森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心と未知なるものの為に⑬・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-03-31 13:29:08 | 森の施設

 

    清き心と未知なるものの為に⑬・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

     新たなる岸辺に向かって?

 一瞬ごとに、おまえはいまのおまえを選ぶ。しかし、おまえはおまえ自身を選んでいるか。

魂と肉体とは無数の可能性を宿しており、それをもってすれば、おまえは同じく自我を築く

ことができる。しかし、そのうち唯一の可能性のみが、選ぶ者と選ばれる存在とのまったき

一致に達する。唯一の可能性あるのみ。--------おまえは、好奇心をそそられたり、貪欲ゆえに

心を惹かれたりして、なにかほかのものはないかと、あれこれの存在や行為の萌芽をいじく

りまわしたりするが、そんな時、おまえはあまりに皮相で遊び半分だから、人生の至高の神

秘にかんする自分の体験に掟をおろすことも、また、おまえに託された、おまえの「自我」

という一タラント(神から人に委ねられたものとしての素質。才能をたとえたもの)を自覚し

ていることもできない。このような、なにかほかのものの萌芽をすべて押しのけることに

よってのみ、おまえはあの唯一の可能性を見出すのである。

 

 

 

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清き心と未知なるものの為に⑫・・・ダグ・ハマ-ショルド日記より

2025-03-28 13:18:57 | 森の施設

 

     清き心の未知なるもの為に⑫・・・ダグ・ハマ-ショルド日記より

 

 神は便利な呪文であり、いつも手許にあるが、めったに開けてみたことのない書物

でいる。なにものかが生まれ出ようとする一瞬の浄められた静寂のうちにあって、神

は歓喜である、また清涼な風である。--------記憶もこれをとどめておくことができぬ。

しかし、われわれが自己をまっこうから見すえざるをえなくなるとき、神はその恐ろ

しいまったき実在のうちに、いっさいの議論といっさいの(感情)とのかなたに、保護の

役を果たす忘却をも打ち破って、われわれの頭上にそそり立つのである。

 

(知)の道は信仰なかを通ってはいない。われわれ自身のもっとも奥深いところに微かに

燦(あきら)かに捉えがたい光りのあとを追うことによって(知)を得たのち、さらにその

(知)を突き抜けたときにのみ、われわれは信仰とはいかなるものであるかを把握するに

いたるのである。(ほんとうだとみなす)という意味だなどという。信ずるとは(ほんとう

だとみなす)という意味だなどという、空疎な言辞を唱える人たちの話に聴き入ったがた

めに、いかに多くの人びとが暗黒のなかに突きおとされてしまったことか。

 

われわれの秘奥に存する創造的意志は、そのものに対応する意志が他人のうちにも潜ん

でいるのを察知し、このことをつうじてそれ自身の普遍性を感得する。--------この意志

はそのようにして、われわれの内面でも僅かながら花火を散らしている。あの大いなる

力を知るにいたる道を、われわれのために拓いてくれるのである。

 

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来良き心と未知なるものの為に⑪・・・ダク・ハマ-ショルドの日記より

2025-03-25 15:37:11 | 森の施設

 

    清き心と未知なるものの為に⑪・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

    「願わくは御名のあがめられんことを。」おまえの全力が集中されて、闇を

    貫いて放射する一束の光となるべきときに、おまえは自分の力が散乱して、

    泥炭抗にくすぶる火------そのなかでは、なにものも燃え尽きることがない

    かわりに、いっさいの生命が息を詰まらせているのである。---------のような

    ものに成り下がるのを黙視している。

 

    おまえのまわりが静まりかえって、おまえが恐怖に囚われて立ちすくむとき、

    気づくがよい、おまえの仕事は不安と責任とから免れるための逃亡であり、

    愛他心はかろうじて表面を湖塗したマゾヒズムに過ぎない。すなわち、荒野

    の狼の邪悪で残酷な波動がおまえの胸のうちに脈打つのを、熱にうかされた

    ような活動や乱脈な生活をいまひとたび探しもとめて良心を麻酔させようと

    はせず、むしろ、この姿を見定めて根底までたちいたれ。

 

 

 

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清き心と未知なるものの為に⑩・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-03-20 10:37:01 | 森の施設

 

    清き心と未知なるものの為に⑩・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

    彼は庭の手入れをしているが、その境界線は、自分でも気づかぬうちに彼自身の

    力量によって定められてしまっているといるのである。自分の庭をりっぱに手入

    れしているという誇りと、境界線の外側にあるいっさいのものへの無知とのせい

    で、彼はそれでも結構満足を憶えているのである。しかし、こうして自分を欺く

    ことができず、そのゆえに圏外の外に出て闘うことを選んだ人が、無知ゆえに自

    足している人を見下して向けている、あのすこしばかりいらだたしげな軽蔑とい

    えども、それと五十歩百歩といったところではなかろうか。

 

    「愛なくば・・・・」われわれの隣人への義務を果たすということが、われわれ

    のもっとも深い意志の表現でないとすれば、そのような義務遂行に心を労しても

    益はない。なにゆえに、他人を傷つけながらわれわれとわが身をいじめたりする

    のか。

 

    おまえは、ほめられると胸がむかつく。それでいて、おまえの価値を認めない者

    には禍あれと思う。

 

    狭き道------おのが魂を救おうとして他人のために生きる広き道-----おのが自尊心

    を救おうとして他人のために生きる。

 

    不幸が、それに襲われた者の側の過失とみなされうるとは--------その不幸な者

    迂闊にも沈黙を守らぬばあい、その過失は情容赦なく罪悪に転化するのである。

 

    おまえは、内なる獣を択べばかならず獣になりきり、虚言を択べばかならずや

    精神の繊細さを失う。おのが庭をきれいにしておこうとする者は、一割といえ

    ども雑草の生えるにまかせてはおかぬ。

 

    おまえがもっと多く他人の悪口を言わないのは、悪口を言いたい気持ちがないか

    らではなく、ごく精密に分量をはかって投稿したほうが中傷のききめが強いのを

    知っているからなのである。

 

    おまえはおまえ自身の神であるる------しかも、氷に閉ざされた冬の暗澹たる荒野

    で狼の群れがおまえを老いまわすのに気付いてて、おまえは驚くのである。

 

 

 

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清き心と未知なるものの為に⑨・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-03-18 13:11:59 | 森の施設

 

    清き心と未知なるものの為に⑨・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

    人生に思いをひそめている者は、一瞬の稲妻で照らしたように、他人の占めている

    立場を洞察することができる。必要なのは、感情的に不快な刺激がきっかけとなっ

    たばあいでも、問題と取り組んで、これを知的に、また明瞭に解明するところまで

    行きつき-------そのうえで、行動することである。

 

    なんびとかがある成果をかちとうるために全霊を打ち込んだのに、その成果なるも

    のの救いがたい不完全さや空しさが当人ばかりにはわからずにいるのが、はたで見

    ていてはっきりと目につくときには、われわれは胸が張り裂けるような思いをする。

    しかし、これは程度の差にすぎないのではなかろうか。人生の悲愴な偉大さは、ひ

    とつには、この世においては-------そこでは、生き延びるための保存本能のゆえに

    自己欺瞞が行なわれるのであるが------努力に打ちこむ真剣さと成果の空しさとのあ

    いだに永遠の不釣合いが見られる、ということのうちに存在しているのではなかろ

    うか。われわれすべてが-------ひとりひとりが------自分自身をまじめに受け取って

    いるということは、たんに滑稽というだけではすまされぬものがある。

 

 

 

 

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