最近、料理研究家土井善晴先生が気になります。2月8日にyahooニュースオリジナルで掲載された「”料理にレシピが必要”は思い込み」という記事で、先生は料理にレシピなんぞいらないのだと熱弁していました。それによると
「「一汁一菜」。つまりお味噌汁とご飯、漬物です。これを1日3食食べればなんの問題もありません。」(原文ママ)
また先生は今の日本のおかずの代表例として肉じゃがを例に挙げて、次のような説明をしました。
肉じゃがなどは火の通り加減や味付けのタイミングが問題で、料理が複雑である。味付けの上手下手が生まれてきて、それが原因で現代人は味付けに悩み、レシピを覚えなければ料理は出来ないと思い込んでいるのでは。レシピを覚えるのは非常に面倒くさい。一汁一菜にすれば具を味噌で煮込むだけで出汁も不要だからレシピなんてのも覚える必要がない。
・・・だそうですが、7つの視点から疑問がわきました。
1:肉じゃがは面倒くさいといういう指摘について
現代ビジネス(2023年6月24日、執筆者は講談社資料センター)の3本の記事、
『おふくろの味「肉じゃが」は昭和40年代の食卓にはなかった…!』
『「肉じゃが」はいつから「おふくろの味」になったのか…?』
『おふくろの味「肉じゃが」の名付け親は誰なのか…?』
によると、昭和40年代まで「肉じゃが」は家庭料理では無かったそうで、戦前戦後の家庭のじゃがいも料理は洋風や中国風が多かったそうです。これを家庭料理「お袋の味」として広めたのは昭和50~53年頃の雑誌・書籍料理記事で、その中でも有名だった一人が、土井勝先生だったそうです・・・そうです、土井善晴先生のお父様です。
(「肉じゃが」はいつから「おふくの味になったのか…?より。文中の「同年」は昭和52年です。) (同じ記事より。写真は省きましたが、肉がやや少なく、緑の野菜が添えられている写真です。) 先生はお父様の偉業を否定されるのですか?専業主婦全盛時代に、多くの家庭の女性たちは社会との接点を失っていましたが、そんな中でも自分自身が出来るベストを尽くしたい、家族を喜ばそうとして、家庭料理に力を入れていました。その中でも全国的に愛されてリピートされたのが肉じゃがです。それぐらい美味しい料理なのです。
現代の共働き時代になって作るのが面倒くさいなら、惣菜コーナーで買えばいいじゃないですか。面倒だという理由で、なぜ肉じゃがを食べることまで排除するのでしょう。本当に不思議です。
2:土井善晴先生自身が肉じゃがを指導している件について。
普通に「土井 肉じゃが」で検索すると先生のレシピが大量に紹介されるんですが、それはいいんですか。スクリーンショットを撮ったので、紹介します。肉じゃがのレシピは面倒なのでそんなの覚えなくても味噌汁だけでいいんではなかったでしたっけ?
3:土井先生ご自身の職業の否定になりませんか?
土井先生は料理研究家です。出汁もとらず具を味噌の中に入れて煮るだけでいいと言い続けるのは、ご自身の否定になりませんか。
先日、2月24日日本経済新聞夕刊1面に先生が書いたエッセイ「おでんとかんとだき」でも、関東炊きの詳しいレシピを紹介されています。
引用します。
「関東炊きはたっぷりの出汁をひく。水15カップ、薄口醤油1カップと、薄口の半分の砂糖、鰹節だけでは弱いので、底味となる鯖節か煮干しと半々にして」以下作り方が8行も続くので省略します。長い文章で説明するところを見ると、普通の家ではうまく関東炊きを作れないと強調したいようです。
お話を総合すると、「料理を作るのは一部の職人や料理マニアで良い、普通の共稼ぎ家庭は黙々と一日三食コメの飯と味噌汁と漬物だけを食べてろ。」って言っているように聞こえてきます。味噌汁以外に素人が手を出してはいけないのかな?と萎縮してきます。
4:スーパーでおかずを買っちゃ駄目ですか?
