タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

インスタントラーメンの親の親、有本邦太郎氏は川島四郎氏にも慕われた。

2018年10月27日 | Weblog
NHKの朝の連続ドラマ「まんぷく」は、インスタントラーメンの生みの親、安藤百福さんとその妻仁子(まさこ)さんをモデルにした物語です。放送開始から涙あり笑いありのドキドキハラハラ展開とそれぞれの役者さんの見事な演技に、タミアもすっかり釘付けです。そして、さすがNHKならではリアルなセットや小道具、精密な時代考証など、丁寧な心配りだと感動しています。インスタントラーメンが好きな人にはもちろん、そうでない人にも目が離せない番組だと思います。(2019年1月7日に、「精密な時代考証」の文字に消し線を書き加えました。最近、時代考証的に疑問なシーンが増えたので、残念ですが消し線を入れます。あの時代の社会的状況でこのストーリー展開はありません。)

さて、このドラマはあくまでもフィクションなので、安藤さん夫妻の人生をそのまま描いた話ではないのですが、タミアが今からとても気になってるのが、我が国の栄養学に大きな足跡を残した故有本邦太郎氏が、番組ではどのような形で登場するか、です。

実は、有本さんがいなければ、インスタントラーメンは生まれなかったかもしれないのです!!故安藤百福さんは、唯一の自伝「魔法のラーメン発明物語 私の履歴書(日本経済新聞社)」のp72で、「戦後すぐ、即席めんの研究を勧めてくれた」人こそが高名な栄養学者の有本邦太郎さんだったと明記しています。

この本のp16~p17にも、百福さんがインスタントラーメンを発明しようと決心したきっかけは二つあったことが記されています。
一つは戦後すぐ、1店のラーメン店に長い行列が出来ているのを見た思い出、二つ目は有本さんの教えてくれた「ある情報」でした。ついでに言うと、p72~p73には、百福さんがチキンラーメンの発明後に有本さんを訪れて、栄養分析を依頼したら、当時日本人に不足していた栄養素が材料の鶏ガラから含まれていると分かり、厚生省がチキンラーメンに「妊産婦の健康食品」とお墨付きを出したという意外なエピソードも載っています。安藤百福さんと有本さんにはそんな交流もあったのですね。

有本さんは大変人なつっこくて多くの人に慕われて、多数の栄養学者を育てことでも知られており、有名な菜食主義者の故川島四郎先生にも大親友と慕われたのです。と書くと一部の菜食主義の方々は「嘘でしょう?」と悲鳴を上げるかもしれませんが、川島先生本人がその暖かい友情の思い出を記録に残していますので、ブログの後半で紹介します。

今日のブログの前半では、有本さんがいなかったら、世紀の大発明「インスタントラーメン」が無かったかもしれない、その驚きの物語を記します。

まず、最初に簡単に有本さんの経歴を書きます。
明治31年和歌山市生まれの有本さんの、社会人としてのスタートは、星製薬の研究員でした(創業者である当時の社長の星一さんは、星薬科大学の創立者であり、ショートショートの第一人者星新一さんのお父様です)。その後、東京市衛生試験所に勤めた後、あのあまりに有名な「わかもと」にスカウトされて、子会社の「わかもと健康菓子(株)」の取締役になります。

 その後、昭和15年に財団法人日本労働科学研究所に請われて部長として就任しますが、「ある理由」から召集されずに敗戦を迎えます(召集を免れた理由は、川島四郎先生と関係があるので、後半までお待ちくださいね)。
 敗戦後、GHQは厚生省の三木局長に栄養課を作るようにと指導し、三木局長は、役人経験のないフレッシュな人材の有本さんに課長になって欲しいと懇願し、こうして昭和21年12月に、有本さんは全く思いがけず役人となったのでした。

 そのころ、安藤百福さんは栄養食品の開発に取り組んだ関係で、厚生省や農林省に行く機会が多くありました。昭和23年に、安藤さんは、学校給食はなぜパンなのだろうと疑問をもち、厚生省の有本さんに出会って、「日本人が好むめん類をなぜ、粉食推奨に加えないのですか」と話します。

 ・・・と書くと一部の読者さんは「ああ、『小麦戦略』で学校にパンが導入されたというアレね」と早合点するかもしれませんが、実は学校給食と小麦戦略は全く関係がありませんでした。有本さんが話したのはもっと意外な事実でした。
 
 今日私たちが耳にする小麦戦略説には様々なパターンがありますが、そのどれもが当時の時代背景と照合すると話が食い違うという論文(養賢堂「農業および園芸」掲載「生活改良普及員の昭和20~30年代の栄養指導の意義と功績」第88巻12号)がありました。気になる方は読んでください。

