3月11日(金)14時46分。
その日、その時、僕は、研究室にいました。
かつて体験したことのない、長く、激しい揺れでした。
本棚の最上段から、本が降ってきました。
さすがに、これは「ヤバイ」と思いました。
隣の研究室の、院生達にも声をかけて、外に出ました。
地面に立っていても、ふわふわと地面がまだ揺れていました。
校舎から、たくさんの学生達が、外に出てきました。
それでも、大学のある近辺は、「震度5弱」でした。
鉄筋コンクリート造りの2階で、あの揺れですから、「震度7」って…。
テレビで、岩手・宮城方面の映像と実況報道が繰り返しなされました。
阪神・淡路大震災の記憶が、よみがえりました。
その場に居合わせた訳ではないけれど、はじめて知った、地震の恐ろしい力。
遠く500キロ離れた地で、今まさに起きているであろう風景のイメージ…。
でも、実際には、それは想像とは、はるかに違っていました。
東京でも、すべての鉄道が止まりました。
僕は、てくてくと1時間半、自宅まで歩いて帰りました。
幹線道路は、どこも大渋滞で、赤いテールランプがどこまでも続いていました。
駅前のスーパーに入り、食料品を買いました。
絶対に、明日以降、品物は手に入らなくなると思って。
作業所所長である配偶者は、深夜23時50分に帰宅しました。
帰れなくなった利用者を自宅まで車で送り、大渋滞に巻き込まれていたようです。
家族揃って、テレビで、初めてリアルな津波の様相を目にしました。
パニック映画ではなく、現実の映像であることに圧倒されました。
黒い波の巻かれ、何百人、何千人という人が、命を失っていっている事実があります。
☆
翌日は、専門職大学院のゼミ合同卒業旅行でした。
「決行するのか?」というゼミ生からのメールが入っていました。
正直言って、僕は迷っていました。
みんなが楽しみしている卒業旅行を、台無しにしたくない…。
そんな想いが、どうしてもありました。
一旦「決行」を決めてみたものの、当然のことながら、人は集まりませんでした。
参加者は、昨日のうちに帰宅できなかった院生もいました。
テレビで被災状況の映像を見た、各院生からのキャンセルも相次ぎました。
さらに、長野県北部で当日、震度6の地震も発生していました。
参加予定者35名中、当日朝、大学に集まったのは、幹事3名を含む6名。
大学もすべての学事を中止決定する中で、卒業旅行も中止を決定しました。
状況判断が遅すぎるというそしりは、甘んじて受けなければいけないと思います。
軽井沢から迎えに来てもらった大型バスに、キャンセルを伝え、帰って頂きました。
キャンセル料は発生してしまいますが、仕方ありません。
自らの状況判断の甘さを実感した、ちょっと高い授業料でした。
☆
大学では、在校生(学部生・院生)の安否確認が進められました。
幸い、学生自身の安否は、全員確認されました。
でも、未だ、実家や家族と連絡が取れない、学生や教職員もいます。
それに、通信教育科の学生達への、連絡がまだまだ取れていません。
昨年、一昨年、一緒に酒を酌み交わした、東北の元気印のみんなは無事なのでしょうか?
3月18日に予定されていた、卒業式(学位授与式)も延期が決定されました。
西武線の電車がストップしてしまっていて、交通アクセスが確保できないこと。
当日が、計画停電の予定に当たっていて、講堂等での式挙行ができないこと。
福島第一原発の状況が予断を許さず、事態の推移により、重大な事態が生じること。
そんな理由で、大学としても、やむなくの決断です。
卒業式は、開催1ヶ月前には告示することになっています。
学生だけでなく、関係者への周知を考えれば、当然のことです。
この時点での、卒業式延期決定は、もう3~4月中はあり得ないということです。
地方に帰る学生も多いので、全員が集まる機会が失われてしまいました。
たかが式典、たかが形式と言えばそれまでですが、とても残念です。
学内で予定されていた、すべての会議も、中止になりました。
停電も続くため、当面、21日まで、大学は全館閉館になります。
でも、計画停電や原発の炉心溶解の問題は、1~2週間で解決しません。
今後、東京近辺でも、1~2ヶ月は大きな影響がでるでしょう。
新入生を迎えての入学式は、できるのでしょうか?
☆
なんの役にも立てない、こんな個人ブログでも、情報を寄せて下さる方々がいます。
コメントという形で記事のオモテに出なくても、メッセージが寄せられています。
被災地の、親族・友人・知人・仲間を思いやる声。
被災地である現地で、活動を続けている専門職の声。
被災地の周辺地域からの、状況を伝える声…。
「不眠不休で、みんな頑張ってますが、燃料が無く、寒い」
「入院患者さんは無事ですが、外来の方々の安否が不明」
「道路に亀裂が入っていて、安否確認の訪問したくても、先に行けない」
「ガソリンが枯渇しており、車での訪問ができないので、徒歩で行くしかない」
「食料品を買いたくても、どこにも何もない」
東京近辺でも、もう、スーパーやコンビニに、商品がありません。
米や水、パンやカップラーメン、電池やろうそく、カセットガスはおろか、
あらゆる食料品や日常生活用品が、店の棚から姿を消してしまいました。
ガソリンスタンドも「お売りする燃料がありません」と閉鎖されています。
人々の先行き不安が、過剰な買い占め消費行動に表れています。
多くの人が傷つき、命を落とした未曾有の大震災。
夢や希望を、安直に語るのは、もはや憚られます。
それでも、生きている者には、暮らしがあります。
現地で、懸命に、人を支え続けている人がいます。
自らが被災者でも、支え合っている人達がいます。
どうか、どうか……。
少しでも早く、少しでも心安く、日々のふつうの暮らしが、再建されますように…。
生きている人が、生き残ってしまったと、自ら罪悪感と後悔に苦しみませんように…。
被災地の誰もが、生きていて、本当に良かったと、実感できる日が訪れますように…。
人々を支え続ける人々が、疲れた身体をゆっくり休められる日が、訪れますように…。
※画像は、差し替えました。