人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

「人生」に踏み出したくない【ニート時代への憧れが抜けない】2

2016年01月09日 | 闘病記
【ニート時代への憧れが抜けない】2

「人生」に踏み出したくない。
これに尽きる。俺は多分、中途半端に「人生」を始めてしまった。先に記すけれど、これは言い訳ではなく分析。同じようなタイプも少なくないだろうと踏んで、分析してみた。
家族四人で一戸建てに暮らしていたところ、祖父の逝去に伴い、小学校五年生で父の実家に引っ越してきた。叔父との同居が始まり大きな確執も始まった。父が帰ってくることをよしと思わなかった他の縁者とも確執があった。「大人」は立派なものではなくなった。「子供」同様、詰り合い罵り合い殴り合って喧嘩した。「家」ではよく怒号が飛び交った。母が泣いていた。中学入学直前に父が倒れ半身不随となった。父は順調だった仕事を全て失い会社から何の保証もなく放り出され、買い集めていた株も全て処分した。自由にならない足を引きながら印鑑の飛び込み営業、学習塾、果ては工場内の鉄くず拾いまで、やった。最終的に夜勤ながら高収入の職に就き定年まで頑張ってくれた。一方で元々の頑固で直情的な性格が全面に出たのか「家」では、暴れた。幼い時はよく殴られたが、倒れた後はモノが飛んできた。居間のガラスは常に一枚二枚ひび割れ、俺の部屋のドアにもビール瓶で開けられた穴があった。母も働いてくれた。荒れる父に追われまともな場所で眠ったことがない時期が長く続いた。「家」では当たり前のように十割主婦をこなし「外」には「家」のできごとを持ちださなかった。父が荒れ部屋中がガラスまみれ・みそ汁まみれになり、それを明け方まで片付けても「安定した普通の家庭」の人として出勤していた。やがて、父の暴走を抑えたり母のの愚痴を聞くことが俺の立ち位置となってきた。これは俺のズルさだった。そういう立ち位置を取ることでゴタゴタに巻き込まれない「他人ごと」に仕立て上げていたからだ。
俺は、よくあるといえばよくあるこの環境下、母同様「家」がどうであれ「外」では普通に振る舞った。そういう事情を周囲が知ったり自分が話したりすると「外」まで「家」の延長になってしまう。学校に行っている間は「普通の学生」でいたかった。それだけのことだ。
生活すること、金を稼ぐこと、「人生」がいきなり壊れること、その周囲の人たち、諸々。それを若い俺は垣間見ながら生きてきた。するならがっちりと参加してしまえばよかった。アルバイトをするなり定時制高校に入って働くなり。ただ、観ていた。バラ色ではない「人生」の一側面に小学校の高学年から中途半端に触れ続けた結果、「人生」に対しての希望が失われていった。音楽をかじった時はほんの一時期、華やかな音楽業界に憧れたりもしたけれど自分の能力を踏まえた現実を把握しその道から早々に撤退した。
「人生」「家庭」「家」に、相応な期待や希望を持てなくなっていた。だからそれらが一番大きく切り離された大学時代は俺の「人生」の中で一番楽しく、だからその時期をずっと続けたいと願い、本来「願い」で終わるはずのそれを、実行してしまった。それが俺の「ニート化」の一因。
また、もっと直接的な一因を上げるなら大学卒業を前に「当たり前に就職してしまったら、何も変わらないこの人生が延長されてしまう」という恐怖に近い強迫観念もあった。そこに、克服し切れなかった幼稚な万能感が入り込み「俺は何かができる特別な人間だ」と無根拠に思いこみ、正確には思いこもうとして、就職活動をしないまま大学を卒業した。
最初に添えた通り、言い訳じみて責任転嫁じみて聞こえるかもしれないけれどこれは分析。「あの時、引っ越さなければ」とか「父が倒れなければ」とか、そのようなことを言いたいわけではない。自分がなぜ「人生」に踏み出したくなかったかを明確にして、そこに解消すべき問題があるなら解消しなくてはいけない。俺とは違うルートながら同じような「人生」の暗い側面を垣間見ることで「ニート化」してしまった人・してしまいそうな人の役にも立てるかもしれないと思い、記した。

【漫画や映画に触らなくなった】