 第二次世界大戦に学校給食が導入されたのは、飢えた大勢の日本の子供を救おうと、GHQのサムズ大使が日本政府に「米飯と味噌汁を基調にしよう」と学校給食開始を働きかけたのがきっかけです。ところが日本政府は、大人に配布する食糧すら入手できなかった。凶作などで「米なし、味噌なし」の時代だったからです。そこで当時厚生省の職員だった大磯敏雄氏らが、アメリカの宗教・社会事業団体「LARA(ララ)」に働きかけて、ララから送られた食糧を学校給食にしたのです。日経記事によるとララは日系1世の浅野七之助さんらが大きな役割を果たした団体です。

 日本全国の約1400万人がララからの贈り物「ララ物資」の恩恵を受けました、受領総量1万6千トンのうち2割はアメリカや中南米の日本人と日系人が祖国の窮状を見かねてプレゼントしたもので、この脱脂粉乳と小麦で作ったパンが子供たちを救ったのです(「混迷のなかの飽食」大磯敏雄 p167,170 昭和55年刊行 および2014年8月16日日本経済新聞朝刊39面)

「いやいや、学校給食のパンが日系人の贈り物だったとしても、その背後には、日本を米国産小麦の市場としたいGHQの陰謀があったんでしょう?」というのはピント外れです。先の論文によると、米国が小麦過剰に陥ったのは昭和28年のこと。それまで米国が小麦の販売先として当てにしていたヨーロッパは急に豊作になったし、米国内も豊作で、朝鮮戦争も終結し、思いがけず急に小麦が余ってしまったのです。

 一方それまで世界の最貧国の1つだった日本は、朝鮮戦争特需がきっかけで急に経済回復しました。ですが国民を養うほど大量のお米はまだ収穫出来なくて、でも外国産米を購入するお金もないので昭和29年に米国とMSA協定を結んだ、だから昭和27年4月に解散したGHQは関係ないとのこと。
 その後に生じたキッチンカー事業は米国政府ではなく米国の民間団体との提携による「おかずの作り方教室」で、配布されたテキストには有名醤油メーカーも広告を出していますので、和食否定運動ではありません。洋食だけではなくてんぷらやそうめんなど和風のおいしいお料理も色々と指導していました。

 また、「陰謀論大好きさん」の文章の中では頻繁に小麦戦略とペアを組んでいる「白米を食べると頭が悪くなる」説は、昭和31年に脳生理学者の林髞慶応大学教授が唱えた説ですが、原文を読むとパンを食えとは一言も言っていないのでむしろ玄米をおすすめしているようにも読めるのがミソです(笑)。栄養学者ではなくて脳生理学者というのも必見ポイントでして、今も昔も脳生理学者の中には疑似科学すれすれの人が混ざっていますね(ピンとくる人も多いと思う)。

 くだんの林教授が「パンを食べると頭が良くなる」という方向にシフトしたのがやっと昭和33年、しかもこの説が流行したのはなんとも遅いことに昭和36年。炭水化物の取り過ぎは良くないので野菜や動物性タンパク質も取って栄養バランスを取りましょうと指導していた厚生省は、パンか米かと論争しても意味がないと批判していました。

さてさて、長くかかってすみませんでしたが、「学校給食のパンは米国の陰謀である説」を取っ払わないと話が先に進まないので、陰謀論をどける作業をしました。
やっとここから、安藤百福先生と有本邦太郎課長の友情の話に戻ります。

安藤さんが、有本さんから聞いた「学校給食では麺類がなかなか使用できない驚きの理由」、それは物流でした!なぜなら「当時、小麦粉で作るうどんやラーメンのめんは零細企業の仕事で、量産技術も流通ルートもなかった」(前出の安藤さんの自伝、p17より。)のです。めんは量産できない、流通もできない、それじゃ学校に届けることもできないわけです。パンは戦前から大きな工場や流通ルートもあったので、だからほぼ自動的に、学校給食はパン給食になってしまったという訳です。有本さんは、わかもとの子会社でお菓子の製造販売を指揮し、衛生管理や流通ルートで苦労したことを記録に残しているほどの人ですから、有本さんの解説は安藤さんにもとても説得力があったことでしょう。

 有本さんから聞いた話が心に残った安藤さんは、いったん、様々な運命から食品開発から手を引くことになるのですが、昭和32年に、保存ができて簡単に食べられる便利なめんの研究に取りかかり、1年かかってチキンラーメンの開発に成功しました。

 その後のチキンラーメンの偉大な即席(じゃなくて)足跡は、大勢の人がご存じなので、このブログでは特に記しませんが、安藤さんの発明は、日本を超えて世界中の人々に恩恵を与えたのです。そして、我が家も時々その恩恵に預かっています。

 ここから後半の話、川島四郎さんと有本さんの意外な関係についてです。
 実は、有本さんが戦時中に召集されなかったのは、川島さんの計らいでした。当時日本軍で食糧問題を担当する重責にあった川島さんは、有本さんに会って「日本でも屈指の」栄養学者と見抜きました。そこで絶対彼を死なせてはならないと、必死で徴兵係に奔走連絡し、有本さんを陸軍の研究科所属にしたのです。(川島四郎さんが有本さんへの追悼で書いた文、「兄弟のようにしていたのに」より。「有本邦太郎:回想」収録)。そしてその後長きにわたって非常に仲良い関係を保っていたのでした。

