【主な登場人物】
西行 和歌三神の化身
【事の成り行き】
学生時代に買い込んで現在なお手元に残っている、唯一学問を臭わせる書籍。
専攻学部とは筋違いな一般教養の古典文学のための教科書。
豪華上製本箱入り「萬葉集」その第一に載っているのが
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児家聞かな
名告らせね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ
しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも
大泊瀬稚武(雄略)天皇の御製歌ということですが、
なにも古典文学に精通した教授に解説を受けるまでもなく、
何となくその意味が伝わってくるのは、
私達が日本人であることの証しであろうと思うわけです。
いや、男の本性か?
いまから千五百年以前の飛鳥びとも、大阪ナンバ戎橋の上のお兄ちゃん同様
「茶ぁ~せぇへん? 名前教えてぇな? 家どこ?」違いはちょっと表現が美しいだけ。
しかし、このちょっとの違いが大切なのですね、言葉って難しい(2004/10/03)。
* * * * *
ホンマに、高齢化社会でんなぁ……、ねぇ、あの女の人のほぉがね、十年長生きしまんねんてぇ。
せやからお年を召したご夫婦は奥さんにできるだけ逆らわんほぉがよろしぃで、えらい目に遭います。
あのぉ~、ある老夫婦がね、隅田川、花火大会で有名なあの隅田川にこぉ佇んでね、奥さんが川を見ながら「昔は綺麗だったのに、今は汚くなったわね」と、こない言ぅたんや。
ほな、旦那が川見てうなずいたら良かったんやけども、奥さんの顔見ながら
「ホンマやなぁ」言ぅて、
川へ蹴り込まれたといぅ話があるんですよ。
あれ、年いくに従って、女性は強くなる。
お婆ちゃん、火事のとき一人で冷蔵庫運びまんねんてねぇ。
お爺ちゃんなんかもぉ、
ウロきてもて鉄瓶持ってウロウロ・ウロウロ
「あんた何してまんねん?」
「とりあえず金目のもんだけな」
泥棒見つけたお婆ちゃん「ギャ~ッ、泥棒ぉ~ッ!」
大声でビャ~ッ逃げてまうねぇ泥棒が。
お爺ちゃん泥棒見つけたら「うッ……、ぶらぼぉ~ッ」えらい違いや。
まぁ、女の人強いわ。なんで強いか?
それが証拠に、あの、子どもとの結びつきは、やっぱりお母さんと子ども強いねぇ。
母の日、ね、五月の第二日曜日でっかなぁ、そらもぉ世間・デパートでは大感謝セール。
催しもんこんな盛り上がりよぉ。
あのときだけはホントにどんな悪いことしてる子どもでも、お母さんに感
謝の言葉を捧げんねんねぇ。よぉおいてまんなぁ、心斎橋ウロウロしてる、
髪の毛真っ茶っ茶に染めたアホみたいなんねぇ、どぉしょ~もないアホみた
いな子、もぉ見るからに、アホみたいな子ぉ。
そんな子でもね、カーネーションの一本持って来てね
「お母ちゃん、僕産むときお腹痛めてくれてありがとぉ」泣けまっせ。
お母ちゃん、僕産むときお腹痛めてくれてありがとぉ。
それに合わして言い返す母親の言葉も感動的や
「お腹痛める前に、お前産むかどうか頭痛めたんや」感動的や。
その点、父親て夢おまへんなぁ
「お父ちゃん、子どもは風の子言ぅけど、僕、風の子か?」
「アホ、わしの子や」夢なんにもあれへん。
ほんで男の人は女の人ほど冷静やない。やっぱりオッチョコチョイが多い。
あるカラオケのスナックでね、横にいてる人に
「もしもし、向こぉで唄とてるあの髪の毛の短いのん、ブサイクなあれね、あれ男でっか、女でっか?」
「あれ、わたしの娘です」
「えらいすんまへん、知らなんだんです、おたくが父親やて」
「わたし母親です」
* * * * *
今から八百年以上昔に、西行法師といぅ方がいらっしゃいました。
西に行くと書いてさいぎょ~。
法師といぅのはお坊さまのこと言ぃまんねんてねぇ、能因(のぉいん)法師、兼行(けんこぉ)法師、勤労奉仕、ツクツク法師、こらまぁ蝉ですが。
この方は和歌の名人、歌人でございまして、今でも百人一首にその歌が残っております「嘆けとて 月夜はものを思はする かこち顔なるわが涙かな」
どぉいぅ意味の歌か、これを現代風に訳して説明いたしますと……
こらまた今度言ぅことにして、いわゆるまぁ、恋に悩んで泣いてるといぅよぉなそぉいぅ歌なんでしょ~ね。
この人は本名「佐藤兵衛尉義清(さとぉひょ~えのじょ~のりきよ)と申しまして北面の武士。
