2018年10月11日
最近、私は、聖書を読むのが増々退屈で、つまらなくなってきたと感じていました。なぜなら、何の啓蒙も得られないからです。私は今までずっと毎日祈りを捧げてきましたが、その効果はほとんど無く、私の魂がそれに動かされることもありませんでした。主は私から御顔を隠しておられ、私に耳を傾けておられないのではないかと私は感じました。しかし、聖書を読まないでおこうと考えると、私は怖くなりました。過去10年間、私の最も大きな願いはイエス・キリストが再臨される時に天国に連れて行っていただくことでした。私は聖書を読み続けなければ主との関係が完全に断たれてしまい、主が来られる際に取り残されることを恐れていたのです。
以前、私はマタイ24:30と26:64、そしてマルコ13:26に主は雲に乗って来られると記されているのを目にしていました。そして、特、にヨハネの黙示録1:7にはこう書かれていたのです:「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。」。主は再臨される時、雲に乗って降臨され、全ての人間が主の御姿を目撃すると私は確信していたのです。従って、私は、主に、信者たちを迎えに雲に乗って降臨される時、私を見捨てないで欲しいと頻繁に祈りを捧げていました。私は数日前にマタイ25:6を読みました:「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」主は真夜中に来られるということがこの節から明らかに分かります。そして、私は、「その時には皆寝てしまうかもしれない。そうしたら、主が雲に乗って来られても分からないじゃないか?」と少し心の中で心配になりました。私は隣に住む姉妹にこう尋ねました、「主に見捨てられないようにするにはどうやって注意していればよいですか?」「祈りを捧げるのが唯一の手段よ」、と彼女は言いました。私は彼女の言葉を聞いて少しがっかりしました。私は彼女にこう言いました、「祈る以外の方法がないのか知りたいんですが」 彼女は瞬きをしただけで他には何も言いませんでした。
先日、私は突然テサロニケ人への第二の手紙1:7を目にしました:「それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。…」この節を読んでいると、私は思わず混乱してしまいました:「主は雲に乗って来られるのではないのか?どうしてこの節は主が燃える炎の中から現れるなどと言っているんだ?主は一体どのようにして来られるのだろう。」私はしばらくの間この疑問に頭を悩まされ、どれだけ考えても答が分かりませんでした。私は少し意気消沈してしまいました。なぜなら、私は聖書を読んでも何の啓蒙も得られないだけでなく、食い違いを沢山発見したからでした。私は幾度となく読み返しましたが、理解できるどころが、逆に増々混乱していきました。私はもうこのことを忘れて無視したいと思いましたが、これは大きな問題であると感じたので、どうしても諦めることができませんでした。私は心の中で主にこう祈ることしかできませんでした、「ああ、主よ、どうしてあなたが来られる方法を知りたいと思えば思うほど、増々混乱していくのでしょう?これはどうしてなんでしょうか?」
2018年10月17日
私は最近、主がどのようにして来られるのかを知ろうとインターネットで聖書の勉強をしていました。以前、ある節に主は真夜中に来られると記されていたと同時に、他の節で主は燃える炎の中に現われると記されていたのを目にした時、主が雲に乗って来られるという私の観念は打ち砕かれました。私は、「その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」(マルコによる福音書 13:32)」、という節を聖句の中で読んだ時、更に困惑しました:「人間は主が正確にいつ来られるか分からないというのに、どうやってイエス・キリストの再臨をお迎えすればいいんだ?」私は考えれば考えるほど、増々混乱していきました。私は、聖書を編集した人は内容を適切に整理して伝えていないから、読んでいるうちに増々混乱してしまうと文句まで言いました。
そこで私はヂェン兄弟が一度海外にいたことを思い出し、この疑問についてもって知っているかもしれないと思いました。私は食事を済ませた後、ヂェン兄弟に電話して自分の家に来て欲しいと頼みました。彼がやって来た時、私は自分の困惑を吐き出しました。彼はこう言いました:「私も以前は主がどのようにして来られるかについて混乱していましたよ。」後に、私は真理に精通した兄弟姉妹との交流を通じて、主が来られる方法は、可能性として、秘密の来臨と公然の来臨の2種類があることを知りました。マタイ25:6にはこう記されています:『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。』 そしてマルコ13:32にはこう記されています:「その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」この2節は主の秘密の来臨について言及しています。その一方でルカ21:27にはこう記されています:『そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。』そしてヨハネの黙示録1:7にはこの記述があります:『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。』これらは神の公然の来臨について言及しているのです。
すなわち、主はまず秘密に降臨され、それから公然と降臨されると言っているのです。秘密に降臨されるということは、神は終わりの日に裁きの働きをするために人の子として受肉されることを意味しています。聖書にはこう書かれています「まず多くの苦しみを受け」、そしてその人の子は教会に足を踏み入れ、金の燭台の間を歩かれます。これらは全て、人の子が秘密に来臨された後に裁きの働きをなさる時期について言及しているのです。人の子は人間から生まれ、外見は普通の人と全く変わりません。彼の内には神の本質が宿っていますが、誰もそれを認知したり、知ることはできないのです。これ故に、神が肉として働きをなさる時は神が秘密の働きをなさる段階であります。例えば、主イエス様が十字架に釘付けにされる前、主の弟子たちは主のことを知りませんでした。そして天の御父による御啓示のおかげで、ペテロは主イエス様を生きる神の子、キリストであると認識できたのです。神が受肉されて人の子として働きをなさる間、私たちは聖霊の働きがなければ神に気が付くことも、神の御言葉を理解することもできません。なぜなら、私たち人間の目は霊的領域の中を見ることができないからです。だからこそ、人の子が働きをするために降臨なさる時期は、神が人類の中へ秘密の降臨をなさる段階となるのです。
神がをなさる段階は、神が人間を救うために御言葉を表し、裁きの働きをなさる時期です。人間は神の御言葉と働きを経験した後、各々の堕落の実相を知り、各々のサタンのうような本性は極めて頑固で、容易には変えられない、そして、徐々に各々の罪深い本性を振り払って清めと御救いを受けられるように、神の御言葉を実践かつ経験し、同時に神の裁きを受け入れ、それに従う必要があることを心から理解するのです。人間はこの段階にたどり着くと、神の御言葉が彼らの内に結果を生み出したこと、そして人間を完全に救う神の経営計画が全面的に成就したことを心の底から理解します。その時、神の秘密の働きは完了し、全ての人間は神の前で服従し、神の御救いに感謝し、神の全能さ、知恵、そして素晴らしい御業を称賛するでしょう。その後、神は御姿を変えられ、善人に報いを与えて悪人を罰する働きをするために、公然と人類の前に御姿をお見せになるでしょう。その時、それぞれの種類の人間がついにその本性を明らかにされてしまいます。神は神の裁きと清めを受けて清められ、試練と苦難の中で神の証言を行った勝利者たちを神の御国へとお連れくださります。それと同時に、神は神に抵抗したサタンの全形態を罰して破壊するために大災害を引き起こされます。神のこの種の働きはまさにヨハネの黙示録に記されている次の預言を成就しています:『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。』(ヨハネの黙示録 1:7)。」
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