タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

「小学8年生」4・5月号の食事バランスガイドが、あれ???

2019年03月22日 | Weblog
小学館から「小学8年生」という教育雑誌が発行されています。デジタル数字の「8」は塗りつぶせばどの数字にもなるから、どの学年の子も読めます、というタイトルです。この雑誌は面白くてためになるので紹介したいと思ってたら、残念なページが今月号に登場しました。「ミラクルクッキング」の57ページに、「食事バランスガイド」という日本政府公認の栄養バランス図解が紹介されましたが、政府公認の図と違うんです!

「食事バランスガイド」は栄養バランス良い食事をしましょうという国のメッセージを、厚生労働省と農水省の共同作業で図解にしたもので、本来のこの図の主食欄には「お米、パン、めん類、おにぎり」のイラストが描かれています。この図を無断改変してはいけないことが厚生労働省のホームページに詳しく書いてありますので、「厚生労働省 食事バランスガイド」で検索してみてくださいね。

 小学8年生の紹介する「食事バランスガイド」図は、パンやめん類の絵を塗りつぶして、その上におにぎりと白米が描き込まれているのです!主食欄にはおにぎり3個とどんぶり飯3杯のみが書いてあり、「米食え米食え!!米以外許さない!!」と叫んでいるような絵なんですよ。

 この絵の下に小さなフォントで「農林水産省ウェブサイトより」と添えてあるので農水省のサイトを探したけど、こんなに米推しする図は見つかりませんでした。探し方が下手だっただけ?仮にそうだとしても、教育雑誌なのだから、基本パターンの食事ガイド図を載せるべきでしょ?

この図は役所の許可無く改変できません。ということは、農水省が許可をしたの?いや、でも、農水省はパンやめん類も管轄しているし、ラーメンマニアの官僚がテレビでも話題になったり、パンメーカーと協力して国産小麦パン・国産小麦スパゲティにも力を入れてるよね。

一体何があったの?この図が一人歩きして、パン屋やラーメン店やおそば屋やうどん屋の子供が、他の子からいじめられないかと心配です。

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伊達政宗公が「食事はまずくてもほめろ」と言った意外な理由。

2019年03月17日 | Weblog
前回、旧暦の話を書いた時に、七夕つながりで、仙台の伊達政宗公のことを思い出しました。今回は、伊達政宗公の遺訓「朝夕の食事はうまからじとも、ほめて食うべし」について書きますね。本当に政宗公の遺訓かどうかは異論もあるそうで、他の人が作った言葉ではないかと言っている人もいますが、真贋の話はとりあえず横に置きます。今日ここに書きたいのは、食べものに関するイメージが、ほんの30年前と今でものすごく違っていることです。それを、政宗公遺訓として伝えられている文章を例に、説明したいのです。

 昭和の頃には、この「朝夕の食事は美味しくなくてもほめて食べなさい。」という政宗公遺訓は、「だから節約しなさい」という意味でした。
と、書いても今じゃ、ほめて食べて節約って話、さっぱり訳がわかんないですよね。
 このブログを見ている方には、若い方もご年配の方もいるでしょうから、双方向の理解のために、まず、現代の誤解を先に紹介し、次に昭和の頃の解釈を紹介しますね。

 まず、現代のあるある誤解。
 例えばあるネットの投稿ではこういうような内容でした。まずい料理でもうまいと言えば、料理人もやる気を出して、腕前が上がるという意味なんだよ、と。事前情報無しでこの解釈を聞かされれば、うっかり信じちゃうことでしょう。「なーるほど!政宗公は人を使うのが上手だね!そうやって相手を持ち上げて、旨い料理にありつけるように操縦してたのか!」とかなんとか感動しかねないなあ。

 こういうもっともらしい解釈を言う人もいます。
 「出された食事はまずくてもありがたく食べることで、相手と、命を与えた食べものへの感謝を示すことができます。」これも「なるほどそうか」と信じてしまいたくなりますね。でも、政宗公は感謝を示す目的で言ったのではありません。

 実は、上に紹介した2つの誤解は、遺訓の前後の文章から切り離した解釈なのです。前後の文章を読むと、この遺訓は「節約の勧め」だったと分かります。

前後も含めた原文はこうです。(政宗公をおまつりしてる「青葉神社」様の公式サイト2016.09.04 記事から引用させていただきました。)
「氣長く心穏かにして、萬に儉約を用て金銭を備ふべし。
儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。
此の世に客に來たと思へば何の苦もなし。
朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。
元來客の身なれば好嫌は申されまじ。」