北面の武士といぅたら今でいぅ警護隊、SPのよぉなもの。
同僚に平清盛といぅ有名な方、それからご先祖さまといぅのが、これが俵藤太秀郷(たわらのとぉたひでさと)大ムカデを退治したりとか、将門の乱を平定したといぅ豪傑・英雄。その血を受け継いでおります、ガッチリとした体格の立派なお侍。
ところが、なぜか二十三歳の時に世の無常を感じて出家をいたします。
お侍さんが坊さんになったんや、友達ビックリするなぁ
「おい、お前坊さんになったんやてなぁ」
「そぉ」
まぁこら、ボンさんやから「僧」と答えたといぅだけのね……
そののち、各地を転々といたしましたのでいろんなところに、このエピソードが残っております。
有名なのが、奈良県は吉野、桜の名所ですね、あそこはすごい桜で
「上の千本・中の千本・下の千本・奥の千本。一か所に千本もあんねんで」「ホンマに千本もあんのんですか?」
「絶対ある。我々は千本家や」言ぅてましたが。
「西行桜」といぅ能があるとぉりに西行さん非常に桜の好きな方で
「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」
といぅ歌を残しとぉります。
あそこにねぇ「西行庵」といぅのがある「いおり」といぅ字を書いて「あん」と読むんですねぇ、あぁいぅあちらこちら旅して、こぉ歌詠んでる人は「あん・いおり」といぅのを持ってまして、今言ぅた西行庵、それから一休
庵、芭蕉庵、エ~リアン、オバタリアン、いろんな庵がございます。
このお噺は攝津の国は川西村、ただ今の地名で申しますと兵庫県は川西市、能勢電鉄、能勢の妙見さんの近くに「鼓ケ滝」といぅ滝があったんやそぉで
ございます。幅が三メートル、高さが五メートル、そんなに大きな滝ではございませんが、これが何と日本の三大滝の一つやそぉです。
「日本の有名な滝のベスト・スリーのうちの一つや」「ほなあとの二つはどこにあるか?」「どっかにある」こらまぁ、お暇な方はご自身でお調べいただきたいと思いますが……
まさに水晶のすだれを吊るしたよぉな綺麗ぇな滝で、この水が滝壷に当たりまして周りにポンポン・ポンポンとこだまする音が、さながら鼓を打つがごとく聴こえてまいりますところから、誰言ぅとはなしに鼓ケ滝。
また、この水の勢いで白くなりました丸い石、これが碁石で使いますところの最高級の白石やそぉで、ならば黒石はどこが一番? これは和歌山県那智の滝で磨かれました那智黒、飴と違いますよ。
鼓ケ滝の白石、那智の那智黒といぅと非常に高価なもの、百円ショップでは売ってまへん。
碁石専門店に行かないと買えないよぉな品もん。
その白石で有名な鼓ケ滝にやってまいりました西行法師が
「およそ歌詠みと言われる者がこの鼓ケ滝に来たなれば、必ず歌を一首詠むと聞く。われも詠もぉ」といぅので、
大きな岩にドッカと腰を下ろし、美しぃ水の流れに目をやっております。
やがて、できたとばかり携帯用筆記道具「矢立て」から筆をばスッと抜き取りますと、紙にサラサラッと歌を書いた。
その歌といぅのが
「水に漂う浮き草に、同じさだめと指をさす……」
騙されたらあきまへんで、これ歌謡曲でっさかいね。
和歌、五七五七七、三十一(みそひと)文字で和歌。
味噌ひと舐めは馬鹿。
「伝え聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」
と詠んだ。
岩角にこぉひっそりとタンポポの花が咲いてたんでしょ~ね、それを歌に詠み込んだ。
あの「たんぽぽ」といぅ字ねぇ、こぉ薄っすい墨で平仮名で書くと何とも言えん色気のある字でね、
口の小さな女性が、手の平口に当てて笑う感じ
「たん、ぽぽぽぽぽ……」
これを漢字で書くと色気もなんにもない。
どぉいぅ字を書くか? 蒲焼のカバに公務員のコォ、英雄のエェ。
カバコォエェで「蒲公英」ツバだらけになってます。
おそらく西行さん、こぉ平仮名で書いたんやと思うんですが。
「伝え聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花……、ん、
われながらよい歌である。
今までにも数多くの歌詠みがこれに来たりて鼓ケ滝の歌を詠んだであろぉが、われに勝る歌はなし」自画自讃をいたします。
自画自讃けっこぉでんなぁ、自分で自分を誉めんねんさかい、誰に気兼ねすることおまへん。
そぉでっしゃろ?
