人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

これも【ニート後遺症患者の闘病の姿】

2016年01月26日 | 今、思う。
【ニート後遺症患者の闘病の姿】

グズグズと、グズな話を書き連ねている。
けれどそれはひたすらネガティブなわけではなく、実はポジティブな、前向きな意識の表れ、でもある。

「現実」との直面から逃げ出して「ニート」になっていた俺は、だから今、「現実」と直面している。その一つがこの、「ニート後遺症」とそれにまつわる俺の話の吐露なんだよ。

書き連ねることで俺の病根を明らかにしていく。
寛解にも至ることはなさそうとはいえ、多少なりと緩和させる策はあるだろうと。これもまた「ニート後遺症」患者の闘病の姿。

数字を見ては嘔吐しながらパンを一枚いただいて、今日が始まる。

元ニートのメンタル【「期限」にすがる】

2016年01月25日 | 今、思う。
【「期限」にすがる】

二時間置きに目が覚める。口が常に乾く。震えが止まらなくなることもある。精神の状態が糖尿病を惹き起こすという。発症している気がする。病院にいけないので分からない。行ったところでどうにもならない。一度行くくらいならひと月分くらい生活費を切り詰めればなんとかなる。継続的にとなるともう、無理。
とにかく仕事をどうにかしないといけない。のだけれどない。毎朝毎夜探し続けるけれど、ない。先細るながらもなんとかく凌げている感のある現状を続けてしまうと、あっという間に年を取る。更に条件が悪くなる。体力も落ちる。頑健さも失われる。
そして精神状態が尋常ではなくなる。
頭を両側から鷲掴みにされぐるぐると回され続けているような感覚の中、「早く終わりたい」と願う。
人生をだろうか。仕事をだろうか。何を、なのかは自分でもはっきりしない。
思うのは、俺は「期限がある」ことを望んでいる。ニート化した根本にはそれがあったのだろう。期限のない「就職」が怖かった。嫌だった。不安だった。定年退職という期限があるものの、それまでの時間が無限に感じられていた。実際は、こんなにも短いのに。

ニート後遺症は、体が壊れることさえ許さない

2016年01月24日 | 今、思う。
今日がまた、終わってしまう。
いつも通りの作業四時間。腰痛に眼精疲労が慢性化してきた。客前に出るからと、その四時間は笑顔を貼りつける。タイムカードを押した瞬間、口角が下がる。
日給計算で3200円。
何をしているんだろう。
仕事だよ。

マトモに歩いた同世代は一体いくらもらっているんだろうか。
そんなことに気がいくと、すぐに眠くなる。うつらうつらしながら妄想に遊ぶ。それを幸福だと感じるようになったらどうしようか。

せめてどこかフルタイム8時間働ける場所へいきたい。
体が壊れない程度に。

壊れてもさ、何もできないから。
病院にもいけないし薬も買えない。

たとえば今風邪をひく。バイトを休む。その日は当然無給。-3200円は大きい。必死で一日150円以内に収めている食費を考えると実に21日分。

なんてことはともかく。
どこか壊れて働けなくなると、母もろとも、終了だ。
俺が終わる分にはまだしも、母の人生をこれ以上巻き込みたくない。

無理をしたくてもできない。無理さえできなくなってしまっている。
こんな条件の悪い人間をどこの誰が拾うというのか。

なんてことを愚痴っているうちにまた、今日が終わっていく。
日付をみるのが怖い。数字を見ると嘔吐感がひどい。

何とかなる日は、くるのだろうか。

脱ニートした俺の幼稚な妄想

2016年01月24日 | 今、思う。
【妄想】
恐ろしく恥ずかしい話を記そうと思う。
脱ニート後、特に取りつかれて暇を見つけては妄想してしまう稚拙な「奇跡」の数々。

一つ目。突然亡くなった祖父や遠縁の親類の不動産的な資産が発見され、その名義が俺になっているという一報が届く。そして不労所得を得られるようになる。
二つ目。亡くなった父が企業内で取得した特許の使用料が入金されるようになる。
三つ目。資産家の娘さんに見初められる。
四つ目。天下り用に作られた職を紹介される。
五つ目。その昔あちらこちらに送っていた音楽のデモテープが陽の目をみて印税生活。

自分でも顔が赤くなるくらい、まるで受験勉強がイヤになった中学三年生のような、低レベルな妄想。それに本気ですがりたくなる病根。

まだ少し続きがある
「奇跡」の一つが現実となったあかつきの「妄想」。大金が入るという前提でこういう好転を「妄想」している。
一つ目。総額110万の借金返済。
二つ目。滞納している税金・各種支払いの清算。
三つ目。外壁・内装が崩れ雨漏りがひどい家の改装。
四つ目。小さくてよいので別の場所に家、一つ。
五つ目。バランスのよい食事。
六つ目。母を定期的に病院へ。

この、人生を舐め切った稚拙な「妄想」の数々。これを達成する為に全ての人は必死に働いている。それを十数年しないでおいて、今更同じようになりたいなどと虫のいい。
そう理解しているのだけど隙をついてこういう「妄想」が入り込む。この脆弱さ。稚拙さ。未だ現実から逃げようとする姿勢。
余りに無様なので、殊更にこうして記して残しておく。

今更社会復帰などなんて虫のいい話だろうか・元ニートの【提言】3

2016年01月23日 | 闘病記
【提言】3

「甘え」なのか「必要」なのか分からない。けれども「救い」が必要だと思う。
「甘え」だとしても自業自得だとしても、精神を病むか死ぬか、生活保護を受けるか死ぬか、事件を起こすか死ぬか、そこまで追い詰められていることに間違いはない。「ニート」自体も脱ニート後の「ニート後遺症」の人間もだ。「ニート後遺症」に悩まされる人間の方が、現実と直面しているため、人生への絶望感は大きい。「ニート後遺症」によって壊れる人の方が多いだろう。
耳触りのいい言い方をするなら「対策」。高齢の「ニート後遺症」発症者対策を願いたい。
職の斡旋がその第一。最優先。一般の失業者と大きく異なるのは精神面・経済面が既にボロボロであり、自分の一切に希望が持てないこと。当然、雇用保険もないし貯金もない。年金も払い切れない。人間関係も、両親またはそれに近しい血縁者限定。働きさえすれば…で働き始めても、十分生活ができるだけの職場は少なく、精神面・肉体面・経済面すべてが楽にはならない。ただ負担ばかりが増えていく。
「ニート」を選択した奴が今更社会復帰などするのが悪い、自業自得なのだから精神を病もうが肉体が壊れようが知ったことではない、野たれシネばいい、というのだろうか。それには、少し賛成でもある。自身のことながら、今更社会復帰などなんて虫のいい話だろうかと笑いそうになる。


こういうものを書き連ねることが、唯一、安定・安楽を得られる。


【ニート化とニート後遺症が惹き起こした最悪の事件】