味噌汁なら誰でも作れるから味噌汁がいいという先生の主張は、外食や中食を否定されているように読めます。仕事帰りにコロッケや焼き魚やインスタント味噌汁を買うのも否定されているような気がします。先生の本を読むと「常に、自分で、味噌汁だけを作れ」と強制されている気分になり、逆に憂鬱な気持ちになります。味噌汁はインスタントで十分です。あのデパ地下の赤魚の煮付けや大豆サラダを食べたーい。
5:先生の言うそれ、一汁一菜と違います。
「一汁一菜」について先生は「味噌汁とご飯と漬物」と言っていますが、それは一汁一菜じゃ有りません。先生が提案している料理は「一汁無菜」です。何故なら菜とはおかずのことです。先生の料理には菜が無い。漬物は菜じゃ有りません(熊倉功夫先生、江原絢子先生他より)。和食には様々な定義がありますが、漬物を菜に数えないのはほぼ全研究者の指摘する共通ルールです。
具だくさん味噌汁なら菜に数えていい、というなら「半汁半菜」と名乗る方が正確です。
6:栄養学的にどうも疑問です。
土井先生の本を見る限り、毎日三食土井先生方式の一汁一菜をやっていたらおそらく栄養素の偏りが生じるはずと思います。計算をしてないのでざっとした感想ですが、カルシウムと鉄分、ビタミン類、タンパク質が不足し、逆に糖質は取り過ぎになると思います。また、食事素材の多様性が発がんを防ぐことも知られていますが、土井先生方式だとどうしても食べる品数やバラエティが限られているため、この点も心配です。
栄養面で十分だと言い出したのは先生の方ですから、まずは先生が先に、本当に栄養学的に大丈夫か、大勢の被験者を募って数年間食べ続けて証明してくださらないと、消費者としては困ります。
7 「味付けの苦しみ」って結局なんのことか分かりません。
土井先生はyahoo記事の冒頭で、こういうことも言っています。日本ではお箸で料理を食べる民族なのに西洋の栄養学を取り入れたから和洋中の料理が入ってきてしまい(あのー、栄養学をなんだか悪いことのように言うの止めてくれません?)、箸のために肉類は小さく切るから、調理の工夫が必要だし、肉と野菜と一緒に調理したりすると火加減や味付けタイミングが難しくて味付けで悩むのだ・・・・と。はっきり申し上げるとそんな説明には全然実感がわきません。
スープやチキンレッグのような西洋料理を作ったなら、ナイフとフォークやスプーンで取り分けて、お好みで塩コショウして食べれば美味しいですよ。クレイジーソルトや粉チーズ、チリソースなどで美味しくいただけます。
肉と野菜を細かく切って一緒に調理する和風料理の時なら、スーパーの調味料コーナーに行けば、様々なキットがCookDoや永谷園やキッコーマンやエスビーなどから販売されて、選ぶのが楽しみです。キャベツのなんとか味とか、大根のなんとか味とか。豊富な調味料があるので、見ているだけでもこのような豊かな日本に生まれたことの幸せを実感します。袋に書いてある通りに作れば簡単で美味しいですよ。味付けで悩んでいるって日本人の10人に1人もいない珍しい人じゃないですか?
こういう市販の調味料を否定する目的でしょうか、最近の土井先生は、他人の味付けに舌が慣らされるのは自分の人生を生きてないことだと唱えているそうです。すると江戸時代から平成20年代まで多くの男性は自分の人生を生きてなかったのですね。
総合すると、土井先生の主張は私ら共働き主婦を救っているように見えて実際には、「貧乏人の共稼ぎ家庭は家で味噌汁だけを作れ、金のある家だけ外食で職人の作ったおかずを食べてもいいよ。」と呪縛してるように見えるので、心身によろしくないのではと思うのです。