賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

中国の国外亡命者への攻撃をテーマにしたBitter Winterの新作映画『竜の長い腕』

2019-07-26 18:40:31 |  ニュース

オンライン公開中のこの映画は、中国共産党が国外で直接、あるいは協力関係にある支持者を通していかに亡命者を脅し、難民認定の取得を妨げているかを描いている。

マッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)

映画『竜の長い腕 – 宗教弾圧から逃れ、海外に逃亡した難民を苦しめる中国政府』のオリジナル英語バージョンをいよいよ当ウェブサイトで公開する。英語以外にもBitter Winterで発信している7言語の字幕を提供する。

映画の初公開は6月20日、映画と同タイトルのBitter Winter共催会議『竜の長い腕』会期中に韓国のソウルで行われた。

映画では、中国国内の宗教迫害によって亡命者が生み出された過程と、中国共産党 がいかにしてその長い腕を国外にも伸ばし、宗教を理由に亡命した人々が難民認定を受けるのを妨害し、あらゆる嫌がらせと暴力を加えて迫害しているのかを説明している。映画では亡命者が暗殺された可能性のある事例にも言及している。

加えて中国共産党の「同伴者」の活動も非難している。ソ連の時代にはどちらかと言えば冷たい目線を向けられながら活動していたいわゆる「使える間抜け」が中国の諜報機関、保安部と手を組み、さまざまな口実を作り上げては亡命者を迫害しているのだ。映画の中では、呉明玉(オ・ミュンオ)氏と韓国における彼女の反カルト、親中国共産党組織の活動を「同伴者」の事例として取り上げている。実際にそれは、民主主義国家で親中国のスパイが公道でデモを行って罪のない亡命者の中国送還を呼びかけるという極端な例だ。しかし、亡命者が中国に戻れば逮捕、拘束、拷問が待っている。不本意にも強制送還された難民認定申請者の事例がその事実を証明している。

Bitter Winerは、この映画が世界中の誠実な人々の良心に訴えかけることを望んでいる。『竜の長い腕』が伝えたいメッセージは至極簡潔だ。宗教迫害から逃れた人々を支援してほしい。亡命者たちはあなたの助けをまさに今、必要としている。

 

この文章はマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)による『BITTER WINTER』である 。


言葉を用いて人間との契約を立てる神

2019-07-26 18:04:19 | 聖書の奥義を開く

 (創世記9:11-13)「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。」

 神が万物を創造した後、創造主の権威が「虹の契約」により確認され、再び示された
言葉を用いて人間との契約を立てる神,創世記

 創造主の権威は、全ての生物に対して示され、行使されていた。また神は万物の運命を支配するのみならず、神が自身の手により造った創造物であり、異なる命の構造と形態を持つ、人間も支配していた。創造主は、万物を造った後、神の権威と力を示すことを止めなかった。神にとって、万物を支配し、人類全体の運命を支配する権威が正式に始まったのは、神の手から人間が実際に生まれた後であった。神は人間を管理し、支配し、救い、万物を支配できる人間を真に自分のものとし、そうした人間を神の権威に従って生活させ、そうした人間に神の権威を知らせ、神の権威に従わせる意向であった。したがって神は、人間に対して言葉を用いて自身の権威を示すこと、そして自身の権威により自身の言葉を実現させることを、正式に始めた。この過程においても、あらゆる場所で神の権威が示されていたことは、言うまでも無い。ここでは、あなた方が神の独自性と神のみが持つ権威を理解できるよう、良く知られた特定の例を選んだに過ぎない。

 創世記9:11-13と、上記の聖句には、神による世界の創造の記録に関し、類似点があり、また相違点もある。類似点は何であろうか。類似点は、神が行う意向であった業が言葉を用いて行われていることであり、相違点は、この聖句にある神と人間との対話である。この対話では、神が人間との契約を立て、契約に含まれる内容を人間に伝えている。神と人間との対話により、神の権威が行使されている。つまり、人間が造られる前においては、神の言葉は、神が創造した物に対する指示と命令であった。しかし、神の言葉を聞くことができる者が現れたため、神の言葉は人間との対話であり、かつ人間に対する訓戒であったほか、万物に対する神の権威のある命令でもあった。