 今日では菜食主義者と多くの方に記憶されている川島四郎さんですが、実は鳥肉や兎肉なども勧めていた人なので、今日の言葉で言えば決して菜食主義者ではないのです。
 
 「毎日ライフ」昭和58年10月号には、川島四郎さんと有本邦太郎さんの「栄養学者一七四歳の「長生き対談」」という記事が掲載されましたが、思わず微笑んでしまう内容です。まず、対談の冒頭には、企画の経緯が、記者の言葉で収録されています。記者は昭和45年ごろの「毎日ライフ」創刊時に色々お手伝いをしていた。その折に「生き方も食い物も対照的な二人の栄養学者がいる」と聞いたので、有本さんと川島さんに取材して、「肉食対菜食」というタイトルで記事が載った。それから13年半経ち、今またこうしてお二人にお会いできた、という紹介です。

 ところが昭和45年時の記事でも川島さんは鶏卵を食べてますし、この昭和58年の記事でも、高齢者は肉より魚、鶏、うさぎ、卵、植物性タンパク質を取った方が良いと川島さんは主張するのです。

 平成の現代で菜食主義といえば、動物性タンパク質は卵・牛乳・乳製品まで。ゆるい菜食主義の「ペスカトリアン」でも魚まで。なのに川島さんは、菜食派と名乗りながら平然と鶏肉やうさぎ肉を勧めるのですから口元がゆるんでしまいます。一方の有本さんも笑いながら「マスコミは何々派と名付けたがる」と茶化しちゃうし。楽しく和やかな会話からかいま見えるのは、雑誌のコンセプトに応じてお茶目な「敵対関係」を演じる様子です。

 その翌年、急性肺炎により有本さんは急逝されます。昭和61年9月に発行された追悼集「有本邦太郎:回想」は、大勢の人に慕われた有本さんの人柄がありありと伝わる、心を打つ本です。そこに収められた、川島さんの書いた弔辞には「肉食を重んずる君、草食を主とする僕、主食ではライバルだったが。それでいて、兄弟以上の仲よしだった。」とあります。意味を説明すると、昭和の日本人は、現在の私たちよりもお米をたくさん食べて牛や豚は少量だけ食べていたので、当時のマスコミは、お米を食べつつもおかずに牛肉や豚肉を多く食べる有本さんを肉食派と呼び、鳥肉や魚肉を少量食べる方が良いと考える川島さんを草食派と呼んでいたのです。

 現代の私たちが肉食・草食と聞くと、極端な「炭水化物を避ける」派と「完全菜食主義」派の対決だと勘違いしてしまうし、当時のマスコミ紙面では両者対決と書かれたので、一部の方は川島さんと有本さんは仲が悪かったと誤解していますが、実は、川島さんは有本さんを非常に慕って「兄弟以上の仲よしだった」と回顧していたのです。量や具体的種類はともかく動物性タンパク質が健康に役立つという点について二人は一致していたし、栄養学について科学的に研究するのが大事だという姿勢も共通していたから、尊敬していたのです。

 有本さんは、厚生省課長の後、国立栄養研究所長などの要職を経て、我が国の栄養学に多大な貢献をし、多くの人材を育て、昭和59年に永眠しました。このとき川島さんは、研究先でマラリアに感染してナイロビ病院の病床にいましたが、親友の急逝を知り急いで弔辞を送りました。その後、追悼集に「兄弟のようにしていたのに」という文章を寄せました。そこには、ある新聞記事に二人の激論の記事が載ったものの、実はその後で「二人は肩を叩いて一つお互い長生きをしよう、それで勝敗の決としようと笑って別れたものである。」と、裏側の事実を明かしていました。まぶたをつぶると、愉快な二人の友情が目に浮かびます。

川島さんの文章はこう締めくくられています。「私も九十二歳、間もなくあの世に逝く。待っていてくれ。君の近くに席をとって待ってくれ給え。」この文に、川島さんの有本さんへの深い友愛を感じて、私はしばし涙が止まりませんでした。
川島さんはこの追悼集の発行の3ヶ月後に永眠しました。

天国というのが本当にあるのかどうか分かりません。しかし、もしもあったとすれば、今も二人で、楽しく言い合っているかもしれません。
「有本君、この勝負はやっぱり私の勝ちだったね。」
「川島さん、昭和59年に86歳といえば十分に長寿だよ。引き分けじゃないかな。」
そこへ安藤百福さんが来て「毎日インスタントラーメンを食べていたぼくは96歳まで長生きしたよ。」と言っていたりして。そんなことを考えながらふと空を見上げました。秋の空は遠く高く澄み渡っていました。

