真夏の夜のミステリー第4話をお話しましょう。
昭和40年代はじめの日本はどんな風情だったのかを知りたいと思ったら、映画「三丁目の夕日」をご覧になるのが一番近道かと思います。
昭和30年生まれのオイラは、まさにあの「昭和の世界」の中で育ってきたのです。
街のあちこちで工事の槌音が聞こえ、日本が新たしい時代に向かって動き始めた時代。
田舎でしたから、自動車なんて走っていることはまれ。走っているのは工事トラックくらいです。
家庭のテレビは、やっと普及し始めた頃。
当時のテレビはブラウン管で、リモコンなんてあるはずもなく、ツマミスイッチを引いてON、押してOFF。
チャンネルはガチャガチャと回すタイプでした。。。。。
そんな小学生のオイラの経験をお話しましょう。
怖がりの人は絶対に読んではいけません。
どんなことがあってもオイラは責任が取れません。。。
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第4話 バンドーさん
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あれも暑い夏のことだった。
夏休みの小学生は朝6時半から近くのグランドで行われるラジオ体操に参加することが義務づけられていた。
だから朝6時過ぎには起きて、ラジオ体操に参加、それから家族での朝食となる。
当時の我が家は祖父母、両親、妹とオイラの6人暮らし。
狭い団地の居間で円卓テーブルを囲んでの食事だった。
両親が働きに出ており、7時半頃のバスに乗っていたはずなので、その日の朝食も、間違いなく「7時前後」だったはずだ。
朝、ラジオ体操から帰ると母が一言つぶやいた。
「今日はカラス鳴きが悪いから気をつけるんだよ」
「カラス鳴きが悪い」という言葉は我が家では、よく耳にする言葉だった。
「カラスが何か不吉なことを暗示している」という意味合いなのだろう。
粗末ではあったが、一家6人で食卓を囲んでいた時。。。。。。。。
時計の針は朝の7時。
突然、我が家のテレビが点灯した。。。。。
そしてNHKニュースが流れだした。
「ダメでしょ。食べながらテレビを見るんじゃありません。」
母にそう叱られた。
当時のテレビは貴重品。
テレビのスイッチを入れるためには「オヤジの許可」が必要だったのだ。
オイラは、左脇にいた妹か、正面のオヤジがスイッチを引いたのだろうと思っていた。
しかし、他の家族からは、テレビの一番近くにいたオイラが疑われていた。。。
「僕は入れてないよ。」
そう訴えたが、相手にされなかった。。。。
その時だ。
居間から裏庭の勝手口に向かって人が歩いて行く。
いや言い方がちょっと違う。
正確には、「居間から裏庭の勝手口に向かって人のような影が、す〜と動いている。」だ。
「誰かいたよ」
「馬鹿なことを言っていないで、早くご飯を食べてしまいなさい。」
子供心に不思議に思ったが、恐怖感のようなものはなかった。
その日の夕方、両親が職場から帰ってきて「不吉なカラス鳴き」の原因が判明した。
なんでも郵便局の配達員さん。
地域では「バンドーさん」と呼ばれて明るく、勤勉で、尊敬・信頼された配達員さんが亡くなったという。
40代くらいだったのだろうか。
当時の郵便局員さんは、クルマやバイクを使う訳ではなく、自転車の前に大きな黒い革のカバンを積んで配達して歩いていた。
その日のバンドーさんは、夏の暑さがきつくなる前に遠方集落に郵便物を配達しようとしたようで、朝早くに町の郵便局を出られたようだ。
我が家には、祖父母の年金か何かの用事で訪問される予定だったという。
「バンドーさん、来ないね」
祖父母はそんな話をしながら、バンドーさんを待っていた。
しかし残念ながらバンドーさんは、その朝、自転車ごと大型工事トラックに轢かれ、即死されたようだ。
亡くなったのは、まさにその朝、7時のことだったという。
そう。
私にはわかりました。
勤勉なバンドーさんは、ちゃんと約束を守って我が家にきてくれていたのです。。。。