 この聖句には、どのような神の行動が記されているであろうか。この聖句は、神が洪水により世界を破壊した後、神が人間と立てた契約について記されており、神は二度と同じように世界を破壊しないこと、そしてこれについて、神はしるしを造った。そのしるしとは何であろうか。聖句には「わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。」とある。創造主は人間に対してこの通りの言葉を語った。神がこのように述べると、人間の前に虹が出て、それは現在も存在する。皆その虹を見たことがあるであろう。あなた方は、虹を見たとき、虹がどのように現れるか知っているだろうか。虹がどのように現れるか、あるいはどこから現れるか、それがどこにあるかは、科学では証明出来ない。それは、虹が創造主と人間との間の契約のしるしだからである。その契約には科学的根拠は不要であり、虹は人間により造られた物では無く、人間は虹を変えることもできない。虹は、神が言葉を述べた後に、創造主の権威が継続しているものである。創造主は、独自の方法により、神と人間との契約を遵守したので、神が立てた契約のしるしとして神が虹を用いたことは、天の律法と天の命令であり、その律法と命令は、創造主にとっても、造った人間にとっても永遠に不変である。しかし、この変えることのできない律法は、神による万物創造後における創造主の権威の現れであり、創造主の権威と力は無限であることを言わなくてはならない。神が虹をしるしとして用いたことは、創造主の権威の継続であり、その延長である。それは神が言葉により行なったもうひとつの業であり、神が言葉により人間と立てた契約のしるしである。神は人間に対して、神が何を行い、それをどのような方法で実現すると決めたかを人間に対して述べ、それは神の言葉に従って実現された。こうした力は神のみにあり、神が言葉を述べてから数千年が経過した現在も、神の言葉により述べられている虹を見ることができる。神が述べたこの言葉により、それは現在まで変えられることが無かった。この虹を消すこと、その律法を変えることができるものはいらず、虹は神の言葉のために存在する。これはまさしく神の権威である。「神は、神の言葉通りを実行し、神の言葉は実現され、実現された物事は永遠に継続する。」現在も存在する虹は、そのことを明確に表しており、神の権威と力の明確なしるしであり特徴である。被造物には、そうしたしるしや特徴を持つ物はなく、そのような特徴やしるしは見られず、被造物以外の物のいずれにも、そうしたしるしや特徴は見られない。そうしたしるしや特徴は唯一の神のみにあるものであり、そうしたしるしや特徴により、創造主のみにある身分と本質と、被造物の身分と本質とが区別される。同時に、そうしたしるしや特徴は、神自身を除いて、被造物やそれ以外の物のいずれも決して超えることができないものである。

 神が人間との契約を立てたことは、極めて重要な業であり、人間に真実と神の心を伝えるために用いた業であり、それについて、神は、神が人間との間で契約を立て、その契約を誓うために特別なしるしを用いるという、独自の方法を採った。この契約が立てられたことは、素晴らしいことであろうか。またそれは、どの程度素晴らしいことであっただろうか。この契約の特別な点は、この契約が、人間と人間、組織と組織、国と国の間で立てられた契約でなく、創造主と人類全体の間で立てられたものであり、創造主が万物を完全に破壊する日まで継続して有効なものであることにある。この契約を誓ったのも、維持するのも創造主である。つまり、人間と立てた「虹の契約」のすべてが、創造主と人間との間の対話に基づいて履行され、それは現在も続いているということである。被造物は、創造主の権威に服し、従い、また創造主の権威を信じ、感謝し、証しをし、讃美する以外に、何ができるであろうか。このような契約を立てる力を持つものは、唯一の神以外に無い。幾度となく出現する虹は、創造主と人間との間の契約を人間に知らせ、その契約について人間の注意を喚起するものである。創造主と人間との間の契約が継続的に現れることにより人間に対して示されているのは、虹でも契約自体でもなく、変えることのできない創造主の権威である。幾度となく出現する虹は、隠された場所における創造主の驚異的かつ奇跡的な業を証明すると同時に、色あせず、変わることの無い創造主の権威を力強く反映するものである。虹は、創造主のみにある権威の別の側面を示すものではないだろうか。