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「乳糖不耐症が多い日本人に牛乳は不要」説は疑似科学。

2018年10月14日 | Weblog
「牛乳は乳糖(ガラクトース)を含む。日本人の多くは遺伝的に、大人になると乳糖を分解する酵素が分泌されなくなるのだから、日本の大人には牛乳は不要である」というよく見かける文章はニセ科学です。なぜなら、もしもこの理屈が正しければ、牛はセルロース分解酵素を分泌できないという事実を前に「牛には草は不要である。」と言えてしまうのです。しかし実際には牛は草を食べますよね。だから、分解酵素の有無は、食品の要不要を論じる根拠にしてはいけないのです。
と、書いても狐につままれている方も多いと思うので、以下丁寧に説明します。

 人間には、遺伝的に年を取ると乳糖分解酵素が分泌されなくなる方が多く、これを乳糖不耐といいます。逆に年を取っても乳糖分解酵素が活性を失わない方もおり、これを専門用語でLP(Lactose persistence)と呼びます。同じ民族の中でも個人差によって乳糖不耐の方もいればLPの方もいるので、日本人でも当然LPの方がいます。では、その頻度は国によってどれくらいか、というと次のようになります(出典1)。

(1)LPの人が1割以下(ほぼ全員乳糖不耐)の国・地域
 東南アジアから中国南部、ナミビア、日本の北海道と九州、など。
 ナミビアは牛乳や発酵乳を良く飲食することで有名で、例えば多くの人は、朝食には穀物の粉で作るオシフィマという主食に牛乳をかけて食べます。

(2)LPの人が2~3割(乳糖不耐の人が多い。)の国・地域
 中国北部からモンゴルやカスピ海沿岸諸国までの元遊牧民地帯、スリランカ、日本の本州、オーストラリアの大部分、ブータン、バングラディシュなど。
 中国内モンゴルやモンゴルやカスピ海周辺は食事の多くを乳類と乳製品に依存していますし、スリランカも重量にして肉・魚より遙かに大量の牛乳・乳製品を食べる国です。オーストラリアも牛乳を良く飲む国ですよね。

(3)LPの人が4~6割(乳糖不耐の人が約半数。)の国・地域
 ブルガリア、ギリシャ、スイス、南フランス、イタリア、ロシア、スペインなど。
 これらの国や地域も、牛乳・乳製品で有名ですよね。

(4)LPの人が7割以上の国・地域
 モーリタニア、サウジアラビア、パキスタン、ドイツ、イギリス、北部フランスなど。

ちなみにノルウェー、スウェーデン、フィンランドは、それぞれ北部が(3)、南部が(4)に該当します。
 
以上の通り、ナミビアやスリランカや、モンゴルからカスピ海までの地域、オーストラリアは、日本人と同レベルかむしろ高い位の確率で乳糖不耐症ですが、食事の多くを牛乳と乳製品に依存しています。どうしておなかを壊さないのでしょうか?齋藤忠夫東北大学院教授の説によると、乳糖不耐の方でも、大腸に住み着いた腸内細菌によって乳糖が分解されるからであり、日本人も毎日牛乳を飲むかヨーグルトを食べることで乳糖分解能力の高い腸内細菌をおなかに増やせるそうです(出典2)。

ちなみに、牛が草を食べられるのも上記の現象と非常によく似ており、牛の胃にセルロースを分解する微生物が住み着いているからで、これらの微生物が牛の体内にいなければ草を消化できないことが知られています。

もしも仮に、齋藤教授の説への反論があったとしても、モンゴル・中央アジア・カスピ海沿岸、スリランカ、ナミビアなどの国の人々は実際に乳・乳製品を常食しているのですから、「乳糖分解酵素活性と乳食文化圏に明確な関係は無い」、LPの集積は遺伝的なボトルネック(注)が生じたため、「たまたま」起きたと解釈する方が自然です。 以上により「食品××に含まれる成分を分解する酵素が遺伝的に分泌できないから、食品××を食べてはいけない。」論法は疑似科学として否定されます。

(注:ボトルネックとは。多様な遺伝子を持つ集団が何らかの理由で突然人口が急減した時に、全くの偶然で、ある中立遺伝子を持つ少数の者が生き残ると、人口が回復した際にはその遺伝子を持つ人が集団の大多数になること。ボトルネック効果とも呼ぶ。)

牛乳以外の実例も挙げましょう。日本人は醸造酒としては世界一アルコール度数の高い「日本酒」という酒を伝統的に飲んでいる一方で、アルコール代謝に関わる遺伝子「アルデヒド脱水素酵素」(ALDH2)遺伝子欠損率が世界一高い(44%)民族、つまり、世界一アルコールに弱い民族です。ウォッカなど度数の高い「蒸留酒」は人類が高度な蒸留技術を発見してから数百年しか経過してないので、蒸留酒よりも遙かに歴史の古い醸造酒の方が、その民族に長期間深い影響を与えているはずです。その結果としてそれでも、日本人は日本酒を飲む。「日本人は乳糖不耐が多いから牛乳を飲むな」論が正しいなら「日本人は日本酒を飲むな論も正しい」という変な結論が導かれる、だから、「牛乳飲むな論」自体が間違いなのです。

