芝 居 風 呂
【主な登場人物】
風呂屋の主人 風呂の客 釜焚き
【事の成り行き】
もう長いこと銭湯へ行ってません、8年ほどになるでしょうか。その間に町内の銭湯は次々廃業し、最寄りの銭湯というと1キロほど離れたところに残るのみとなりました。
温泉へはちょくちょく入りに行きます。よく行くのが奈良県大迫ダムの近
く、入之波(しおのは)温泉、十津川の湯泉地(とうせんじ)温泉。
入之波温泉
はそこそこ名が売れ、観光バスコースに組み入れられたせいか、いつ行っても結構客がありますが、湯泉地の共同風呂は貸し切り状態です。と言って5人も入れば湯が溢れ出てしまうぐらいの小さな風呂です。
体を伸ばして浴槽につかるのは気持ちのいいものです。日頃、窮屈な家風呂で我慢している身にとって、たまに大きな湯船につかる贅沢さ。しかも山深いワインディングをクルクルッと走った後のひと風呂はこたえられません
なぁ。
今回の噺はお風呂屋さんを舞台に、芝居噺を繰り広げるという趣向になっています。昨今はやりの「健康ランド」の先駆けのような風呂屋。ちょっと前までは「ヘルスセンター」と言っていました(2000/05/07)。
* * * * *
え~、明けましておめでとぉございます。わたくしのところもひとつ、よろしくお付き合いを願いますが。
まぁ昨年は、わたくしにとりましてもいろんなことがございましたです。
一昨年はなんでございますなぁ、この文我といぅ名前を襲名さしていただいたんですが、去年はわりとこの、独演会とか兄弟子との二人会といぅのをたくさんやらしていただいた年でございまして。
面白かったのが五月でございましたが、東京の国立演芸場といぅところでうちの、枝雀一門の筆頭弟子の南光兄さんと「南光・文我二人会」といぅのをやらしていただいたんでございます。このときにちょっと面白いことがございましてね。
と言ぃますのが、五月の十一日やったんでございますが、あれ、五月の八日ぐらいやったでございましょ~か、あるお客さまからお電話を頂戴したんでございます。
「あの文我さんですか」「はい、そぉでございますけど」「あのぉ、五月の十一日の国立演芸場の南光・文我二人会のことでちょっとお聞きしたいんです」
こぉいぅ電話がちょいちょい入るんでございますけどね、わざわざ東京からかけてきてくれはったんです。
「あの、聞きたいんですけど」「はッ、なんでございますか?」「え~、入場料のことなんですけどね、ある情報誌で見たんですけど、前売りが一万八千円になってるんですけど、これ本当なんでしょ~か? お寿司でも付くのでしょ~か?」といぅ、こぉいぅご質問なんでございますね。
こぉいぅ間違いはよくあるんでございます、情報誌の誤植といぅやつですな、ゼロが一つぎょ~さん付いてたんでございます。ですから、本来は前売りが千八百円のところが、一万八千円になってるわけでございますわなぁ。
ちゃんとそれは答えないかんと思いまして「あぁ、それはおそらく誤植じゃないでしょ~か、千八百円の間違いやと思います」「そぉでしょ~ねぇ、わたしもおかしぃと思たんですよ、前売り一万八千円なんですけどね、当日が二千円て書いてるんですね、これ」
それやったらかけてきはらんでも分かるのに、思たんですがね、まぁ、いろいろ面白いことがございますが。その国立演芸場で南光兄さんと二人会さしていただきました、その隣りの国立劇場、今年は建って三十周年だかでございますなぁ、去年でしたか、今年でしたか、三十周年。
そこでは、やってるのは落語やございません。芝居であるとか、または文楽、そぉいぅ古典芸能をやってたんでございますねぇ。そのときは「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいのかがみ)」通しやったと思うんですが、なかなか芝居ちゅうのも面白いもんでございます。
ここにございましたあるお風呂屋さんでございますが、ここの主人がまことにこの芝居が好きでございまして、毎日芝居の話をしてる。また、類は友を呼ぶと申しますなぁ、好きな人がたくさんこのお風呂屋へ集まってまいりまして、いっつもこの湯船で芝居の話をしたりとか、芝居の真似事をしたりして遊んでるわけでございます。
さぁ、風呂屋のオッサン考えた。もぉこれやったらいっそのこと、うちの中へ芝居小屋を作ってしもて、そこでゆっくり楽しんでもろたら、皆さんにももっと楽しんでもらえるんやないかと、こぉ考えたわけでございます。
思い立ったが吉日(きちにち)といぅので、さっそく大工さんを入れますといぅと、綺麗ぇ~にこの風呂の中、これを芝居ができるよぉな感じに仕上げました。表から何からみんな替えましてね「芝居風呂」といぅ看板を上げるんでございます。
そぉすると、芝居の好きな人なんかは遠いところからドンドンドンドン、この噂を聞きつけてやって来るんですなぁ。一番風呂がえぇといぅので、早よぉから湯船に浸かってる人がある……
●どぉです?
■え?