韓国で全能神教会に対する偽の抗議デモが開始

2019-07-25 18:53:52 |  ニュース

1ヶ月前にBitter Winterが暴いた極秘計画を実行するため、中国共産党は全能神教会の信者で難民認定申請者の親戚を韓国に派遣し、中国寄りの反カルト活動家と共に「自発的な抗議デモ」を捏造しました。

2018年8月4日Bitter Winterは、中国でひどい迫害を受けている全能神教会信者の難民認定申請者に対する韓国で嫌がらせ行動への協力を求める中国共産党の極秘文書を公表しました。中国共産党は中国で暮らす難民申請者の親戚を必要に応じて脅迫または強要し、家族に「故郷に戻ること」を説得するよう命じました(難民認定申請者が中国に戻った際には、「自宅」ではなく、刑務所に「戻る」ことになります)。この計画では、韓国にいる中国寄りの活動家と全能神教会に敵対する反カルト活動家の協力も求めています。

中国共産党の本計画が実行段階にあるという報告をBitter Winterは受けています。8月27日、全能神教会に敵対する活動家で中国シンパの呉明玉(オ・ミュンオ)が、複数の中国寄り/反カルトの韓国メディア(「宗教と真理(종교와 진실)」等)を使い、全能神教会の信者の難民認定申請は偽装で、難民制度を悪用しており、全能神教会を信仰することで一家離散となっているという偽ニュースを流しました。これらのニュースは、全能神の信者の中国への本国送還を強く訴えていました。

8月30日から9月4日の期間、韓国にいる全能神教会の難民認定申請者の家族十数名や反「カルト」キャンペーンに積極的な5つの韓国系教会の信者など、50名以上が済州裁判所、済州議会、温水にある全能神教会コミュニティ、全能神教会礼拝所(全能神教会の信者が礼拝のために集まる場所)、青瓦台(韓国大統領の執務室・官邸)などの前で、抗議デモを行うと、これらのメディアは報じており、8月31日には記者会見まで開きました。これらすべての情報の正確性は、韓国にいる匿名の内部情報提供者とBitter Winterが取材した全能神教会の信者により確認されています。

8月30日の午後、ある全能神教会の信者は、中国に住む母親から、中国共産党の役人が2ヶ月前に自宅にやって来て、韓国へ行き、子供を帰国させることに協力してほしいと言われたと伝えられました。推定では、全能神教会の信者の親戚10名以上が中国共産党の役人から同様の要請を受けたと考えられます。中国共産党はこの件について家族と頻繁に話し合うためのWeChatアカウントを開設しています。この信者の母親は、信者の姉夫妻が政府役人と済州に向かっていると告げました。夫妻はできるだけ長く韓国に留まるように要請されています。「状況は深刻になっている。姉さんの夫婦と一緒に帰って来ないと、私らがひどい目に遭う」と母親は言ったそうです。

韓国全能神教会の別の信者とその夫は、中国で中国共産党から迫害を受け韓国に逃亡してきた韓国系中国人です。8月29日、この女性が中国に暮らす母親に電話をかけると、女性に会うために従兄弟と一緒に韓国に行くことになり、現在、済州行きの飛行機を待っているところだと言われました。この女性が自身の暮らすソウルに直接来るように伝えると、済州で2日間滞在しなければならないが、その後ソウルに行く予定で、済州のホテルはもう予約済みだと言われました。母親は何かを言いよどんでおり、明確に話さないとき、中国の政府系テレビ局に勤め、今回同行する従兄弟に電話を変わることにこの女性は気が付きました。

