タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

ざんねんないきもの事典を読めば身土不二説の誤りが分かる。

2018年09月26日 | Weblog
本日9月26日のネットニュースでも取り上げられていましたが、今泉忠明先生の「ざんねんないきもの事典」シリーズが快進撃を続けています。この本は「進化の結果、ものすごく不便な体になってしまったり、ほとんど無意味な能力をつけてしまったりなど、残念な生物」を紹介するシリーズで、うちの子にも大受けです。雑学本と思いきや、実は進化論の入門編としても非常にわかりやすくて面白い内容ですので、ぜひ大人の方にも手に取って欲しいです。

なぜ食のブログで進化論の話題を?と不思議に思う読者も多いと思いますが、理由は後で記すのでぜひお付き合いください。
ここで、チェックです。次の2問に○×で答えてください。
(1)進化は進歩することだ。
(2)生物は、その土地の食べものが体にぴったり合う方向に進化する。

答:2問とも×

「ざんねんないきもの事典」シリーズヒットの最大の理由はタイトル、絶妙なコンセプトと軽快な文章だと思いますが、そのコンセプトが受けた理由には、「進化とは進歩することだ!体が環境に最適に適合することだ!」と誤解をしていた大人の読者が、そうじゃないことを知って驚いたことも、あるかもしれません。

シリーズ最初の本の冒頭では、進化というのは運であると明記されています。たまたま生じた1つ2つの変異が、たまたまその環境に適合したから生き延びたので、体のその他の機能が環境に完全に合うとは限らないのです。例えば首が長かったり足が速かったりの進化で生き延びたとしても、その環境の食糧と、その動物の歯の形・体の欲する栄養素の種類・消化吸収能力、などなどが最適にフィットするとは限らないのです。

パンダの頁を挙げて、食事に合わせて体が進化する訳では無いことを見てみましょう。私が今まで話を見聞きした限りでは、一般の方々はパンダが笹を食べる理由を次のように思っています。「パンダは笹だらけの環境に適合するように進化したので、笹が栄養素的に一番体に合うようになった。」と。

しかし「ざんねんないきもの事典」p128-129ではこう記されています。パンダは雑食性動物で本当は肉も果物も食べられるのだが、大昔にほかの熊に追われて生存競争に負けた結果、しかなく笹を食べるようになったと。シリーズ3作目「続々ざんねんないきもの事典」p98でも、野生のパンダは昆虫やネズミなどの動物性食品も食べていることが記されてるので、もしも野生で果物も手に入るならば果物も食べたいんでしょうね、たぶん。

上野動物園では栄養面を考慮して笹以外にもいろいろな餌を与えていることがよく知られていますので、つい先日に上野動物園のホームページを確認したら、パンダは「肉食性の強い雑食動物」と書いてありました!!!そう、パンダはどちらかというと肉のほうを食べたいんですよ~!そのため上野動物園では果物、野菜、肉、トウモロコシや大豆で作った団子、ちなみに野生パンダ生息地にはトウモロコシも大豆も存在しません、を食べさせているそうです。もしも本当に「その土地の食べものが体にぴったり合う方向に進化している」なら、中国の山中に天然には存在しないトウモロコシや大豆をパンダに与えてはいけないはずですよね。でも、専門家が長年パンダを飼育した結果として、そういう餌の方がパンダの健康状態が良いことが分かったのですから、「パンダは笹さえ食べれば栄養が十分な体に進化した」のでは無いのです。

ちなみに、よく食育の人が、「臼歯は穀類を食べるために、犬歯は肉を食べるために生えているので・・・」と知ったかぶりしたがるのですが、「臼歯は穀類の歯、犬歯は肉の歯」という分類は科学的に完全に否定されてる事実は以前このブログに記しましたので読んでくださいね。パンダには鋭い犬歯がありますが、野生状態では昆虫とネズミぐらいしか動物性タンパク質が手に入らず、だから犬歯を肉をかみ切る目的で利用する機会は滅多にありません。ではなぜパンダに犬歯があるのか。上野動物園ホームページよるとパンダの犬歯がとがっているのは竹を割るためと書いてあります。と、言うことで、小中学生のみなさん、今度食育の時に先生が「犬歯は肉を食べるために生えています。」とお話されたら、すかさず「パンダは竹を割るために犬歯が生えてます。」と先生に教えてあげましょう!

