タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

「沖縄県の寿命は欧米化で縮んだ」は嘘。

2015年09月26日 | Weblog
2003年ごろ、マスコミで「26ショック」と称し、沖縄県の男性の平均寿命が都道府県別ランキング・トップテンから転落して、26位になったことが大きく取り上げられました。
そしてあるエッセイで、沖縄県のこの転落の原因は「食の欧米化で寿命が縮んだため。」と紹介され、この説は全国に広まりました。
食品業界でもこの「縮んだ」説を信じている方は多いようです。

ですが、統計学の専門家、上田尚一先生の御著書「統計グラフのウラ・オモテ」によると、それは統計の読み間違いだそうです。詳しくは同著のp236以降に掲載されていますが、要約すると、沖縄県男性の寿命は伸びたものの、その変化が長野県などの伸びと比較して小さかったため、「順位」が下がっただけだとのことです。

一方、こんな噂もあるのですが、これは本当なのでしょうか。
「沖縄県の男性の寿命は一見すると年々伸びているように見える。しかしそれは伝統食を食べて育った高齢者が長寿だからであり、若い世代は食の欧米化によってむしろ早死にしている。これを逆さ仏と呼ぶ。」と。

もしもこの説が事実なら、沖縄県の伝統食はサツマイモと豚肉等だったので、お米や雑穀主体の食事(本土の伝統食)より、サツマイモを主食にして肉を食べた方が長生きできる、ということになりますね。

早速、厚生労働省の統計データを精査しましたが、若者が早死にしているというデータは見つかりませんでした。それどころか、沖縄県の若~中年世代の平均余命が(他都道府県と同じくらいで平凡な値になっている物の)年々伸びている(つまり、若者や中年も以前より長生きになっている)のです。

具体的には「都道府県別生命表の概況」の平成17年版と22年版を比較すれば分かります。
以下はすべて男性の値ですが、
75歳時の平均余命 H17:12.22年→ H22:12.35年 以下同様に次の通り。
65歳 19.16年→19.50年
40歳 40.22年→40.77年
20歳 59.18年→59.93年

このように、沖縄県のどの世代も寿命が伸びているのです。20歳代や40歳代では他県の寿命の伸びの方が大きかったので、ランキングで20数位にとどまっているに過ぎない・・・という訳です。結局、逆さ仏説は嘘、都市伝説でした。

ではなぜ20歳代や40歳代の人達は、65歳代や75歳代の人達のようにランキング上位に入らないのでしょう。
「平成22年都道府県別生命表の概況」より「参考」ページの参考2-2「特定死因を除去した場合の平均寿命の延び(男)」を見ました。
この表を見るとどのような死因が寿命を減らしているかが推測できるからです。
すると、沖縄では肝疾患(お酒の飲み過ぎやウイルス感染等が主因。)による寿命の縮みが全国1位(!)、高血圧性疾患(塩分の取りすぎや精神的ストレスと遺伝的体質が主因。)が全国4位、自殺が全国5位という結果だったのです。

つまり、沖縄県では寿命は年々伸びては居るけれども、そのペースをゆるやかなものにしているのは、食の欧米化ではなくて、お酒の飲み過ぎやストレスや自殺など・・・背後には長引いた不況の影響が考えられるのです。

今までの話をまとめると、どの世代でも沖縄県の寿命は伸びてますので、「食の欧米化によって沖縄県民が危機にさらされている。」という説は誤解と考えられます。食の欧米化対策よりも、お酒の飲み過ぎや自殺などを防ぐ対策が必要と思われます。


(注1:糖尿病は全国9位ですが、運動不足や車社会(沖縄は鉄道が少ない)、お酒の飲み過ぎなども糖尿病の重要な因子なので、食の欧米化が主因とは断定できません。

注2:ありがちな誤解として、上記の表の例えばH22年の数値を例にして
「75歳はあと12.35年も平均余命があるから、足して87.35歳まで生きられる。しかし20歳は足して79.93年しか生きられない。だから若者の方が短命だ。」とする例が考えられます。
しかし、このような比較は、統計の性質上やっても無意味な比較です。
なぜなら、理論上、全国どの地域でも必ず「20歳+平均余命」は「75歳+平均余命」より小さいのです。
75歳まで生き延びた人達とは、その年齢まで事故や自殺や生活習慣病などで死んでない人達=生命力の強い人達です。だからその後も長生きする可能性が高いのです。
一方20歳の集団には将来長生きできない人も含まれるため、平均余命が短く算出されるのです。)


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成田崇信さん(とらねこ日誌のブロガーさん)の新著をおすすめ!