 なお、今回このブログを書くにあたって、集団遺伝学に詳しい科学者にご相談し、三顧の礼でやっと、匿名を条件にして監修とアドバイスをいただきました。以下、先生のご指導を元に少々専門的な説明を追加します。より深く理解したい方はお付き合いください。

 「LP」の方は、乳糖分解酵素の活性を制御する別の遺伝子が変化したと考えられています。そして牛乳・乳製品を常食しているかどうかとLPの方々の分布には関係性がありません。従来「北欧では寒さのため農作物栽培が難しく、草を牛に喰わせて牛乳に変換する形でしかタンパク質やビタミン類などを摂取できなかったので、LPの方々だけが自然選択で残った。」という合目的仮説が唱えられましたが、これはたまたまLP集積が起きた地域の一つに北欧があったからであり、非LP(乳糖不耐)の方々でも牛乳・乳製品を常食できるので、従来の説は間違いの可能性があります。

 LPに関わる変異遺伝子があってもなくても牛乳・乳製品は食べられるので、当該遺伝子は限りなく中立遺伝子(その有無が生存の有利不利に関係しない遺伝子。)に近い遺伝子です。であれば当然の帰結としてこう考察すべきです。LPの方々が北欧やモーリタニアやサウジアラビアなどに多い理由は、食べ物に合わせて適応・進化した結果というよりも、「ボトルネック効果」である方が説得力がずっと高い、と。

以上、ご参考にしてください。

出典1:M.Leonardi et al./ International Dairy Journal 22(2012) 88-97 よりfig2.
出典2:乳の学術連合2015「日本人とミルクの関係を考える」pdf資料(ネットで入手可能)より。同資料p16の齋藤忠夫東北大学院教授のご講演に基づきます。

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殿村美紀先生の「日本酒ブームへの警告」に共感。

2018年10月06日 | Weblog
「うどん県」など数々のヒットで有名な、ブランド指導者の殿村美紀先生の文章は、簡潔明快で短時間で読める文章ながら、業界関係者には「ああ、あれか」と分かる奥行きを秘めていて見事だと思います。最近だと先生の9月21日の夕刊フジ記事「世界の「SAKE」ブームに危険な影・・・」は、大変重要な指摘だったと思うので、ここで紹介させてください。

記事で先生はこういう指摘をされています。
(1)日本酒は、海外では(ジャパンの名前がつかずに)SAKEの名称で広まった。
(2)その結果、フランスでSAKE品評会が開かれるようになり、将来は海外の蔵元の方が高い評価受ける時代が来るかも。
(3)メソポタミア発祥のビールはしかし今やドイツブランド。ジョージア発祥のワインも今やフランスが一番というイメージになっている。日本もPRの仕方を考え直ささないといけないのでは。

えーっと、この分野についてあまりご存じ無い方は多分こう思ったはずです。「日本だってビールやウィスキーやワインを作って国際的に高い評価されているし、輸出もしている。だから別にどうでもいい話じゃん?」と。たしかに、日本のビールやウィスキーやワインの製造者が一層発展して国際的に飛躍して欲しいと私も思っていますが、その話は別にして、実は、殿村さんの文章は、業界人なら知っているある重要な「前提」が書かれてないのです。前提を知っている人なら殿村さんの文章を見て顔を青くしたはずです。

その前提とはなにか。日本ではおかず類の消費拡大などが主因となってお米の消費が減っており、日本酒輸出は日本の稲作を守る切り札と期待されていることです。

ここで議論の道を誤らないために記すと、「米消費減退の主因はパン」説が誤りであることは、2017年5月20日のブログ記事「松永和紀先生の「効かない健康食品 危ない自然・天然」をおすすめ!小麦戦略説は嘘だった!」に書きましたので読んでください。

また、「国の統計の「家計調査」を見ると、米よりパンへの家計支出が高いから主食が米からパンに変わった」という都市伝説は、非常に単純な統計の誤読です。これも今年1月3日のブログ「すぐ使える授業ネタ:米消費減の主因はパンではない!」に詳しく書きましたので、そちらも見てください。

 悲報ですが、「家計調査」でお米への支出が減った理由の一つは、「お米を炊飯する代わりに、パックご飯や冷凍おにぎり・チャーハンなどを食べると、統計上はお米の消費が減ったとカウントされる」です。日本の米農家を守ろうとして国産米100%パックご飯や冷凍おにぎりを食べるほど、家計調査では「お米の消費が減りました」となるのです(しくしく)。

