一度、私たちの会社のスタッフは祝日で休みの時がありました。私たちの部署の部門リーダーが私に電話をしてきてこう言いました、「今日は部門のメンバー全員が休みだなんて本当に素晴らしい。みんな出て来て軽く飲んでるんだ。みんな来てるのに、お前だけが来ていないじゃないか。出来るだけ早く来てくれよ。みんなで待ってるからな。」この言葉を聞いた私は心の中でこう思いました、「私はもう飲まないって決めたんだ。でも、行かないとはっきり言ってしまったら、部門リーダーは間違いなく不満になって、私は彼の面目を潰していると感じるだろう。でも彼らの言う通りにしたら、私は飲んだ後に苦しい思いをすることになる。一体どうするべきなんだろう?」そして、私は心の中で神に祈りを捧げ、私がこれまでのサタンの考えと観点を指針にして生きて行かなくてもいいように、自信と力を与えてくださるよう請いました。そして、私は彼にこう言いました、「最近私は仕事で少し疲れているので、ちゃんと体を休めたいんですよ。なので、今日は遠慮しておきます。」私の言葉を聞いた彼はがっかりしてこう言いました、「了解、でも今度飲み会をする時は、絶対来てくれよ!」
電話を切った後、依然として落ち着かず、心配だった私は心の中でこう考えました、「今回は飲みに行かなくて済んだけど、次回また彼らは飲みに行こうと誘ってくるだろう。彼らと一緒に行くのをいつも断っていたら、私は彼らの面目を潰していると思われないだろうか?彼らは私のことをどう思うだろう?でも、行ってしまったら依然として酒を飲むことの苦しみから抜け出せないでいることになってしまう。」従って、私は神に祈りを捧げ、自分の心の中の考えを伝え、私を御導きくださるよう請いました。後に、私は神のこの御言葉を目にしました、「神との正常な関係を持たなければ、あなたが他の人たちとの人間関係を維持するために何をしようとも、また、そのためにいかに励み、いかに多くの労力を費やしたとしても、それは依然として人間の人生哲学に属するものであろう。あなたは、人々が自分を賞讃するように、人間の観点と哲学により、人々の間で自らの地位を維持している。あなたは、神の言葉に従って人々との正常な関係を確立してはいない。もしあなたが、人々との関係に重点を置かず、神との正常な関係を維持し、自らの心を進んで神に捧げ、神に従うことを学んだならば、全ての人々との関係も極めて自然に正常なものとなるであろう。…正常な人間関係は、自らの心を神に捧げることを基礎として成り立つのであって、人間の努力によって達成されるものではない。神なしでは、人々の間の関係は単なる肉の関係である。そうした関係は正常ではなく、情欲に耽溺することであり――それは神が嫌悪し、忌み嫌う関係である。」私は神の御言葉を受けてこう理解しました:「人々の関係は神の御言葉を実践することを土台に確立しています。それはお酒を飲んで維持することはできません。過去、私は昇給と昇格を手にしようと、常にお酒を飲むことを利用して同僚やマネージャーたちとの関係を維持したがっていました。しかし、私はその関係を維持すればするほど、増々疲れていきました。私は昇格できなかっただけでなく、沢山苦しい思いをしました。今、私は神を信じているので、物事を神の御言葉に従って捉え、神と適切な関係を築くべきなのです。それい、人々の関係はお酒を飲んで維持されているものではありません。人々がお互いに良い関係を持てていれば、それは一緒にお酒を飲まなくても変わらず良い関係になります。良い関係でなければ、一緒にお酒を飲んでも、悪い関係のままです。他人からどう見られようとも、私の全ては神の御手にあり、誰もそれを変えることはできないのです。」私は神の御心を理解したら、心が安心しました。
翌日、私が仕事に行くと、皆は普段通りに挨拶してくれ、部門リーダーも私に怒ってはいませんでした。全てが普段通りに行きました。私は心の中で嬉しくなり、神の言葉に従って実践したから想像していたように皆から見下されるようなことにならなくて済んだと感じました。このようなことが数回あった後、皆が私を飲みに誘ってくることはなくなりました。
一度、部門リーダーがまた仕事の後にお酒を飲みに行った後、車の事故を起こして2か月の療養期間を必要としたことがありました。マネージャーは私にこう言いました、「部門リーダーはいつも酒を飲みに行ってたから、仕事にいつも問題があった。それに、彼はたまに残業をした後ですら酒を飲みに行くことがあった。だから、彼が事故を起こすのは時間の問題だったんだ。お前はあまり酒を飲もうとしないし、物事にも現実的に取り組んでいる。私はお前を部門リーダーに指名する。今後一生懸命働いて、仕事の後、家に帰る道中は気を付けるんだぞ。事故は起こさないようにな。」私は繰り返し頷きました。私はマネージャーとほぼ半年近くお酒を飲んでいなかったことを思い出しました。にもかかわらず、彼は私に部門リーダーの仕事を引き継ぐように頼んできたのです。私はこれにより、人は他の人を夕食に招待したり、プレゼントを贈ったりして一時的な利益を手にすることはできるが、正直な仕事をしていなければ、将来的に周りの人たちの称賛を得ることはできないということを心から学びました。私はまた、神を信じるようになってから、何かを狙ってマネージャーの機嫌を取るのではなく、神の御言葉に従って実践するようになっていたことにも気が付きました。こうすることで、私の心が落ち着いただけでなく、他の人まで心が安らいでいたのです。
神はこう仰ります:「神の本質は聖なるものであるので、あなたは、神によってのみ、人生を通して光ある正しい道を歩むことが可能となり、神によってのみ、人生の意味を知ることが可能となり、神によってのみ、真の人生を送ることが出来るようになり、真理を獲得し、知り、真理からいのちを得ることが出来るようになる。人間が邪悪を回避するのを助け、サタンの危害と支配から人間を救うことが出来るのは、神のみである。神以外に、あなたが苦しまないよう、辛苦の海から救い出すことが出来る人間や物は存在しない。このことは、神の本質により決定される。」その瞬間、私は神のみが人間に対して真の愛を抱いておられるということを更に深く学びました。以前、真理を理解せず、自分の面目と将来の懸念に支配されていた私は、邪悪なトレンドに従うことを嫌がってはいても結局は大衆について行き、苦しい思いをしていたのです。神の御言葉による御啓示と御指導のおかげで、私はサタンの誤った考えによる抑制と束縛から抜け出すことができたのです。今、私は面目と将来の支配力に抵抗し、神の前で生きられるようになりました。マネージャーは私が彼らと一緒に飲みに行かなからといって私を見下さなっただけでなく、むしろ私を信頼して育ててくれたので、私は神の御恵みと祝福を心から感じることができました。
今、私は神の御言葉を頻繁に読み、その理解を兄弟姉妹たちと共有し合うことで多くの真理を理解できているため、邪悪なトレンドから距離を置き、真の愛情の意味を理解できています。現在、私はもう人間関係に悩まされてはいません。代わりに、私は物事を神の御言葉通りに捉え、神の御指導と主権に従うことで真の解放と自由を手にしています。私は神が私を御救いくださったことにとても感謝しています!
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