【脱ニート後、失われた味覚】
脱ニート後、実は一番最初に起こった変化がこれ。五感が鈍磨した、というと少し違う。感じることは感じている。音も色も味も匂いも分かる。分かるのだけれども、それが遠い。一番分かりやすいのは味覚。甘いは分かる。それが「うまい」に繋がらない。どこか他人事のように遠くで甘さだけがふわふわ浮いている。音も色彩もそう。
ニートという「止まった時間」の繭から這い出て「現実」に帰ってきたはずなのに、身体は逆に「現実」の感覚を遠ざけた。
単純な話なのかもしれない。直面した「現実」の重さに精神が参ってしまった。そういう五感が得る「感動」を受け入れている余裕がなくなったというだけなのかもしれない。ニート時代はただ感じれば良かった。じっくり感じればよかった。今は感じる余裕がない。常に金をどうしようか、職をどうしようか、人生をどうしようかとどうにもならないことで頭が一杯だ。
本も漫画も読まなくなった。音楽も聞かなくなった。映画も見なくなった。笑うことをしなくなった。しなくなったというよりも、できなくなった。面白いと思わないのだから笑うこともない。
それでも、母と飯を食う時は「うまい」という。少しでも面白い話題が出れば笑ってみせる。俺の「無」に合わせてこれ以上周囲をよどませてはいけない。
このことが自分の精神にどのような影響を与えるのか不安ではある。あるけれども、やめることができない。
脱ニート後、実は一番最初に起こった変化がこれ。五感が鈍磨した、というと少し違う。感じることは感じている。音も色も味も匂いも分かる。分かるのだけれども、それが遠い。一番分かりやすいのは味覚。甘いは分かる。それが「うまい」に繋がらない。どこか他人事のように遠くで甘さだけがふわふわ浮いている。音も色彩もそう。
ニートという「止まった時間」の繭から這い出て「現実」に帰ってきたはずなのに、身体は逆に「現実」の感覚を遠ざけた。
単純な話なのかもしれない。直面した「現実」の重さに精神が参ってしまった。そういう五感が得る「感動」を受け入れている余裕がなくなったというだけなのかもしれない。ニート時代はただ感じれば良かった。じっくり感じればよかった。今は感じる余裕がない。常に金をどうしようか、職をどうしようか、人生をどうしようかとどうにもならないことで頭が一杯だ。
本も漫画も読まなくなった。音楽も聞かなくなった。映画も見なくなった。笑うことをしなくなった。しなくなったというよりも、できなくなった。面白いと思わないのだから笑うこともない。
それでも、母と飯を食う時は「うまい」という。少しでも面白い話題が出れば笑ってみせる。俺の「無」に合わせてこれ以上周囲をよどませてはいけない。
このことが自分の精神にどのような影響を与えるのか不安ではある。あるけれども、やめることができない。