2015年09月19日 | Weblog
知人から、成田崇信さんの「管理栄養士パパの親子の食育BOOK」を勧められました。
タイトルを見ると、「ああ、よくある『手作りしろ』『旬の野菜ばっかり食べろ』式の上から目線の、『こうあるべき』を押しつけるような本かなあ。」と思ってしまったのですが、読んだら全く違っていました。

「仕事や家事と様々なことに忙しい親が、毎日のように無理をして手の込んだ料理をつくる必要はありません。」「子どものほうだって、親が多くの時間を黙々と調理に費やすよりも、一緒に遊んだりくつろいだりする時間をつくってくれたほうが嬉しいのではないでしょうか。」

・・・心にしみて、泣けてきました。まさに、ちょっと前までの自分がこの状態でした。子育てと仕事に追われてボロボロになりそうな日々。救われるような文章でした。

この本は、栄養学関係の論文や、国の公表統計に基づきつつ、無理なく栄養学的によい食事を実践するポイントを教えてくれます。

更に、ちまたに良くある誤解やデマについても正確な情報を提供しようと工夫してあります。「旬の野菜ばかり食べる必要はない。」「肉や牛乳、砂糖が身体に悪いという説はおおげさ。マクロビオティックで育った子ども達に貧血や成長障害などが起こっている(引用論文あり)」などの他、農薬、抗生物質、化学調味料、食品添加物、放射性物質などについても気になる人向けに安全情報を提供してくれます。
しかも「安全だから是非食べて」じゃなくて、どうしても不安だと思う人に無理して押しつける必要はない、という視点が貫かれているので、納得がいく内容だと思います。

「食の欧米化によって病気になる子どもが増えたので和食にすべきだ」とする、よく耳にする説については「根拠はありません」とばっさり。
そして歴史的には、現在の「健康に良い和食」というのは、むしろ食の欧米化の結果成立したのだと指摘しています。これは、民俗学とも一致します。古い文献に記されている庶民や農家の食事と、今日私達が目にする和食が、メニューはもちろん摂取量の観点などからもかなり違うものであることは、民俗学の研究をしている知人などからも教わった話なので、いつか、このブログでも紹介したいと思います。

ちなみに、食の欧米化の話で思い出したので、成田さんの本の話からは少し外れますが、「食の欧米化で沖縄県の人達の寿命が縮んだ」というテレビや雑誌で有名な説も、単なる統計の読み間違いから生じたデマであると、統計学の専門家の書いた本に載っていました。沖縄県民の寿命は縮んでないのです。長野県民などの寿命が大幅に伸びたので、沖縄県民の寿命も少し伸びたのですが、ランキングで抜かされてしまった・・・ということでした。このことについてもいずれ詳しくこのブログで紹介できれば嬉しいです。

成田さんの本の話にもどりますが、この本は、子どもの食事について「どうしたら正しい食事ができるのかしら」と悩んでいる多くのお父さんお母さん達に読んでもらいたい本と思います。あらゆる面からパーフェクトに「正しい」という食事はないことに気づかされ、それぞれの家庭で様々に工夫すればよいことに気がつき、元気をもらえる本だと思います。

10月10日追記:成田様がこのブログを読んでくださったそうです。成田様がツイッターで感謝の言葉を書いてくださったと知って、大感激です。しばらくうれしさで頭がボーっとなってました。ありがとうございます。少しでも成田様のご活躍を応援できればいいなと思っています。読者の皆様にも御礼を申しあげます。また、私もこれから頻繁に食育・食の民俗学関係の情報を掲載して、これを通じて、成田様の活動に少しでもお力添えができればいいなと思っています。

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マクガバン・レポートは和食をほめてない。

2015年09月12日 | Weblog
食品関係の仕事をしていると、
「1977年にアメリカ上院議員のマクガバン氏が発表した『マクガバン・レポート』には、和食または日本食が身体に良いと書いてあるんだよ。」
という話を聞いたり、書物で目にしたりします。

しかし「火薬と鋼」というブログで詳しく解説されている通り、マクガバン・レポートには和食または日本食が身体に良いというような話は一切書かれていません。

その後、大阪府立大学客員研究員の戸川律子氏は、英文原文の第1版と第2版の両方を精査し、和食または日本食を賛美する記述が全くないことを確認し、論文発表しました。

論文のタイトルは「マクガバン・レポートと日本における食の「近代化」の内発的契機」といいます。
無料でネット上でも読めるのでご関心のある方は検索してみてください。

ところが、よく耳にするうわさにこんなものがあります。
「第1版には和食が身体に良いと書いてあったのだが米国内の食品業界の猛反対にあって、削除されてしまった。そして第1版は葬り去られてしまったので、業界に改悪された第2版しか読むことは出来ない。」と。

しかし、戸川氏は第1版を入手できました。
実は米国には日本よりも厳密な公文書保管制度があり、一度発表された政府の書類はすべて保管され、全米の図書館を通じてアクセス出来るのです。
「第1版はこの世から失われた」説は都市伝説です。

ところで、「マクガバンレポートには元禄時代の和食が最も身体に良いと書かれてあり、それこそが日本政府の推奨している「日本型食生活」である」との噂を耳にすることもあります。

「日本型食生活」とは、1980年の農政審議会答申で提案された概念であり、その後、農水省が広報に長年力を入れている食事スタイルです。
そこで、農水省の知人に確認したところこのようなお返事でした。

「農水省の勧めている日本型食生活とは、ご飯を中心にいろいろなおかずを食べることであり、おかずに洋風のものや中華風のものを食べたり、牛乳やフルーツや洋野菜などを食べてもいいので、伝統的な食事ではないことにご留意ください。