8月30日の午後、呉明玉はソウルから来た2名のカメラマンを迎えに空港に行きました。信者の中国の親戚11名が済州に到着し、(呉明玉によると、13名信者の中国の親戚が韓国に来た)中国政府の役人もこのキャンペーンを現地で指揮するために韓国に到着したという報告を受けています。予定では、8月31日と9月1日に済州裁判所と議会で抗議デモを行い、その後、記者会見を開くことになっています。9月2日には温水の全能神教会コミュニティ、3日には青瓦台、4日には全能神教会礼拝所で抗議デモを行います。

全能神教会の難民認定申請者は家族が韓国に来ると知り、早く会いたいと教会に伝えました。そこで、全能神教会は韓国警察に連絡し、家族が会えるよう取り計らってほしいと依頼しました。しかし、呉明玉は彼らを断った。呉明玉が警察に提出した書面にした情報によると、呉明玉は抗議デモが終わるまで、家族を再会させることはできないと回答しました。

韓国に来た家族との再会を全能神教会が阻んでいると、呉明玉と中国共産党は主張するつもりであると、韓国人の情報提供者は明かしてくれました。これは全くのデタラメで、全能神教会の信者と家族の再会を妨害しているのは、実際には呉明玉です。中国共産党と反カルト活動家が家族の幸せよりも自身のプロパガンダに関心があることは明白です。

国連経社理で協議資格を持つ非政府組織「CAP-LC」など、信仰の自由を擁護する非政府組織9団体は、無害な難民認定申請者に対するこの無情な迫害に終止符を打つため、8月31日、中国共産党と韓国の反カルト活動家の行動を厳しく批判した請願書(下記)に署名しました。

非政府組織9団体による請願書

韓国における全能神教会の中国人難民認定申請者に対する迫害を中止せよ

全能神教会の信者数百名は、拷問や違法な殺人被害に関する数多くの事例が記録されている過酷なひどい迫害を中国で受けたため、韓国に逃れ、難民認定を申請しています。しかし、中国共産党は韓国にまで信者を追い、中国にいる親族を韓国へ渡航させ、難民認定申請者を「故郷に戻る」よう説得するよう脅迫または強要しています。しかし、信者は中国に送還された場合、「自宅」ではなく刑務所に送致されるでしょう。また、地元の反「カルト」団体の協力を得て、「自発的な抗議デモ」を捏造しています。

中国共産党にとって、政府に逆らって信仰を捨てない信者を中国で迫害するだけでは足りず、誤った情報で「反カルト活動家」の支援を得、中国寄り組織の協力の下、信者の逃亡先の国まで追いかけていくという行為は醜聞と言えます。

私どもは、中国当局に対して無害な難民に対する悪意に満ちたキャンペーンを即時停止すること、そして韓国政府に対して全能神教会の信者に難民資格を付与することをお願いする次第です。これらの信者が中国に送還された場合、逮捕、勾留、そして恐らく拷問が待っています。

2018年8月31日

CAP-LC – Coordination des Associations et des Particuliers pour la Liberté de Conscience(社団及び個人の良心の自由協会)

新興宗教研究センター)

EIFRF – European Inter-Religious Forum for Religious Freedom(宗教の自由に向けた欧州宗教間フォーラム)

FOB – European Federation for Freedom of Belief(欧州信仰自由連合)

FOREF – Forum for Religious Freedom Europe(宗教の自由フォーラム欧州)

HRWF – Human Rights Without Frontiers(ORLIR – International Observatory of Religious Liberty of Refugees(難民の宗教的自由の観察機関)

Soteria International(ソテリア・インターナショナル)


