人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【脱ニート後、失われた味覚】

2016年01月08日 | 今、思う。
【脱ニート後、失われた味覚】

脱ニート後、実は一番最初に起こった変化がこれ。五感が鈍磨した、というと少し違う。感じることは感じている。音も色も味も匂いも分かる。分かるのだけれども、それが遠い。一番分かりやすいのは味覚。甘いは分かる。それが「うまい」に繋がらない。どこか他人事のように遠くで甘さだけがふわふわ浮いている。音も色彩もそう。
ニートという「止まった時間」の繭から這い出て「現実」に帰ってきたはずなのに、身体は逆に「現実」の感覚を遠ざけた。
単純な話なのかもしれない。直面した「現実」の重さに精神が参ってしまった。そういう五感が得る「感動」を受け入れている余裕がなくなったというだけなのかもしれない。ニート時代はただ感じれば良かった。じっくり感じればよかった。今は感じる余裕がない。常に金をどうしようか、職をどうしようか、人生をどうしようかとどうにもならないことで頭が一杯だ。
本も漫画も読まなくなった。音楽も聞かなくなった。映画も見なくなった。笑うことをしなくなった。しなくなったというよりも、できなくなった。面白いと思わないのだから笑うこともない。
それでも、母と飯を食う時は「うまい」という。少しでも面白い話題が出れば笑ってみせる。俺の「無」に合わせてこれ以上周囲をよどませてはいけない。
このことが自分の精神にどのような影響を与えるのか不安ではある。あるけれども、やめることができない。

【元ニートの今日】

2016年01月08日 | 今、思う。
【元ニートの今日】

体調がすぐれない。頭が重くまぶたが重い。気持ちがぼやける。
隣で母が支払いの計算をする。内容と数字を読み上げる声に、嘔吐感が止まらない。
母の皮膚が蒼白。母も長い間、体調を崩している。歯ぐきが腫れている。薬は高価だから少しずつしか飲めない。医者などもってのほか。母は朝からパンを少しかじっただけだそうだ。俺は食パンを二枚。
こうやって少しずつ、終わっていくのだろうか。

【ニート時代への憧れが抜けない】1

2016年01月08日 | 闘病記
【ニート時代への憧れが抜けない】1

麻薬中毒患者というのが、こうなのだろうと思ってしまう。深夜目を覚ます。水を飲みながら、ニート時代はこの時間に、ラーメンを納豆まで入れて喰っていたなぁと思い出す。そして明け方まで絵を描いたり音楽を作ったりしていた。早朝からジョギングをして、そのまま庭の草むしり。半日終えたら母と買い出しに。頼まれて、地元地区の会合等で必要な資料を製作したりもした。夜は本を読んだりネットで遊んだり。そんな生活。まさに大学生の夏休み。その時代への憧れが体をひっぱる。そうなるとトイレへ駆け込み、嘔吐する。何も出てこないけれど。正直、あの時代は良かったなあと今も思う。思う意識が悔恨と贖罪に焙られて嬲られて、嘔吐へと繋がる。いつまでも8月31日ではない。9月1日を迎えなくてはいけない。
分かってはいてもモヤがかかった将来に希望と空想だけを膨らませて期待し、その為の努力をするだけでよかった日々は甘美。音楽で、絵で、文章で飯を食うつもりはなかったのに、曲を作ったり絵を描いたり文章を書いたりしているとまるで「就職活動」をしているかのようで「夢に向かって努力」しているかのようで、だから今は何もしなくても大丈夫と思い込んでいた。何かの拍子でそれらが金になることもあるだろうという甘えた考えが根底にはあった。あったけれど、かといってそれらを一個の作品としてまとめることもしなかった。「ニート」続行の言い訳にしていた、が正解だった。未だに、この期に及んで尚、その状態に憧れる。
遊んで暮らしたいだけなのだ。甘えているだけなのだ。大学時代というモラトリアムをいつまでも繰り返したい。それだけだ。
「人生」に踏み出したくない。
これに尽きる。俺は多分、中途半端に「人生」を始めてしまった。先に記すけれど、これは言い訳ではなく分析。同じようなタイプも少なくないだろうと踏んで、分析してみた。
家族四人で一戸建てに暮らしていたところ、祖父の逝去に伴い、小学校五年生で父の実家に引っ越してきた。