ほんでまた自分自身ちゅうのはねぇ、一番よぉ気が合いまんねや。
これ、自分自身で気が合わなんだら病院行ってもらわなしゃ~ないんでね。
人誉めんのんむつかしぃもんねぇ「社長のお嬢さん、なかなか美人ですなぁ」
「いやぁありがとぉ、わしに似なくてよかったよ」
「ホンマでんなぁ」どこまで飛ばされるや分からん。
人怒らすのん簡単や、ものの五秒やね。
信号待ちしてる人の耳もと、口寄せて「アホ~」これで掴み合いや。
自画自讃もいぃんですが、これが過ぎると天狗になる恐れがある。
西行さん人から「天下の西行、日本一の西行歌詠み」てなこと言われ、
段々だんだん鼻が高こぉなる、増長、これが恐い。
われわれの世界でもね、ちょっと人から誉められるとじっきに増長するやつがおる。
一番弱い言葉、何か知ってまっか? 「名人でんなぁ」わたし今までいっぺんも言われたことない。
けど、思たことはありましたよ、あの「三十石」っちゅう落語おまっしゃろ。
で、船頭さんの部分、一生懸命「やウンとしょい……」汗かいてやってたん、見たら前に座ったお客さん三人が一斉に船漕ぎ出しました。
コックリコックリ……「俺は名人だ」思いました。
西行さん、われとわが歌に惚れ込んで鼓ケ滝の美しさに見とれております間に、あたりが段々だんだん薄暗くなってまいります「えらいことをした、早く宿屋を見付けて旅の疲れを癒さねば」と、宿屋探した。
ところが、今から八百年も昔でっせ、兵庫県ちゅうたら有名な有馬温泉がある、有馬てえぇとこでっせ、あの白い湯の素使こてない分だけえぇとこやから。
有馬温泉は当時あったかも分からんが「中の坊」がなかった。
しゃ~ないがな、あっちウロウロこっちウロウロ、とぉとぉ山道に足を踏み入れた。
ところが、これが行けども行けども抜けるどころか辺りに人家はなく、やがて足は疲れて棒のよぉになる、その棒をはずして杖にしたといぅ。
どないだ、このニュアンス。
「やがて足は疲れて棒のよぉになる、その棒をはずして杖にしたといぅ」
なかなかほかの噺家では真似のできない文学的な表現なんですねこれ
「やがて足は疲れて棒のよぉになる、その棒をはずして杖にしたといぅ」
「やがて足は……」これ時間が余るとき四十五回ぐらい言ぃまんねんけどね。
西行さんも弱りましてね「こんなとこで野宿すんのんかなんなぁ」
ヒョッと見ると、向こぉに明かりがチラチラッと見えた。♪町の明かりがとても綺麗ぇね……、這うよぉにしてやってまいりまして戸の節穴から中を覗きますと、もぉ七十に手が届こぉかといぅお爺さん。
その連れ合いのお婆さん、十五、六の孫娘がちょ~ど夕飯の支度をしてる真っ最中。
■これはよいところへ来た(トントン)お願いをいたす(トントン)お願いをいたす
●はいはい、どちらさまじゃな?