レンチンご飯や冷凍おにぎり、市販の弁当やおにぎりを食べると政府統計では米消費が減ってしまう理由は、上記の1月3日記事に書きましたが、要するに、家計調査は「家庭炊飯用の精米の購入金額」を調査しているので、家で炊飯器などで米を炊く以外の方法でお米を食べると、同じ量のお米を食べていても、統計ではお米への消費金額が減るのです。だから、家計調査に基づいてお米の消費量をああだこうだと語っても、ね。私は愛国者なので、統計の誤読で日本の産業が衰退する可能性を心配しており、だから、お米の敵はパンじゃ無いんだよ、統計を見誤ってはいけないんですよ、と言っているのです。

じゃあ、肉や油の消費を減らせばいいじゃん、となりそうですが、「現代の和食」ではすきやきやとんかつや天ぷらなど肉や油の消費が高く(昭和の頃は値段が高かったので昭和の和食では肉や油の使用量が少なかったのです。)、インバウンドのお客様の中にも「さしみはどうしても抵抗がある」という方もいるので和食をおすすめしようとすれば、やっぱり肉や油を使用したすき焼きとかラーメンとか照り焼きチキンとか・・・と。

つまり、肉や油の消費抑制は、和食の魅力を海外に発信する際に不利になるのです。これを聞いてびっくりした人は、ついでだからさらにびっくりしてください。もともとアメリカで1980年代に寿司ブームが起こったのは肉料理のおかげなんですよ。

まず、1940~50年代にGHQと、朝鮮戦争による大勢の兵士の日本駐留があり、これでアメリカ人は醤油の味を知り、これを肉料理に使うようになりました。醤油味の肉料理が受けると知って、米国内での日本人や日系人による日本文化フェスティバルでも、基本は武術や芸術(生け花、茶の湯、盆栽など)をメインとしつつも、例えば、シカゴのセント・ジェームズ教会とタッグを組んで日本舞踊講演を開いて焼き鳥を提供したり、中西部仏教会(浄土真宗本願寺派)が夏祭りを開催して、日本舞踊や柔道、空手などを見せながらチキン照り焼きやうどんを提供して好評を博します。これらは地元マスコミでも評判になり、醤油と肉の味の愛称の良さはさらに米国人に広まるようになりました。

そして、1960年第後半から1970年代にこういう意外な「和食」が米国内の日本料理店で人気を博します。それは「天ぷらとテリヤキビーフ、チキンなどの大皿盛り合わせ料理with野菜サラダとライス」。これを現地の日本料理店が提供して流行しました。
そうするとそれまでは米国人は寿司を「黒い紙を食べるなんて!」と怖がり、寿司や刺身を「生魚食べて食中毒にならないの~?」と気味悪がっていたのですが、大皿に天ぷらやテリヤキとともに置く形で、おっかなびっくり食べてもらえるようになりました。そしたら、想像以上に美味しい!そこへもって1970年代末に急に「柔道・カラテ・盆栽・忍者のふるさとで、トヨタやSONYなどが優秀な製品を作ってる。日本という国は誠実で衛生的でかっこいいじゃないか」と、日本文化全体へのリスペクトが生じてテレビドラマ「将軍」が大ヒットし、寿司ブームはその結果、最先端ファッションとして生じたのです。つまり外国の人に和食を知ってもらう入り口として、まず天ぷらと照り焼肉のおいしさというのは、とても間口の広いステップになるのです。

今見た通り、和食は肉や油との相性が非常に良くて、日本人も財布に余裕のある人は江戸時代には高級料理としてシャモ鍋や鴨鍋を食べてました。そして明治時代に牛の肉を食べるという新しい文化を受け入れたのは、牛鍋がシャモ鍋や鴨鍋と同じ調理法なので「容易に米食にマッチしていた」からなんです!!上記は食文化論の篠田統先生が、日本風俗史学会編「食事と食品」に寄せた論文「食品の調理と料理」にて指摘したことです。
ここで熱弁させてください(笑)。もともと和の文化というのは、世界の様々な文化を多様に取り入れて仲良く共存させる、多様性を認める懐の深い文化なのです。なので、和食は肉は食べないとか言う人たちは、江戸時代には庶民が神社で焼き鳥を食べていた地域も多いという歴史も含めて、融和する和の精神をきちんと学んで欲しいものです。

えーと、話を元に戻しますね。国産のお米の消費を拡大したいというところに戻します。で、そのためには、お米の加工品を国内で消費拡大しようという動きが特に1990年代から盛んになっていたのです。でも、餅やせんべいは大ヒットにはなかなかつながらず、お米コスメなどは輸入米で作っても売れてしまうし、日本酒の消費はむしろ右肩下がり。

そのため今世紀に入ってからは一部の酒米農家や酒造関係者が誤解してこう言っていたのです。「日本酒が売れないのは、若者がワインを飲むようになったからだ!」と。なんか、この構図、どこかで見たことありません?そうです。米が売れないのはパンが原因だ説と同じ構図です。でもこういう「どっちかが上がったからもう片方が下がるんだ」というシーソーゲーム的発想に依存するのは、よくありがちな間違った分析です。

