路上の上。

愛車KLE400との旅路をメインに、日々雑多な出来事の独り言。

『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 6 二日目 第十二番礼所焼山寺まで。

2014-12-16 21:30:13 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月7日土曜日 曇り時々雨。

 目が覚めると午前5時を少し過ぎた頃だった。
携帯電話で天気予報を確認すると午前中は雨模様。
早速朝食の準備をする。

 今回のバイク遍路の旅は、兎に角節約するのも課題の一つだったので食事は出来る限り自炊した。
自宅の台所にあった袋ラーメンや缶詰も少し拝借し、
米は一合毎に袋分けしてデッドスペースの隅にあっちこっち詰め込んで一升持参してきていた。
出発時は相当な荷物の重さだったが、毎日消費しても補充はしないのでどんどん荷物は軽くなった。
食事は朝と夜の二食が基本であり、日中はひたすら走り、巡礼の旅を続けた。
 
 四国八十八ヶ所を遍路で巡る時、納経所が開いている時間にお勤めするのが基本だろうと思う。
これは納経帳に記帳していただくか否かは別としてだ。
納経所は場所によって異なるが、概ね7時~17時までが記帳受付時間となっている。
朝は7時からスタートし、夕方4時過ぎまでをその日の終わりとして、その後は宿泊先探しに使うようにした。
この辺は無計画で、バイクで一日どの位巡れるのか分らなかったから出発前に深く考えなかった。
ただ前準備として、ツーリングマップルに使えそうなキャンプ場とか安い宿泊所などを調べて書き込み、そのページに付箋紙を貼っておく位の事はした。
 
 午前6時半前には片付けも終わりキャンプ場を後にする。
綺麗なキャンプ場を無料で利用させた戴いたことに感謝である。
昨日来た国道318号を南下し、吉野川を渡って国道192号を経由、山手の方へ少し走ると第十一礼所藤井寺に到着した。
時刻は7時を少し回ったくらいだったが、既に多くの白装束の集団がお勤めをしていた。
今にも雨が振り出しそうな生憎の空模様であったが、お遍路シーズンの春であり、週末とあって巡礼者はどのお寺も多かった。
特に、徳島の礼所は人が多いと感じた。
それは四国八十八ヶ所の発心の地であるからだろうと思われ、これから先は徳島ほどのお遍路さんは見かけなくなる。
特に、自転車・バイク・自動車は所謂遍路道を走ることが出来ず国道や県道といった舗装路がメインとなるので、
遍路道を往く歩き遍路さんを移動中に見かける機会は少ない。
特に、これから向う第十二番礼所焼山寺、
第十三番礼所大日寺へと続く旧来の遍路道は「遍路ころがし」と呼ばれる歩き遍路にとって最初の難関と言われる山岳コースだ。
これまで平坦な遍路道が続いていたが、急に険しくなる為、ここで振るい落とされるお遍路も多い。
二輪車はもちろん自動車も通ることが出来ない遍路道なので、
バイク遍路の私は県道43号をぐるりと回って第十二番礼所焼山寺へアプローチする。
藤井寺で既に小雨が降っていたが、焼山寺に向け標高を上げてゆくにつれ雨足は強まった。
車だと対向車との離合も面倒だろうが、そこはバイクの利で幅員の狭く厳しい山道でも難無くKLEを駆ることが出来た。

 午前8時半過ぎだったと記憶するが、ようやく焼山寺の山門まで辿り着いた。
徒歩で濡れた坂道と階段上る。
大きな杉の木が雨で煙って神秘さを演出する。
近くまで観光バスが多くの遍路客を乗せてきていて、ここらでかなりの人数のお遍路さんの群れと出会う。
こんな山奥の寺院に沢山白衣を着込んだお遍路さんで賑わっているのだから凄い。
さて、お勤めを終え来た道を戻っていると、多くのお遍路さんの雑踏の中でビラを配っている人が居た。
一枚貰うと、内容は探し人のビラだった。
失踪したのは女性で、若く美しい女性の写真が載っていて、遍路に行って来るといって今だ帰ってこないと訴えていた。
その後、この彼女と家族がどうなったのかは知らないし、分かり様もない。
ただ、長旅を始めた者の身として、このまま蒸発してしまっても良いかな?という気持ちは分からなくはない。
人生をリセットしたいという気持ちが、少しもない人は居ないだろう。
だからこそ、こういう旅に出たと言っても過言じゃない。
事件や事故に巻き込まれての所在不明じゃなければ、選択肢は少ない。
さりとて、リセットの仕方は、十人十色である。

 午前9時過ぎ、肌寒い焼山寺の坂道を下り、次の目的地第十三番礼所大日寺へと向った。

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