猛暑の東京をウロウロしている間に、ブログ来訪数がキリ番超えました。
開設以来、累計5万人の方が訪れ、10万ページ閲覧して頂いたことになります。
なにやら忙しく、毎日まるで余裕がなく、記事更新もままならない夏です。
日頃の不義理をお詫びしつつ、ご愛顧に感謝して、キリ番恒例、想い出写真館です。
☆
この写真は、3歳頃のものだと思います。
まだ若かりし母と、近所の路地で記念撮影です。
僕は、三輪車が大好きだったそうです。
でも、当時、僕の家には三輪車がありませんでした。
近所の子の三輪車が羨ましくて、最初は勝手に乗ってしまったそうです。
母が謝って、それからは時々借りては、喜色満面でこいでいたそうです。
ある日、母は、その子のお母さんから言われたそうです。
「龍ちゃん好きなんだし、三輪車、買ってあげればいいのに」…。
いつもいつも、僕が借りて、自分のもののように遊んでしまっていたからです。
母は、とても切なく、悲しい想いをしたそうです。
当時、家は貧しく、母は立ち上げたばかりの小さな洋裁店を切り盛りしていました。
息子の大好きな三輪車ひとつ、買ってやれないのが、親としてふがいなかったようです。
「三輪車、とうとう、買ってあげられなかったわね…」
「あなたには、何ひとつ、いいことしてあげられなかったわね…」
「ごめんなさいね…」
年老いた母は、最近よく昔を振り返っては、涙を浮かべます。
まだ昭和30年代、1960年前後、戦後日本は豊かではありませんでした。
映画『Always』の舞台のような街で、「浮浪児」と呼ばれた戦災孤児もいた時代です。
みんな、貧しいながらも、必死に新しい生活を築こうと努力していた時代です。
この写真を撮ってくれた父も、今はもういません。
何の変哲もない、古びた一枚の白黒写真にも、家族の歴史が刻まれています。
母の想いと共に、僕にとっては、大事な一枚です。
開設以来、累計5万人の方が訪れ、10万ページ閲覧して頂いたことになります。
なにやら忙しく、毎日まるで余裕がなく、記事更新もままならない夏です。
日頃の不義理をお詫びしつつ、ご愛顧に感謝して、キリ番恒例、想い出写真館です。
☆
この写真は、3歳頃のものだと思います。
まだ若かりし母と、近所の路地で記念撮影です。
僕は、三輪車が大好きだったそうです。
でも、当時、僕の家には三輪車がありませんでした。
近所の子の三輪車が羨ましくて、最初は勝手に乗ってしまったそうです。
母が謝って、それからは時々借りては、喜色満面でこいでいたそうです。
ある日、母は、その子のお母さんから言われたそうです。
「龍ちゃん好きなんだし、三輪車、買ってあげればいいのに」…。
いつもいつも、僕が借りて、自分のもののように遊んでしまっていたからです。
母は、とても切なく、悲しい想いをしたそうです。
当時、家は貧しく、母は立ち上げたばかりの小さな洋裁店を切り盛りしていました。
息子の大好きな三輪車ひとつ、買ってやれないのが、親としてふがいなかったようです。
「三輪車、とうとう、買ってあげられなかったわね…」
「あなたには、何ひとつ、いいことしてあげられなかったわね…」
「ごめんなさいね…」
年老いた母は、最近よく昔を振り返っては、涙を浮かべます。
まだ昭和30年代、1960年前後、戦後日本は豊かではありませんでした。
映画『Always』の舞台のような街で、「浮浪児」と呼ばれた戦災孤児もいた時代です。
みんな、貧しいながらも、必死に新しい生活を築こうと努力していた時代です。
この写真を撮ってくれた父も、今はもういません。
何の変哲もない、古びた一枚の白黒写真にも、家族の歴史が刻まれています。
母の想いと共に、僕にとっては、大事な一枚です。