この文章は『BITTER WINTER』からです 。


説教師の悩み-主イエス・キリストの再臨をお迎えする方法とは

2019-07-25 18:25:49 | 天国への道

 私は教会で説教師をしているのですが、宣教するに値することが何もなく、兄弟姉妹たちに有益な啓示をすることができません。彼らの信仰は全般的に弱く気が抜けてしまった状態にあり、集会になると彼らは居眠りをするか、小声でお喋りをするといった始末です。教会で普段からこういう状況を目にしていると、いつもとてもイライラしてしまいます。私は幾度となく主に祈り、何度も兄弟姉妹たちに集中して注目するように注意しているのですが、彼らは主の再臨を受け入れられていないので、信仰を失ってしまっています。私は何を試しても教会を蘇らせることができません。そして、今は終わりの日で、不信者でさえ大災害が近々起こることを知っています。だからこそ、主が再臨されると考えるのは当然のことだと言えます。ならば、どうして私たちは主をお迎えすることができていないのでしょうか?私たちは本当に、ただ単に雲と空を見つめているだけで主の再臨をお迎えすることができるのでしょうか?私の心はつい最近までひどく混乱していました。

説教師の悩み,主イエス・キリストの再臨をお迎えする方法とは

 私がやる気をなくし、困惑していた丁度その時、私の同労者3人、リュウ姉妹、ヂャン兄弟、そしてワン兄弟が私を尋ねて自宅までやってきました。なので、私は彼らに自分の悩みを話しました。

 ワン兄弟は言いました、「荒廃した教会はもう既に宗教界全体でごく一般的な現象となっています。しかし、牧師と説教師たちの多くは自分たちの地位と生活を維持するためにこれを認めようとしません。なので、彼らは自分たちが得たものにしがみ付いているのです。しかし、災害はその勢力をどんどん増し、ブラッドムーンも既に4つ観測されており、それは聖書の中のヨエル書に記されたこの預言を成就しています:「その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。ヤーウェの大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。」近頃、私はこの預言についてよく考えるのですが、4つのブラッドムーンの出現は「日は暗く、月は血に変わる。」の部分を成就しているように思えます。この預言は、「ヤーウェの大いなる恐るべき日が来る前に」、とも述べています。そして、「大いなる恐るべき日」というのは大災害のことではないかと思うのです。さらに、「その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ」、という部分は大災害が起こる前の時期に神がなさる働きのことを指しているに違いありません。このように、私はこの預言の節を受け入れました。大災害が起こる前に、神の御霊は語り、それは神の御言葉を神のしもべとはしために注がれるように思います。私は聖霊が終わりの日に新たな段階の働きをなさるような気がしています。

 「ここで言う神の御霊の御言葉は、聖霊が教会に語りかけるというヨハネの黙示録に記されている預言に関連しているように思えます。聖書の説明者の大多数が、神は大災害の起こる前に勝利者の集団をお作りになると確信しています。これについて、私は、神の御霊が語ることと神が勝利者の集団をお作りになることは間違いなく関連していて、勝利者全員が神の目前で神のしもべとはしためになると思っています。」

 全員がこれに啓発されて、ワン兄弟に目を向けました。

 私がワン兄弟の言った内容について熟考していた時、ヂャン兄弟がワン兄弟に続いてこう言いました:「もし本当にそうだとしたら、私たちは聖霊の御言葉を探しているべきでしょう。私たちは神から排除されて大惨事を被ったパリサイ人のようになってしまうのを防ぐために、聖霊の御言葉のある場所を見つけるべきです。」

 これを聞いて、私は心の中で更なる希望を感じました。私は言いました:「あなたの交流を聞いていたら、主イエス様のこの御言葉が頭に浮かびました、「 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(マタイによる福音書07章 07節)、「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」(マタイによる福音書 05章 06節)私たちは急いで聖霊の御言葉を探して、聖霊が語りかけている教会を見つけるべきだと思います。そうしないと、うかつにぶらぶらしているだけでは主から捨てられてしまわないかと心配です。」