■旅の僧、歌人でございます。鼓ケ滝のあまりの美しさに見とれ、宿を取り損じました。
土間でも結構、ひと晩お泊めを願いたい
●おぉ、それはそれは気の毒。
困ってるときはお互い、さぁ、さぁさぁどぉぞ。
と、中へ入れてもぉて、囲炉裏のそばに席を空けてもろた。お婆さんちょ~どお粥を炊いてる真っ最中、お玉っちゅうこぉ目の検査に使うやつこぉ持ってグツグツぐつぐつ、出来上がりますとハゲッチョロケのお椀にたっぷりとこぉついで、おかずは山ゴボウの味噌漬けパリポリポリ……
こら普通の人、西行さんは大男です「パリポリポリ」やない、椰子の実かじっても血が出ないっちゅうぐらい立派な歯ぁ……、歯ぁで思い出しましたけど、総入れ歯てうまいことできてまんなぁ。
うちのお婆ちゃん、わたしの机の引き出しの中へ入れ歯入れときよった。
わたし知らんと開けてビックリしたがな。シュッと開けたら、入れ歯ガバッ
「うっわぁ~ッ、お婆ちゃんこんなもんこんなとこしもて……」
「ごめん、ごめん、よそへしもとく」
こんどうちの息子の引き出しからガバッ。
うちの息子どぉ言ぅた思います
「お母ちゃんえらいこっちゃ、机が笑ろてるわ」
この頃の子供の発想には付いて行けない部分がある。
ベリバリボリバリ、ずずぅずずぅ~、ベリバリボリバリ、ずずぅずずぅ~、ベリバリボリバリ、ずずぅずずぅ~、三杯の粥をばペロリと平らげまして。
■いやぁ~、これで人心地つきもぉした、心置きなく休むことができます。ごちそぉさま
●よかったよかった、だいぶ顔の色もよぉなられた。ところでなぁ、われら山家(やまが)で生涯送る者、里の話を聞くのが何よりの楽しみじゃ。先ほど歌詠みと言われしからには、鼓ケ滝、さぞよい歌をお詠みになったことでございましょ~なぁ。
「いやいや、ほんの粗末な歌じゃ。しからば一宿の礼と申しては何じゃがお聞かせいたそぉかのぉ」西行さん、口では優しい。お腹ん中「けぇ~ッ、こんな山奥の田舎の爺ぃに日本一の俺の歌が分かってたまるかい、ケッ」と
思いながらも。
■一度しか申さんからよく聞かれ「伝え聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」と詠んだがどぉじゃ
●なるほど、これはよい歌でございますなぁ
「伝え聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」んッ、今までにも数多くの歌詠みがこれに来たりて、鼓ケ滝の歌も聞き申したが、あなたさまほどのよい歌は聞ぃたことがございません。
見事じゃ、天晴れじゃ……。と言ぃたいところじゃが、一つだけお直ししてもよろしぃかな?
これ聞ぃて西行さんムカ~ッときた「この爺ぃ、わずか三杯の粥で図に乗
りやがって、いてもたろかアホンダラめ」と思いましたが「待てまて……」
■どこが悪い?
●今あなたさまは「伝え聞く 鼓ケ滝に」とお詠みくださいましたが、鼓といぅものは音の出るもんじゃでなぁ「伝え聞く」といぅよりも「音に聞く」としたほぉがグッと調子がよぉござりましょ~がな「つたえきく」「おとにきく」文字の数は同じ、そぉなされてはいかがかな。
「なるほどなぁ『伝え聞く』といぅよりも『音に聞く』としたほぉがグッと調子がよくなる」西行さん、今まで「この爺ぃ何を言ぃ出す」肩張ってた、
この肩がカク~ン。選挙に落ったあとの鈴木宗男さんみたいなもん「アホの坂田に間違われた、情けない……」
■そこもとは歌道名誉な者とうけたまわる
●いやいや、われらのよぉな者、歌の一つも詠めと言われてもなかな詠めませぬがな、ひとの作った歌の良
し悪しぐらいは分かります。そぉなされてはいかがかな
■しからば、ご忠告に従うといたそぉ。
それ聞ぃとりましたお婆さん……
▲爺どんや
●何じゃな? 婆どん
▲今、爺どんがお直しなすったによって、わしも直してあげたいんじゃがのぉ。
これ聞ぃて西行さん、頭のアキレス腱がプチィ~ン「男同士ならともかくも、女の分際で生意気なことを、この提灯婆ぁめ」あの、横にシワがあんのが提灯婆ぁやそぉで、縦にシワがある人が唐傘婆ぁ。
今日は幸い一人もお見えやございませんが……
■ん~ん、どこが悪い?
