人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

出口【動き出した時間或いはニート後遺症の詳細】6

2016年01月03日 | 闘病記
出口【動き出した時間或いはニート後遺症の詳細】6

出口
現時点での身体的に辛い、金銭的に辛いことは我慢できないこともない。ただ苦しいのは、その出口がないこと。いつまで耐えればいいのか。その正解がない。いや正解はある。死ぬまで。好転する兆しもなければ要素もないのだから、そうなる。
職についても同様。仕事が辛いのはいい。けれど、ひと月頑張っても身入りが少なく何も好転しない。むしろ、ひと月という時間が過ぎることで自分の再就職の条件がどんどん悪くなっていっている現状に、恐怖を感じる。年齢が上がり単純労働のバイトの期間だけが加算され、体力が落ちる。単純労働だから得られる技術もキャリアもない。貯金はない。焦る。せめて、収入があれば、せめて各種保険が常備されていれば、せめて何かしらの技術技能が習得できれば。どれもない。体を壊しでもして辞めてしまうと、全くのゼロ。死活問題、というけれど過剰な表現ではなく死が見えてしまう。

問題。
どうなることが自分にとって「出口」となるのか。
現在の俺にとっていえば、金銭的に安定してそれなりに上向きになること。若干弱っている体を壊すことなく老齢まで続けることのできる正社員職に就けること。
具体的にいえば最低限手取り13~5万は必要。それでもしばらくは横ばい。職でいえば、それなら三交代の工場でしっかりと働けとなるかもしれない。単純労働のバイトをしてみて体がもたない、気持ちがもたないと痛感した。それもまた甘えかもしれないとも思う。これだけ切迫しているのだからなんでもやれよと叱責されるかもしれない。それもよくわかるのだけど、一番思うのは、無理をする方向を間違えたら駄目だということ。脱ニートの際、それを間違えた。結果、数か月、たかだか四時間のバイトに振り回され嘔吐し続け、精神が不安定になり、慢性的な腹痛を抱えた。脆弱なのかもしれない。けれどそれも踏まえて自分が続けられる場所でなければいけない。体を壊して働けなくなると、ゼロ。体には精神も含まれる。そのバランスを欠かないようにと思うと、職がない。一番の問題は、これは許されない甘えなのか、加味してもいい弱さなのかが分からないこと。甘えだ、肉体労働でも夜勤でも早朝でもなんでもやれ、高収入の仕事ならたくさんあるぞ、とも思う。その勢いでやってみてダメだった場合、身体や精神に何らかの故障を負った場合、誰がどう責任を取るのかといえば、自分。そしてそのダメだった結果は自分のみならず母にもまき散らしてしまう。それを考えると、冷静な判断が必要。その冷静な判断に任せるといつまでも職が決まらない。バイト生活で先細る人生に恐怖するだけ。問題はそこにある。

【発症】