今泉先生のシリーズ3作目「続続残念ないきもの事典」p98では、「パンダはすさまじい痛みにたえながらササを食べている」とも記されています。ササを食べる結果、体に負担がかかってしまい、数週間に1度の割合で腸粘膜が剥がれて排出されるのですが、そのため半日ぐらいぐったりと寝込んでしまうのです。

以上のように、進化というのは、環境と食と体が一致するように都合良く進む訳では無いのです。というと、「パンダは例外的に進化に失敗した動物なんでしょう?」と思う方もいるかもしれませんが、そうではありません。早く飛びすぎるあまり餌を追い越して道に迷ってしまうハンミョウ、餌のユーカリの毒素を肝臓で効率よく無毒化できないため日がな一日じっとしているコアラ、餌を飲み込んで時々胃袋が破裂してしまうオニボウズギス、などなど、「ざんねんないきもの事典」シリーズには、食べものに合わせて都合良く進化できなかった事例がたくさん載っています。

また、シリーズ第1巻では、進化の方向は一方向なので、他の方向性の方が実は生き残りに良いということが分かったとしても、昔退化した能力を後から取り戻すのは不可能であることが述べられています。例えば人間の遠い先祖は魚類ですが、「人間にえらがあったら魚介類・海藻の狩猟に最適だからえらが必要だ。特に日本人には。」と唱えたところで、無くしたえらは戻らないのです。それに先の段落に書いた通り、体に必要な栄養素を必ずとれるように進化する保証もないのです。だからもしも、「魚を食べると体に良いと言われるが、だったらどうしてえらが人間にないのさ?えらが無いから魚は人間の体には不要だ。」と言う人がいれば、それは単に進化論を理解してない人です。

なんでこんなことを長々と書いているのか。実は、かつて「進化とは生物が環境に合わせてどんどん良くなることで、食物など環境にぴったり適合した者だけが生き残った。その進化の頂点が人間だ。」という、ずいぶんと都合良い「俗っぽい進化論」が流布していて、高学歴の人でさえも信じてるケースが多かったのです。

横道にそれるように見えて実は重要な話なのですが、旧ソ連ではより一層、社会主義思想に近くて国民受けする進化論解釈が、政治家のお気に入りとなりました、その結果ルイセンコ氏の唱える疑似科学に基づく農業「ルイセンコ農法」が広まりました。まともに科学的な農業研究者は「おまえらは政治的に正しくない」と弾圧されました。その結果、ソ連邦内の食糧生産能力は激減し、ただ店で食糧を購入するためだけに大勢の人々が何時間も並ぶようになり、旧ソ連崩壊の原因の一つになったとも言われています。政治が食の疑似科学を広めると非常に恐ろしい結果になることを、私たちは胸に刻まなければならないでしょう。

話を巻き戻して、時期は定かでありませんが少なくとも平成の初め頃には、「環境と食と体は完全にフィットする」という俗っぽい進化論を元に「身土不二」理論を説明する人々が散見されるようになり、特に今世紀に入ってから増殖しました。「身土不二」というのは「人間や動物は、その土地の旬の食べものが一番体に適合するようにできている。」という明治半ばに誕生した疑似科学アイデアです。信じちゃった人が「トマトは本来日本の気候に合う植物ではないからトマトを食べちゃだめ!北海道の人がミカン食べちゃだめ!」とかいうすさまじいことを食育指導と称して語る動きが一時非常に活発化したものです。比較的落ち着いた今は、過疎化対策地域おこしなんとかプランナーとか名乗る微妙な人たち、あるいは震災復興ボランティアと称して農山村の被災地に入った人たち、そういう人たちが農山村で身土不二を教える例を時々目にしますので気をつけてくださいね。

