人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【脱ニート後の求職活動】

2016年01月12日 | 闘病記
【安定的な職場を求める】

つまり、求職活動こそ闘病。精神の不安定も経済の不安定も肉体への不安も、求職活動が上手くいきある程度納得できる職に就ければ、それなりに解決する。単純な話。その単純な話が至極難しい。

【求職活動】

必死に捻出した交通費で隣の市へ面接を受けにいくことニ回。不採用。近場でも一つ、不採用。スーパーの品出しに採用される。その後、一件、地元の教育事業会社に採用されたものの研修期間は月収三万程度となる。品出しのシフトと研修日程が重なったため、その研修日程にあったバイトを探したけれど、都合よく見つかるわけもなく、かといって品出しをやめてしまうと翌月から各種支払いのみならず食費すら賄えなくなるので、悩んだ末、断念。せめて貯金で数カ月生活できればよかったのだけれど、その時点での貯金額、五万。更に極めて近しい縁者が亡くなり香典他の出費。また役所より各種税金の支払い督促。断念せざるを得なかった。データ入力事務の仕事を見つけ静岡市に面接へ。面接時間五分。その会社の業務説明をされ仕事内容の説明をされ、そのまま帰された。何一つこちらへの質問はなし。食費を削ってあれもこれも削って捻出した交通費での面接だっただけに精神的なダメージが大きかった。
次いで、「障害者就労支援作業所指導員」に応募。こちらはスーパーのアルバイトをしながらの体験入社二週間で終了。結果的に自分の脆弱さに問題があることを踏まえていえば、そして誤解を恐れず語弊を承知でいえば「障害者」との境界線があいまいになっていく日々に、恐怖を感じたこと、どうしても先輩方の「障害者」への考え方・対応に気味悪さを感じてしまって止まないことが吹きだまり、バイトを辞めて入社する時期の折り合いがつかなかったのでそれなら少し距離を、という話に収まりそのまま消滅。「障害者」への考え方・対応についてはここに記すべき内容ではないので割愛。そのうち、記すかもしれない。と、まるで立派な理由があったかのようだけれど、結局はそうやって何かしらに原因を求めてまともな社会になじめないことが俺の病根なのだろうとも思う。普通の人ならそれでもがんばって働いて一人前になっていくのだろう。それができないから「ニート化」し「脱ニート」後も後遺症などに悩まされる。
次いで、他市の事務職について問い合わせると女性のみの募集と言われる。多くの場合、「女性活躍中」という募集告知は「女性のみ募集」と同義。分かってはいたけれど一応。他、事務系・一社およびホテル系一社はすでに決まってしまったと言われる。
仕事が決まらない。決まらないまま、時間だけが垂れ流されていく。一日過ぎると、首にかかった縄が一日分、ぐいと絞られる。錯覚ではなく首回りにそういう重みを感じる。

【少しだけ、オカルトな話をする。】