青葉神社様の現代語訳も紹介します。(この場を借りて御礼もうしあげます!!)
「穏やかな気持ちで倹約し、蓄えをすることだ。
倹約とは、自分が不自由であることを我慢することである。
自分は、この世に来た客と考えれば辛いこともない。
食べ物がまずくても褒めて食え。客なんだから好き嫌いを言うな。」

「客だから好き嫌いはいえないって、どういう理屈!?」と頭がこんがらがりますよね。現代のお客様は、レストランであまりに料理が下手だったら、ウエイターさんに「済みませんが、これ冷めていますよ」とかなんとか言うのはごく普通ですものね。

でもこの文章は、江戸時代のVIP対ホストの関係を知れば、するん、と分かるんです。
伊達家レベルのVIPが来ると決まった。さあどうする。もてなす側は料理人に「失礼がないように、腕によりをかけなさい。」と命じて、準備させます。そのおもてなし料理を、VIPが召し上がって、「まずい」と言ったら?
 そりゃもう大変な騒ぎですよ。ホスト側は慌てて料理人を呼んで土下座させて、料理人はたちまち失職、他の奉公人も陰で「うちの主人が客を怒らせちまった。」と動揺します。ホスト側が逆ギレして、「この料理の良さが分からないとは、とんだ悪ふざけを申される!」と後で面倒なことになる可能性も大。

 「まずい」なんて言えば最後、そういう七面倒くさいことになるのは最初から分かっている。だから、大物は「客」として来ている時には「まずい」とは言わない。
だから遺訓で「節約するためには、自分はこの世にお客様としてやって来たんだと思え。」と諭したのです。
 と言うわけで、政宗公遺訓の「朝夕のご飯が美味しくなくても褒めなさい」という言葉の意味は、「節約して貯金するため、高価な旨いモノを我慢しなさい。節約のこつは、この世にお客様に呼ばれたと思って不自由を我慢することだよ。」という文章なのです。(もちろん、節約術としてこういう考え方が正しいかどうかはちょっと疑問です。不自由を我慢しすぎて、突然ぱーっとお金を使ってしまう人もいますしね。)

昔と現代では、いろいろな感覚が異なるため、古い文献に書いてある、食の文章について、トンデモ解釈が生じやすいのです。それぞれの時代の人が、たべものについてどう考えていたか、正確に知ることが大事ですね。

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二十四節気は太陽暦。伝統的季節感は太陽暦。

2019年03月04日 | Weblog
今年は2月4日が立春でした。今年の立春はたまたま暑かったけど、いつもの年は「今日は立春だというけど寒いじゃないか。旧暦から太陽暦にしたから季節感が分からなくなったんだ。旧暦の方がいいんじゃ?」と言う人がいます。でも、それは大変な勘違いなんですよ。立春や春分や夏至などの「二十四節気」は、大昔からずっと太陽暦です。

あんまりにも暦関連のトンデモ説が増えたためか、ここ数年は一部のブロガーさんが正確な情報を発信してくれてますが、初心者向けには次の2つの国立天文台のページをおすすめします。
二十四節気の簡単な解説はこちら!
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/faq/24sekki.html
図解も交えて太陽暦である理由を解説した頁!
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/B5A8C0E12FC6F3BDBDBBCDC0E1B5A4A4C8A4CFA1A9.html
ね、国立天文台の上記の2つの頁に書いてあるように、二十四節気は太陽の動きを24等分しているのです。だから、二十四節気は太陽暦です。

日本では古来より明治の初めまで公文書や個人の記録などでは「太陰太陽暦」を使い、季節感を正確に味わう時や農作業では太陽暦の二十四節気を使っていました。
太陰暦だと1年が354日なので、同じ日付でも長期的には夏になったり冬になったりします(イスラム圏ではこの方法が主流ですね)。
農業が盛んだった日本では長い年月の間で同じ日付で夏になったり冬になったりするのは混乱するので、太陰暦は採用しなかったのです。

じゃあどうしたのかというと、まず、日付は月の形で決めました。新月なら朔日(ついたち)、満月なら15日、という具合です。でもこのままだと、太陽の周りを地球が一週する日数より約11日不足するので、約3年に一回の閏(うるう)月を入れて、太陽の運行とのずれを補正したのです。これが太陰太陽暦ですが、この方式だと日付と季節がおおまかには対応するけど、完全には対応しません。