(ちなみに、当初この身土不二のアイデアは別の名称で呼ばれましたが、大正時代に食養会の西端学さんが、仏教は食べものと健康の関係を教えてくれないじゃないかと腹を立てて、このアイデアにあえて仏教用語と同じ漢字を当ててみようと提案したのです。仏教ではしんどふにと読んで、み仏の偉大さや仏教の求める理想を表現する非常に難解で形而上的思想哲学用語ですが、食養会会員の間ではしんどふじと読んで、食べものと健康の関係を即物的に示す形而下の用語になっちゃいました。)

公平のために言うと、歴代の代表的な食養会指導者は「進化」という言葉は用いてません。ですが、「人間や動物は、その土地の食べものが・・・・」という言葉はむしろ、先述の世俗的に広まっていた変な進化論とまさにピタリ適合してしまうのです。そのため、私の聞き取り調査した範囲では、食品業界はもとより、にわかに食育指導担当を任された市町村職員とか、近所でマウンティングかましたい意識高い系ご婦人などなどで、手近な食育本に載っていた身土不二説がすっかり腑に落ちてしまったという人が続出したのです、腑に落ちちゃいけないんですけどね。

先に挙げた今泉先生の本からも分かる通り、パンダ、ハンミョウ、コアラ、オニボウズギスなどたくさんの例が示すとおり、「食べものにフィットするように体がそうなってるという話が本当なら、なんでそっちの方向にいってしまうんだよ!!食べものと体が適合してないじゃん!!」という事例がたくさんあるので、だから身土不二説は間違っていると言えるのです。ちなみに、進化論否定論者から見ても、「残念ないきもの事典」シリーズを読めば、食べものと体が完全に適合していない動物がけっこうたくさんいるという事実は納得できると思います。

さてさて、身土不二説の熱烈な信奉者の中にはこんなことを言う人がいます。
「もしも本当にミルクが猫の体に合うならば、どうして猫は自ら牛の乳を搾らないんだ?猫はミルクを狩らない。だからミルクは不要だ。」「本当に人間に肉や魚が必要なら、動物を倒したり魚を捕らえやすいように、牙や爪が備わるはずだ。でも人間はそういう体のつくりではない。だから人間は肉や魚を食べてはいけない。」と。もう、読者のみなさんもここまで読んだら腹を抱えて大笑いされていることでしょう。動物は、体に必要な栄養素を効率的に得る能力が完璧には備わってないんです。だから「猫はミルクを狩らない、人間にかぎ爪がない。北海道の人がミカンをたべちゃだめ。」等のお話を聞いた時は、同じ土俵にのってはいけません。代わりに「今泉忠明先生の『ざんねんないきもの事典』シリーズはもう読みましたか?」と言ってあげましょう。


付記:今日では「中立遺伝子」の存在が確認されています。中立遺伝子とは「あってもなくてもほとんど生き残りには関係がない」遺伝子です。これが長い年月をかけて蓄積して進化に至ったケースの方が実は多いのではないか、という説が今日では専門家の間で強く支持されています。中立遺伝子は素人には難解なので今泉先生はあえて紹介しなかったのでしょうが、中立遺伝子の存在が確定したことは、「生物はその環境にある食物が栄養素としてぴったり適合するように進化するとは限らないこと」の、もう一つの証拠でもあり、ここに記します。

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「夏バテに豚しゃぶサラダ」説の意外な理由。

2018年09月11日 | Weblog
先日のブログでおすすめした、佐々木敏先生と松永和紀先生の対談「栄養情報も流行には要注意、話は単純化され盛ってある」(9月3日 WEDGE Infinity記事。)には、こんな面白い指摘もありました。
よく耳にする「夏バテ防止に豚しゃぶサラダを食べるといい。」という説の真偽を松永先生が佐々木先生に尋ねたら、佐々木先生は「夏バテは、慢性疲労の一種だと考えられますが、慢性疲労に栄養がどのように関わっているのか、実はまだ明らかにされていません。」と指摘し、また、「食欲が減退しがちなので、なんとか食べて欲しい、という思いが、豚肉がよい、という話になったのかもしれません。」と推測されました。

