人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【脱ニート後、取り立てを経験する】

2016年01月10日 | 闘病記
【脱ニート後、取り立てを経験する】

2015年末。借金の取り立てを経験した。消費者金融等ではなく水道業者。水道管が破裂してやむなく工事をした。当初、3万程度という話だったけれどこういう工事はそれだけでは済まない。実際に掘り返してみると20~30は必要だといわれる。古い家に住んでおり幾度か別箇所の補修工事もしているのでそれが法外でないことは知っている。けれども現実的に支払えないので最低限の応急処置だけしてもらうことになった。それでも10万。生活費と税金に追われガス・電話・ネットを止められ、何とかそれらを支払えるよう収入を溶かし続けて年末。正直なところすっかり忘れていた。
トイレに入っている時にやってきた。呼び鈴を鳴らし倒した後、ものすごい大きな声で「ごめんください」を連呼しながら玄関、勝手口のドアを叩く。何のことだか分からなかった俺は胃袋を収縮させる。すぐに出るべきだったのだけど足が動かなかった。恐らく10分程度で引き上げてくれた。これが原因かどうか、見ると血便だった。
後日。また来訪。俺は不在だったため母が出た。同様に大声の「ごめんください」と家を一回りしながらあちらこちらのドアや窓を叩いて回っていたという。母は二階におり、二階には呼び鈴が届かない為、突然の騒ぎに何事かと仰天したそうだ。俺が電話を入れるということを告げ、その日は帰ってもらった。
年末。縁者に頼み込んで金を借りた。人生で初の借金だった。支払日。近所で葬式ができ、参列。20時過ぎには帰宅していると連絡しておいた。帰宅時刻は20時丁度となった。既に集金係の人は来ており、仁王立ち。母が「寒い中すみません、お葬式ができて…」と話しかけても無視される。何を話しても、俺もほぼ無視される形。金を渡し領収書をもらい玄関を出るまで「うん」「これ」のみだった。思えば「ご利用ありがとうございました」もなかった。集金に何度も足を運ばせた優良な客ではなかったから立腹されていたのだろうけれど、10万の金を集金にきて「うん」と「これ」だけというのはさすがにどうかとも思う。
一方で、借金取りというのはこういうものなのだなとも。
これでその水道業者とも切れたと思うと気分が楽にはなった。
借金は少しずつ返していく。

【脱ニート後、漫画や映画に触らなくなった】

2016年01月10日 | 闘病記
【脱ニート後、漫画や映画に触らなくなった】

ニート時代、部屋には漫画と本、DVD、CDの山脈ができていた。ただのヒマつぶしといえた。これは、逃避。「現実」から漫画の世界に逃げ込んでいた。だから脱ニート後は、触らなくなった。足しげく通っていた本屋に行かなくなった。行く気がしない。
数カ月して、久しぶりになじみの本屋に行ってみた。いきなり胃袋がきしみ嘔吐しそうになった。目が回り嫌な汗をかき、本棚に手をついた。「逃避」だけではなかった。漫画やDVDは「楽しかったニート時代」「後悔の塊のニート時代」の象徴だった。だから触りたくなかった。連綿と読み続けた長編大作の続きが気にならなくなったのも、そのせい。それを読むと思い出す。だらりと横になって真昼から「大冒険」に出ていた時代を。
これは乗り越えるべきか否か。
解消する方法は多分、知っている。安定した仕事に就いて、その仕事にある程度慣れること。そうやって初めて漫画は「逃避の道具」から「娯楽」へと戻ってくれる。分かってはいてもその「安定した仕事」がない。毎日、求人広告を漁る。その時間がまた、精神を痛めつける。結局、この一点で堂々巡り。
そして思い返す。「ニート」とは「時間を止めてしまった」者ではなかったのか。今また、職がない状況から動けない。アルバイトをしているので完全な「ニート」ではないけれど、とはいえ再び「時間が動かない」状態に突入してしまうのか。そんな思いに取りつかれそうになり、頭を振る。「時間が動かない」ではない、「状況が動かない」だけだ。「時間」が動いていることは「ニート」時代とは違ってはっきりと自覚している。だから余計に病む。「時間は動いているのに、そうしてどんどんいろいろなものがダメになっていく、間に合わなくなっていくのに、状況が何も変わらない」。この現実に即した感覚は、内臓をえぐる。

【休日】