれるかどうかにかかわらず、神様の采配に従いなさい。そうすれば、これ以上苦しみのうちに過ごすことはなくなります」
神様の御言葉を読んで姉妹の話を聞いたあと、小慧の心は明るくなりました。彼女は深く感動してこう考えました。「その通りだわ。私は神様の全能性と支配をわかっていなくて、科学に頼り盲目的に従うことで人生を惨めなものにしてしまいました。でも、おばあちゃんが神様の御言葉を何度も私に読んで伝えてくれたこと、それに姉妹のお話と助けのおかげで、神様が指揮なさることやお定めになることについての認識が得られ、これからは自分が遭遇した問題を正しく扱うようになり、サタンによってもてあそばれたり害を受けたりすることはないでしょう。実際、私はホルモン療法をやめたあと奇跡的に妊娠したことの中に、神様の権威を見ました。そして、神様の権威の前では科学も医学も取るに足りないということを個人的に体験しました。いまお医者さんは、胎児が健康でいられるように薬を飲むことを勧めていますし、異常があれば中絶しなくてはならないと言っています。そうして私はその件で心配と不安を抱えるようになりましたが、そのことは、私がまだ神様の権威を信じていないことと、神様がすべてを支配なさっていることを証明しているのです。私は神様に祈って胎児を託そうと思いますが、それと同時に、胎児が健康でいられるように数週間は薬を飲むつもりです。私は、神様が結果を采配なさるのに任せようと思います」
その後、小慧の心は穏やかになり、胎児について心配したり不安になったりするのをやめました。病院で行なわれた三度目の検査で、プロゲステロンレベルが正常であることが確かめられ、妊娠中に行なわれたすべての定期検査でも、胎児に関することはどれも正常でした。彼女は神様が自分を守り気にかけていらっしゃることを知り、心の中は神様への感謝で一杯でした。
2018年1月、小慧は無事に出産し、神様はかわいらしい男の子をお授けになりました。出生後の継続検査で、小児科医はビリルビンレベルを調べ、数値が高いので治療のために病院にとどまる必要があると告げました。状態を改善させられなければ黄疸になってしまい、そうなれば脳に障害が残って知能に影響を及ぼすというのです。医師の診断は小慧にとって非常に深刻に聞こえ、病院にいなければ息子の知能が影響を受けるかもしれないと不安になり、神様に祈りました。「神様、あなたはこの子を授けてくださいました。この子の病気も何もかも、あなたの御手の中にあります。この子のビリルビンレベルが上昇して脳に害を及ぼすかどうかは、お医者さんでなくあなた次第です。結果がどうあれ、私はあなたの支配と采配に従います」祈り終えたあと、彼女の頭に神様の御言葉が浮かびました。「生けるものも死せるものも、ありとあらゆるものが、神の思いによって、移ろい、変化し、新しくされ、消え去るのである。これが、神が萬物を支配する方法である。」神様の御言葉は小慧の信仰を強め、彼女は我が子を神様に託すことに決めました。半月後、検査のために息子を再び病院へ連れて行き、ビリルビンレベルが正常であるとわかったとき、小慧はまたしても、神様の支配とお力がどこにでもあること、神様だけが本当に頼る価値があることを知りました。病院にいた他の母親と話しながら、彼女たちの子どももビリルビンレベルがとても高いために、継続治療のため入院し続けなければならないことを知りました。小慧は神様への信仰の中で大いに喜びましたが、それはこれ以上の出費をする必要がないからだけではなく、我が子が苦しい思いをせず、また自分自身もその不安と心配に苦しむ必要がないからでもありました。
不妊から妊娠、そして元気な子をこの世に送り出した道のりの中で、小慧は個人的な体験をして、神様の全能性と支配が実際のものであること、神様の御言葉は人々が生き続ける動機であること、そして科学は真理でなく、人々を救うことも個人の運命を変えることもできないと感じました。神様だけが人々のいのちの源であり、人類の運命を定めて指揮なさるのであり、人々が何を持ち何を持たないかはすべて神様次第なのです。いつの日か、神様への信仰と崇拝の光の中を歩き、神様のご配慮と保護の下で暮らすことを小慧は待ち望みました。
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