・・・実は、タミアは、「夏バテに豚しゃぶサラダ」伝説が生じた理由を知っています。あれは昭和50年代後半から60年代のこと。当時のデパートの食堂メニューや学食の掲示板にはしばしば話のネタになる「食の雑学」が書いてあり、夏には毎年恒例で、次のような文章が掲載されたものです。

「夏バテするとついつい、そうめんやお茶漬けなど、さっぱり・あっさりした食事ばっかり食べたくなりますよね。でもご用心。そういう夏向けの食事は炭水化物ばっかりに偏りがちです。このためかつては特に夏にビタミンB1不足で脚気になったり、タンパク質や野菜不足で健康をますます損ねてしまう人が続出しました。でも現代の私たちも、つい気を抜いて炭水化物ばかり食べていたら、栄養不足になりかねません。
夏バテ気味な時こそ、これ以上の体調不良を防止するために意識してビタミンB1などのビタミンやタンパク質の豊富な食品を食べたいものです。
手軽に作れるメニューとしては豚肉の野菜炒めなどがおすすめですが、夏バテの時には『どうも油炒めは胃にもたれる』と敬遠する方も多いですよね。そういう時は、豚しゃぶにサラダをつければ夏でも食べやすいのでおすすめですよ。」

そうです、もともと「夏バテには豚肉と野菜の料理」と言われた理由は、夏バテ防止のためではなく、夏バテで食が細って脚気などの重い栄養障害に移行してしまうのを防止するためだったのです。平成後期の現代では「夏こそスタミナメニューを食べよう!」と言ってお肉ごろごろカレーや焼き肉を食べる人も多いのですが、昭和の頃は、夏にはさっぱりした簡便なものを食べる人が多くて、肉や魚や野菜炒めなどの油の多い料理は敬遠され、そのためビタミン・タンパク質の不足が懸念されました。なかでも脚気は昭和の日本人に恐れられたので、脚気防止情報が様々な場で提供されたのです。しかし、平成になると、夏にそうめんやお茶漬けばかりたべるような人はめっきり減り、「豚肉と野菜の料理がおすすめ」という部分だけが記憶に残って一人歩きした結果、本来の意図が忘れられて、「豚しゃぶで夏バテが防止できる」と誤解されるに至ったのです。

今日私たちが聞く様々な健康情報・食育情報の中には、元々の情報と異なって伝わっている事例がしばしばあります。食育に携わる方々には特にご留意ください。

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「元禄以前の主食は玄米」説は石毛直道先生が否定してます。

2018年09月05日 | Weblog
9月3日および5日の2回に分けたWEDGE Infinity 掲載記事、東大の佐々木敏教授と科学ジャーナリスト松永和紀先生の対談は、とてもスリリングでためになる記事でした。最近の「食べる点滴・完全食品・白米は食べるな」等の非常に大げさな食情報が蔓延している風潮に流されないように気をつけるべき点を紹介していただき、読み応えがありとても面白くておすすめです。

 まあ、甘酒によくつけられる「食べる点滴」というキャッチフレーズは多少医療の知識がある人から見ればお笑いだとも聞きます。なにしろ、医療現場で使われる点滴の多くは、生理食塩水や、生理食塩水にブドウ糖を混ぜた物だからです。点滴を使用する意義は「口から水分や糖分を補給できない場合」や、極度の下痢や熱中症などの理由で「口で飲んだのでは水分補給等が間に合わない場合」への対応なので、「飲む点滴」という言葉自体が「黒い白馬」並みに言語としてどうかしてるし、そもそも点滴それ自体によって風邪などが治る訳ではありません。生理食塩水とは、清潔な水に適切な量の塩分を加えたものです。ブドウ糖とは、パンや米や砂糖を食べると体内でできるあれです。つまり「甘酒は食べる点滴」というキャッチフレーズは「甘酒は塩水や砂糖水とほとんど同じですよ」と暴露しているのに等しいのです。点滴について一部の方々が「病気を治すありがたいもの」と誤解しているのを逆手に取った、非常に恥ずかしいキャッチフレーズと言えるでしょう。

