【ニートの年始】
ニートに季節感はない。仕事納めもない。年末年始のあいさつ回りもない。俺の場合、実家なので大掃除の真似ごとをして世の中と足並みを揃えている顔をした。障子を張り替えたり草むしりをしたり。それ以外では、ただテレビの特番で季節を知るのみ。テレビもニート化して2年で飽きた。次第にみなくなり、テレビが壊れたことを境にテレビナシへ。あとはネットでニュースを読んでは分かった顔をした。まったく通常通りの日常。
脱ニートをした今もそれは変わっていない。世間一般の生活には戻れなくなっている。仕事納めも仕事始めもない肉体労働でなんとか糊口をしのぐ身には正月気分は許されない。そもそも、正月気分にはなれない。その辺りの感覚が鈍磨している。金がないので何もできない。なくてもできることがあるだろうという人もあるかもしれない。そうではなくて。ひと月一日生きる度に赤字が増える生活。その補填の為だけに働いている現実と実感が行動を縛る。世間が遠い。
ニートに季節感はない。仕事納めもない。年末年始のあいさつ回りもない。俺の場合、実家なので大掃除の真似ごとをして世の中と足並みを揃えている顔をした。障子を張り替えたり草むしりをしたり。それ以外では、ただテレビの特番で季節を知るのみ。テレビもニート化して2年で飽きた。次第にみなくなり、テレビが壊れたことを境にテレビナシへ。あとはネットでニュースを読んでは分かった顔をした。まったく通常通りの日常。
脱ニートをした今もそれは変わっていない。世間一般の生活には戻れなくなっている。仕事納めも仕事始めもない肉体労働でなんとか糊口をしのぐ身には正月気分は許されない。そもそも、正月気分にはなれない。その辺りの感覚が鈍磨している。金がないので何もできない。なくてもできることがあるだろうという人もあるかもしれない。そうではなくて。ひと月一日生きる度に赤字が増える生活。その補填の為だけに働いている現実と実感が行動を縛る。世間が遠い。