●いや、あんた誘そて来ましたけど、この「芝居風呂」気持ちよろしぃやろ
■ホンマでんなぁ、いやぁ、こぉして浸からしてもろてるお湯も気持ちよろしぃけどなぁ、やっぱりえらいもんでんなぁ、凝ってるちゅうのがよぉ分かりますわ。表、まぁ表来たときにビックリしましたなぁ、幟がピャ~ッと立ってまっしゃろ。
■風呂屋の表に幟が立ってるちゅうのん、あんまり見たことおませんで。たいてぇ暖簾ですわ。ところが、ピャ~ッと幟が立ってて、その幟に染め抜いたぁる名前が洒落てましたなぁ「中村湯冷門さん江」てこぉ書いたぁる「片岡桶之丞さん江」「松本糠袋さん江」「阪東三助さん江」とか、洒落たもんが染め抜いたぁりますわ。
■またあんた木戸、これが立派でっしゃないかいな。木戸をくぐるっちゅうとあの番台のオッサンが「お湯入り~ッ」ちゅう声掛けてくれますわ。中へ入ろかいなぁと思て行きかけると、番台のオッサンが「あのぉ、お湯入りですか? それともご見物ですか?」と、こぉ聞きはった。
■普通、風呂屋で「見物」ちゅうのんおまへんで、変態やないねんさかいな。
けどあんた「見物ですか?」いぅて、そらまぁ、中には芝居だけ見物に来はる人もあるんでっしゃろなぁ?
●そぉです、芝居だけ見に来る人がありまんねん。
■それから脱衣場、これが洒落てましたなぁ、桟敷みたいに枡形に切ったぁって、風呂場へ入るとこ、これが揚げ幕になってまんなぁ、我々入ろと思たらチャリ~ンと開きますがな。で、湯船まで花道がズラ~ッと続いてて、周りがまた洒落てますなぁ。
●こら、当たり前の風呂屋と違いまっしゃろ?
■だいぶ違いまんなぁ、羽目板、そのへんの風呂ややったらみんな四方は羽目板ですわ。
これ、みんな絵が書いたぁりまんなぁ
●そぉです、この絵の前でみんなそれぞれの芝居をしてもらおっちゅうんで、後ろ見てみなはれ、山の遠見でっしゃろ。この前でまぁ、道行きがあったり、また「道成寺」を踊ったりとかできまんねん。
■風呂の中で「道成寺」踊りまんのん?
●へぇ、そぉいぅ人も居てまんねん。
こっちは松羽目、松の絵が描いたぁりますなぁ。この前で「勧進帳」をやったり「棒縛り」やったりします。こっちはこれ御殿ですなぁ「先代萩」の御殿の場とか「妹背山」これができまんねん。
■さよか。正面のあの定式幕(じょ~しきまく)、かかってまんなぁ?
●あぁ、あの内ら側が洒落てまっせ。桧舞台になってましてなぁ、金屏風が立て連ねたぁって、もぉすぐね、あそこ、あの定式幕がサ~ッと開いて、ここの風呂屋のオッサンの口上が始まりますわ。
■え? オッサン、口上やりまんのん?
●えぇ、オッサン、口上が言ぃたいが為にこんだけのもんを作ったよぉなもんでんねん
■へ~ッ、口上が始まります?
●そぉです、そのうちにね、柝(き)が鳴ってきてね……、ほらほらほら鳴ってきましたやろ、開いてきたあいてきた……、掛け声かけまひょ、掛け声。
(風呂屋! 待ってました! 日本一ぃ~ッ!)
▼とぉざい~~ッ。一座高こぉはござりまするが、ご免お許しなこぉむり、不弁舌なる口上なもって申し上ぁ~げたてまつります。本日は、当「芝居風呂」に遠路よりお越しくださり、ありがたく御礼を申し上げまする。お湯にゆっくりと浸かっていただき、また、芝居にいそしんでいただきまするよ、
隅から隅まで、ずい~ッと~、御願い上げたてまつりまする~ッ。
(風呂屋! お風呂屋! 親爺~ッ! 日本一ぃ~ッ! 待ってました!)
■ぎょ~さん掛け声かかってまんなぁ、これ
●こないしてね、こぉ主人の気持ちを上げといて、今度はこっちが芝居しょ~っちゅう、こぉいぅ算段ですわ
■なるほど、面白いもんですなぁ……、けどまだ誰れも芝居してしまへんで?
●さぁ、いっつもね、一番風呂の時には、芝居をする人が決まってまんねん
■誰でんねん?
●ここにはまだ来てしまへん、炭屋の大将がな、もぉすぐ炭にまみれた真っ黒けの体でな、その花道のとこからパ~ッと揚げ幕上げてシュッと入って来まんねん
■さよか
●そぉです、真っ黒けに炭で汚れてまっしゃろ、そのままダ~ッとやって来てね、湯船の中へドボ~ンと飛び込もとします。
●けど、そんな体で飛び込まれたら湯ぅが濁ってしまいまっしゃろ。そら困るっちゅうんで、何人かの人がそれを止めるといぅ大芝居がこれから始まりまんねん
■ケッタイなもんが始まりまんねやなぁ
●さぁさぁ、まぁ楽しみに見てなはれ。ほれほれ、揚げ幕上げにかかりましたで、炭屋のオッサン出て来るんちゃいまっか、掛け声かけなはれ掛け声。
(炭屋ッ! 待ってました! 日本一ぃ~ッ!)
