人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【元ニートがオカルトな話をする。】

2016年01月13日 | 闘病記
【少しだけ、オカルトな話をする。】

社会復帰しようと決意し動き始めた2014年の年末、叔父が急逝した。幼少の頃からかわいがってくれていた叔父だった。父方の縁者では一番話のできる人だった。バイト生活をしながらフルタイムの正社員面接を受け続け、どうやら一社ひっかかりそうだとなった
2015年の夏、叔母が急逝した。その一週間前、前述の叔父の家で簡単な食事会が開かれた時は元気だった。そしてその秋。17年以上一緒に暮らしてきた愛猫が亡くなった。

少し時を戻して2015春、庭の巨木を切った日、その内容でトラブルがあったその日が十年ぶりのバイトの雇用契約の日だった。フルタイムの仕事の採用電話がきた直後に水道管が破裂した。
突然歯が痛み出し虫歯治療に通院しなくてはならなくなったが、そんなことは生まれてから一度もなかった。
家電も壊れる。2014年からいえば洗濯機・ガス給湯器・自動車・プリンタ・電子レンジ・応接間の照明のカサが突然おちて割れる・蛍光灯・冷蔵庫の一部ケースが開かなくなる…等、一気に起こらなくてもいいだろうと思うようなことが一気に起こる。
オカルト的な話と書いた。偶然だよと笑う人もいるだろうし俺もそう思う。2014年のそういった出来事に法事等の大きな義理事が重なって母のキャッシュカードが停止となってしまったことで「しっかりしないと」と思い働き始めたのだから、「俺が働き始めたから起きた」オカルトではない。現実的な整合性だって一つ一つ検証すれば、ある。とはいえ、2015年に入ってからのモノの突然の損壊、近しい人達の急逝、妙なタイミングの家絡みのトラブルの多さは異常、としかいえない。
俺が外へ出て動き始めたことで、止まっていた「家」の時間まで動き出してしまったのだろうか。そんな感覚に囚われる。
生来持ち合わせたことのない、オカルト的な現象への肯定的ともいえる感覚に囚われてしまうこと自体が、精神的にどこかひずんできている証拠、脱ニートによる症状なのかもしれない。

【交流関係】