話を元に戻しますが、この2本の記事でタミアがおっと驚いたのは、玄米には白米よりも多量に含まれる「無機ヒ素」の問題です。
「成人では」無機ヒ素が含まれているとしても健康への影響は小さいので(タミア注:子供には玄米のヒ素が有害な可能性があるため、国によっては規制している国もありますが現時点では医学的に断定できませんので読者の皆さん一人一人が慎重に判断してください。)、それだったら、食物繊維が摂取できる玄米の方が白米よりメリットがあるようだが7分づきのお米や麦ご飯という選択肢もあるし、「食物繊維の摂取という観点から見れば、麦の方が食物繊維は多く効率的ですよ。(佐々木先生談)」と。佐々木先生は全粒穀物なども薦めています。

ついつい食育の関係者は「白か黒か(=白米か玄米か。玄という文字には黒の意味もあるからです。)」と議論しがちですが、7分づきのお米や麦ご飯や全粒粉のパンを食べて時々白米を食べるという選択肢もあり得るのです!本当にこの点はついうっかり見過ごしがちで、気がつけば「白か黒か」論争の土俵に引きずり込まれがちですが、同じ土俵には乗らないで、それ以外の選択肢にも目を配るべきだ、とさりげなく佐々木先生は伝えたいのです。いや、恐れ入ります。

この記事を見て思い出したのが、お待たせしました、本日のテーマ「元禄時代以前の日本人はお米を玄米で食べていた、という有名な説が実は誤解」という意外な事実です。「徳川家康は玄米を食べていたと記録に残してますが・・・・」と首をひねる方もいるでしょうが、先に答えを言うと、元禄時代以前と以降では「玄米」という言葉は異なる食品を表しているのです。元禄以降の玄米は、今日の私たちが知っている玄米と同じですが、元禄以前の文献に記されている「玄米」は今日の言葉で言うと七分づき米であり、調理の手間や消化吸収や食べやすさなどの面で玄米とは全く異なる食品なのです。このことを研究で明らかにしたのが、我が国の食文化研究の第一人者、石毛直道先生です。先生は一般の人向けには「食べるお仕事」という著書の16-17頁で解説してくださっているので、良かったらご覧ください。

石毛先生の解説を簡単に説明しましょう。まず、お米は外側に籾殻(もみがら)といわれる茶色(または黄土色に近い黄緑色)のざらざらして食べられない皮が2枚あります。これをむくと薄茶色の玄米が出てきます。薄茶色に見えるのは白米の周りに茶色の「ぬか」の層が薄く取り巻いているからなので、このぬかを取り除くと白米になるという訳です。
元禄時代ごろに中国から「土臼」という道具が入り、この道具のおかげで、お米の外側の籾殻がきれいにパカッと外れるようになり、そうして出てきたほぼ無傷の玄米を「横杵(よこぎね)」または「唐臼(からうす)」という道具で白米に精米して食べるようになりました。

じゃあ、それ以前はどうしていたかというと、「兎の餅つきの絵にあるような(と石毛直道先生は書いています。)」たて杵(たてきね)という道具で、籾殻のついたお米の粒をいきなりぺったんぺったんとついていたのです。こういう素朴な仕組みだったので、当然ながら、籾殻が外れると同時に、玄米のまわりの「ぬか」の層もこすれて半分くらい無くなっていたのです。こうして出来た、ほんのり茶色いお米は、現代の言葉では「半つき米」または「七分づき米」と、ぬかのとれた量に応じて呼ぶのですが、元禄時代以前の人たちは一括して「玄米」と呼んでいたのです。

ですから、徳川家康も卑弥呼も半つき米か七分づき米を食べていたのであり、ゆえに、今日、「家康(または卑弥呼など。)の食事を再現しました」と言って現代風の玄米ご飯の模型を展示している博物館や百科事典は実は全くの勘違いをしているのです。

