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言葉の大切さを感じます…。―『押尾学』事件から感じていること

2010年01月27日 12時55分56秒 | 徒然-日々思うこと-
もうかなり前の出来事になった印象の『押尾学』事件。

再逮捕されて、弁護士さんから漏れ聞こえてくる話が、ちらほら出ていますけど…
聞けば聞くほど、彼の人となりに『がっくり』させられる。

私自身、この人以前からあまり好きじゃないけれど。
あまりにも、自分勝手だし…ポーズとしての“男気”はあったみたいだけど…“男気”なさすぎる。

人が一人亡くなっているということ。この重要性、どんな風にとらえてるんだろう。

この状況になるまで、自分に責任が無いような発言をしていて、「腹を切ってでもおわびしたい―。」って。
本当に思っていたなら、もっと早くこの“発言”が出ていたと思う。
変に隠そうとしたり、嘘のつじつまが合わないから、今回のように再逮捕までいってしまったんでは?と。

本当に、人の命の重さを感じていたら“逃げなかった”と思うし、救急の通報も的確にしていたと思う。
出来なかった理由は、『人の命』<『自分のステイタス』と、秤にかけた結果…。
なのに、、「(保護責任者遺棄致死は)えん罪。事件は作られたもの」って。

明らかに、自分の心象を良くする為に言ってる感じにしか聞こえないよね。

なんだか、人として残念な気持ちです。

私のまわりにも、こういうタイプの「自分の主張」ばかりする人がいますけど…。
相手の事を考えず、自分の主張をするスタイルだと、話を聞くだけで『残念』なも思いと、
「この人にとって、私ってどうでも良い存在なんだぁ」って、思っちゃう。
そうすると、その人に対する気持ちがどんどん“冷めて”いく自分がいる。

とっても良い「反面教師」的な出来事よね。
自分の主張をするのも大切だけれど、自分の言い方・伝え方で“自分の印象や信頼”が変化することを、心にしっかり留めて“言葉”を使いたいなぁ。