 すると、リュウ姉妹が抑えた口調で言いました:「神の御霊が語るということは、聖霊が教会に語りかけているということだとあなたは言われましたが、私はそれを受けて東方閃電の信者たちが全能神を主の再臨として証言していることについて考えました。全能神は真理をたくさん表され、教会を起点に裁きの働きをされ、現在は勝利者の集団を作っておられます。これは神の御霊が神のしもべとはしために神の御言葉を注いでおられるということに関連していると思いますか?もしそうならば、私たちは早急に東方閃電が神の御業なのかどうかを調査するべきです。」

 ワン兄弟はこう言いました:「はい、私もそう聞きました。主の再臨をお迎えすることについてですが、主イエス様はとても重要で、かつ重大なことを仰り、それは私たちが賢い乙女になることを後押ししてくださります。主はこう仰ったのです:「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書 25章6節)これより、主は再臨なさる時に人々を遣って、主を待ちわびている人々全てにその御声をお伝えになることが分かります。私たちは主の再臨を証言する人々がいると耳にしたら、賢い乙女になって、注意深く主の御声に耳を傾けるべきです。そうすれば、私たちは主の再臨をお迎えすることができるでしょう。」

説教師の悩み,主イエス・キリストの再臨をお迎えする方法とは

 すると、リュウ姉妹がこう言いました:「私には遠く離れて暮らし全能神を信仰するようになった従妹がいるのですが、彼女は私に福音を説いてくれました。私はそれについて彼女と議論したのですが、私たちの教会の牧師が東方閃電の持つ書籍を読む人は除名すると脅かしてくるので、それ以上は調査しませんでした。私の従妹は主の預言について話してくれました。例えば、ヨハネの黙示録16章15節「 見よ、わたしは盗人のように来る。」、それからマタイによる福音書25章6節、「 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」、さらにヨハネの黙示録03章20節「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」主の御言葉によると、主は盗人のように来られ、誰かが 「夜中」 に 「花婿が来る」 のを目撃するということは、神は人々が知らぬ間に人の子として受肉され、御言葉を表して働きをするために静かに、そして秘かに来られるということだと、彼女は言いました。それは全ての人が知ることではありません。主の御声が聞けて、主の御心に気が付く人たちのみが主を受け入れることができるのです。 私の従妹は、主の再臨の証言する人がいると聞いて、注意深く主の御言葉に耳を傾ける人なら誰でも神の御座の前に引き上げられ、主と食事をするとも言いました。」

 ワン兄弟はこう言いました:「これらの預言の中で、主イエス様は再臨なさる時に人々全員が主の御姿を目にするわけではないと確かに仰っておられます。主の御声を聞く人々のみ、主をお迎えすることができるのです。主の来臨をお迎えしたければ、主の御声を聞くことにとても慎重な注意を払う必要があるようです。」

 ヂャン兄弟は考え込むように私たちの方を見てこう言いました:「あなたの交流はとても合理的です。天地は滅びても、主の御言葉は一画もすたることはないのです。主はこう仰りました、「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書14章3節) これは間違いなく実現します。主の預言がどのようにして実現し、成就されるかについてですが、私たちには理解できない奥義と真理があるはずです。私たちはただ単に牧師に従って東方閃電を拒否し、非難するのではなく、急いで調査に取り組むべきのように思えます。そうしなければ、私たちは主に捨てられてしまい、それを後悔する時間すら無くなってしまいます!」

 ワン兄弟はこの題目について続けてこう言いました:「そうですよ、私たちは主の再臨をお迎えし、天国に引き上げていただくために人生の半分も主を信仰してきたのです。私たちは既に主の再臨について耳にしている訳ですから、探求して調査するべきで、牧師たちからの抑制に屈しているべきではありません。『タンジェリンは食べてみないと酸っぱいのか、甘いのかも分からない』、という諺があるくらいですから。」

