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PSW研究室

専門職大学院の教員をしてる精神保健福祉士のブログ

東日本大震災、その日以降…

2011年03月16日 20時17分14秒 | 日々の雑記


3月11日(金)14時46分。
その日、その時、僕は、研究室にいました。
かつて体験したことのない、長く、激しい揺れでした。
本棚の最上段から、本が降ってきました。
さすがに、これは「ヤバイ」と思いました。

隣の研究室の、院生達にも声をかけて、外に出ました。
地面に立っていても、ふわふわと地面がまだ揺れていました。
校舎から、たくさんの学生達が、外に出てきました。
それでも、大学のある近辺は、「震度5弱」でした。
鉄筋コンクリート造りの2階で、あの揺れですから、「震度7」って…。

テレビで、岩手・宮城方面の映像と実況報道が繰り返しなされました。
阪神・淡路大震災の記憶が、よみがえりました。
その場に居合わせた訳ではないけれど、はじめて知った、地震の恐ろしい力。
遠く500キロ離れた地で、今まさに起きているであろう風景のイメージ…。
でも、実際には、それは想像とは、はるかに違っていました。

東京でも、すべての鉄道が止まりました。
僕は、てくてくと1時間半、自宅まで歩いて帰りました。
幹線道路は、どこも大渋滞で、赤いテールランプがどこまでも続いていました。
駅前のスーパーに入り、食料品を買いました。
絶対に、明日以降、品物は手に入らなくなると思って。

作業所所長である配偶者は、深夜23時50分に帰宅しました。
帰れなくなった利用者を自宅まで車で送り、大渋滞に巻き込まれていたようです。
家族揃って、テレビで、初めてリアルな津波の様相を目にしました。
パニック映画ではなく、現実の映像であることに圧倒されました。
黒い波の巻かれ、何百人、何千人という人が、命を失っていっている事実があります。



翌日は、専門職大学院のゼミ合同卒業旅行でした。
「決行するのか?」というゼミ生からのメールが入っていました。
正直言って、僕は迷っていました。
みんなが楽しみしている卒業旅行を、台無しにしたくない…。
そんな想いが、どうしてもありました。

一旦「決行」を決めてみたものの、当然のことながら、人は集まりませんでした。
参加者は、昨日のうちに帰宅できなかった院生もいました。
テレビで被災状況の映像を見た、各院生からのキャンセルも相次ぎました。
さらに、長野県北部で当日、震度6の地震も発生していました。
参加予定者35名中、当日朝、大学に集まったのは、幹事3名を含む6名。

大学もすべての学事を中止決定する中で、卒業旅行も中止を決定しました。
状況判断が遅すぎるというそしりは、甘んじて受けなければいけないと思います。
軽井沢から迎えに来てもらった大型バスに、キャンセルを伝え、帰って頂きました。
キャンセル料は発生してしまいますが、仕方ありません。
自らの状況判断の甘さを実感した、ちょっと高い授業料でした。



大学では、在校生(学部生・院生)の安否確認が進められました。
幸い、学生自身の安否は、全員確認されました。
でも、未だ、実家や家族と連絡が取れない、学生や教職員もいます。
それに、通信教育科の学生達への、連絡がまだまだ取れていません。
昨年、一昨年、一緒に酒を酌み交わした、東北の元気印のみんなは無事なのでしょうか?

3月18日に予定されていた、卒業式(学位授与式)も延期が決定されました。
西武線の電車がストップしてしまっていて、交通アクセスが確保できないこと。
当日が、計画停電の予定に当たっていて、講堂等での式挙行ができないこと。
福島第一原発の状況が予断を許さず、事態の推移により、重大な事態が生じること。
そんな理由で、大学としても、やむなくの決断です。

卒業式は、開催1ヶ月前には告示することになっています。
学生だけでなく、関係者への周知を考えれば、当然のことです。
この時点での、卒業式延期決定は、もう3~4月中はあり得ないということです。
地方に帰る学生も多いので、全員が集まる機会が失われてしまいました。
たかが式典、たかが形式と言えばそれまでですが、とても残念です。

学内で予定されていた、すべての会議も、中止になりました。
停電も続くため、当面、21日まで、大学は全館閉館になります。
でも、計画停電や原発の炉心溶解の問題は、1~2週間で解決しません。
今後、東京近辺でも、1~2ヶ月は大きな影響がでるでしょう。
新入生を迎えての入学式は、できるのでしょうか?



なんの役にも立てない、こんな個人ブログでも、情報を寄せて下さる方々がいます。
コメントという形で記事のオモテに出なくても、メッセージが寄せられています。
被災地の、親族・友人・知人・仲間を思いやる声。
被災地である現地で、活動を続けている専門職の声。
被災地の周辺地域からの、状況を伝える声…。

「不眠不休で、みんな頑張ってますが、燃料が無く、寒い」
「入院患者さんは無事ですが、外来の方々の安否が不明」
「道路に亀裂が入っていて、安否確認の訪問したくても、先に行けない」
「ガソリンが枯渇しており、車での訪問ができないので、徒歩で行くしかない」
「食料品を買いたくても、どこにも何もない」

東京近辺でも、もう、スーパーやコンビニに、商品がありません。
米や水、パンやカップラーメン、電池やろうそく、カセットガスはおろか、
あらゆる食料品や日常生活用品が、店の棚から姿を消してしまいました。
ガソリンスタンドも「お売りする燃料がありません」と閉鎖されています。
人々の先行き不安が、過剰な買い占め消費行動に表れています。

多くの人が傷つき、命を落とした未曾有の大震災。
夢や希望を、安直に語るのは、もはや憚られます。
それでも、生きている者には、暮らしがあります。
現地で、懸命に、人を支え続けている人がいます。
自らが被災者でも、支え合っている人達がいます。

どうか、どうか……。
少しでも早く、少しでも心安く、日々のふつうの暮らしが、再建されますように…。
生きている人が、生き残ってしまったと、自ら罪悪感と後悔に苦しみませんように…。
被災地の誰もが、生きていて、本当に良かったと、実感できる日が訪れますように…。
人々を支え続ける人々が、疲れた身体をゆっくり休められる日が、訪れますように…。



※画像は、差し替えました。