人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【ニート後遺症との闘病】1

2016年01月06日 | 闘病記
【闘病】1

メンタルを強く持つしかない。そうとしか言えない。医者にかかれば何かしら治療方法があるのかもしれない。行政の窓口は概ね40歳までしか、この類の相談は受け付けていない。そのことにもまた精神を追い詰められてしまう。
「数字」と向かい合うようにした。楽に楽に。ただの羅列だと言い聞かせる。意味はないのだと。そして今日一日の意味を肯定的に考える。ニート時代はゼロだった収入が3000円も入ってくる。そこに否定的な考えが差し込まれる。同世代なら万を稼ぐ。一日四時間、単純労働ではスキルアップもなければキャリアにもならない。ただ時間を過ごしただけ。早くしっかりとした、八時間働けて長期勤めるメリットのある仕事を探さなくては、となる。それをネガティブな考えと言い切れないところが苦しい。考えの根本は、ポジティブとは言えないけれど、前向きではある。だから厄介。現状を好転させるために必死になればなるほど「数字」と向かい合うのが苦しくなる。「数字」を観るだけで吐きそうになる。めまいがする。だから敢えて気楽に「でもまあ半日でも汗を流して働くリハビリして、お金ももらえるのだから」と笑ってみる。その繰り返し。半年過ぎてしまった。足が震えた。それでも多少「数字」を観ることができるようには、なった。慣れではなく、耐え。相変わらず苦しい。こうして「数字」について書いていても喉の奥に空気の塊がせり上がってくる。

時間的な「数字」だけではない。経済的な「数字」が精神を押し潰す。

自殺願望に取りつかれる【発症】2

2016年01月06日 | 闘病記
自殺願望に取りつかれる【発症】2

そして、自殺願望に取りつかれる。
ニート時代には一切なかった、その意味さえ理解できなかった自殺願望。脱ニート後には頻繁に首をもたげてきた。それは「現実」と向き合ったことで「将来」に「絶望」したため。すべて自業自得。それは分かっている。分かっているからこそ「絶望」に「後悔」が上乗せされる。こうして文章を編んでいても、一文ごとに胃液が逆流してくる。
自分の行く末もそうだけれど、母をこの人生に巻き込んでしまった悔恨。母の余生をひどいものにしてしまった悔恨。何とかしなくてはと頑張るものの「現実」は厳しく何一つ好転しない。悪化のみ。特に経済的な悪化はひどく、家電は壊れ続け水道管は割れ、外壁は朽ちて落ちる。税金が食費まで持っていく。最愛の猫が亡くなった。その最期に当たっても最良の行動をしてやれなかった。
常に「死ぬことへの渇望」を抱えている。ニートを享受したのと同じメンタルだ。つまり「現実」との直面から逃げたいという。その前科があるからこそ、危険。絶対に自殺はしちゃダメだと思う。思えば思うほど、できたらどれだけ幸福だろうかという反動的欲求が生じる。

【闘病】

ニートに告ぐ。人生はやり直しなんてきかない。

2016年01月06日 | 今、思う。
ニートに告ぐ。

今すぐ働こう。
一秒でも早い方がいい。
人生の負債は自分だけじゃない。
周囲全てを巻きこんで、取り返しのつかない不幸をまき散らす。

人生はやり直しなんてきかない。
再チャレンジなんてできない。
一発勝負。

ニートになった時点で、二度と勝てない負け組なんだ。
せめて傷口を広げないよう、すぐ働こう。