10年位前だったかと思いますが、業界関係者も関係する行政マンも統計データを調べてワインが原因ではないことがわかり、ワイン原因説は立ち消えました。なぜワインでは無かったのか?先日の週刊朝日の亀井洋志記者の記事「「若者の酒離れ」、本当の理由とは?」(AERA.dotに9月22日に掲載。)によると、ワインは富裕層が好むアルコール飲料なので若者はあまり手を出さないと。じゃあ、若者はどんなアルコール飲料を飲んでるのか?答えは、「そもそも論としてアルコール飲料を飲まない人が増えている。」という分析結果でした。亀井記者の取材に応じた早稲田大学の橋本健二教授は「非正規で働く若者が増えて低所得のため、酒を飲むだけの余裕がないというのが最大の要因です。」と。同じ記事でJMR生活総合研究所の松田久一社長は「(現代の若者は)常に将来に不安を持っているから消費を控える。」と指摘し、会社仲間でお酒を飲む回数が減ってしまったことも大きいことを指摘しています。

こんなわけですから、ワインをたたいても的外れ。国内でのお酒消費拡大は急には望めない。しかし日本酒文化を絶やしたくはない。そういう中で、COOL JAPAN施策の有力コンテンツの一つとされたのが日本酒輸出だったのです。「世界で日本酒が人気になれば、日本酒を輸出することで国内農業を守れる。」と、醸造メーカーや米農家など大勢の関係者が期待して積極的に活動しており、現時点では順調にいっているのです。

・・・・えー、長い説明で済みませんでしたが、殿村先生の指摘の背後には、このような非常に込み入った事情があったのです。もっと短く書いて欲しいという叱咤激励のお声もあるかもしれませんが、愛国者タミアとしては、日本の文化や日本の食品産業の素晴らしさ、そして和食の意外な歴史や文化・社会的背景について語らずにはいられないので書かせてください。

話を戻して、日本酒が世界で人気な状況になりましたが、しかし殿村先生は、世界の他の国がSAKEの本場にならないようにうまくPRしないといけないと訴えているのです。これは非常に耳が痛い警句ですが、心から憂慮し、殿村先生の指摘通りなにか方策を考えなければならないと思います。ある大変有名な酒造会社が、米国に酒蔵を建てて、米国産の米で安価な日本酒を造って現地販売していますが、安価な日本酒を一般の米国民に気軽に味わってもらうことで、日本酒の知名度アップに貢献してくださっており、自社の日本製高級ブランド酒や他社の日本酒輸出拡大の牽引をしてくれている恩人です。

でも、もしも海外の方々が「SAKEは日本産でなくてもいいよね」と言い出した時が、正念場です。それはほんの数年後に来ることかもしれません。「SAKEの本場は日本だね。」と海外の方に笑顔で言ってもらえるには、高級ブランドから比較的安価なブランドまで手広く準備し、それぞれに適正な価格を設定し、伝統的な商品や、逆にフレンチなどに合うおいしさなど魅力的な新商品など、多様で豊かな商品の提供が必要ですよね。

ところで前出の記事で松田先生は、現在20代にさしかかる次の世代の方々が「おいしい食を求めて、そのついでにお酒を飲む」という消費行動になると指摘しています。橋本教授は「純米吟醸などの高い酒は、やはり非正規労働者には手が届きにくい」としておしゃれで安く飲めるお酒も必要だと訴えています。様々な商品が、多様性がますます重要なのですね。多様な商品の存在、消費者ニーズに合わせた味や価格、様々な努力が必要なようです。

そうした努力の最後に、仕上げとしてどうPRするのか。殿村先生だったらどういう切り口なのか、見てみたいです。その場合、日本酒や日本産の食品輸出に不利になるので、疑似科学である「身土不二」には退場してほしいです。「地元の食品以外を食べると体に悪い」と唱える身土不二が広まれば、逆に外国の方々から「日本人は外国に不健康なものを売っているイケズな民族なんですね?」と批判されてしまうこと確実で非常に不名誉なことです。身土不二を否定するPRを、殿村先生にぜひお願いいたします。

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本庶先生おめでとうございます!ノーベル賞に見る「科学とは何か」。

2018年10月03日 | Weblog
本庶先生、ノーベル賞受賞おめでとうございます!
実は私の親戚にも、数年前にほんの短時間ですが、本庶先生とお話出来た幸せな人がおりまして、「いやあー、よかった~!」と感激しております。
袖触れ合うも多生の縁で、タミアも感激して昨夜のNHKニュース9を見ていました。
そのときの先生の厳然たるお言葉に、思わず姿勢を正してしまいました。

「教科書には間違いも多く載っている。科学者は、教科書を疑うことが大事なのです。」
少し違う台詞だったかもしれませんが、ほぼそういう趣旨の言葉でした。

そう、本当にそうです、科学は「良い意味での懐疑的発想」です。私はしみじみこの先生のお話をかみしめました。なぜなら、こういう大事な基本が、多くの人々にはきちんと知られてないため、それを手玉に取って、「神がかり的な代替医療本」、「西洋医学を否定してこれを食べたら癌が治った本」、などなどでは、次のような奇妙な言説を展開する事例があるからです。たとえばA氏という著名な方は昔こういう趣旨を書いていました。