ぬかの層の表面は水をはじくので、現代の玄米を炊くとふっくら炊くのは難しいし、よくかまないと食べられないし、かむ回数が足りない状態で飲み込むとせっかくの栄養が吸収されずに粒のまま便に排出されてしまうのです。しかし、ぬかの層に傷がついている半つき米や七分づき米なら、水も浸透するし、炊き上がりも良いし、食べやすくて栄養も吸収しやすいのです。石毛先生は研究成果として、今日私たちが玄米と読んでいる食品に関しては「稲作圏で玄米を常食とする民族はない」と結論づけています。

以上、昔の玄米と今の玄米が違う食品であるという事実は多くの方に知ってほしいです。また、玄米にこだわらなくても七分づき米や麦飯やパンなど様々な方法でビタミンや食物繊維を取れますし、時々白米を食べてもいいのではないかというのが、佐々木先生と松永先生のお話です。皆さんもご参考にしてください。

☆2018年11月4日補記

最近この頁をごらんいただく方がとても多くて大感謝です。見ていただいてうれしいです。
さて、「農家さんが玄米を精米して食べるなんて、もったいないのでは?」と思った方もいるかもしれないので、説明を追加しますね。

結論から言うと、元禄時代以降から昭和20年代ぐらいまでの農村では、一般論としては、玄米を食べる方が「もったいない」と批判され、軽く精米して食べる人の方が賢くて今風に言えばエコだったのです。その理由は2つあります。

(1)傷のない玄米をそのままご飯にして炊こうとすると、薪(たきぎ)の消費量が半端ないからです。玄米の表面にはうっすらと「ロウ」の層があるので、中にお水がしみとおるように炊くためには1時間と、7~8分づきのお米の倍の時間と燃費がかかります。

 ガスのない農村で、薪を集めるのは決して楽な作業ではありません。自分の家の裏山と薪拾い係の使用人を持つ豪農なら話は別ですが、広い裏山を持たない通常の農家さんでは、薪は入会地(いりあいち:地域のみんなで共有管理する土地)から拾ってくるので、大量の薪を集めるのは大変だし、時間もかかる作業だから近所に見つかって怒られてしまいます。

 だから普通の農家は、薪を節約するためにちょっとだけ精米していました。精米した方が現代風に言えばエコですね。
ただ、玄米食が大政翼賛会によって強制された昭和17年11月以降からは大変でした。一時は、お米を炒って一晩水につけることでなんとか玄米の内部に水を浸透させるなどの涙ぐましい努力(楠公飯)も雑誌で紹介されて話題になりましたが、味が悪いという声や、見かけの量は増えるが逆に腹が減って仕事にならないという苦情も出て、楠公飯は次第に衰退しました。
こういうことからか、表面を軽くついてロウの層に傷をつけたお米を玄米だと言い張ってやり過ごしていたのが実態だと、ある米作農村で長年生活した農業研究者から伺いました。

(2)農家さんがトラクターなどを使うようになったのは第二次世界大戦後(地域によって差がありますが、だいたい昭和30年より後。)なので、それ以前に田畑を耕すには牛馬を使っていました。牛馬がトラクター代わりだったのです。でも牛馬には餌が必要で、通常は精米した後のぬかを、雑穀やトウモロコシ(実と葉)、わらなどに混ぜて与えていました。だから玄米の精米は、牛馬の健康維持に役だったのですね。

 玄米食推奨が盛んになった昭和17~19年頃、農家の間では「家畜の飼料がなくなる」と大騒ぎになりました。国策に逆らえば非国民となじられるので、千葉県の現在市原のKさんの家では、食糧不足の時代なのにわざわざ畑の一部を犠牲にして牛馬専用の飼料を作り、彼のアイデアは大政翼賛会生活動員本部の伊藤部長に褒められた、という逸話もある位なので、むしろ玄米を精米してぬかを家畜の餌にする方がそれまでは当たり前の暮らしだったのです。
昔ながらの、玄米を精米してぬかを餌に与えるという暮らしは、今日で見ればエコな暮らしと評価出来そうですね。   
以上、ご参考にしてください。

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