商売の記帳や町民の手紙、幕府の文書などは太陰太陽暦でいいけど、農家さんなど季節をきちんと知りたい職業の方々にとっては太陰太陽暦は困る。ちゃんと季節が分かるようにしたい。そのためには、一年で昼と夜の長さが同じ春分と秋分などをはっきり知りたい。だから、記録用の太陰太陽暦とは別個に、太陽暦の二十四節気も併用したのです。

さらに詳しくは、国立天文台の頁「質問3-5)「旧暦」は現在の暦より季節に合っているの?」がとてもわかりやすいのでこちらをご覧ください。
特に次の説明文は実感しやすいと思うので、国立天文台のサイトから引用します→「現在の暦であれば、月日と季節が一致していますので、「この場所ではだいたい4月の上旬に桜が咲く」というような言い方ができます。また、例年と比較して、「今年は桜の咲くのがずいぶん遅い」などといえるのは、現在の暦の月日が季節に合っているためです。「旧暦」では、同じ月日でも年によって季節が違いますので、月日は桜の咲く時期など、季節の目安にはなりません。」https://www.nao.ac.jp/faq/a0305.html

「あれれ?確かに桜の話については、天文台のいう通りだけど、じゃあ立春は「春」の字がつくのになんで寒いの?」という人も多いと思います。これは、二十四節気は中国大陸で作られたからです。日本に導入された「立春」の語句を、先人達は春の先取りの感覚で用いました。「まだまだ寒いけど太陽の高度も上がって来た。注意深く観察すれば春の予感があるなあ。」というのが「立春」の伝統的感覚だから、寒くてOK。

「でも、7月7日の七夕祭りは旧暦で祝うと今の8月頃に相当するから晴れるが、太陽暦の7月7日は梅雨の季節だ。だから旧暦の方が季節感が正しいんじゃ?」というのは、「あるある」勘違いです。旧暦の日付の方が季節感が毎年ずれていたんだけど、「旧暦7月7日」だけに焦点を当てると、この日付は、梅雨明け以降のどこかの日にとりあえずなんとなくスポッとうまい具合に収まっちゃうの!!この事実を知らない人が、「旧暦の方がより季節を正確に反映した」と勘違いしたのです。

なんで食のブログで暦のことを話すの?それはね・・・あれは数年前のことでした。
「二十四節気は旧暦だから太陰暦だ。江戸時代までの農家さんは月の運行に従って種まきや田植えや稲刈りをしてたんだ!」という誤解が意識高い系の方々に広まって、「バイオダイナミック農法」(ドイツ式有機農業のうちの一つ。月の運行と農作業を合わせるのが特徴。シュタイナー式農業と呼ぶ人もいます。)が流行しかけたんです。あるマスコミでも、「江戸時代は太陰暦で農業した。」と信じているバイオダイナミック農家さんを紹介していました。それよりも前のゼロ年代から、表参道のおしゃれグッズ店に、月の運行に合わせて植物を育てようとかおすすめする本があったのを思い出すなあ。夢のあるメルヘンだと言っているうちは趣味の範囲だけど、江戸時代の伝統農法だという説は誤解ですので、それは止めてくださいね。

和風文化が見直されて、日本の伝統は素晴らしい、といいながらこんなことになってしまうのはとっても残念です。伝統文化の正確な知識を大切にしたいと思ったので、今回はこういうブログを書きました。日本の伝統では、太陽暦に基づく二十四節気で季節感を大事にしていたことを、どうか忘れないでくださいね。

ちなみに、国立天文台の暦Wikiには次のように書いてあります。
「旧暦は既に廃止され、天保暦の手順どおりに推算・公表する機関はありません。」
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C2C0B1A2C2C0CDDBCEF1.html
例えば市販のカレンダーに「今日は旧暦の何月何日です」と書いてあることもありますが、民間団体や個人が善意で計算した日付で、公的に保証する機関はありません。現時点では旧暦を計算できますが、2033年に計算が不可能になります。これが有名な「旧暦2033年問題」です。詳しくはこちらをどうぞ。https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2014.html

太陽暦の良さを実感しながら、二十四節気を味わう今日このごろです。次は3月6日の啓蟄です。これからますます春らしくなりますね!どんな生き物が見つかるか、地面や草花を観察したいなーと、楽しみにしてます。都会の中でも、よく探すと、小さなかわいい生き物が見つかりますよ。そんな時はほっこりしたきもちになります。

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