 私は兄弟姉妹たちの交流を聞いて、自分の抱える困難を解決できたことを主に感謝します。私は宣教することがないという問題を解決するため、これ以上は時間を浪費せず、直ちに聖霊の働きが宿る教会を探しなければならないと思います。もし主が本当に再臨されておられるのなら、私は少なくともこうすることで、天国に引き上げられるという人生において極めて重大な出来事を兄弟姉妹たちが逃してしまう原因にはならずに済むことでしょう。



イエスの再臨をお迎えする最も重大な時

2019-07-24 18:53:36 | 聖書と神

 「ハマグリの確認」と題した記事があります。それはハマグリが大好きな男の子のストーリーです。ある日、彼の母が袋一杯のハマグリを家に持って帰りました。美味しいハマグリを食べたかった彼は、調理をする前にハマグリの善し悪しを見て、悪いものを区別しておこうと思い、ハマグリの確認をすることにしました。こうして、彼は新鮮で生きていると思ったハマグリを取り出し、それをハマグリの匂いの善し悪しを判断する基準としました。そして、彼はそれぞれの殻を軽くたたき、基準としたハマグリと比較しました。彼はハマグリを1個ずつたたきましたが、それが終わった時、彼は他のハマグリは全て悪かった、もしくは死んでいたことが分かりました。彼は母にこのことを伝えました。しかし、彼の母はこれを不可能だと思い、どういうことかを確認しに行きました。その後、彼女は他のハマグリが新鮮でなかったのではなく、実は彼が基準として使っていたハマグリが悪かったことに気が付きました。これでは、悪いハマグリを基準として使っていた彼が他のハマグリの善し悪しの判断ができるはずがありません。

 このストーリーを読んだ後、私は主人公が心配になりました、なぜなら私は彼の母は売り主から騙されて、彼はあの日ハマグリを食べれなかったのではないかと思ったからです。私は最初のハマグリが実は悪いハマグリであったとは全く想像していませんでした。しかし、彼は自分の想像を頼りにそれは良いハマグリであると思い、それを基準として使い、他の全てのハマグリは悪いと見なしてしまう結果に陥ったのです。もし彼の母が彼の過ちを見つけるのが遅れていたら、彼はハマグリを全て捨てていたでしょう。想像と観念は本当に人々に害を及ぼすものなのです。

 私は律法の時代の頃について考えてしまいます。当時、ユダヤの祭司長、律法学者、およびパリサイ人はメシアの再臨をしきりに切望していましたが、同時に、彼らは彼に反対し、彼を非難することに全力を注ぎました。彼らは預言に関する誤解を多く抱き、救世主はお戻りになる時はメシアと呼ばれる、そして彼は王宮または貴族、最低でも高名な家族に生まれるべきだと思っていました。しかし、主イエス様が来られた時、主はメシアとは呼ばれておらず、一般的な家庭にお生まれになり、それは彼らの観念と想像とは全く合致していませんでした。これ故に、彼らは理不尽に主イエス様を冒涜、そして非難し始めました。彼らはその者がメシアと呼ばれていないのなら、その者はキリスト様ではないという誤った考えに固執して、主イエス様に抵抗し、主イエス様を中傷しました。彼らは真理を求める心を全く持っていなかったのです。最終的に、彼らはメシアをお迎えできなかっただけでなく、主イエス様を十字架に釘付けにしてしまいました。彼らはとんでもない罪を犯し、彼らの国家は破壊されてしまいました。