▲今、爺どんが上の句直しなすったよって、わしゃその次のところじゃがなぁ「鼓ケ滝に 来てみれば」といぅところ、鼓といぅのは打つもんじゃでなぁ「来てみれば」といぅよりも「うちみれば」としたほぉがグッと調子がよぉござりましょ~がな。下のほぉから見上げる「うち見れば」鼓を打つの「打ちみれば」二つが一つになってグッと調子がよぉござりましょ~がな。
■なるほど「来てみれば」といぅよりも「うちみれば」としたほぉがグッと調子が……、いやぁ、そこもとはなかなか歌道熱心な者とうけたまわる。ご尊名をお聞かせ願いたい
▲いやいや、そのよぉな名の有る者ではございません。そぉなされてはいかがでございましょ~かな
■仰せのとぉりいたしましょ~。
そこへ孫娘が現われまして……
◆あのぉ~、わたくしもお直しを
■ま、まだかいな……
上の句、中の句直されて下の句直される、全部直される。
もぉ西行さん、抵抗する力もなんも「どぉぞどぉぞ、お好きなよぉに、ご勝手に」
◆今、お坊さまは「沢辺に咲きし たんぽぽの花」とお詠みくださいましたが、これなら日本全国どこで詠んでも同じこと。
この辺りは川辺郡(かわべごぉり)と申しますゆえ「沢辺」といぅよりも「川辺」鼓ケ滝には「たんぽぽ」よりも「白百合の花」
「川辺に咲くや 白百合の花」とお詠みくださいましたならば、これぞまことの鼓ケ滝の歌になりましょ~。
と、グッと睨んだその娘の眼光の鋭いこと。小泉さんを睨んでる田中真紀子さんみたいなもんで
「えらいもん、敵に回してしもた」
「音に聞く 鼓ケ滝に うちみれば 川辺に咲くや 白百合の花」先ほどの歌とは雲泥の差でございます「なるほど上には上があるもんだ」と、西行が恥じ入ったとたん。
背中に吹き込む一陣の風、ふッと気が付きますと今まで山家の一軒家だと思っておりましたとこが、なんにも無い山ん中の松の根方。
先ほど山道に迷い込んで、疲れを癒そぉと松の根方に腰かけてウトウトッとしたときに見た夢でございます「あぁ、われいささか歌道に慢心をいたしたか。白百合の花を鼓の音に引っ掛けてたんぽぽと返ししは、わが増長であったか。
それを諌めんがため住吉大明神、人丸明神、玉津島明神の和歌三神が、かりそめにも今の三人に姿を変えて現われたまいしに相違ない。
あぁ、われこれより決して歌道に慢心をいたすまい」と反省をいたします。
反省するなら猿でもできる。ところが西行さん、これから血の滲むよぉな修行をコツコツコツコツといたしまして七十三歳、大阪の弘川寺でこの世を去ったのちも、日本人の心の中に歌の名人、和歌の天才としていまだに生き
続けております。
人は死して名を残す、虎は死して皮残す、噺家死んで借金残す、といぅ。
【さげ】
「西行鼓ケ滝」の一席、ありがとぉございます。
【プロパティ】
西行法師=(1118-1190)平安末期から鎌倉初期の歌僧。俗名、佐藤義清(の
りきよ)。法号、円位・大宝房など。もと北面の武士。二十三歳で出
家。陸奥から四国・九州までを旅し、河内の弘川寺で没す。生活体験
のにじむ述懐歌にすぐれ「新古今集」では集中最高の九十四首が入集。
家集「山家集」聞書「西公談抄」。
能因(のういん)法師=(988-?)平安中期の歌人。出家して古曾部入道と呼
ばれた。藤原長能(ながよし)に和歌を学び、諸国を行脚、歌枕を訪ね
た。「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に六十七首入集。著「能因歌枕」
私撰集「玄々集」家集「能因法師集」。
兼行(けんこう)法師=(1283頃-1350頃)鎌倉末期から南北朝初期の歌人・
随筆作者。本姓は卜部(うらべ)。慈遍の弟(一説に兄)。和歌を二条為
世に学び二条派の和歌四天王と称せられ「続千載集」以下の勅撰和歌
集に十六首入集。その著「徒然草」は随筆文学の傑作。
北面の武士=院の北面に詰めて近侍した武者。院の武力組織の中心で白河
院のとき初めて設置。北面の者。きたおもて。
SP(security police)=要人の身辺警護を任務とする警官。
平清盛=(1118-1181)平安末期の武将。忠盛の長男。通称、平相国。法号、
浄海。白河法皇の落胤とも伝えられる。保元・平治の乱により対立勢
力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ、官
職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。他方、地
方武士に離反され源頼朝ら反平氏勢力が挙兵、福原に遷都したが熱病
のため没した。
俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)=藤原秀郷。平安中期の鎮守府将軍。
俗称、俵藤太。下野押領使として平将門の乱を鎮圧、下野守となった。
東国武士の小山・結城・下河辺氏の祖。近江三上山のムカデ退治の伝
説がある。生没年未詳。
将門の乱=平安中期、関東に起こった内乱。平将門は 939年常陸・下野・
上野の国府を占領、一時関東を支配下において下総猿島郡石井(いわ
い)に王城を営んで新皇を称したが 940年平貞盛・藤原秀郷らに討た
れた。同時期の藤原純友の乱とともに承平・天慶の乱という。
西行桜(さいぎょうざくら)=京の春、西行は桜のために邪魔されることを
嘆き「花見んと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがには
ありける」と詠む。西行が桜の木陰で寝ていると桜の精が現れ「どう
して桜にとががあるものか」と反論する。
一休=(1394-1481)室町中期の禅僧。諱(いみな)は宗純。号、狂雲子。後
小松天皇の落胤といわれる。京都大徳寺住持となるが同時に退山。禅
宗の腐敗を痛罵して自由な禅のあり方を主張。詩・狂歌・書画に長じ、
また数々の奇行で有名。いわゆる一休とんち話の類は後世の仮託。著
に詩集「狂雲集」など。
松尾芭蕉=(1644-1694)江戸前期の俳人。名を宗房。別号、桃青・坐興庵・
栩々(くく)斎・泊船堂・風羅坊など。仮名書き署名は「はせを」。伊
賀上野の人。京都で北村季吟に師事。のち江戸に下り俳壇内に地盤を
形成、深川の芭蕉庵に移った。各地への旅を通じて俳諧を文芸的に高
めたが、晩年には「軽み」の俳風を志向した。句は「俳諧七部集」な
どに収められ、主な紀行・日記に「野ざらし紀行」「笈(おい)の小文」
「更科紀行」「奥の細道」「幻住庵記」「嵯峨日記」などがある。
エイリアン=異邦人、外国人、異星人。
オバタリアン=堀田かつひこ著まんが「おばたりあん」が有名だが、語源
はクルー・ギャラガー監督ホラーギャグ映画「バタリアン」らしい。
「鼓が滝」駅=能勢電鉄妙見線。
日本の三大滝=あとの二つは「那智の滝」「華厳の滝」?
那智黒飴=明治10年創業、那智黒聡本舗の商品名。那智黒を模した黒糖飴。
水に漂う浮き草に、同じさだめと指をさす……=演歌「みちづれ」作詞:
水木かおる、作曲:遠藤 実、歌:渡 哲也。
白い湯の素使こてない分=2004年、信州白骨(しらほね)温泉が入浴剤「草
津温泉ハップ」を混入して白濁させていた事件。これに端を発し伊香
保温泉、芦原温泉ほか全国各地有名温泉で偽装温泉が問題化。
有馬温泉「中の坊」=中の坊瑞苑。明治初期創業の有馬の老舗旅館。
かなん=適わない、適わん、かなん。
鈴木宗男=製材会社「やまりん」からのあっせん収賄「島田建設」からの
受託収賄、議院証言法違反、政治資金規正法違反で起訴・公判中に参
院北海道選挙区に出馬するも落選。よしもと笑芸人坂田利夫氏に酷似。
歌道名誉=歌道に優れているとみとめられる。
小泉さんを睨んでる田中真紀子さん=参院選応援の街頭演説で田中真紀子
氏が「三年前には小泉さんを応援したが、現在とんでもない欠陥製品
であったことが分かった」と評した。
住吉大明神、人丸明神、玉津島明神=和歌三神。そのほか、柿本人麻呂・
山部赤人・衣通姫の三人や住吉神・玉津島神・天満天神の三神、住吉
神の三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)の組み合わせもある。
住吉大明神=底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后?
人丸明神=柿本人麻呂。人丸影供(ひとまるえいぐ):柿本人麻呂の絵像を
安置し酒膳や香花を供えて催した歌合わせ・歌会。平安末期から中世
を通じて流行した。人丸供養。人丸供(ひとまるく)。
玉津島明神=和歌山市和歌浦にある玉津島神社。雅日女尊(わかひるめの
みこと)息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)衣通姫
尊(そとおりひめのみこと)。
弘川寺=大阪府南河内郡河南町弘川。天智天皇四年に役の小角によって開
創。本尊は薬師如来、天武・嵯峨・後鳥羽の三人の天皇の勅願寺とな
り、その後行基が連業をし変遷を重ねて弘法大師が中興。西行法師が
境内に庵を結び終焉の地となる。
音源:笑福亭鶴光 2004/08/24 エブリ寄席(KTV)
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