【ニート化する一因】
履歴書が書けなかった。
「家」というものに振り回され「親類」や「血縁」に嫌な思いをさせられた子どもの頃の記憶がある。言い訳だと言われれば返す言葉もないけれど、実際、履歴書を前にすると、自分の名前が書けなくなる。書いてしまうと、「俺はあの人たちと同じなんだ」に直面してしまう気がしていたのだろう。本当に発汗する。本当に戦震する。絵を描くようなつもりで意味を考えずに書いてしまえばいいと思いこんでも、難しかった。
働くか死ぬかという選択が、それほど大げさではなくなった時も、同様。それでも、逆流したがる胃液の中、書いた。
面接へ行く。合否の電話を受ける。職場にいく。バイトをする。当たり前ながら「名前」を呼ばれる。そのたび、得も言われない不安定さと拒否感に襲われる。それは今も、続く。
父や父方の親類と、色々あったのだ。自分の出自を全否定しないとおかしくなってしまいそうなくらい。
じゃあその全ての人を憎んでいるのかというとそうではないんだ。
感謝もしている。尊敬もしている。ただね、嫌な思いとそれはプラスマイナスでは計算できないんだよ。これだけ感謝しているからアレはなかったことに、はできない。そうやって合理化して精神を整理することはできるけれど、それにも許容量がある。幼い自分はそのコントロールがうまくいかず、大好きな叔父さん叔母さん、大好きな父への気持ちと受けた思いをうまくさばけなかった、のだと思う。その上で「一族」というカテゴリをありがたがり押しつけられる環境があった。「一族」というとなにやら大仰な印象だけど、特に何があるわけでもない。自分たちを称してそのように呼んでいるだけだった。それがまた癇に障ってもいた。どこにでもある中流家庭の集合体なのに、大仰過ぎると。何さまなんだと。その、自分の出自への拒否感は、よく言われる「中二病」の延長または一部なのだろう。自分は特別な人間だ、ココに入るべき人間ではない、から始まり本当は異世界の住人だとかなんだとか。そういうSFティカルな設定に発症しなかったことが、更に俺のそれを悪化させたようだ。現実の中で、自分の出自を切り離そうとしてもできない。その結果、俺は「名前」を拒否する、出自を否定するという「意識」を作り上げた。その「意識」を稼働させている時は、楽だった。「意識」を停止させると、現実があった。そんなメンタルが成人しても続けば、根も深くなる。
そんなに嫌なことをされたのかという話になる。虐待的に何かをされたというよりも、やはり環境。「ああいう風になりたくない」大人像を常に突きつけられた感じ。そのサンプルと血が繋がっているという現実。(続く)
履歴書が書けなかった。
「家」というものに振り回され「親類」や「血縁」に嫌な思いをさせられた子どもの頃の記憶がある。言い訳だと言われれば返す言葉もないけれど、実際、履歴書を前にすると、自分の名前が書けなくなる。書いてしまうと、「俺はあの人たちと同じなんだ」に直面してしまう気がしていたのだろう。本当に発汗する。本当に戦震する。絵を描くようなつもりで意味を考えずに書いてしまえばいいと思いこんでも、難しかった。
働くか死ぬかという選択が、それほど大げさではなくなった時も、同様。それでも、逆流したがる胃液の中、書いた。
面接へ行く。合否の電話を受ける。職場にいく。バイトをする。当たり前ながら「名前」を呼ばれる。そのたび、得も言われない不安定さと拒否感に襲われる。それは今も、続く。
父や父方の親類と、色々あったのだ。自分の出自を全否定しないとおかしくなってしまいそうなくらい。
じゃあその全ての人を憎んでいるのかというとそうではないんだ。
感謝もしている。尊敬もしている。ただね、嫌な思いとそれはプラスマイナスでは計算できないんだよ。これだけ感謝しているからアレはなかったことに、はできない。そうやって合理化して精神を整理することはできるけれど、それにも許容量がある。幼い自分はそのコントロールがうまくいかず、大好きな叔父さん叔母さん、大好きな父への気持ちと受けた思いをうまくさばけなかった、のだと思う。その上で「一族」というカテゴリをありがたがり押しつけられる環境があった。「一族」というとなにやら大仰な印象だけど、特に何があるわけでもない。自分たちを称してそのように呼んでいるだけだった。それがまた癇に障ってもいた。どこにでもある中流家庭の集合体なのに、大仰過ぎると。何さまなんだと。その、自分の出自への拒否感は、よく言われる「中二病」の延長または一部なのだろう。自分は特別な人間だ、ココに入るべき人間ではない、から始まり本当は異世界の住人だとかなんだとか。そういうSFティカルな設定に発症しなかったことが、更に俺のそれを悪化させたようだ。現実の中で、自分の出自を切り離そうとしてもできない。その結果、俺は「名前」を拒否する、出自を否定するという「意識」を作り上げた。その「意識」を稼働させている時は、楽だった。「意識」を停止させると、現実があった。そんなメンタルが成人しても続けば、根も深くなる。
そんなに嫌なことをされたのかという話になる。虐待的に何かをされたというよりも、やはり環境。「ああいう風になりたくない」大人像を常に突きつけられた感じ。そのサンプルと血が繋がっているという現実。(続く)