 しかし、サマリア人の女は違いました。彼女は主イエス様と会話をした後、主イエス様がメシアの来臨、すなわちキリスト様であることを知りました。これを受け、彼女は主イエス様に従いました。主がぺテオ、ヨハネ、マタイ、マルコおよび他の者たちを呼ばれた時、彼らは主イエス様がメシアであるとは分からなかったものの、主の説教には真理があったことを知ったので、自らの目で見えるものや他人の言葉を基にした判断はせず、主に従い、ついて行くことができたのです。弟子ナタナエルも同様に、主イエス様が内にお持ちであった御気持を話されるのを耳にした時、主イエス様がメシアの来臨であると即座に確信し、それを信じて主に従いました。また、多くの人々が主イエス様がこの節:「この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、『悔い改めよ、天国は近づいた』。 」(マタイによる福音書 4:17)、「イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。」 (マタイによる福音書 22:37-40)等の説教と真理を表されるのを耳にした時、そして、5千人を5つのパンと2匹の魚で食べさせる、風と海を静める、そして一言発して死人を蘇らせる等、主イエス様の御業を目撃した後、主イエス様に従っているのです。上述の内容から、これらの人々は自分の観念と想像に頼らず、パリサイ人に抑制されてもいなかったことが分かります。代わりに、彼らは主の御言葉と働きを通じて、主イエス様がメシアの来臨であったことに気が付いて主に従ったのです。これ故に、彼らは主をお迎えして、他のユダヤ人たちとは大きく異なった運命を手にしたのです。

 ヤ―ウェ神はイザヤ書55:8-9でこう仰りました:「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」神の働きを理解できる人間はいないことが明確に分かります。神は賢明で、全能であられます。神は私たちの観念と想像通りに働きはなさりません。これは主イエス様が来られた時、全ての人々が神の御名前はメシアであり、神は王宮で生まれるはずだと考えていたことからも分かります。しかし、神の働きは人間の観念が誤っていることを力強くお示しになりました。主イエス様はメシアとは呼ばれておらず、まぐさ桶にお生まれになりました。これ故に、私たちは神の働きを自分たちの頭の中にある想像に照らして叙述することはできないのです。クリスチャンとして、私たちは主が早く来臨されることをはやる思いで切望しています。ユダヤの民が犯した過ちを繰り返すのを避けながら主をお迎えするためには何をするべきなのでしょうか?

白い雲に乗って,再臨,主イエス,神の声,救い主

 ここ数年を思い出すと、私は、天使のトランペットが鳴り響き、死者が蘇るといった大きな興奮の中、主は白い雲に乗って再臨なさると考えていました。これ故に、ここ数年、私は主が白い雲に乗って再臨され、私たちを天の御家にお連れ下さるのを待ちわびながら、頻繁に上空の雲を眺めています。私の周辺には、主イエス様は再臨され、御言葉を表しになり、教会を起点に裁きの働きをされておられると私に証言した人々がいますが、私は依然としてそれを探求し、調査する気になれません。その結果、私はその日が来るのを切望し、待ちわびています。しかし、長年経っても、主は来られませんし、主とご対面するために私たちを空に引き上げてもくださりません。今考えてみると、私は白い雲に乗って来られない主イエス様は偽キリストであると、神を自分の観念の中で定義してしまっていたのではないでしょうか。私はこんな具合で、主の再臨をお迎えする今も依然として自分の観念と想像の中を生きているのではないでしょうか?

 私は聖句を学習していた時、ヨハネの黙示録にこの預言を見つけました:「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう。」(ヨハネの黙示録 2:7),「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書 10:27)と「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(ヨハネの黙示録 3:20)。これらの節から、主の再臨をお迎えする上で大切なことは、神の御声を耳にした時に花婿を出迎えに行った賢い処女のように、神の御声を聞くことに注意を払い、神の御言葉と働きを通じて神を知ろうと試みることなのだと分かります。サマリア人の女は主の御言葉から主イエス様がメシアであると気が付いていましたよね?更に、主イエス様に従ったペテロ、ヨハネ、マタイそしてポリポなどの弟子たちが、主イエス様は権威と力をお持ちの唯一なる御方であることを知り、それ故に主に従うことに至ったのも、主の御言葉と御業を通じてのことでした。彼らはそれぞれの観念と想像を頼りにしながら主を定義したりせず、むしろ神の御声に耳を傾けることを選び、最終的には主イエス様の御救いを授かったのです。これは、神の御声を聞くことに注意を払うことは、私たちが主の再臨をお迎えする上で非常に重要であることを示しています。