人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【ニートの年始】 今、思う。

2016年01月02日 | 今、思う。
【ニートの年始】

ニートに季節感はない。仕事納めもない。年末年始のあいさつ回りもない。俺の場合、実家なので大掃除の真似ごとをして世の中と足並みを揃えている顔をした。障子を張り替えたり草むしりをしたり。それ以外では、ただテレビの特番で季節を知るのみ。テレビもニート化して2年で飽きた。次第にみなくなり、テレビが壊れたことを境にテレビナシへ。あとはネットでニュースを読んでは分かった顔をした。まったく通常通りの日常。
脱ニートをした今もそれは変わっていない。世間一般の生活には戻れなくなっている。仕事納めも仕事始めもない肉体労働でなんとか糊口をしのぐ身には正月気分は許されない。そもそも、正月気分にはなれない。その辺りの感覚が鈍磨している。金がないので何もできない。なくてもできることがあるだろうという人もあるかもしれない。そうではなくて。ひと月一日生きる度に赤字が増える生活。その補填の為だけに働いている現実と実感が行動を縛る。世間が遠い。

金銭感覚【動き出した時間或いはニート後遺症の詳細】5

2016年01月02日 | 闘病記
金銭感覚【動き出した時間或いはニート後遺症の詳細】5

金銭感覚
手取りで月収七万を越えない。貯金もない。母の年金は母側の各種支払いに消えるのでその七万弱から食費・生活費・税金をねん出する。大きな税を要求される月はほぼ一瞬で無くなる。電気・ガス・水道は節約はできるものの削ることはできないので、結果、食費を抑えることになる。各種支払いを必死で捻り出す。また、近しい人が相次いで亡くなり哀悼する中にも香典他大きな出費が科せられる。
母子ともに財布には小銭だけという状態。改善の気配がない。
1円が重くなる。100円ショップで小一時間迷った挙句、買わずに出る。スーパーでも割引コーナー以外には足が向かない。

出口