また、時々パン類や麺類を食べることも日本型食生活の特徴です。
農水省のホームページで「食事バランスガイド」を見てください。主食にパンを食べても良いことや、牛乳などの乳製品も大事な食品であることが
図解されていますから。」

なるほど、食事バランスガイドを見たら、確かに、パンや牛乳の絵が掲載されていました。
マクガバンレポートの噂はやっぱりデマだったのですね。

噂を鵜呑みにするのは怖いことだと思います。
以上の話が、少しでも多くの家庭科や食育担当の先生方に伝わることを願っています。

(なお、マクガバンレポートの正式な翻訳名は「米国の食事目標」ですが、家庭科や食育の担当者の間では、マクガバン・レポートとかマクガバン報告と通称で呼ばれているため、このブログでも通称に沿って表記しました。)

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和やかな食事と書いて和食となります。

2015年09月06日 | Weblog
現在開催中のミラノ万博では、日本館も大好評だそうで、そのことはなんだか誇らしく思えてきます。
しかし一つだけ気になることがあります。
それは展示の中で「お米を中心に据えた一汁三菜が和食の基本」と紹介されてしまったこと。
ちなみに、「汁」とはお吸い物やお味噌汁などのことです。「菜」とはおかずのことで、お漬け物は入りません。
一汁三菜とはつまり、ご飯茶碗にもった「飯」と「汁」と3つの「おかず」が別々の容器に入れられている状態のことを指します。

 香川県出身の知人は「最近、妙に和食の基本は一汁三菜だという説を聞くけど、なんかおかしくない?
うどんは和食としては二流、三流ってこと?」と嘆いていました。

そうですよね。同様に、私の大好きなお蕎麦や寿司も、和食としては基本ではないということになりますよね

秋田のきりたんぽも、鍋の中につぶしたお米の塊が入っている訳で、
「飯」と「汁」と「菜」を分離していないので、基本的和食ではない、と判定されることになりそうです。
小麦粉を練って汁に入れている「はっと」(宮城)、「おっきりこみ」(群馬・埼玉)、「ほうとう」(山梨)は、
お米を使ってないからさらに、和食の基本形から遠ざかる事になるのでしょうか。
小麦粉の団子やお焼き(長野)などは汁さえもないのですが、
これらも基本的和食ではないと判定されるのでしょうか。気になるところです。

 実は、和食研究のエキスパート、原田信男先生は、カレーやラーメンも含め、
日本人が改良した食品も和食であると唱えています。同じくエキスパートの熊倉功夫先生は、
和食の変遷の歴史を考えると「汁」や「菜」の数にこだわる必要はないと唱えています。
いろいろな文献を調べると、お二人の説の方が筋が通ってるように思います。

 和食の基本が一汁三菜である、という説がいつどのように生じたのか調べてみましたが、
出所は不明でした。ご存じの方はお教えください。

ちなみに、私は昭和50年代末に、家庭科教育の地域モデル校で調理を学びましたが、
地域の家庭科教育のリーダー的存在だった担当の先生は
「最近一汁三菜が身体に良いという説がありますが、汁とはシチューやスープでもいいし、
菜はハンバーグやサラダでもいいんですよ。
要は長期的スパンでみて、栄養バランスがとれているかどうかが大事なので、
おかずが三つもあれば偏った食事にはなりにくいので最近、一汁三菜説が
唱えられているのです。」と説明していました。

このように、一汁三菜という言葉は古くは洋食についても使われる言葉だったのです。
いつの間に和食のことに限定されるようになったのか、気になって仕方ありません。

 さて、実は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された時には一汁三菜には
こだわってなかったそうです。
経緯はこうです。
まず最初に京都の老舗料亭の方々がNPOを作って、「会席料理」を日本の料理の頂点においた
和食文化を登録しようとして、取りやめになったのです。
ユネスコ無形文化遺産で登録対象とされるのは「無形文化」なので、特定の料理は
登録できない決まりがあったからです。そこで、登録申請者を農水省とし、
また、申請書類の中では正月料理を例として取り上げて和食文化を解説しましたが、
具体的に「何が和食か」については議論しないことにしたのです。

だから正式な申請書類の中では特段、「和食は一汁三菜が基本」という文章はなかった、
と伺っています。なにしろお正月のおせち料理は「菜」が3つどころか10も20もありますしね。

 そして不思議なことに、ユネスコに登録されるととたんに、
「一汁三菜こそが和食の基本」「そういう料理を出す京都こそ和食の本場」
「その京都への歴史的食材供給ルートだった福井こそ和食の本場」という説が
あちこちで聞かれる様になったのです。
しかし、先に述べた話から分かるように、特定の食品を和食のトップとする考え方は、
ユネスコの精神に反する事なのです。


 日本中のすべての伝統的食品が、上下関係なく、和食として評価されることを願うこのごろです。
和やかな食事と書いて「和食」となります。
日本各地の様々な伝統料理に敬意を払いながら、和やかに楽しみたい物です。

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