A氏「読者のみなさんは、科学者の言うことが正しいと本気で思っているのですか?
じゃ、科学のすべての法則を学び、調べ、それが正しいと確認しましたか?
ほーら、確認してもないくせに、どうして科学が正しいなんて言えるんですか?科学が正しいなんて証拠がないんだから、科学が正しいと思う感覚自体が実は、ただの感情論なんですよ。同じ感情論で選ぶんだったら、科学的根拠の希薄な代替医療でもいいでしょ?」このAさんのようなでたらめな科学dis論を、本庶先生は根底からちゃぶ台返しして、ものすごいナイス発言をされたのです!

Aさんの論点の間違いを、本庶先生の発言を拝借して説明するとこうなります。
「科学の教科書はむしろ間違いも多く載っているッ!
だからすべての法則の正しさを確認するなど、無駄無駄無駄無駄無駄無駄ッ!!
A氏が科学と呼んでいる行為は、すでに科学ではないッ!
ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・」

すいません、新国立美術館が展覧会を実施した国民的漫画のような台詞になりましたが、かえって分からないという方に、丁寧に説明しますですね(汗)。

科学というのは、自然現象についての法則を研究する「手法」の一種でして、まず自然現象が最初にありき、です。科学とは、その自然現象の謎について仮説を立てて、実験や、明らかに筋が通る論理で証明し、謎解きする「作業」なんですよ。科学者というのは、その作業のメンバーの一人なんです。従って、仮説を立てても調べて見たら間違いでした、ってケースがすごく多い。その間違いを見つけるのは、感情ではなくて、実験結果や、数学的計算の末だったりするわけです。

ですから、科学という「謎解きゲーム」への好き嫌いはあるとしても、科学という「手法」または「作業」とそこから得られた「論理体系」自体には、好き嫌いなどの感情論が入らない。

あえて科学の世界に感情を持ち込むとすれば、「俺は考古学が専門だから量子物理学はやらないけど、他の研究者が今の量子物理学の間違いを見つけてバージョンアップしてくれるだろうな。」「まさかあの先生はねつ造しないよな。」という信頼や、「ライバルより先にこの謎を解いてやる」という熱い情熱とか、そういう感情において科学は「人間賛歌」の学問です(やっぱJOJOかよ、の声が多数ありそう)。
人の誠実さや努力の素晴らしさは信じるけど、人の唱える理論は「もしかしたらあの仮説は間違いかも?」と考えてみる壮絶なゲームなんです、科学は。

じゃあ、なんでそういう学問に世界の国々が重きを置いているかというと、他の学問よりも、自然現象についてうまく説明できるメリットがあるからです。各国の政治家が「科学が大事だ」と言うのも、好き嫌いの感情論ではなく、自然現象が説明出来た結果の副産物としてガン治療薬が作られたり、自然環境が保護できたり、各種産業が盛んになるなどの、徹底したリアリズムが根底にあるのですよ。科学者本人は、役立つかどうかの議論よりも、純粋に自然の不思議を私が解明するんだと燃えて取り組む人が多いのですが。

音楽も、絵画も、宗教も、文学も、自然現象をそれぞれの形で表現してくれますが、よりユニバーサルに言語や文化を超えて人間どうしで共通理解できるのが、科学のよいところなのです。自然現象を他の学問を使って表現すると、言葉や文化の壁が色濃くてなかなか話が伝わらなかったり、お互いに理論が対立してどっちがよりよいのか分からなくて、分派をさんざん繰り返して挙げ句の果てに殺し合いになることさえあるでしょう?あ、他の学問にも良いところもたくさんあり、例えば苦しむ人の心を救ってくれるなどの素晴らしいメリットもあるのですが、今話しているのは、自然の不思議を解き明かす手法として、今日人間が知っている範囲では、音楽や絵画などより、科学という手法の方がうまくいっているという、それだけのことです。それぞれの学問が異なる方法論で成立しているので、科学と他の学問は対立項ではありません。ですから、よくある「宗教と科学はどちらが上か?」議論は、「柔道と書道はどちらが上か?」程度に残念な議論なのです。

そのような訳ですから、A氏のような科学否定論に惑わされないようにみなさんも気をつけてください。教科書を丸暗記して東大で物理やったけど、そもそも科学とはなんぞやが理解できなくてカルト宗教に入信した残念な人もいます。教科書の丸暗記なんて科学じゃありません。科学という学問がなにか、基本的なことを知ることはとても大切だと思います。

本庶佑先生、ご指導ありがとうございます。
心より、ノーベル賞受賞のお祝いの言葉と、ご指導へのお礼の言葉を申し上げます。

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