(下座:♪かかるとこへ炭屋の大将、炭にまみれて、出で~来たり~)
▲やぁやぁ、湯船の衆ぅ~ッ……、炭にまみれしこの五体、湯船の中につかるが望み。
嫌じゃなんぞとぬかすが最後、からめ捕ろぉや、返答な? さぁ、
さぁ、さぁさぁさぁさぁ。湯船の連中、何と、いや、何ぁんと~ッ!
(♪何と、何と~と詰め寄ったり~。湯船の連中、飛び出だしぃ~)
◆ふふぅ~、ははぁ~、ふふ、はは、だハハハハッ、あッよいところへ炭屋のオッサン、そちが湯船に浸かりなば、この湯が黒く染まりける。入るを許さぬ! 流しで洗え~、え~~ッ!
(♪流しで洗えと~、身構えたり~)
▲何をこしゃくな、そぉ~れッ!
◆やらぬ((ウン)やらぬ!(ウン)
▲わ、わわ~ッ
◆お湯を掛けぇ~ッ!
▲うわ~ッ! またしてもお湯を今日も掛けられしか。また湯船に浸かれぬとは……、
一時も早よぉ、いやッ、帰ろぉ~や~ッ!
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
■六方踏んで帰って行きましたで、あれ
●そぉでんねん、帰って行ってしまいました
■あの人、入らしまへんのん?
●えぇ、あの人ね、これからよその風呂屋へ行って、ゆっくり風呂へ浸かりまんねん。
■あの人、何しに来ましたんや?
●まぁ、芝居を見せに来てまんねやなぁ、あの人わ
■いろんな人が来るだけ、オモロおまんなぁ。これから芝居始まる?
●そぉそぉ、そのうちね、いろんな人がいろんな芝居始めまっさかい、楽しみにしときなはれ。
●さよか……、あらッ! 何や知りまへんけど、あそこでえらいペコペコ頭下げてる人居てまっせ
■さッ、芝居が始まったんちゃいまっか、ちょっとよぉ見ときなはれ。
▲お聞きしたいが、ご貴殿の尻の出来物、赤こぉに腫れてお辛ろぉ見える。
それまでひどぉになったるわけ、何と聞かしてくれまいか?
●お心暖まるそのお言葉、ならば身共の申すこと、お聞きなされてくださりませ……♪
◆今を去ること三月前、弥生半ばの十五日、疼きを松の廊下にて、尻がユラユラ由良之助。朝の早よぉに痛み出し、こらえきれぬがこの人情。赤こぉロォシと腫れ上がり、始終シッシと熱を持つ。いっそ切らりょか内入りと、ただいま思案の最中でござる。
▲おいたわしきは貴殿の尻、幸いこの湯は薬湯なれば、なんと湯にて治されよ
◆かたじけのぉ存ずる、しからばお湯にと……、やッ、入ろぉや。
(♪お湯の~中へ~と、入りにけ~り~……)
★えいッ!
▲んッ、お湯の中に怪しき間者(かんじゃ)、デンボを指で突つくとは、どこの、やッ、どいつえ~?
★てゃ~~ッ……
▲誰かと思えば角の薬屋。デンボのキズをひどぉして、薬をひと品売り付けたいか?
★ダハッ、うちの棚には万能膏、がまの油が並びおる。湯にてキズを治そぉなどとは笑止千万。さっそくうちへ買いに来い、われは店にて待ち居るぞ、しからば、御免!
▲ん~ん、憎々しきはあの薬屋、後を追ぉて……、おぉ、そぉじゃ、そぉ~
じゃ~ッ……
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
■もし、もしもしもし、えらい追ぉて行きましたで。掴み合いの喧嘩になるのんちゃいまっか?
●いえいえ、あの二人これから楽しぃ呑みに行きまんねん、これから。あの二人親友でんねや、これから薬屋へ戻ってな、尻のデンボにこぉ薬塗ってもぉて、楽しぃ呑みに出かけまんねん。
■へぇ~ッ、オモロイもんでんなぁ、しかし何でんなぁ、そんな気にさせてくれるっちゅうのん
●さぁ、風呂賃払ろた「芝居風呂」の値打があるてなもんです
■しかし何でんなぁ、これだけ気を浮かしてくれるっちゅうのは、芝居も見事でっけど「鳴り物(もん)」が入るっちゅうんがよろしぃはなぁ。一体、鳴り物は誰がやってまんねやろなぁ?
★へぇ、わたいでんねん
●おぉ「わたいでんねん」て、誰やと思たらあんた釜焚きの六さんやおまへんか、あんたがやってなはんのん。釜焚きだけに、よぉ焚き付けまんなぁ。
【さげ】
★へぇ、中が沸くのが楽しみでんねん。
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